劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~   作:ブンチョウ

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第19話 車冑誅殺、僕やってません

 ──自由だ!

 

 ついにあの狂気のブラック企業(許昌)から脱出してやったぞ!

 

 俺は曹操から(結果的に)騙し取った5万の兵を率いて、かつての本拠地である徐州へと戻ってきていた。

 

「二度とあのパワハラ社長(曹操)の顔なんか見るか! これからは徐州で適当に仕事してるフリをしながら、糜氏の実家の隠し金塊を切り崩して、海外移住(スローライフ)の準備を進めるんだ!」

 

 内心でスキップを踏んでいた俺だったが、徐州の城門をくぐった瞬間、その淡い期待は一瞬で消し飛んだ。

 

 城内の一番良い執務室に、曹操が送り込んだ冷徹なエリアマネージャー(徐州刺史)──車冑(しゃちゅう)が、ギロリと目を光らせて鎮座していたからである。

 

(ひええええ! 曹操の直属の息がかかったお目付け役がまだ残ってるじゃん!! この人、目が完全に『怪しい動きをしたら即座に暗殺する』ってタイプの間諜の目だよ!! 穏便に退職の手続き(徐州の明け渡し)をしてフェードアウトしたいのに、この人がいたらパスポート(通行証)が発行できないよ!!)

 

 最後の最後で立ち塞がる巨大な障害に、俺は早くも胃をキリキリと痛め始めていた。

 

 ◆

 

 とにかく目を付けられないよう、まずは誠意を見せねばならない。

 

 俺は「出張の完了報告」と称して、少数の家臣──関羽(かんう)張飛(ちょうひ)だけを連れて、車冑の執務室へと挨拶に向かった。

 

「お初にお目にかかる、劉備殿。お噂はかねがね……」

 

 車冑は冷酷な笑みを浮かべながら俺を迎えたが、その袖の奥には不穏な気配が漂っている。

 

 空気がガラスのように張り詰める。

 

 後ろに控える関羽は青龍刀の柄に手をかけ、張飛はいつでも蛇矛を突き出せるよう全身の筋肉を膨張させていた。

 

(アカン、前世のキレやすいブラック企業の役員面談のトラウマが……! プレッシャーが強すぎて死ぬ……!)

 

 極限の恐怖と緊張により、俺の全身からはバケツをひっくり返したような冷や汗が噴き出していた。

 

 当然、手の平も脂と汗でヌルヌルである。

 

 その時、悲劇が起きた。

 

 あまりの恐怖に手が震え、護身用に腰にぶら下げていた剣(ただの飾り)の柄を、文字通りツルッと滑らせてしまったのだ。

 

 ──チャリン……!

 

 静まり返った執務室に、間抜けな金属音が響き渡る。

 

「あわわわ! すみません! 手が滑りました!」

 

 だが。

 

 この間抜けな「チャリン」という音が、後ろのゴリラ(張飛)の脳内で、最もバイオレンスな暗殺命令へと超翻訳されてしまった。

 

(……ハッ! 今のが兄貴の『暗殺実行の合図』だなァァァ!!)

 

「喰らえ豚野郎ッ!!!!!(大咆哮)」

 

 ズバァァァン!!!!!

 

 空気を切り裂く爆音とともに、張飛の蛇矛が四つん這いになった俺の頭上をかすめ、車冑の胸元を容赦なく一撃で貫通した。

 

「な、なに……劉備、わざと剣を落として俺の目線を下に誘導し、隙を作った……のか……」

 

 車冑は天才的な時間差トリックによる奇襲だと誤解したまま、弁解の余地なく即死した。

 

「ギャァァァァァァム!!! 何してんの張飛!? 俺、マジで手が滑っただけええええええ!!!」

 

 ◆

 

 血まみれの執務室で、俺が腰を抜かしていると。

 

 部屋の奥の隠し扉が、かすかに軋んだ。

 

「……兄上?」

 

 現れたのは、喪服めいた薄い衣をまとった若い女だった。

 

 車冑の実の妹──車リン。

 

 兄の遺体を見た瞬間、その顔から血の気が失せた。

 

「に、兄上……?」

 

 彼女は一歩、二歩と近づき。

 

 だが、張飛の蛇矛と、血だまりを見たところで足を止めた。

 

「……私も、殺されるのですね」

 

「ひえっ!?」

 

 俺は反射的に両手を上げた。

 

「殺さない! 殺さないです! というか張飛、槍を下ろせ! 関羽も武器から手を離して! あと扉は閉めるな! 車リンさんがここから出たいなら、誰も止めるな!」

 

 張飛が困惑した顔をする。

 

「兄貴? こいつ、曹操に通報するかもしれねえぞ」

 

「だから止めるなって言ってるだろ! 通報するかどうかを決めるのは、車リンさんだ!」

 

 俺は震える膝をどうにか動かし、車リンから三歩離れた場所で膝をついた。

 

 深く、額が床につくほど頭を下げる。

 

「……申し訳ありません」

 

 声が震えた。

 

「張飛が突きました。ですが、張飛だけの責任にはしません。ここへ来たのは私です。止められなかったのも私です。車冑殿を死なせた責任は、私にあります」

 

「劉備様……」

 

「あなたが私を恨むなら、それで構いません。曹操様へ知らせるなら、止めません。恨むなとも、黙れとも、私は言えません」

 

 車リンの目が揺れた。

 

 俺は、ゆっくり顔を上げた。

 

「ただし、今夜だけは急使を出さないでください」

 

「……やはり、口を塞ぐのですね」

 

「違います!」

 

 俺は慌てて首を振った。

 

「あなたのためです。車冑殿は、おそらく曹操様から私を殺せと命じられていた」

 

 関羽が、車冑の袖口を見た。

 

 そこには、黒い液を塗った短刀が隠されていた。

 

「兄上は……」

 

「その短刀も、書状も、帳簿も。今夜は誰にも触れさせません。明日、あなたの前で一つずつ確かめます。私に都合の悪いものも、車冑殿に都合の悪いものも、隠しません」

 

 俺は、遺体へ目を向けた。

 

「私は、車冑殿を悪人として処理するつもりはありません。命じられた仕事を果たしようとしたのかもしれない。家を守るためだったのかもしれない。私にも、守りたい者がいる。だから、分かります」

 

 車リンの唇が震えた。

 

「ですが、曹操様へ今すぐ報せれば。兄上が受けた密命も、失敗したことも、全部が表へ出ます。そうなれば、あなたは車冑殿の妹ではなく、失敗した密命を知る証人になる」

 

「……」

 

「曹操様が、その時のあなたを守ると。私は言い切れません」

 

 沈黙が落ちた。

 

 雨の音だけが、遠くでしていた。

 

「だから今夜だけは、兄上のために泣いてください。明日になったら、書状も短刀も見てください。そのうえで私を訴えるなら、私は逃げません」

 

「逃げない……?」

 

「逃げたいですけど!」

 

 思わず本音が出た。

 

「いや、ええと! 俺としてはすごく逃げたいんですが! あなたに”決める権利があること”からは逃げません!」

 

 車リンは、呆然と俺を見ていた。

 

 俺は、必死に続けた。

 

「車家の屋敷も、使用人も、帳簿も、誰にも触れさせません。あなたがこれからどう生きるか、誰のもとへ行くか、何を守るか。あなたが決めるまで、取り上げない」

 

「……私が、劉備様を曹操様へ訴えても?」

 

「取り上げません」

 

「なぜですか」

 

「兄を殺したからといって、妹の人生まで没収していい理由にはならないからです」

 

 車リンの目から、涙が落ちた。

 

「生活の支えが必要なら、用意します。ですが、それは口止め料ではありません。あなたが明日、私を訴えても変わらない。車冑殿を死なせた者として、最低限の責任です」

 

 車リンは、しばらく言葉を失っていた。

 

 やがて、兄の遺体を見た。

 

 次に、床へ額をつけている俺を見た。

 

「兄は……ずっと、曹操様の命令だからと申しておりました」

 

 小さな声だった。

 

「汚いことでも、家のためだと。私には何も知らせず、ただ、いざという時は黙っていろと……」

 

 彼女は、ぎゅっと拳を握った。

 

「私は兄のことを、立派な人だと思っていました」

 

「そうでしょう」

 

「……え?」

 

「あなたがそう思っていたなら、それでいい。今ここで、私が兄上を悪く言う資格はありません」

 

 車リンの涙が、さらに溢れた。

 

「劉備様は、兄を殺したのに」

 

「殺したからです。せめて、あなたの中にある兄上まで奪いたくない」

 

 車リンは、ゆっくりと息を吸った。

 

 そして、俺の前に膝をついた。

 

「今夜、使者は出しません」

 

 俺が顔を上げる。

 

「……本当ですか?」

 

「はい。私は、兄の死を曹操様の盤上の駒にはいたしません」

 

 その目には、まだ悲しみがあった。

 

 だが、恐怖だけではなかった。

 

「車家の者と、徐州に残る兄の部下たちには、私から話します。軽率な通報も、報復も、止めます」

 

「車リンさん……」

 

「ただし、約束してください」

 

「はい!」

 

「車家の者を、戦利品のように扱わないこと。兄の名を、都合よく踏みにじらないこと。そして……私が決めるまで、私の人生をあなたのものにしないこと」

 

 俺は、即座に頷いた。

 

「約束します。絶対に」

 

 車リンは、そこで初めて。

 

 ほんの少しだけ笑った。

 

「……では劉備様。今夜だけ、あなたを信じます」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 俺は心の底から思った。

 

(助かった……! 通報されなかった! 生き延びた!)

 

 だが車リンの胸には、別のものが芽生えていた。

 

 兄を殺した相手でありながら、自分に沈黙も許しも求めず。

 

 悲しむことも、決めることも、生きることも奪わなかった男。

 

 その背に、彼女は初めて。

 

 乱世の勝者ではない、一人の人間としての強さを見たのだった。

 

 ◆

 

 翌朝。

 

 車リンは約束通り、車家の私兵や旧・曹操派の官僚たちを自ら説得し、混乱を完璧に抑え込んでみせた。

 

 だが、そこに我が社の財務担当・麗華(れいか)と、秘書(お嬢様)の公孫蘭(こうそんらん)が冷徹な顔で合流したことで、話は俺のあずかり知らぬ方向へと爆走を始める。

 

「さすが劉備様、完璧な政治工作ね」

 

 麗華が帳簿をパチパチと叩きながら、不敵に微笑む。

 

「車リンさんを速やかに保護し、車冑の隠し口座と徐州の利権をすべて合法的にうちの傘下に“きれいに移し替えて”おいたわ。車リンさん自身が、車家の財と人を自分の名で劉備様のもとへ預けると決めたの。実質マイハーレムの17人目決定ね」

 

「車冑の暗殺に関する『正当防衛および職務怠慢による更迭の報告書』、中央へ発送完了しました」

 

 公孫蘭が涼しい顔で筆を片付ける。

 

「これで徐州は名実ともに、再び劉備様の領地となりました」

 

(違う!!! 俺はただ誠実に対応して命拾いしただけなのに、なんで外から見たら『遺族を懐柔して、曹操の刺客を返り討ちにして、徐州を完全乗っ取りした冷酷無比なコンゲームマスター』の鮮やかすぎる手際になってんだよ!!! これ曹操が100%ブチギレて本気で殺しにくるやつじゃねえか!!!)

 

 ◆

 

 数日後。

 

 許昌の曹操の元へ、最悪の報告書が届いた。

 

『車冑、劉備の「チャリン」という謎の暗殺合図の一撃で死亡。徐州は劉備に完全掌握されました』

 

 報告を聞いた曹操は、持っていた執務机を渾身の力で蹴り飛ばし、青筋を浮かべて絶叫した。

 

「劉備元徳ゥゥゥ!!!!!!」

 

 曹操の怒りは、これまでの累積によって完全に臨界点を突破していた。

 

「お前、俺の採用面接をペコペコ騙し、我が一族の曹華を抱き込み、夜の街を不正に操り、挙句の果てには我が区域責任者を『チャリンの計』で謀殺して会社を丸ごと乗っ取ったか!!! 許さん……絶対に許さんぞ!! 全軍を挙げ、あの耳の大きな怪物を八つ裂きにしてやる!!!」

 

 こうして劉備は、ただ「誠実に生き延びようとしただけ」なのに、世界からは「恐るべき覇王」としてさらにマークされることに。

 

 中原の絶対王者・曹操をガチで怒らせた俺たちは、過去最大の命がけのサバイバルへとトコトコ(大爆走で)進まされてしまうのだった。

 

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