劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~   作:ブンチョウ

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第16話 煮酒論英雄(命がけの飲み会)

 曹操政権の従順なイエスマン(豫州牧(よしゅうぼく)という名ばかりの大名、実態はただの窓際族)として、大都市・許昌(きょしょう)での居候生活をスタートさせた俺──劉備(りゅうび)

 

 今の俺に課された至上命題は「絶対に目立っちゃダメだ」の一点に尽きる。

 

 下手に目立ってワンマン社長の曹操(そうそう)に「やっぱりお前、内に野心があるな?」と疑われれば、その瞬間にまな板へ乗せられて、曹操の愛刀である倚天剣(いてんけん)で、骨ごとサイコロステーキにされる。

 

 そのため俺は、支給された自宅の裏庭に引きこもり、せっせと菜園を作って(うり)(あおい)、ナスを育てる「農業ニート」のフリをしていた。

 

 牙を抜かれた無害なおっさんを全力でプロデュースする毎日。

 

 泥まみれでクワを振るう俺を見て、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)のゴリラ兄弟は「兄貴が腑抜けた……」と切ない目で遠巻きに見てくるが、知るか。

 

 プライドより命の方が一兆倍大事だ。

 

 だが、そんな俺の涙ぐましいステルス迷彩ムーブを、あの男が放っておくはずがなかった。

 

 ある小雨の降る日、曹操から直接の呼び出しがかかる。

 

「劉備よ、庭の梅が実った。良い酒を温めて待っているから、二人だけでサシ飲みしようや」

 

(ひえええええ!! 二人きりでサシ飲みとか、前世のブラック企業の社長室に呼び出されるようなもんだろ!!!)

 

 前回の面接で俺を直属に置いたはずの人事トップ・曹華(そうか)の「人事保護フィルター」すら貫通して届いた、最高権力者からの指名。

 

 俺は胃に穴が開きそうなほどのプレッシャーの中、遺書を書くような悲壮な気持ちで、曹操の待つプライベート東屋へと向かった。

 

 ◆

 

 しとしとと雨が降る中、東屋で温められた青梅の酒を酌み交わす。

 

 アルコール度数は低いが、ひたすらすっぱい。

 

 恐怖で逆流しそうな胃酸と混ざり合って、脳が気絶しそうな味がする。

 

 対面に座る曹操は上機嫌だったが、その目は一切笑っていなかった。

 

 案の定、天下の覇王は、逃げ場のない「天下の英雄論」という名の最悪の圧迫面接をふっかけてきた。

 

「おい劉備。今、この天下で『本物の英雄』って誰だと思う? やっぱり四世三公の名門・袁紹(えんしょう)か? それとも圧倒的な兵力を持つ袁術(えんじゅつ)か? あるいは荊州の劉表(りゅうひょう)か?」

 

「いやぁ! 袁紹様は素晴らしい名門の主ですし、袁術様も圧倒的な組織力をお持ちですし、皆さん人を惹きつける天性の器量(カリスマ)をお持ちの、素晴らしいお方だと思いますよぉ(ヘラヘラ)」

 

 俺は完璧なビジネススマイルで、全方位に媚びを売った。

 

 無能な平社員のムーブとしては満点のはずだ。

 

 だが、曹操はフッと冷たい笑みを浮かべ、俺の目を真っ直ぐに見据えて、あの歴史的セリフを静かに言い放った。

 

「そんな奴らはただのゴミだ。今、天下にいる本物の英雄は……お前と、この俺だけだ」

 

 ドクン、と心臓が跳ね上がった。

 

 前回の謁見の時と同じだ。

 

 曹操の目が完全に、俺のすべてを見透かしてロックオンしている。

 

 俺の脳内で、パニックのアラートがうるさいほどに鳴り響く。

 

(バレてるーーー!! 大人しくナス育ててたのに、怪物扱いされてる!!! 死ぬ!!! 今ここで『やっぱりお前、野心あるな』って判断されたら一瞬で殺される!!!)

 

 恐怖が限界突破した瞬間、俺の身体が物理的にバグを起こした。

 

 指先の感覚が完全に消失し、持っていた箸を「ポロッ」と床に落としてしまう。

 

 それどころか、あまりの恐怖に全身の筋肉が完全に弛緩し、リアルにその場でちょっぴり失禁(お漏らし)しかけてしまった。

 

「ひえっ……」

 

 情けない声が出た、その瞬間──ガラガラガラ!!! と、絶妙すぎるタイミングで激しい落雷が周囲に響き渡った。

 

 俺の脳裏に、前世のバラエティ番組のコントの記憶がフラッシュバックする。

 

 これだ、これしかない!!!

 

「ひえええええ!! 雷怖いぃぃぃ!! 曹公、お助けくださいぃぃぃ!!」

 

 

 俺はわざとらしく両耳を塞ぎ、股間の危機を隠すように大慌てで机の下に潜り込み、ガタガタと生まれたての小鹿のように震えてみせた。

 

 ◆

 

(はぁはぁ……あぶねえ、雷のおかげで失禁のシミをごまかせたか……!?)

 

 俺が机の下で絶望的なポーズで固まっていると、パタパタと足音が響き、東屋に雨よけの羽織を持った一人の美しい少女が駆け込んできた。

 

 曹操の最愛の娘であり、宮廷でもその凛とした佇まいから「じゃじゃ馬」と噂される天真爛漫なお姫様──曹節(そうせつ)である。

 

 のちに漢王朝最後の皇帝(献帝)の皇后となる彼女は、非常に正義感が強く、芯のある高貴な美少女だった。

 

 だからこそ、父親──曹操の傲慢な権力マウンティングには、日頃からウンザリしていたのだ。

 

 彼女は、父がまた新しい居候──劉備を恐怖させて悦に浸っている最悪の現場を目撃した、と思い込んでいた。

 

「……父上」

 

「何だ」

 

「また、客人をいじめておられるのですか」

 

 曹操の眉が、わずかに動く。

 

「いじめてなどおらぬ」

 

「劉備殿が、机の下におられます」

 

「雷を怖がっておるだけだ」

 

「父上が、何か恐ろしいことを仰ったのでは?」

 

「言っておらぬ」

 

 曹節は、俺の方へ近づいてきた。

 

 俺は必死に股間を隠しながら机の下から這い出ると、泥まみれのまま、前世で叩き込まれたコンプライアンス──子供への配慮を無意識に発動させた。

 

「あ、お嬢さん。雨の中わざわざお父様のために上着を……! なんて優しい子なんだ。でも、床が濡れてて滑るから足元には気をつけてね。あ、私はただの雷がめちゃくちゃ怖い情けないおじさんですので、どうぞお構いなく!」

 

 曹節が、少しだけ目を見開いた。

 

「……劉備殿は、ご自身より私の足元を心配なさるのですか」

 

「え?」

 

「いえ」

 

 俺は、できるだけ腰の辺りを隠しつつ、ゆっくりと立ち上がった。

 

 泥のついた膝を払う。

 

「私は、雷が怖いだけの情けないおじさんですから」

 

「……」

 

「どうぞ、お気になさらず」

 

 曹節は、俺をじっと見ていた。

 

 雨に濡れた東屋。

 

 泥のついた衣。

 

 震えている手。

 

 父である曹操の前で、天下の英雄と呼ばれることを拒むように怯えてみせた男。

 

 彼女の目には、それがまるで別のものに映っていた。

 

(父上はまた、劉備殿を試した)

 

(天下の英雄などと、血の匂いのする言葉を投げつけて)

 

(この方は、それを受け取らなかった)

 

(力を誇らず。争いを望まず。道化を演じてまで、父上の誘いを退けた)

 

 曹節の胸に、熱いものが広がった。

 

 父の周囲には、功績を求める者ばかりいる。

 

 兵を欲しがる者。

 

 土地を欲しがる者。

 

 名を欲しがる者。

 

 だが、この男は。

 

 雨の中で泥にまみれながら、少女の足元を心配している。

 

 英雄と呼ばれることを、恐れている。

 

(こんな方が、この世にいるの……?)

 

 最初に湧いたのは、怒りだった。

 

 こんな人を、父はまた試した。

 

 父の強さを見せつけるために。

 

 怯えさせ。

 

 追い詰め。

 

 笑っている。

 

 だから、守らなければと思った。

 

 だが、それだけではなかった。

 

 羽織を差し出そうとする自分の手が、わずかに震えている。

 

 胸が、妙に熱い。

 

 目を逸らすべきなのに、逸らせない。

 

 この感情が何なのか、曹節にはまだ分からなかった。

 

 ただ。

 

 この人が、誰かに傷つけられるのは嫌だと思った。

 

「劉備殿」

 

「はい」

 

「父上が、失礼をいたしました」

 

「いや、曹操社長……いえ、曹操様は何も」

 

「いいえ」

 

 曹節は、静かに言った。

 

「父上は、時々、強い方にばかり強くあろうとなさるのです」

 

 曹操が咳払いをした。

 

「節」

 

「私は、そういう父上が嫌いです」

 

「お前な」

 

 曹操の声が低くなる。

 

 だが、曹節は引かなかった。

 

 そして、俺に羽織を差し出した。

 

「どうぞ。風邪を引かれます」

 

「……ありがとうございます」

 

 俺は受け取った。

 

 柔らかい布だった。

 

 あたたかかった。

 

 その温かさに、少しだけ泣きそうになった。

 

 曹節は、俺が羽織を抱く手元を見ていた。

 

 その頬が、ほんの少しだけ赤くなる。

 

 自分の羽織を、この人が大切そうに抱えている。

 

 それだけのことが。

 

 なぜか、嬉しかった。

 

 ◆

 

 一方、雷にガタガタ震える俺を見た曹操は、完全に「なーんだ、こいつ本当にただの小心者のビビりか。英雄なんて買い被りだったな」と安心し、ガハガハと笑った。

 

「ハハハ! 劉備よ、お前ほどの男が雷ごときに怯えるとはな! 興が冷めた、今日の飲み会はここまでだ!」

 

 こうして命がけのサシ飲みは幕を閉じたが、俺がそそくさと退散する裏で、さらなる大奥のネットワークがバグを増殖させていた。

 

 東屋の陰から、人事トップの曹華と、天井裏から音もなく降りてきた間諜の夜桜(よざくら)がスッと現れ、曹節の手を優しく引いたのだ。

 

「節ちゃん。あなたも劉備様の『真の偉大さ』に気づいたのね。お父様は騙せても、私たちの目は誤魔化せないわ」

 

「はい、華姉様、夜桜様……!」

 

 曹節は、劉備が去っていった雨の庭を見つめたまま、まっすぐに答えた。

 

「お父様があの方を弱虫と笑った時、胸が締め付けられました。あの方は乱世の業火から身を隠す、真の聖人ですわ……!」

 

 小さな手が、胸元でぎゅっと握られる。

 

「私、お父様の横暴から、劉備様を全力でお守りします!」

 

 少し間を置いてから。

 

 曹節は、小さな声で付け加えた。

 

「……それに。あの方が、またあんなふうに震えていたら」

 

 曹華と夜桜が、黙って聞いている。

 

「今度は、私がそばにいます」

 

 曹華は、ほんの少しだけ笑った。

 

 夜桜も、目を細めた。

 

 曹操の最愛の娘である曹節まで、姉の曹華と夜桜の手引きにより、一瞬で「劉備を父親の魔の手から守る、健気な身内スパイ」の心境へと至ってしまった。

 

 そしてその胸には、本人にもまだ名前をつけられない、小さな初恋の芽が生まれていた。

 

 曹操の家庭内防衛ライン、これにて完全崩壊である。

 

 そんな裏の連鎖など知る由もない俺は、自宅に帰るなり、大急ぎでズボンを着替えながらガタガタと震えていた。

 

「死ぬかと思ったァァァ!!! 本気でチビるかと思ったわ!!! 早くこの最悪のパワハラ企業から脱出しないと、今度こそ心臓が止まる!!! 夜逃げの計画(袁術討伐を口実にしたバックレ)を立てるぞ、あのゴリラ(関羽・張飛)たちを呼べーーー!!!」

 

 こうして劉備は、ただの「恐怖によるリアル失禁を雷のせいにしただけ」なのに、曹操の愛娘──曹節・庇護欲から始まる初恋を、マイハーレムの十三人目(準構成員)にロックオン。

 

 世界からは「曹操の最凶の精神攻撃を、雷に怯えるフリという神がかった演技で完璧にいなし、曹操の目を欺いた、底知れぬIQの持ち主」として、さらにヤバすぎる怪物の評価を裏で更新。

 

 最悪のデスハラ飲み会を生き延び、許昌脱出編へとトコトコ──大爆走進まされていくのだった。

 

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