劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~   作:ブンチョウ

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第2話 最初の華は黄色いリボン

 人間、置かれた環境にはそれなりに適応できるものらしい。

 

 桃園で「同年同月同日に死ぬ」とかいう、ガチ勢戦闘ゴリラ二人との無理心中──デスゲーム契約を結ばされてから数週間。

 

 俺は張飛の邸宅に居座り続けていた。

 

 当時の豪侠(ごうきょう)──平たく言えば地方ヤクザのボスである張飛の財力は凄まじく、毎日出される飯は、たまに砂が混じっているものの、肉は新鮮でクオリティが高かった。

 

「うん、美味い。歴史上の劉備はあちこち奔走して苦労したみたいだけど、俺はここで張飛の脛を齧り倒して、一生ニートとして過ごしてやる。挙兵? 戦争? 知るかそんなもん」

 

 だが、乱世の足音は、引きこもりニートの薄い扉を容赦なく蹴破ってきた。

 

 西暦一八四年。

 

 中国全土を震撼させる大暴動「黄巾の乱」が、ついにこの涿県(たくけん)の近くまで波及したのだ。

 

 新興宗教『太平道』の信者たちが黄色い頭巾を頭に巻き、各地で役所を焼き討ちし、略奪の限りを尽くしているという。

 

 地元の県知事である劉焉が、「国難に立ち向かう義勇兵を求む」という高札を出した、その日。

 

 バゴォン!!

 

 俺の部屋の扉が、本日二度目の全壊を遂げた。

 

「兄貴ィ!! 知らせだぜ!! ついに俺たちの時代が来たッ!!」

 

 突進してきた張飛は、獲物を見つけた猛獣のように目を血走らせていた。

 

 その後ろからは、返り血──乾いている──の染みをつけた緑の服を着た関羽が、静かに、しかし爆発しそうな闘志を秘めて歩いてくる。

 

「兄貴、国が危ねえ! 居ても立ってもいられねえからよォ、俺の肉屋の財産を全部叩いて、最高級の鎧と馬、それから近所の荒くれ者三百人を雇ってきたぜ! 全員、金で動く筋金入りの荒くれ者と元泥棒だ! さあ、俺たちの武名を天下に轟かせようぜ!」

 

「さすがは我が兄者……。すでに声もなく、静かに闘志を燃やしておられる」

 

 関羽が、青ざめてガタガタ震えている俺の顔を見て、深く感じ入ったように頷いた。

 

「男三百人の命を預かる重圧を、その若さで平然と受け止めるとは。行きましょう、兄者。乱世の闇を切り裂きに!」

 

(勝手に俺の人生をプロデュースするなァ!!!)

 

 俺は心の中で血の涙を流した。

 

 三百人のヤクザを武装させて遠征する費用があるなら、それ全部俺の口座に振り込んでくれよ!

 

 終身雇用のニート資金にしてくれよ!

 

 だが、拒否すればこの部屋の扉の代わりに俺の首が飛ぶ。

 

 俺は引きつった笑顔を浮かべ、裏返った声で応じるしかなかった。

 

「お、おう……出陣、しちゃおうか……」

 

 こうして、俺のニート計画は、開始数週間で無残に瓦解した。

 

 劉備義勇軍。

 

 その実態は、揃いの服すら着ていない、武器を持ったガラの悪い男たちの集団である。

 

 彼らを率いて、俺たちは黄巾軍の別働隊が略奪を行っているという近くの小村へ向かった。

 

 そこにあったのは、映画やゲームのような華やかな「合戦」ではなかった。

 

 ただの泥まみれの農民たちが、錆びたクワや竹槍を振り回し、怒号と悲鳴を上げて殺し合う、凄惨極まる泥仕合。

 

 内臓の飛び出た死体が放つ強烈な悪臭と、生温かい血の匂いが風に乗って漂ってくる。

 

「おえっ……無理無理無理!!」

 

 現代人である俺に、そんな最前線に立つ勇気などあるはずもない。

 

 俺は本陣、つまり戦場から一番遠い安全な後方のテントの中で、頭から麻布を被ってガタガタと震えていた。

 

 関羽と張飛が「兄貴に初陣の手柄を捧げるぞ!」と嬉々として前線へ突撃していったのが、せめてもの救いだ。

 

 しかし、戦場というのはどこが安全か分からない。

 

「おい! そこの漢のイヌめ! 覚悟しろ!」

 

 突然、テントの幕が引き裂かれ、数人のボロボロの兵士たちが逃げ込んできた。

 

 黄巾軍の敗残兵だ。

 

 そして、その中心にいたのは、二人の兵に両脇を支えられた少女だった。

 

 頭には、ひときわ鮮やかな、綺麗な黄色いリボン。

 

 頭巾の切れ端を結び直して作ったものらしい。

 

 彼女の名は張レン。

 

 後に知ることになるが、黄巾軍のトップの一角、地公将軍・張宝の娘であった。

 

 少女は片足を地面につけられず、もう片方の足も震えていた。

 

 膝から太腿にかけて、泥と血がべっとり張りついている。

 

 命に別状はなさそうだが、まともに歩ける状態ではない。

 

 それでも、その手には本物の、血に濡れた短剣が握られていた。

 

「……ひぇっ!」

 

 張レンは肩を激しく上下させながら、俺を睨みつけた。

 

「私を捕まえて役人に突き出し、懸賞金でも貰う気でしょう! 殺せ! 漢の腐った役人の手先め!」

 

(うわあああ! 女の子がナイフ持ってる! 怖い! こっち来ないで!!)

 

 俺は恐怖のあまり完全に硬直した。

 

 パニックで涙目が限界を迎え、身体が動けない。

 

 だが、彼女の足から流れた血が、地面に小さな赤い染みを作っているのが見えた。

 

(……いや、待て。怪我してる。しかも、かなり動けてない)

 

 刺されたら嫌だ。

 

 血も見たくない。

 

 だが、怪我人をそのまま放っておくのも嫌だ。

 

 俺は極度のパニックの中、現代のコンプライアンス精神と、平成・令和を生き抜いた一般的な倫理観を総動員して、震える手でそっと彼女の短剣の刃を優しく押し下げた。

 

「あー……危ないから、それ一回片付けよう? ね? 刺さないでね? 俺、刺されるの本当に嫌だから」

 

 張レンは怪訝そうに俺を見た。

 

 俺は短剣を奪い取るのではなく、彼女の手からゆっくり外して脇へ置いた。

 

 それから、近くにいた部下へ叫ぶ。

 

「水! あと、きれいな布! いや、きれいじゃなくてもいいから、血がついてないやつ!」

 

「は、はい!」

 

 荒くれ者が慌てて水を持ってくる。

 

 俺は張レンの前にしゃがみ込んだ。

 

「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢して。傷口、見せて」

 

「……なぜ」

 

「なぜって、血が出てるから」

 

 俺は震える指で、泥と血にまみれた傷の周りを水で洗った。

 

 傷は深くない。

 

 だが、足を強く打ったのか、腫れがひどい。

 

 動けないのは、傷そのものより痛みと衝撃のせいらしかった。

 

 布を裂き、傷口を押さえる。

 

 それから足を無理に動かさないよう、布を巻いた。

 

「ほら。少し休んで。立つなよ。今、立ったら余計に痛むから」

 

 当時の中国、ひいては乱世における「捕虜」。

 

 それも賊軍の女の扱いなど、悲惨極まるものだ。

 

 乱暴され、家畜のように奴隷として売られるのが当たり前の時代。

 

 しかも張レンは、敵の幹部の娘。

 

 懸賞金にもなる。

 

 人質にもなる。

 

 荒くれ者たちが、何を考えるかなど、彼女には分かっていた。

 

 だからこそ、張レンは震える声で言った。

 

「私は女だ。今は動けない……何もしないのか」

 

「は?」

 

 俺は、傷口を押さえていた手を止めた。

 

「馬鹿にしてるのか?」

 

 張レンの目が揺れた。

 

 俺は本気で顔をしかめた。

 

「怪我人に何をするんだよ。治すに決まってるだろ」

 

 そして、少し遅れて言った。

 

「あいつらと同じにするな」

 

 張レンは、息を呑んだ。

 

 俺はその意味の重さに気づかないまま、張飛の家から持参していた貴重な干し肉──現代のジャーキーに近い──を差し出した。

 

「あと、腹減ってるだろ。食え。食べられるなら食べて。動けない怪我人に、腹減らしたまま死なれたら寝覚めが悪い」

 

 張レンは、干し肉を見つめたまま動かなかった。

 

 やがて、かすかな声で言った。

 

「私たちは……太平の世を作るために戦っている」

 

「うん」

 

「父上も、伯父上も、飢えた者が食べられる世を作るのだと……皆が平穏に暮らせる世を作るのだと、そう言っていました」

 

 俺は、干し肉を彼女の手の届くところへ置いた。

 

「腹を減らした奴から飯を奪って、太平だと言うんだから、矛盾してるよな」

 

 張レンの指が、かすかに震えた。

 

「……」

 

「いや、別に。俺も偉そうなことは言えないけどさ」

 

 俺は包帯代わりの布を結び直した。

 

「でも、怪我人を踏みつけて、腹減ってる奴から飯を取って、それで世の中を良くするってのは……俺にはよく分からない」

 

 張レンの脳内で、凄まじい衝撃が走った。

 

(な、何……このお方は……!?)

 

 彼女の目から、大粒の涙が溢れ出た。

 

 目の前の男は、敵である自分を脅さない。

 

 捕虜として値踏みもしない。

 

 傷を見れば、まず手当てをした。

 

 食べ物を渡した。

 

 そして、黄巾が掲げたはずの「太平」を、たった一言で、誰よりもまっすぐに問い返した。

 

(父上や伯父上が目指した、貧富も身分もない、すべての人間が平穏に生きられる『太平の世』を……この人は、黄巾の旗も掲げずに、目の前でやっている……!)

 

 張レンはその場に泣き崩れた。

 

「私は……あなたのような本物の『聖人』を、ずっと探していたのかもしれません……」

 

「え? あ、う、うん……?」

 

 何に納得したの?

 

 そこへ、前線で敵をボコボコにして蹴散らした関羽と張飛が、血煙を上げながら帰還した。

 

「兄貴ィ! 戻ったぜ! ──あん? なんだその黄色頭巾のガキは!」

 

 張飛がギロリと張レンを睨み、大振りの蛇矛(じゃぼう)を構える。

 

 すると、張レンを支えていた兵の一人が、傷ついた身体を引きずりながら前へ出た。

 

「このお方は、地公将軍・張宝様の御息女、張レン様だ!」

 

「敵の幹部の娘か! すぐに首をハネて、県知事のところに持って行って懸賞金に変えようぜ!」

 

「ひえっ! ダメダメダメ! 命は大事に! 殺人反対! 彼女は怪我もしてるし、このまま解放してあげて!」

 

 俺は現代人として、目の前で女の子がミンチにされるのを阻止したくて必死に叫んだ。

 

 すると、横で聞いていた関羽が、ハッと目を見開いた。

 

(……そうか!)

 

 関羽の脳内で、本日も超弩級の深読みが炸裂する。

 

 目先の小さな功績や懸賞金などに目もくれず、敵の幹部の娘に底なしの恩を売る。

 

 そうすることで、数百万はいるという黄巾の信者たちの人心を、根こそぎ我が兄者へ引き寄せようというおつもりか。

 

 殺せば恨みが残る。

 

 だが、生かして帰せば「劉備の圧倒的な徳」が敵陣営に伝染し、内側から崩壊する。

 

 なんという恐るべき大局観。

 

 なんという深謀遠慮……!

 

 関羽と張飛は、俺のただの「生ぬるい現代人メンタル」を「天下を睥睨する神の如き器」と勘違いし、その場に平伏して激しく感服した。

 

 俺の「優しさ」──本人としては、ただ目の前で人が殺されるのが怖かっただけだ──に完全に脳を焼かれた張レンは、涙を拭うと、自分の頭に結ばれていた綺麗な黄色いリボンをゆっくりとほどいた。

 

 そして、跪いたまま、それを俺の大きな手の中にそっと握らせた。

 

「劉備様。私は一度、父の元へ戻ります。そして、黄巾の仲間たちに、漢王朝よりも気高く、真に私たちを救ってくれる救世主がここにいると伝えます」

 

 少女は、頬を赤らめながら俺をじっと見つめた。

 

「この黄色い布は、私の魂の半分。いつか必ず……あなたを、お迎えに上がりますから」

 

 そう言い残し、彼女は生き残りの信者たちに両脇を支えられながら、その場を離れていった。

 

 手の中に残された、ちょっと汗臭い黄色いリボンを見つめながら、俺は冷や汗を流していた。

 

(いや、迎えに来なくていいから!!!)

 

 俺の脳内は絶望で一杯だった。

 

 黄巾軍の幹部の娘にロックオンされるとか、この後すぐに台頭してくる曹操や漢王朝の正規軍から「黄巾の身内」としてマークされ、一番最初にギロチンにかけられるデスルート突入じゃねえか!!

 

 助けてくれ!!

 

「ガハハハ! 兄貴、さすがだぜ! 初陣で敵の女の心まで盗むとはな! また一歩、天下に近づいたな!」

 

 張飛が俺の肩を叩く。

 

 その衝撃で胃の中の干し肉が逆流しそうになりながら、俺は自分の未来が、どんどんきな臭い、そして生存確率の低い方向へとトコトコ加速していくのを感じて、ただただ涙を流すのだった。

 

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