劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~ 作:ブンチョウ
曹操政権の従順なイエスマン(
今の俺に課された至上命題は「絶対に目立っちゃダメだ」の一点に尽きる。
下手に目立ってワンマン社長の
そのため俺は、支給された自宅の裏庭に引きこもり、せっせと菜園を作って
牙を抜かれた無害なおっさんを全力でプロデュースする毎日。
泥まみれでクワを振るう俺を見て、
プライドより命の方が一兆倍大事だ。
だが、そんな俺の涙ぐましいステルス迷彩ムーブを、あの男が放っておくはずがなかった。
ある小雨の降る日、曹操から直接の呼び出しがかかる。
「劉備よ、庭の梅が実った。良い酒を温めて待っているから、二人だけでサシ飲みしようや」
(ひえええええ!! 二人きりでサシ飲みとか、前世のブラック企業の社長室に呼び出されるようなもんだろ!!!)
前回の面接で俺を直属に置いたはずの人事トップ・
俺は胃に穴が開きそうなほどのプレッシャーの中、遺書を書くような悲壮な気持ちで、曹操の待つプライベート東屋へと向かった。
◆
しとしとと雨が降る中、東屋で温められた青梅の酒を酌み交わす。
アルコール度数は低いが、ひたすらすっぱい。
恐怖で逆流しそうな胃酸と混ざり合って、脳が気絶しそうな味がする。
対面に座る曹操は上機嫌だったが、その目は一切笑っていなかった。
案の定、天下の覇王は、逃げ場のない「天下の英雄論」という名の最悪の圧迫面接をふっかけてきた。
「おい劉備。今、この天下で『本物の英雄』って誰だと思う? やっぱり四世三公の名門・
「いやぁ! 袁紹様は素晴らしい名門の主ですし、袁術様も圧倒的な組織力をお持ちですし、皆さん人を惹きつける
俺は完璧なビジネススマイルで、全方位に媚びを売った。
無能な平社員のムーブとしては満点のはずだ。
だが、曹操はフッと冷たい笑みを浮かべ、俺の目を真っ直ぐに見据えて、あの歴史的セリフを静かに言い放った。
「そんな奴らはただのゴミだ。今、天下にいる本物の英雄は……お前と、この俺だけだ」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
前回の謁見の時と同じだ。
曹操の目が完全に、俺のすべてを見透かしてロックオンしている。
俺の脳内で、パニックのアラートがうるさいほどに鳴り響く。
(バレてるーーー!! 大人しくナス育ててたのに、怪物扱いされてる!!! 死ぬ!!! 今ここで『やっぱりお前、野心あるな』って判断されたら一瞬で殺される!!!)
恐怖が限界突破した瞬間、俺の身体が物理的にバグを起こした。
指先の感覚が完全に消失し、持っていた箸を「ポロッ」と床に落としてしまう。
それどころか、あまりの恐怖に全身の筋肉が完全に弛緩し、リアルにその場でちょっぴり失禁(お漏らし)しかけてしまった。
「ひえっ……」
情けない声が出た、その瞬間──ガラガラガラ!!! と、絶妙すぎるタイミングで激しい落雷が周囲に響き渡った。
俺の脳裏に、前世のバラエティ番組のコントの記憶がフラッシュバックする。
これだ、これしかない!!!
「ひえええええ!! 雷怖いぃぃぃ!! 曹公、お助けくださいぃぃぃ!!」
俺はわざとらしく両耳を塞ぎ、股間の危機を隠すように大慌てで机の下に潜り込み、ガタガタと生まれたての小鹿のように震えてみせた。
◆
(はぁはぁ……あぶねえ、雷のおかげで失禁のシミをごまかせたか……!?)
俺が机の下で絶望的なポーズで固まっていると、パタパタと足音が響き、東屋に雨よけの羽織を持った一人の美しい少女が駆け込んできた。
曹操の最愛の娘であり、宮廷でもその凛とした佇まいから「じゃじゃ馬」と噂される天真爛漫なお姫様──
のちに漢王朝最後の皇帝(献帝)の皇后となる彼女は、非常に正義感が強く、芯のある高貴な美少女だった。
だからこそ、父親──曹操の傲慢な権力マウンティングには、日頃からウンザリしていたのだ。
彼女は、父がまた新しい居候──劉備を恐怖させて悦に浸っている最悪の現場を目撃した、と思い込んでいた。
「……父上」
「何だ」
「また、客人をいじめておられるのですか」
曹操の眉が、わずかに動く。
「いじめてなどおらぬ」
「劉備殿が、机の下におられます」
「雷を怖がっておるだけだ」
「父上が、何か恐ろしいことを仰ったのでは?」
「言っておらぬ」
曹節は、俺の方へ近づいてきた。
俺は必死に股間を隠しながら机の下から這い出ると、泥まみれのまま、前世で叩き込まれたコンプライアンス──子供への配慮を無意識に発動させた。
「あ、お嬢さん。雨の中わざわざお父様のために上着を……! なんて優しい子なんだ。でも、床が濡れてて滑るから足元には気をつけてね。あ、私はただの雷がめちゃくちゃ怖い情けないおじさんですので、どうぞお構いなく!」
曹節が、少しだけ目を見開いた。
「……劉備殿は、ご自身より私の足元を心配なさるのですか」
「え?」
「いえ」
俺は、できるだけ腰の辺りを隠しつつ、ゆっくりと立ち上がった。
泥のついた膝を払う。
「私は、雷が怖いだけの情けないおじさんですから」
「……」
「どうぞ、お気になさらず」
曹節は、俺をじっと見ていた。
雨に濡れた東屋。
泥のついた衣。
震えている手。
父である曹操の前で、天下の英雄と呼ばれることを拒むように怯えてみせた男。
彼女の目には、それがまるで別のものに映っていた。
(父上はまた、劉備殿を試した)
(天下の英雄などと、血の匂いのする言葉を投げつけて)
(この方は、それを受け取らなかった)
(力を誇らず。争いを望まず。道化を演じてまで、父上の誘いを退けた)
曹節の胸に、熱いものが広がった。
父の周囲には、功績を求める者ばかりいる。
兵を欲しがる者。
土地を欲しがる者。
名を欲しがる者。
だが、この男は。
雨の中で泥にまみれながら、少女の足元を心配している。
英雄と呼ばれることを、恐れている。
(こんな方が、この世にいるの……?)
最初に湧いたのは、怒りだった。
こんな人を、父はまた試した。
父の強さを見せつけるために。
怯えさせ。
追い詰め。
笑っている。
だから、守らなければと思った。
だが、それだけではなかった。
羽織を差し出そうとする自分の手が、わずかに震えている。
胸が、妙に熱い。
目を逸らすべきなのに、逸らせない。
この感情が何なのか、曹節にはまだ分からなかった。
ただ。
この人が、誰かに傷つけられるのは嫌だと思った。
「劉備殿」
「はい」
「父上が、失礼をいたしました」
「いや、曹操社長……いえ、曹操様は何も」
「いいえ」
曹節は、静かに言った。
「父上は、時々、強い方にばかり強くあろうとなさるのです」
曹操が咳払いをした。
「節」
「私は、そういう父上が嫌いです」
「お前な」
曹操の声が低くなる。
だが、曹節は引かなかった。
そして、俺に羽織を差し出した。
「どうぞ。風邪を引かれます」
「……ありがとうございます」
俺は受け取った。
柔らかい布だった。
あたたかかった。
その温かさに、少しだけ泣きそうになった。
曹節は、俺が羽織を抱く手元を見ていた。
その頬が、ほんの少しだけ赤くなる。
自分の羽織を、この人が大切そうに抱えている。
それだけのことが。
なぜか、嬉しかった。
◆
一方、雷にガタガタ震える俺を見た曹操は、完全に「なーんだ、こいつ本当にただの小心者のビビりか。英雄なんて買い被りだったな」と安心し、ガハガハと笑った。
「ハハハ! 劉備よ、お前ほどの男が雷ごときに怯えるとはな! 興が冷めた、今日の飲み会はここまでだ!」
こうして命がけのサシ飲みは幕を閉じたが、俺がそそくさと退散する裏で、さらなる大奥のネットワークがバグを増殖させていた。
東屋の陰から、人事トップの曹華と、天井裏から音もなく降りてきた間諜の
「節ちゃん。あなたも劉備様の『真の偉大さ』に気づいたのね。お父様は騙せても、私たちの目は誤魔化せないわ」
「はい、華姉様、夜桜様……!」
曹節は、劉備が去っていった雨の庭を見つめたまま、まっすぐに答えた。
「お父様があの方を弱虫と笑った時、胸が締め付けられました。あの方は乱世の業火から身を隠す、真の聖人ですわ……!」
小さな手が、胸元でぎゅっと握られる。
「私、お父様の横暴から、劉備様を全力でお守りします!」
少し間を置いてから。
曹節は、小さな声で付け加えた。
「……それに。あの方が、またあんなふうに震えていたら」
曹華と夜桜が、黙って聞いている。
「今度は、私がそばにいます」
曹華は、ほんの少しだけ笑った。
夜桜も、目を細めた。
曹操の最愛の娘である曹節まで、姉の曹華と夜桜の手引きにより、一瞬で「劉備を父親の魔の手から守る、健気な身内スパイ」の心境へと至ってしまった。
そしてその胸には、本人にもまだ名前をつけられない、小さな初恋の芽が生まれていた。
曹操の家庭内防衛ライン、これにて完全崩壊である。
そんな裏の連鎖など知る由もない俺は、自宅に帰るなり、大急ぎでズボンを着替えながらガタガタと震えていた。
「死ぬかと思ったァァァ!!! 本気でチビるかと思ったわ!!! 早くこの最悪のパワハラ企業から脱出しないと、今度こそ心臓が止まる!!! 夜逃げの計画(袁術討伐を口実にしたバックレ)を立てるぞ、あのゴリラ(関羽・張飛)たちを呼べーーー!!!」
こうして劉備は、ただの「恐怖によるリアル失禁を雷のせいにしただけ」なのに、曹操の愛娘──曹節・庇護欲から始まる初恋を、マイハーレムの十三人目(準構成員)にロックオン。
世界からは「曹操の最凶の精神攻撃を、雷に怯えるフリという神がかった演技で完璧にいなし、曹操の目を欺いた、底知れぬIQの持ち主」として、さらにヤバすぎる怪物の評価を裏で更新。
最悪のデスハラ飲み会を生き延び、許昌脱出編へとトコトコ──大爆走進まされていくのだった。