劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~   作:ブンチョウ

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第33話 賊の倉、勝手に食べられません

 人が増えれば、食料が減る。

 

 食料を増やそうとすれば、賊が出る。

 

 賊を追い払えば、今度は奪われた物の持ち主を探さなければならない。

 

 世の中には、問題を一つ解決すると、次の問題が一つだけ出てくるような親切な仕組みはないらしい。

 

「このまま進めば、あの砦の近くを通る」

 

 杜遠が、地面へ指で線を引いた。

 

 新野の北門近く。

 

 俺たちの周囲には、関羽、張飛、廖化、県丞、それに北方から戻った物見が集まっている。

 

 地面へ描かれた線の先には、昨日、関羽が確認した旧砦がある。

 

 さらにその先を、後続の避難民が南へ向かっている。

 

 女子供と荷車を含み、歩みは遅い。

 

 今日中に新野へ着けるかどうかも分からない。

 

「砦の賊は、あの一団を襲うのか」

 

 杜遠は即答した。

 

「荷車があれば襲う」

 

「女子供が多くても?」

 

「女子供が多いから襲う。戦える奴が少ねえ」

 

 張飛が蛇矛を取った。

 

「なら、先に砦を潰すぞ」

 

 関羽も立ち上がる。

 

「北へ抜ける道は俺が押さえる」

 

「待て!」

 

 慌てて二人を止めた。

 

「砦を攻めている間に、別の賊が避難民へ向かったらどうする!」

 

「全部倒せばいいだろ」

 

「全部がどこにいるか分からないから困ってるんだ!」

 

 賊が砦の中だけにいるとは限らない。

 

 街道を見張る者。

 

 近くの山へ出ている者。

 

 別の村を襲いに行っている者。

 

 砦を攻めた音を聞いて、避難民の荷車へ向かう者が出るかもしれない。

 

 敵の首をいくつ取ったかなど、今はどうでもいい。

 

 女子供を含む一団が新野の近くで襲われれば、

 

『劉備は自分を頼ってきた民を守らなかった』

 

 という話だけが残る。

 

「最初に、後続の者たちを砦から離す」

 

 地面の線を指した。

 

「廖化」

 

「はい」

 

「少人数で北へ向かえ。避難民を見つけて、この脇道へ回せ」

 

 杜遠が描いた線の横に、迂回路を足す。

 

「荷車が通らない場所は、荷と人を分けろ。子供、老人、負傷者を先に安全な場所へ送る」

 

「賊が出た場合は?」

 

「追うな。人を連れて戻れ」

 

「承知しました」

 

「戦って勝つより、全員連れて帰る方が大事だ」

 

 廖化は、しばらく俺を見た。

 

 なぜか、また深く受け取っている顔だ。

 

 実際には、避難民を守る役と砦へ向かう役を一緒にすれば、誰が何をしているのか分からなくなるだけである。

 

「兄者は、敵を討つ前に民の逃げ道を作るか」

 

 関羽が静かに言った。

 

「そうだ。砦を取ることが目的じゃない」

 

「兄者らしい」

 

「だから、そこまで立派な話にするな!」

 

 ◆

 

「俺を案内に使うなら、縄を解け」

 

 杜遠が手首を持ち上げた。

 

 旧砦へ向かう準備を始めたところである。

 

「解かない」

 

「山道だぞ。このままでは転ぶ」

 

「逃げられるよりはいい」

 

「俺が転べば、後ろの奴も巻き込むぞ」

 

 杜遠の手首は、短い縄で縛られている。

 

 確かに、険しい道を歩かせるには危ない。

 

 だが、縄を外すのはもっと危ない。

 

「手首の縄を長くする」

 

 仕方なく妥協した。

 

「前後に一人ずつつける。武器は持たせない。砦の奴らへ勝手に声をかけるな」

 

「案内して役に立ったら?」

 

「役に立ったことは記録する」

 

「縄は外れるのか」

 

「別の話だ」

 

「罪は軽くなるのか」

 

「それも後で決める」

 

「その後を決めるのは、お前だろ」

 

「できれば、他の誰かに決めてほしい」

 

 杜遠が呆れた目で俺を見る。

 

「お前、本当に頭領なのか?」

 

「頭領になりたいと言ったことは一度もない!」

 

 俺が望んだのは、安全な場所で静かに暮らすことだ。

 

 捕虜の量刑を決めることではない。

 

「元山賊を案内役にして、山賊の砦へ行くんだぞ。疑わない方がおかしいだろ」

 

 杜遠は肩をすくめた。

 

「分かったよ。転んでも文句を言うな」

 

「転ぶな。転んで怪我をしたら治療が増える」

 

「心配するのは俺じゃなく仕事か」

 

「両方だ!」

 

 たぶん。

 

 出発前、張飛は新野の井戸で働いていた者たちへ、泥の運び方を指示していた。

 

「井戸将軍が留守にして、大丈夫なのか?」

 

 皮肉を言うと、張飛は胸を張った。

 

「泥の出し方は教えた。今日から砦将軍だ」

 

「一日ごとに役職を変えるな!」

 

「砦を取れば、城持ちだぞ」

 

「取らない! 今日は避難民を通すだけだ!」

 

「なら、街道将軍か」

 

「役職を探すな!」

 

 ◆

 

 旧砦は、本格的な城ではなかった。

 

 街道の中継や荷の保管に使われていた、小さな施設だったのだろう。

 

 正面には、片側が傾いた木の門。

 

 左右には、低い土壁。

 

 裏手は斜面になっている。

 

 北側には細い獣道があり、人一人なら通れそうだった。

 

 中には倉らしい建物が見える。

 

 見張り台が一つ。

 

 煙も上がっている。

 

 砦の外には、複数の荷車が通った轍が残っていた。

 

 馬や牛の足跡もある。

 

「何人いる」

 

 杜遠は首を傾げた。

 

「分からねえ」

 

「知ってるんじゃなかったのか」

 

「俺が使ってた頃と、今の人数は違う」

 

「一番大事なところが分からないじゃないか!」

 

「砦があることは当たってただろ」

 

「だから信用が少しだけ増えた。ほんの少しだけだ!」

 

 張飛が正面の門を見る。

 

「門は一つだ」

 

「裏に道がある」

 

 杜遠が答えた。

 

 関羽は北側の地面を確かめる。

 

「新しい足跡がある。北へ出入りする者もいるようだ」

 

(危ない)

 

 正面から張飛を入れれば、賊が裏から一斉に逃げる。

 

 そのまま東へ回れば、避難民とぶつかる可能性がある。

 

 地面へ簡単な配置を書いた。

 

「張飛は正面」

 

「おう」

 

「門へ近づきすぎるな。武器を置いて出てくるよう叫べ」

 

「入らなくていいのか?」

 

「勝手に入るな。火矢も使うな。門も壊すな」

 

 張飛の顔から、少しずつ楽しみが消えていく。

 

「俺は叫ぶだけか?」

 

「お前が正面で叫べば、普通の人間には十分な攻撃なんだよ!」

 

 次に関羽を見る。

 

「北側の高い場所へ回れ。赤兎馬を見せて、逃げ道がないと思わせる」

 

「逃げる者は斬るのか」

 

「避難民の方向へ向かう奴だけ止めろ。遠くまで追うな」

 

「降りた者は?」

 

「斬るな」

 

「武器を持ったままなら」

 

「捨てるよう言え」

 

「襲ってきた場合は」

 

「自分を守れ!」

 

 関羽は不満そうだったが、頷いた。

 

 南東側の後方へ下がる。

 

 新野へ戻る道。

 

 荷車を置ける平地。

 

 負傷者を下げる場所。

 

 降伏した者を集める場所。

 

 砦から出した物資を置く場所。

 

 すべてが見える位置だ。

 

(よし。ここなら、張飛が門を壊しても少し距離がある)

 

 俺としては最も安全な場所を選んだつもりだった。

 

「兄者は全体を見渡す位置か」

 

 関羽が感心したように言う。

 

「そういうことにしておこう」

 

 安全な後方が、なぜか総大将の位置へ変換された。

 

 ◆

 

 張飛が、旧砦の正面へ立った。

 

 大きく息を吸う。

 

「中の者どもォ!」

 

 声が砦全体へ響いた。

 

 見張り台の男が、驚いて身を引く。

 

「武器を捨てて出てこい! 東へ逃げて民へ手を出せば、ただでは済まさんぞ!」

 

「余計な脅しを足すな!」

 

 俺の声は張飛の声にかき消された。

 

「北には関羽がいる!」

 

 砦の上から、賊たちが北を見る。

 

 高い場所に、赤兎馬と関羽が立っている。

 

 朝日を受けた青龍偃月刀が、遠くからでも分かった。

 

 実際には、関羽の周囲にいる兵は少ない。

 

 だが砦の中からは、

 

 正面に張飛。

 

 北に関羽。

 

 南東に劉備と兵。

 

 完全に囲まれているように見えるらしい。

 

「劉備だ!」

 

「関羽と張飛までいるぞ!」

 

「曹操が追ってた奴じゃねえか!」

 

 砦の内側が騒がしくなる。

 

 眉をひそめた。

 

「なぜ賊まで俺の経歴を知ってるんだ……」

 

 杜遠が答えた。

 

「逃げた奴や商人が話すからな」

 

「もっと役に立たない噂を流してくれ!」

 

 やがて、門が少しだけ開いた。

 

 武器を持たない若い男が、一人出てくる。

 

「降ります!」

 

 両手を上げている。

 

 その背後から、別の男が剣を振り上げた。

 

「勝手に降りるな!」

 

 若者を斬ろうとしている。

 

 張飛が一歩前へ出た。

 

「門の中へ入るな!」

 

 張飛は踏みとどまり、蛇矛の柄を伸ばした。

 

 門の隙間から突き出された剣を横から叩き落とす。

 

 剣が地面へ転がった。

 

 若者は転ぶように門外へ出てきた。

 

 続いて、二人、三人と武器を捨てた者が出てくる。

 

 砦の中で怒鳴り声が上がる。

 

「降るな!」

 

「もう無理だ!」

 

「北にも関羽がいる!」

 

「荷を燃やせ!」

 

 最後の声を聞いた瞬間、杜遠が顔を上げた。

 

「倉へ火をつける気だ!」

 

「火を消せ!」

 

「人を追うより、荷を守れ!」

 

 張飛が半開きの門から中へ入る。

 

「入るなって言っただろ!」

 

「火は消さなきゃ駄目だろ!」

 

 反論できない。

 

 砦の入口近くでは、頭領格らしい男が、油を染み込ませた藁へ火を近づけていた。

 

 張飛は蛇矛の刃ではなく、柄で男の腕を叩いた。

 

 火が地面へ落ちる。

 

 別の賊が蹴り上げた藁へ火が移った。

 

 炎が上がる。

 

「水!」

 

「新野でも足りない水を、ここで使うのかよ!」

 

 それでも燃やすわけにはいかない。

 

 兵たちが飲み水として持ってきた水桶を運ぶ。

 

 濡らした布を被せる。

 

 張飛は燃え始めた藁の束を蹴り、倉の入口から離した。

 

 降伏した賊の中からも、消火へ加わる者が出た。

 

 穀物まで燃えれば、自分たちの罪がさらに重くなると思ったのかもしれない。

 

 その間に、裏道から数人が逃げ出した。

 

 北側で、赤兎馬が動く。

 

 関羽が逃げる者の前へ回り込んだ。

 

 一人が槍を構える。

 

 関羽は青龍偃月刀を振り下ろした。

 

 槍の穂先だけが飛ぶ。

 

「武器を捨てよ」

 

 低い声が響く。

 

 逃げた者たちは、その場へ武器を落とした。

 

 別の二人は北西へ走る。

 

 関羽は追わない。

 

 俺の命令を覚えていたらしい。

 

 偉い。

 

 当たり前なのだが、関羽の場合は褒めたくなる。

 

「降りた奴を斬るな!」

 

「東へ向かう奴だけ止めろ!」

 

「火を消せ!」

 

「荷を外へ出せ!」

 

「武器と人間を同じ場所に置くな!」

 

 後方から叫び続けた。

 

 死者を増やしたくない。

 

 負傷者を増やしたくない。

 

 荷を燃やされたくない。

 

 捕虜に武器を奪い返されたくない。

 

 逃げた賊を避難民のところへ行かせたくない。

 

 それだけだ。

 

「普通は、賊を見つけたら首を取った数を競うんだがな」

 

 杜遠が、縄をつけたまま言った。

 

「首を取った後の処理をするのは誰だと思ってるんだ!」

 

 杜遠は妙に納得した顔をした。

 

 ◆

 

 旧砦の抵抗は、長く続かなかった。

 

 武器を置いた者が大半。

 

 古参らしい数人は抵抗して拘束。

 

 頭領格は張飛に武器を落とされ、縄を掛けられた。

 

 北西へ逃げた者は数人。

 

 関羽は追わず、避難民のいる東側へ向かわなかったことだけ確認した。

 

 火災も倉の入口付近で止まった。

 

 砦そのものは残っている。

 

「兄貴、旗を立てるか?」

 

 張飛が尋ねた。

 

「立てない」

 

「取った証がないぞ」

 

「取ってない!」

 

「では、誰の砦だ」

 

「それをこれから調べる!」

 

 元は誰が管理していたのか。

 

 新野の管轄なのか。

 

 街道を管理する別の役所のものなのか。

 

 放棄された後、所有がどうなったのか。

 

 何も分からない。

 

 ここへ劉備の旗を立てれば、

 

『劉備が新野の外へ拠点を広げた』

 

 と蔡瑁へ報告されるだろう。

 

 絶対に嫌だ。

 

「入口を封じ、最低限の見張りだけ置く」

 

「砦は使わないのか」

 

「使うと管理が増える!」

 

 張飛は残念そうだった。

 

 砦将軍の職場を失った顔である。

 

 ◆

 

 倉の中から、次々と物が運び出された。

 

 穀物袋。

 

 豆。

 

 塩。

 

 布。

 

 農具。

 

 酒。

 

 乾燥させた肉。

 

 馬具。

 

 銅銭。

 

 装飾品。

 

 家財道具。

 

 村や商人の札が付いた荷。

 

 誰の物か分からない袋。

 

 張飛が目を輝かせる。

 

「兄貴。これだけあれば、新野の食料も持つぞ!」

 

 同行した者たちも喜んでいる。

 

 昨日まで空に近かった倉へ、これだけ運べば、当面はしのげるかもしれない。

 

 俺も、一瞬だけそう思った。

 

 穀物袋の表面へ、見覚えのない印がある。

 

 村の印か。

 

 商人の印か。

 

 税の札か。

 

「勝手には使えない」

 

 張飛が振り返った。

 

「賊から取ったんだぞ」

 

「賊が盗んだ物を、賊から取り返しただけだ」

 

「なら、俺たちの物だろ」

 

「どうしてそうなる!」

 

「俺たちが取り返した」

 

「持ち主は別にいる!」

 

 張飛が難しい顔をした。

 

「だが、その持ち主が分からねえぞ」

 

「だから調べるんだよ!」

 

 賊を降伏させるより、ここから先の方が長そうだった。

 

 戦は終わった。

 

 事務が始まる。

 

 ◆

 

 同行した新野の小吏と、糜氏が回してくれた帳簿係が、袋を一つずつ確認していく。

 

「こちらには、村の焼き印があります」

 

「こちらは商人の印です」

 

「こちらには、税として集めたことを示す札が付いております」

 

「この札は運送先を示すものかと」

 

「こちらは、賊が後から付けた記号でしょう」

 

「これは何もありません」

 

 一つの袋を指した。

 

「村の印があるなら、その村へ返せばいいんじゃないか」

 

 小吏が首を振る。

 

「すでに税として徴収された後なら、村へ返す物ではない可能性がございます」

 

「商人の印は?」

 

「商人が所有していたのか、運んでいただけなのか分かりません」

 

「受取人の札があるなら?」

 

「届ける前に奪われたのであれば、まだ受取人の物ではないとも考えられます」

 

「では、誰の物なんだ」

 

 帳簿係が真面目な顔で答える。

 

「穀物を作った者」

 

「税として集めた者」

 

「運んだ者」

 

「買った者」

 

「受け取る予定だった者」

 

「状況によって異なります」

 

 袋を見た。

 

「穀物にも経歴書が必要なの?」

 

 人間の経歴だけでも十分面倒だった。

 

 今度は穀物袋一つについて、出生地、前職、所属、移動経路、最終配属先を調べなければならないらしい。

 

 ◆

 

 昼過ぎ、廖化が後続の避難民を連れて現れた。

 

 旧砦を避け、遠回りしたため、皆疲れている。

 

 だが、賊に襲われた者はいない。

 

「全員おります」

 

 廖化が報告した。

 

「荷車も?」

 

「一台、車輪が緩みましたが、荷を分けて運びました」

 

「よくやった」

 

 廖化は一瞬、言葉を失ったような顔をした。

 

「……ありがとうございます」

 

 褒めただけで、なぜそんなに驚くのだ。

 

 後続の者たちは、旧砦から離れた平地で休ませることにした。

 

 ◆

 

 砦から少し離れた平地では、火をつけられかけた穀物袋の一つが破れていた。

 

 麦の粒が土の上へこぼれ、灰や砂が混ざっている。

 

 廖化が誘導した後続の避難民の一部も、同じ平地で休ませていた。

 

 その中の子供が、地面へ落ちた麦を拾おうとする。

 

 母親が、すぐにその手を掴んだ。

 

「駄目よ」

 

「でも……」

 

「人様の物だから」

 

 子供は黙って手を引いた。

 

 腹が減っているのだろう。

 

 それでも母親は、拾わせなかった。

 

 破れた袋を見る。

 

 持ち主が判明するまで、すべて封じておく。

 

 それが最も安全だ。

 

 だが、土と灰に触れた麦は、このまま置けば傷む。

 

 雨でも降れば使えなくなる。

 

「元の量は分かるか」

 

「袋の大きさから、おおよそならば」

 

「食べられる分を集めろ」

 

 小吏が驚いた顔をする。

 

「持ち主が分からぬまま、使うのでしょうか」

 

「使った量を記録する」

 

「後で持ち主が分かったら、同じ量を返す」

 

「同じ穀物がなければ、それに相当する物で返す」

 

「ですが――」

 

「腐らせて全部なくすよりはいい」

 

 全部腐らせれば、持ち主へ全量を弁償しなければならない。

 

 食べられるうちに使い、借りたことにしておけば、少なくとも損失は減る。

 

 帳簿係は、感心したように俺を見る。

 

「飢えた者を救いながら、元の持ち主への責めも忘れぬのですな」

 

「弁償する量を減らしたいだけです」

 

「損を最小に抑えることも、民を守る道でしょう」

 

「話を立派にするな!」

 

 ◆

 

 旧砦の物資を四つへ分けることにした。

 

「持ち主が明確な物」

 

 村名や個人名が確認でき、奪われた経緯も分かる物。

 

「持ち主の候補が複数いる物」

 

 村の印と税の札が両方ある物。

 

 商人と受取人の双方が主張できる物。

 

「持ち主が分からない物」

 

 印がない。

 

 札が外れている。

 

 賊も出所を知らない。

 

「それから、破れている物や傷みそうな物」

 

 水に濡れた穀物。

 

 火や煙を受けた物。

 

 長く置けない食料。

 

「最後のものだけ、量を記録して緊急に使う」

 

 張飛が尋ねる。

 

「結局、食うんじゃねえか」

 

「奪うんじゃない。借りるんだ」

 

「誰から借りる」

 

「まだ分からない」

 

「返す相手が分からねえのに、借りられるのか?」

 

 言葉に詰まった。

 

 確かに、普通の借金ではない。

 

 貸した者が誰か分からず、借りた側だけが分かっている。

 

 帳簿係が静かに言った。

 

「返還先未定の借用品として記録いたします」

 

 顔を覆った。

 

「袁紹の軍資金に続いて、持ち主不明の借金が増えた……」

 

 前の職場から預かった金。

 

 賊の砦から回収した穀物。

 

 俺の周りには、返す相手が分からない物ばかり集まってくる。

 

 ◆

 

 武器を置いた賊たちは、砦の外へ座らせた。

 

「全員縛るか?」

 

 張飛が尋ねる。

 

「まず、何をしたか分ける」

 

「賊だぞ」

 

「見張りだけだった奴も、人を殺した奴も、同じにするのか」

 

 確認する項目を挙げる。

 

 人を殺傷したか。

 

 略奪へ直接参加したか。

 

 見張りだけだったか。

 

 荷を運んだだけか。

 

 脅されて加わったか。

 

 自分から加わったか。

 

 いつから砦にいたか。

 

 火をつけようとしたか。

 

 降伏しようとした者を斬ろうとしたか。

 

「杜遠」

 

「何だ」

 

「顔と役目を確認しろ」

 

「俺の言葉を信じるのか?」

 

「お前の証言だけで決めるとは言ってない」

 

 周辺の村。

 

 襲われた商人。

 

 逃げてきた者。

 

 複数の証言が必要だ。

 

 杜遠は縄を掛けられた手を持ち上げた。

 

「俺の時より細かく調べるんだな」

 

「お前の調査も終わってない」

 

「まだ終わってねえのか」

 

「被害者と元部下が増えるたび、確認することも増えてるんだよ!」

 

「今日は役に立っただろ」

 

「役に立ったことは記録する」

 

「縄は軽くなるのか」

 

「逃げなかった日数も記録しておく」

 

 杜遠が赤兎馬を見る。

 

「馬と同じ扱いか?」

 

「赤兎馬は、いまのところ一度も人の物を奪ってない」

 

「俺より信用があるのか」

 

「比べるな。馬に失礼だ」

 

 少し離れた場所で、赤兎馬が鼻を鳴らした。

 

「お前も同意するな!」

 

 ◆

 

 旧砦の物資は、俺たちが新野へ持ち込んだ四台の荷車を往復させ、後続の避難民とともに運び込んだ。

 

 ただし、後続の者が持ってきた一台は、その家族の物として四台とは分けて記録した。

 

 新野へ戻ると、先に到着していた者たちが北門の近くで待っていた。

 

 後続の者たちの中には、先に新野へ到着した者の親族もいた。

 

「母さん!」

 

 若い男が駆け出す。

 

 老女の前へ膝をつき、顔へ触れる。

 

 老女は何も言えず、男の肩を何度も叩いた。

 

 別の場所では、子供が荷物を落として父親へ抱きつく。

 

 父親は立ったまま、子供の背へ手を置く。

 

 声が出ないらしい。

 

 甘氏は、新野へ着いてから作っている家族の記録と木札を照合していた。

 

「この方を、お探しでしたか」

 

「はい……兄です」

 

「こちらのお子様の父上で間違いありませんか」

 

「間違いありません」

 

 行方不明。

 

 確認中。

 

 離別。

 

 そう記されていた欄が、一つずつ書き換えられていく。

 

 人口帳簿を見る。

 

「人は増えたのに、行方不明は減ってる」

 

 糜氏が答える。

 

「総数と内訳は別です」

 

「その説明、昨日も聞いた!」

 

 だが、昨日より少しだけ意味は分かった。

 

 数字の向こうに、本当に戻ってきた人間がいる。

 

 ◆

 

 旧砦から回収した物資は、通常の配給用の倉には入れない。

 

 空いていた倉を一つ片づけ、入口へ札を掛ける。

 

『返還先確認中』

 

 中も分けた。

 

 返還先が明確な物。

 

 複数の請求がありそうな物。

 

 出所不明。

 

 緊急使用済み。

 

 傷み確認中。

 

 袋や荷には、新しい札をつける。

 

 回収した場所。

 

 元の印。

 

 札。

 

 量。

 

 状態。

 

 誰が運んだか。

 

 緊急使用した量。

 

 返還請求の有無。

 

「また帳簿が増えるのか」

 

 糜氏が答えた。

 

「返還用の記録です」

 

「賊の倉を空にしたら、新野に賊の倉と同じ物ができたんだけど」

 

「所有者と出所を記録している点が異なります」

 

「そこが一番大事なのは分かる!」

 

 見た目は同じだ。

 

 他人の物を集めた倉。

 

 だが、一つずつ誰の物かを残している。

 

 その違いだけで、山賊の倉と役所の倉は別のものになるらしい。

 

 帳簿の力は偉大である。

 

 そして恐ろしい。

 

 ◆

 

 関羽と赤兎馬の勤務記録も更新された。

 

「本日は、北方物見および退路監視」

 

 糜氏の配下が木簡へ記す。

 

「賊が避難民側へ向かうことを阻止」

 

「逃亡者の進路確認」

 

 関羽が言った。

 

「相応の飼料を頼む」

 

 呆れて関羽を見る。

 

「友を戦場へ連れていって、軍の蓄えから飼料を稼ぐ仕組みになってないか?」

 

「必要な仕事をした。その対価を受けるだけだ」

 

「お前より赤兎馬の方が、働きと褒美の釣り合いが明確なんだけど!」

 

 赤兎馬が鼻を鳴らす。

 

「誇るな!」

 

「こいつも、自らの働きを認められたことが嬉しいのだろう」

 

「馬まで人事評価を求めるな!」

 

 ◆

 

 夜。

 

 破れた袋から選り分けた穀物で、粥が作られた。

 

 子供。

 

 病人。

 

 負傷者。

 

 長く歩いた老人。

 

 そこから先に配る。

 

 旧砦から物資を回収したことで、食料不足は少しだけ緩んだ。

 

 ただし、倉には穀物が積まれているのに、ほとんどは自由に使えない。

 

 張飛が『返還先確認中』の札を見上げた。

 

「目の前に食い物があるのに、食えねえのか」

 

「他人の物だからな」

 

「賊が奪った時点で、持ち主は失ったんじゃねえか」

 

「失ったから、賊の物になるわけじゃない」

 

「なら、俺たちが取り返したら?」

 

「俺たちの物にもならない!」

 

 張飛は難しい顔をした。

 

「面倒だな」

 

「だから山賊は帳簿を作らないんだよ!」

 

 縄を掛けられた杜遠が、横から言う。

 

「俺たちも、分け方で揉めることはあったぞ」

 

「山賊の会計事情を誇るな!」

 

「頭領が先に半分取る。残りを人数で分ける」

 

「聞いてない!」

 

「馬や武器は別勘定だ」

 

「意外と細かいな!」

 

 まずい。

 

 山賊にも山賊なりの帳簿があるのかもしれない。

 

 だが、それを詳しく聞けば、また仕事が増える。

 

「もう寝る!」

 

 倉へ背を向けた。

 

 ◆

 

 翌朝。

 

 旧砦から物資を回収したという噂を聞き、近隣の者たちが新野へ来た。

 

 最初に現れたのは、数人の農民だった。

 

 一人が穀物袋の前へ膝をつき、縫い目へ指を当てる。

 

「これは、我が村の袋です」

 

「分かるのか」

 

「口を閉じる糸の通し方が違います。ここに、村の印もある」

 

 確かに、小さな焼き印が残っている。

 

「賊に奪われた穀物です。村へお返しください」

 

 話は簡単かと思った。

 

 そこへ、身なりの整った男が現れた。

 

 近隣の郷で、徴税の取りまとめを任されている豪族の手代だという。

 

「その穀物は、すでに官へ納める税として受け取ったものです。官倉へお返しいただきたい」

 

 農民が立ち上がる。

 

「役所へ届く前に賊へ奪われた!」

 

「村から徴収した時点で、村の物ではない」

 

「我らが作った穀物だ!」

 

「村から受け取った後は、官へ納める税穀だ」

 

 その横から、商人が進み出た。

 

「お待ちください。その荷は、私が官倉へ運んでいた物です」

 

 農民が商人を睨む。

 

「運んでいただけだろう!」

 

「運ぶための費えも、私が先に立て替えております。荷車も護衛も失いました」

 

 手代が商人を見る。

 

「運送を任された証はあるのか」

 

「帳面があります」

 

「それが、この袋だという証は?」

 

「商印がある!」

 

 農民。

 

 徴税する側。

 

 運んでいた商人。

 

 一つの穀物袋へ、三組が返還を求めている。

 

 さらに話を聞けば、最終的な受取予定者もいるかもしれない。

 

 県丞が俺を見る。

 

「どなたへ返しましょう」

 

 俺も県丞を見る。

 

「なぜ俺に聞くんですか」

 

「後任の県令が着任するまで、劉備殿の指示を受けるようにと」

 

「その一文、まだ有効なのか!」

 

「後任は、まだ着任しておりません」

 

 期限の見えない臨時責任者。

 

 その仕事が、また一つ増えた。

 

 張飛が小声で尋ねる。

 

「三つに分ければいいんじゃねえか?」

 

「穀物を三つに分けても、誰の物かという話は三分の一にならない!」

 

「全員少しずつ得るぞ」

 

「全員から残りを返せと言われるだけだ!」

 

 糜氏が、新しい木簡を開いた。

 

「まず、それぞれの主張を記録いたします」

 

 農民の後ろに、別の村人が並ぶ。

 

 商人の後ろにも、荷を失った者が並ぶ。

 

 手代の後ろには、税の札を持った者がいる。

 

 旧砦の賊を降伏させるより、物資の持ち主を決める方が難しい。

 

 『返還先確認中』と書かれた倉を振り返った。

 

「賊の砦を片づけたら、今度は持ち主同士の戦いが始まったんだけど!」

 

 食料は増えた。

 

 避難民も無事に着いた。

 

 賊も街道から追い払った。

 

 成果だけを並べれば、悪くない一日だった。

 

 だが、俺の前には返還を求める者の列が伸びている。

 

(戦が終わった後の方が、仕事が多いじゃないか……)

 

 新しい木簡を受け取った。

 

 どうやら次は、穀物一袋ごとの経歴を聞かなければならないらしい。

 

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