劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~ 作:ブンチョウ
曹操軍との大決戦「白馬の戦い」がいよいよ間近に迫り、袁紹軍の本陣は「やってやるぞオラァ!」という脳筋武将たちの怒号で殺気立っていた。
そんな中、俺(劉備)は一人、プレハブ小屋の隅で胃薬をボリボリと噛み砕きながら激しくガタガタ震えていた。
(冗談じゃない! 最前線なんて行ったら確実に流れ矢で即死するか、営業部の郭図とか法務の審配の派閥争いに巻き込まれてトカゲの尻尾切りにされるに決まってる! 逃げなきゃ、どこか安全なホワイト部署に逃げなきゃ死ぬ!)
生き残るための保身にすべてを賭ける俺は、本陣の掲示板(布告)を血眼でスキャンし、ついに見つけ出した。
――『急募:袁家一族の私邸における、家庭教師および経理監査役。勤務地:本陣奥深くの安全圏。完全週休二日制(自称)』。
(これだ! 勝ち組リモートワーク物件きた! 現場に出ないでバックオフィスに引きこもれるぞ!)
俺は前世の「ブラック企業での泥臭い経理・営業経験」を盛りに盛って、それらしいビジネス用語に翻訳した職務経歴書を提出し、面接に挑んだ。
「現在の袁紹ワークスにおける軍需物資の管理体制には、ガバナンス(統治)が欠けております。コンプライアンス(法令遵守)の観点から、既存の派閥に属さない私のような外部の目が不可欠です。私なら、社内政治に縛られないクリーンな監査をお約束します」
高尚な儒教の教えを垂れるだけの老学者たちとは一線を画す、実務的かつシステムチックな劉備のプレゼンに、面接官たちは「なんかよく分からんが凄そうだ……」とすっかり圧倒された。
こうして俺は、見事に戦場からの「合法的な離脱」を勝ち取ったのである。
◆
しかし、案内された豪華な経理室で待っていたのは、想像以上に厄介なお局様だった。
袁紹一族の遠縁であり、袁家の子弟教育と軍需計算の監査を任されている才女・劉氏。
彼女は類まれな知能の高さゆえに超プライドが高く、これまで何人もの家庭教師を論破してはメンタルを崩壊させて追い出してきたキツめの美女だった。
周囲の男たちが「筋肉! 根性! 突撃!」しか言わないブラック企業体質であるため、自分の知性を理解できる者がいないという孤独を抱える彼女は、新入りの家庭教師である劉備を冷ややかな一瞥で迎えた。
「劉備様とおっしゃいましたか。お噂はかねがね。ですが、我が袁家の金蔵と子弟の学びを預かる者に、中途半端な能書きは不要です。まずは私の手元にある、この実務を処理していただきましょうか」
劉氏が机にドン! と叩きつけたのは、目が眩むほど文字が並んだ複雑な兵糧の輸送台帳だった。
「白馬と延津へ向かう三つの部隊について、異なる地形で消費される兵糧の減衰率と、天候による輸送遅延を考慮した上で、十日後の各部隊の正確な残高を算出しなさい。本日中によろしくて?」
当時の「算木(計算用の竹の棒)」を一つ一つ手作業でカチャカチャ動かすアナログな計算方法では、変数が多すぎて数日かかっても答えが出ないような、完全な嫌がらせ(無理難題)だった。
劉氏は、劉備が困惑して泣き言を言うのを退屈そうに待っていた。
◆
だが、俺は泣き言を言うどころか、算木をあっさりとゴミ箱に捨てる勢いで机の端へ押しやった。
(は? 要するに、ただの変数の多い条件付きシミュレーションだろ。前世で毎月のクソ面倒な予算管理と、地獄のVLOOKUP関数を叩き込まれた俺をなめるなよ)
前世の俺は、ブラック企業で営業も経理補助も在庫管理も、全部まとめて押し付けられていた。
在庫表の数字が一つ狂えば、現場の棚は空になる。
発注が一日遅れれば、客先で頭を下げるのは俺だった。
そして帳簿の上ではただの「不足」でも、現場では誰かの徹夜と罵声と胃痛になる。
だから、数字のズレが嫌いだった。
俺は筆を執ると、竹簡ではなく手元の紙に、こっそりアラビア数字と、代数(変数)を用いた方程式を書き出し始めた。
頭の中で縦軸に日数、横軸に部隊を置き、消費カロリーを掛け算していく。
現代の経理実務の知識をフル回転させ、マクロを組むように条件を数式に落とし込む作業は、劉備にとってただの「定時退社するためのルーティンワーク」に過ぎなかった。
数十分後、さらさらと一本の完璧な折れ線グラフ――十日後の在庫予測を書き込み、劉氏の前にスッと差し出した。
「十日後、白馬に向かう第一部隊の兵糧は確実に底を突いて破綻します。輸送ルートの地形変数の設定が甘いです。はい、これが本日のデイリーレポート(答え)です」
「な……な、なんですって……!?」
劉氏は息を呑み、絶句した。
何度もそろばん(算木)で照合するが、一分の狂いもない。
「なぜ……なぜ、まだ手元にない数万の兵糧の動きが、その紙の上だけで完璧に支配できるのですか? あなたは、神仙の妖術でも使われたというの!?」
驚愕に震える劉氏に対し、俺は首を振った。
「妖術ではありません。ただの計算です」
「ただの計算で、十日後の兵糧切れが分かるはずがありません」
「分かります。兵の数、荷駄の量、道の悪さ、天気、遅れ。全部、最初から帳面に書いてありましたから」
俺は、劉氏が作った輸送台帳の端に赤く印を付けた。
「それと、この帳面を作った人は、かなり優秀です」
「……え?」
劉氏の眉が、わずかに動いた。
「普通なら、兵糧の数だけ書いて終わりです。でもこれは、地形、天候、荷駄の遅れ、兵の疲労まで拾おうとしている。足りないのは計算法だけで、見ようとしている場所は正しい」
俺は、台帳を指で叩いた。
「この帳面を書いた人は、兵を数字として見ていません。十日後に誰が飢えるかを、先に見つけようとしている」
劉氏は黙った。
誰も、そんなふうに言ったことはなかった。
袁家の男たちは、彼女の台帳を「細かい女の仕事」と呼んだ。
武将たちは、兵糧を「足りるか、足りぬか」でしか見なかった。
学者たちは、算術を披露する道具として扱った。
だが、この男だけは違った。
数字の奥にあるものを見ていた。
「ですから、答えはこうです。第一部隊は十日後に破綻します。ただし、今すぐ荷駄を二割、延津方面から白馬方面へ振り替えれば、全滅は避けられます」
「……全滅?」
「兵糧の破綻は、帳面の失敗ではありません。人が死ぬ前兆です」
俺は、面倒くさそうに、けれど真顔で言った。
「だから、誰か一人の名人芸にしてはいけません。下役でも、子弟でも、同じ理屈を辿れば同じ危険を見つけられる形にするべきです。そうすれば、私がいなくても、人は飢えずに済みます」
劉氏の指先から、筆が落ちた。
彼女が息を呑んだのは、計算の速さではなかった。
この男は、未来を読んだのではない。
未来を、誰にでも読める形にしようとしている。
「劉備様……いいえ、先生」
「えっ」
「あなたは今、私の帳面を見てくださいました」
「はい……」
「数ではなく、その奥にある兵の飢えを。机仕事だと笑われてきたものを、人を救う術だと仰ってくださいました」
「いやぁ、あの、そこまで大げさな話では」
「大げさではありません。私は今日初めて、この仕事を恥じなくてよいのだと思えました」
「え、重っ!」
「ですから、責任を取ってくださいませ」
「どうしてそうなるんですか!?」
劉氏は、熱に浮かされたような目で俺の袖を握りしめた。
「私にも分かるように。いえ、私だけではありません。算術を知らぬ者にも、子弟にも、下役にも分かるように、その術を教えていただきたいのです」
「いや、あの、そんな大げさなものでは」
「いいえ。これは、ただ答えを出す術ではありません。誰にでも同じ理屈を辿らせ、未来の飢えを見つけるための教えです」
「そ、そうかなぁ……」
「今夜、私のプライベートな寝所……ではなく、私室の講義部屋で、朝までみっちり、終わらない補習を……!」
「どっちにしても残業じゃないですか! 私は今日ノー残業デーなので定時で帰りたいのですが!」
安全な窓際ライフを望んでいた劉備だったが、ガチ恋モードに突入した才女から、毎晩終わらない密室補習(セクハラの一歩手前)を強要される羽目になってしまった。
さらに最悪なことに、劉備が提出した完璧な兵糧予測モデルのレポートを見た袁紹社長が「うちの会社に天才コンサルがいるぞ!」と激しく感動し、オフィスにドカドカと怒鳴り込んできた。
「素晴らしいぞ劉備! これほど正確に前線の未来を見通すとは! お前を白馬・延津方面の『兵站最高総責任者(CEO)』に任命する! 直ちに前線へ向かい、現場の泥臭い指揮を執れ!」
「違う、俺は安全な後方に引きこもりたいだけなのにーーー!!」
大抜擢(という名の強制現場送り)に俺が涙目で叫んでいると、さらに甄氏の裏情報網から、最悪な極秘メッセージが滑り込んできた。
『兄者、安心されよ。白馬でひと仕事終え、曹操の会社を退職した。退職金代わりに奴の最高級の社用車(赤兎馬)を無断でパクり、ついでに関所を強行突破してそちらへ向かう』
「お前ーーーッ!! なんで円満退社じゃなくて、ストーカー社長(曹操)の車盗んで器物破損と不法侵入を同時にやらかしてんだよ!! 間違いなく全軍で追撃してくるだろ! 俺のところにヤバいヘイトを集めるなァァ!」
俺は、白馬・延津方面の前線と、曹操から赤兎馬を盗んでこちらへ向かってくる義弟という、二つの地獄に挟まれながら、ただ静かに胃薬を噛み砕くしかなかった。