劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~   作:ブンチョウ

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第37話 旅の男、軍師として雇った覚えはない

「そこへ、もう一本立てろ!」

 

 張飛の声が、朝の北門に響いた。

 

 男たちが太い材木を運び、門前へ並べていく。

 

 壊れていた柵は補修され、その内側へ、さらに新しい柵が作られようとしていた。

 

 見張り台にも板が張られ、水桶と濡らした布まで置かれている。

 

 北から不審な騎馬が来た。

 

 まだ敵と決まったわけではない。

 

 その動きを確かめてから、数日が過ぎていた。

 

 それでも新野では、数日前から北門の守りを整える作業が続いていた。

 

「張飛、置きすぎだ!」

 

 俺は材木の間を抜け、門前まで歩いた。

 

「これでは、味方まで外へ出られないだろ!」

 

「敵を入れなければよい」

 

「火が出た時はどうする! 人も荷車も詰まるぞ!」

 

「柵をどかせばよい」

 

「敵が来ている時に、柵をどかす作業から始めるのか!」

 

 張飛は柵を見る。

 

 次に門を見る。

 

「なら、敵が来た後で置けばよい」

 

「重い材木を、敵が見ている前で運ぶの?」

 

「では、いま置いておく」

 

「最初へ戻るな!」

 

 俺が頭を抱えていると、宿の軒下から声がした。

 

「それでは、門を破られるまでもないな」

 

 張飛の動きが止まった。

 

 材木を運んでいた男たちも、一斉に声の方を見る。

 

 数日前から新野に滞在している旅人だった。

 

 粗末な衣。

 

 腰には剣。

 

 武人にも士人にも見えるが、どちらとも決めにくい。

 

 名前すら、まだ聞いていない。

 

「何だと?」

 

 張飛が低い声を出した。

 

 旅人は宿の柱へ背を預けたまま、北門を眺めている。

 

「柵を増やしたことで、門から出られる荷車は一台ずつになった」

 

「それがどうした」

 

「北に敵が現れた時、武器を持つ者はどこへ集まる」

 

「北門だ」

 

「子供と病人は?」

 

 旅人は甘氏を見る。

 

「南へ移す予定です」

 

 甘氏が答えた。

 

「穀物と荷車は?」

 

「南門側へ動かします」

 

 糜氏が続ける。

 

「北側に住む者が南へ向かう時、どの道を通る」

 

 県丞が、門の内側から町の中央へ続く道を指した。

 

「この道です」

 

「北門へ水を運ぶ者は?」

 

「同じ道を通ります」

 

 旅人が柵へ顎を向けた。

 

「ならば、試してみればよい」

 

 張飛が鼻を鳴らす。

 

「試すまでもない。通れる」

 

「では通せ」

 

「通してやる!」

 

 張飛が振り返った。

 

「荷車を一台持ってこい!」

 

「待て!」

 

 俺は慌てて止めた。

 

「いまから町中の人を動かす気か!」

 

「通れると見せるだけだ」

 

「全員を巻き込むな!」

 

 だが、旅人の指摘を無視することもできない。

 

 敵が来てから初めて道が詰まると分かるより、いま分かった方がいい。

 

 俺は人数を絞った。

 

 北門へ向かう武器持ち数名。

 

 南へ動かす荷車一台。

 

 病人を載せたつもりの担架。

 

 水桶を運ぶ者。

 

 さらに、家族を捜して逆方向へ戻ろうとする子供役。

 

「なぜ、俺が子供なのだ」

 

 廖化の配下にいる若い男が尋ねた。

 

「子供へ本当に走らせるわけにはいかないだろ」

 

「家族を捜して戻ればよいのですか」

 

「そう。なるべく邪魔になるように」

 

「難しい役目ですな」

 

「本番で本物の子供がやるよりはいい!」

 

 甘氏が合図を出した。

 

 武器を持つ者が北へ走る。

 

 荷車が南へ向かう。

 

 担架を持った二人が中央の道へ入る。

 

 水桶を担いだ者が北門へ急ぐ。

 

 子供役の男が、

 

「父上ー!」

 

 と叫びながら逆方向へ走った。

 

「子供にしては声が太い!」

 

 その直後、中央の道で荷車と担架がぶつかった。

 

 水桶を運ぶ者が避けようとして壁際へ寄る。

 

 北門へ向かう武器持ちが、その後ろで止まる。

 

 子供役が流れへ逆らって入り込み、全員が立ち往生した。

 

「荷車を少し右へ!」

 

「右は担架だ!」

 

「水を先に通せ!」

 

「人がいる!」

 

「子供役、戻るな!」

 

「戻れと言われました!」

 

「本気で戻りすぎだ!」

 

 張飛が走ってきた。

 

「どけ!」

 

 荷車の後ろへ回り、一人で持ち上げる。

 

 道の端へ寄せた。

 

「通れたぞ」

 

「普通の人間が同じことをできると思うな!」

 

 旅人が言った。

 

「敵が攻める必要はない」

 

 さっきまで騒いでいた者たちが静かになる。

 

「北で姿を見せれば、武器を持つ者は北へ向かう」

 

「家族と荷は南へ向かう」

 

「水は北へ向かう」

 

「家族を捜す者が流れへ逆らう」

 

「そなたたちが勝手に、町の中を塞いでくれる」

 

 俺は、中央の道で止まった荷車を見る。

 

「門を破らなくてもいいの?」

 

「門へ近づく必要すらないかもしれぬ」

 

「最悪じゃないか!」

 

 張飛が旅人へ歩み寄った。

 

「口だけなら、誰でも申せる!」

 

「ならば、いまの荷車を、力を使わず通してみせよ」

 

「貴様――」

 

 張飛の手が旅人の襟へ伸びる。

 

「待て!」

 

 俺は二人の間へ入った。

 

「兄貴を愚弄しているぞ!」

 

「腹は立つけど、道が詰まったのは事実だ!」

 

「こやつの言い方が気に入らん!」

 

「俺も気に入らない!」

 

 旅人が俺を見る。

 

「ならば、斬らせるか」

 

「斬った後で、あなたの指摘が正しかったら困るでしょう!」

 

「それだけか」

 

「それだけで十分です!」

 

 無礼な旅人より、実際に逃げ道が塞がる方が怖い。

 

 何より、斬った人間の言葉を後から採用することになったら、ものすごく後味が悪い。

 

 監察役がいなくなったと思えば、今度は勝手に防備を採点する旅人が現れた。

 

 なぜ新野には、俺の仕事を増やす者ばかり来るのだろう。

 

 ◆

 

「北に、軍の物見らしき者がいます」

 

 俺は旅人へ言った。

 

「旅の途中なら、早めに南へ向かった方が安全ですよ」

 

 遠回しに、もう出ていってほしいと伝える。

 

 旅人は北門ではなく、俺を見た。

 

「私一人を逃がし、あなたは残るのか」

 

「俺も逃げられるなら逃げたいですよ!」

 

「それでも、病人と子供を動かす順を決めている」

 

「置いて逃げたら、後で誰が責任を取ると思ってるんですか!」

 

「なるほど」

 

 旅人が少し笑った。

 

「では、私も後で文句を言うために残ろう」

 

「残る理由がおかしい!」

 

 追い出そうとしたのに、なぜ滞在理由を与えてしまったのか。

 

 旅人は、甘氏が持つ木簡へ目を向けた。

 

「北側に、自分で歩けぬ者はどれほどいる」

 

 張飛が眉を寄せる。

 

「守りの話を、なぜ姉者へ尋ねる」

 

「敵が来た時、兵より先に動かさねばならぬ者を知っているからだ」

 

 甘氏は、家族ごとの記録を開いた。

 

「北門に近い家には、老人と幼い子供がおります」

 

「病人は?」

 

「自分で歩けない方が何人か。ほかにも、長く歩けない方がおります」

 

「運ぶ者は決めているか」

 

「家族が運ぶことになっています」

 

「家族が別の場所にいたら?」

 

 甘氏の手が止まった。

 

「合流してから、運ぶことになります」

 

「合流する場所は?」

 

「町の中央です」

 

 旅人は、先ほど荷車と担架が止まった道を見る。

 

「そこへ全員が集まる」

 

 甘氏も道を見る。

 

「……集まりすぎますね」

 

「家族が見つからなければ、捜しに戻る者も出る」

 

 先ほど子供役を務めた男が、小さく頷いた。

 

 甘氏はすぐに木簡を広げた。

 

「集合場所を分けます」

 

「北側の家族は、西の空き地へ」

 

「南側の家族は、南門近くへ」

 

「家族全員が揃うまで待たず、一人で動けない方を先に運びます」

 

「運ぶ方も、あらかじめ決めておきます」

 

 子供の名札も変更する。

 

 名前と家族だけでなく、どこへ向かうかを記す。

 

「名札を見れば、大人が連れていけます」

 

 甘氏が言った。

 

「これなら、家族を捜して逆へ戻る方も減らせます」

 

(迷子対応まで減る)

 

 敵が来る以前に、迷子が一人出るだけで、探す者が何人も必要になる。

 

 俺は大きく頷いた。

 

「それでいこう」

 

 旅人は、甘氏が迷わず記録を書き換える姿を見ていた。

 

 次に糜氏へ向く。

 

「荷車は」

 

「四台です」

 

「最初に何を運ぶ」

 

「自分で歩けない方々です。二台を使います」

 

「残る二台へ、穀物をすべて載せられるか」

 

「無理です」

 

「何を優先する」

 

「食料、工具、記録を優先いたします」

 

「同じ車へ載せるのか」

 

「積めるのであれば」

 

 旅人が首を横へ振った。

 

「一台が止まれば、すべて失う」

 

 糜氏の目が少し細くなる。

 

「では分けます」

 

「食料と工具を別に」

 

「徴収札の原本と写しも、同じ車へ載せません」

 

「倉と門の鍵は?」

 

「それぞれ管理する者が持っております」

 

「その者が負傷すれば?」

 

 糜氏は新しい木簡を取った。

 

「代わりを決めます」

 

 返答が早い。

 

 旅人が質問するたび、糜氏の木簡が増える。

 

 俺の仕事も増える。

 

「北側の倉から、南門へ荷車を出す道は」

 

 県丞が、先ほどと同じ中央の道を指す。

 

 糜氏が黙った。

 

 旅人が言う。

 

「北門の柵より先に、荷車を出す順を決めた方がよい」

 

 張飛が反論した。

 

「敵は北から来るのだぞ!」

 

「だから、荷は南へ逃がすんだろ!」

 

 俺が言うと、張飛が黙った。

 

 少し考えた後、北門の柵を見る。

 

「では、北門を守りながら、荷を南へ送るのか」

 

「そういうことになるな」

 

「忙しいな」

 

「敵が来ると、普通は忙しくなるんだよ!」

 

 糜氏は穀物を小分けにすることを決めた。

 

 すぐに動かす分。

 

 残す分。

 

 背負って運べる分。

 

 荷車へ載せる分。

 

 食料、工具、記録は同じ車へまとめない。

 

 原本と写しも別。

 

 鍵も一人へ集中させない。

 

「また物と責任が分散していく……」

 

「旦那様がお望みの形でございます」

 

「仕事だけ、俺から分散しないんだよ!」

 

 ◆

 

 旅人が指摘した新野の弱点は、城壁の薄さではなかった。

 

 戦う者。

 

 逃げる者。

 

 荷を運ぶ者。

 

 水を運ぶ者。

 

 すべてが、町の中央を通ろうとすることだった。

 

 敵が北で騒ぎを起こせば、それだけで人の流れがぶつかる。

 

 中央の道から、補修中の城壁へ目を移した。

 

「では、城壁を直す前に、道を分ける?」

 

「城壁も必要だ」

 

「仕事を減らす方向で答えてください!」

 

「敵は、そなたの仕事を減らすためには来ぬ」

 

「正論で逃げ道を塞がないでくれ!」

 

 結局、避難と防備の動きを分けることになった。

 

 北側の家族は西の空き地へ。

 

 南側の家族は南門近くへ。

 

 町の中央へ全員を集めない。

 

 病人と子供を先に動かす。

 

 家族を捜して逆へ戻らない。

 

 荷車は南側へ寄せる。

 

 水桶を運ぶ道は空ける。

 

 武器を持つ者も、全員を北門へ集めない。

 

 東西の脇道へも、最低限の見張りを残す。

 

 張飛が、門前から外される柵を見た。

 

「せっかく立てたのに」

 

「味方を閉じ込める柵はいらない!」

 

「敵だけを止める柵はないのか」

 

「俺も欲しいよ!」

 

 ◆

 

 作業の途中だった。

 

 北の見張り台から、男が駆け下りてきた。

 

「北の高所に騎馬!」

 

 張飛が振り返る。

 

「何騎だ!」

 

「見えるのは三騎です!」

 

 張飛が槍を取った。

 

「今度こそ捕らえる!」

 

「追うな!」

 

「三騎だけだぞ!」

 

「三騎しか見せていないだけかもしれないだろ!」

 

 旅人が北門の外を見る。

 

「向こうは、こちらがどれほどの速さで、何人を出すかを見に来た」

 

 張飛が尋ねる。

 

「では、何をする」

 

「何もしない」

 

「臆したと思われるぞ!」

 

「思わせればよい」

 

 俺は旅人を見る。

 

「本当に何もしなくていいんですか?」

 

「三騎へ百人を出せば、すぐに動かせる人数を教える」

 

「関羽殿と赤兎馬を出せば、最も強い者の位置を教える」

 

「門を閉じれば、騎馬三騎で新野を止められると教える」

 

 なるほど。

 

「何もしない方が、仕事も増えない」

 

 旅人が少し黙った。

 

「理由はともかく、それでよい」

 

 表向きは何もしない。

 

 だが、本当に放置するわけではなかった。

 

 北門の補修は、そのまま続ける。

 

 門も閉めない。

 

 鐘も鳴らさない。

 

 武器を持つ者を一斉に集めない。

 

 張飛は壁の内側へ下げる。

 

 関羽と赤兎馬も、倉の陰へ移す。

 

 廖化と、元賊だった男だけを、西の脇道から静かに出す。

 

 甘氏は、家族を騒がせず、決めた場所で待たせる。

 

 糜氏は荷車を、北から見えない南側へ少しずつ動かす。

 

 県丞は、門番の交代を普段どおり続けさせる。

 

「なぜ、俺だけ壁の裏なのだ」

 

 張飛が不満そうに言った。

 

「お前が見えたら、新野で一番強そうな人間がどこにいるか分かるだろ!」

 

「強いから隠されるのか」

 

「声も隠してくれ!」

 

 張飛が声を落とした。

 

「これでよいか」

 

「それでも普通の人より大きい!」

 

 関羽は、倉の陰で赤兎馬の首を撫でた。

 

「友よ。今日は姿を見せぬことが役目だ」

 

 糜氏が木簡を取る。

 

「待て!」

 

 俺は止めた。

 

「姿を見せなかった日まで、勤務記録へ入れるな!」

 

「待機も役目であろう」

 

 関羽は真顔だった。

 

「馬の勤務体系だけ、現代より整っていく……」

 

 ◆

 

 騎馬は、すぐには去らなかった。

 

 三騎のうち、一騎が少し新野へ近づく。

 

 一騎は東側へ移動。

 

 残る一騎は、高所から町を見ている。

 

 それでも新野側は、大きく動かない。

 

 柵を直す音が続く。

 

 農民も、遠巻きに騎馬を見ながら、それぞれの仕事を続けている。

 

 北門から兵らしい集団は出ない。

 

 関羽も張飛も姿を見せない。

 

 やがて、西側へ出た廖化から伝令が戻った。

 

「東の林の奥に、別の馬の跡があります」

 

「何騎だ」

 

「木に隠れ、姿は見えません。ですが、新しい跡が複数あります」

 

 表にいる三騎だけではない。

 

 三騎は、新野の反応を引き出すために姿を見せていた可能性がある。

 

 張飛を追わせていれば、

 

 新野から出る人数。

 

 門に残る人数。

 

 追撃の速さ。

 

 関羽と赤兎馬の位置。

 

 東西の守り。

 

 すべてを見られていたかもしれない。

 

「追わせなくてよかった……」

 

 俺が息を吐く。

 

 旅人が言った。

 

「追わなかったのではない」

 

「何ですか」

 

「追わせなかった」

 

「同じでは?」

 

「張将軍を止める者がいなければ、すでに北へ走っていた」

 

 壁の裏から声がした。

 

「聞こえているぞ!」

 

「隠れているなら黙ってろ!」

 

 新野から大きな反応がないと分かると、騎馬は少しずつ距離を取った。

 

 東へ移った一騎も戻る。

 

 三騎は高所の向こうへ消えた。

 

 林の奥にいた騎馬も、やがて遠ざかったらしい。

 

 ◆

 

 騎馬が去った後、廖化たちが周辺を確かめた。

 

 道脇の木に、新しい傷が付いている。

 

 前回とは位置が違う。

 

 縦の傷。

 

 その下に短い横傷。

 

 何を意味するかは分からない。

 

「消してしまえばよい」

 

 張飛が短刀を抜く。

 

 旅人が止めた。

 

「消せば、こちらが印に気づいたと教える」

 

「残せば、敵が使うぞ」

 

「ならば、次に誰がこの印を見るかを確かめる」

 

「面倒だな」

 

「敵も面倒なことをしている」

 

 旅人は傷を見た。

 

「同じ印を、別の道へ付ける手もある」

 

 張飛が持つ短刀を押し下げた。

 

「意味も分からない印を増やして、味方まで迷わせるな!」

 

 旅人がこちらを見た。

 

「敵を違う道へ誘えるかもしれぬ」

 

「地元の人が道を間違えたらどうするんですか!」

 

「では、まず印の意味を確かめる」

 

「最初からそうしてください!」

 

 旅人は少しだけ口元を緩めた。

 

 派手な策を思いつくたび、こちらの仕事と事故の可能性が増える。

 

 敵を欺く前に、味方が欺かれては困る。

 

 ◆

 

 新野へ戻ると、旅人は北方の簡単な地図を広げた。

 

 廖化たちが作った木片の記録。

 

 元御者が示した荷車の通れる道。

 

 農民が教えた水場。

 

 博望へ向かう道。

 

 東から回る迂回路。

 

 湿地沿いの細い道。

 

 林に挟まれた道。

 

 旅人が尋ねる。

 

「敵が来るとして、どの道を通ってほしい」

 

「来てほしくないです」

 

「それでは備えられぬ」

 

「なら、新野から一番遠い道」

 

「敵は自ら不便な道を選ばぬ」

 

 俺は地図を見る。

 

 敵は、広くて歩きやすく、水のある道を選ぶ。

 

 だが、その道が新野へ最短である必要はない。

 

「便利そうに見える道を、町から離れた方へ作るとか?」

 

 旅人の目が変わった。

 

 嫌な予感がした。

 

「いまのは忘れてください」

 

「なぜだ」

 

「何か大掛かりな仕事が始まりそうだからです!」

 

「城門で敵を止めるのではなく、敵が進む道を選ぶ」

 

 旅人は、俺の言葉を勝手に整理した。

 

「それならば、新野を戦場にせずに済む」

 

「まだ実行するとは言ってません!」

 

「考えるだけなら、材木も人足も要らぬ」

 

「考えた後に必要になるでしょう!」

 

 張飛が旅人の前へ立った。

 

「先ほどから勝手に口を出しているが、お前は何者だ」

 

「旅の者だ」

 

「それは見れば分かる!」

 

「では、何を聞きたい」

 

「名だ!」

 

 旅人は少し黙った。

 

単福(ぜんふく)と申す」

 

「単福」

 

 関羽が名を繰り返す。

 

「どこで兵を学んだ」

 

「逃げているうちに、追う者の考えを覚えた」

 

 張飛が目を細めた。

 

「罪人か?」

 

「人を斬ったことはある」

 

 周囲の空気が少し変わる。

 

 単福は腰の剣へ触れない。

 

 詳しいことも話さない。

 

 ただの士人ではない。

 

 剣を飾りで帯びているわけでもない。

 

 そして、どうやら面倒な過去を持っている。

 

(また、事情のある人が増えようとしている)

 

 新野は、身元のすっきりした人間を拒む仕組みでもあるのだろうか。

 

(待て。この男、敵の物見より詳しく、新野の内情を聞き出していないか?)

 

 病人と子供の居場所。

 

 荷車の数。

 

 穀物を動かす順。

 

 門を守る者と、南へ逃がす者。

 

 指摘が正しかったことと、信用してよいことは別である。

 

 ◆

 

「助言は助かりました」

 

 俺は単福へ頭を下げた。

 

「それでは、旅の続きをお気をつけて」

 

「北の騎馬が戻る前にか」

 

「戻ってくるんですか?」

 

「新野の兵数も配置も分からなかった。ならば、もう一度確かめる」

 

「では、その後に旅の続きを……」

 

「敵が来た後で、客人を追い出すのか」

 

「そういう言い方をしないでください!」

 

 張飛が言った。

 

「兄貴。この男を軍師にしよう」

 

「しない!」

 

 関羽も単福を見る。

 

「敵と道を見る目は確かだ」

 

「雇うための食料も部屋も決めていない!」

 

 糜氏が帳簿を開いた。

 

「客人一名であれば、当面の食事は用意できます」

 

「採用の準備を始めないで!」

 

 甘氏も言った。

 

「宿より、こちらの空き部屋の方が安全です」

 

「甘氏まで!」

 

 単福は落ち着いて答えた。

 

「まだ仕えるとは申していない」

 

 俺は安心した。

 

「そうですよね!」

 

「次に騎馬が来るまでは残る」

 

「それを滞在延長と言うんですよ!」

 

 ◆

 

 夕方。

 

 俺、関羽、張飛、甘氏、糜氏、廖化、県丞で、北方の状況を整理することになった。

 

 単福の剣は入口へ置いてもらい、廖化を戸口に残した。

 

 卓の上へ並べたのは、北方の地図と、騎馬の動きを記した木簡だけである。

 

 家族の名簿と倉の記録は持ち込まず、甘氏と糜氏が必要な範囲だけ口頭で補う。

 

 単福には、話を聞くだけの客人として端へ座ってもらった。

 

 だが気づけば、地図のすぐ前に座っていた。

 

「なぜ、そこにいるんですか」

 

「次に騎馬が来た時、何を見るかを決めるのであろう」

 

「そうですけど」

 

「ならば、先ほどの続きだ」

 

 張飛はすでに地図を指している。

 

「敵が東から回れば、どうする」

 

「張飛、自然に軍師扱いするな!」

 

 関羽も別の場所へ指を置いた。

 

「この林から、新野の門は見えるか」

 

「関羽まで受け入れないで!」

 

 甘氏は単福の分の食事を用意している。

 

 糜氏の木簡には、

 

『客人・単福』

 

『防備について助言あり』

 

『滞在期限未定』

 

 と書かれていた。

 

「滞在期限を未定にしないで!」

 

「御本人が決めておられませんので」

 

「本人に決めさせるな!」

 

 その時、襄陽から使者が到着した。

 

 新しい命令が来たらしい。

 

 俺は嫌な予感を抱きながら木簡を受け取った。

 

 北方の騎馬は、軍の物見である可能性が高い。

 

 博望方面の道と水場を再確認すること。

 

 北方からの軍勢の南下に備えること。

 

 荊州の境を越えて、無断で追撃しないこと。

 

 新野の住民と滞在者の役割を報告すること。

 

 必要ならば、博望付近へ見張りを置くこと。

 

「必要なら、とありますね」

 

 俺は使者へ確認した。

 

「はい」

 

「必要でなければ、何もしなくても?」

 

「必要かどうかを確認してください」

 

「確認する仕事が増えた!」

 

 単福が地図へ手を伸ばす。

 

「ならば、博望を見に行く必要がある」

 

「なぜ、あなたが当然のように決めるんですか!」

 

「敵が来る道を選ぶのであろう」

 

「まだ選ぶとは決めていません!」

 

「先ほど、自分で申した」

 

「忘れてくださいと言ったでしょう!」

 

 単福は博望へ続く道を指した。

 

「敵がこちらを見ているなら、次はこちらが、敵に何を見せるかを決める番だ」

 

「何も見せずに、北へ帰ってもらう方法はありませんか」

 

 単福は一瞬黙った。

 

 そして、初めて声を上げて笑った。

 

 張飛も笑う。

 

「軍師殿。兄貴は本気だぞ」

 

「軍師殿と呼ぶな!」

 

 関羽が静かに尋ねた。

 

「単福。火を使わず、敵を町から離す道はあるか」

 

「火を使う話は、まだしていない!」

 

 単福が顔を上げる。

 

「私も、まだ火を使うとは申していない」

 

「絶対に考えてたでしょう!」

 

 糜氏が、単福用の新しい木簡を一枚置く。

 

 甘氏は、食事を一つ増やしていた。

 

 正式に頼んでいない。

 

 雇ってもいない。

 

 仕えるとも言われていない。

 

 それなのに、軍議の席が一つ増えている。

 

「軍師として雇った覚えはないんだけど……」

 

 単福が地図から顔を上げた。

 

「私も、まだ仕えた覚えはない」

 

「では、どうして軍議の真ん中にいるんですか!」

 

 単福は少し考えた。

 

「追い出されなかったからだろう」

 

 関羽が頷く。

 

「兄者が追わぬから、人が残る」

 

「またその理屈か!」

 

 単福の指は、博望へ続く道の上に置かれていた。

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総合評価:2312/評価:8.31/連載:35話/更新日時:2026年07月08日(水) 18:01 小説情報

暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜(作者:パラレル・ゲーマー)(オリジナル歴史/戦記)

現代日本で死んだ主人公が転生した先は、江戸幕府を開いた徳川家。▼身分ガチャは大当たり――かと思いきや、幼名は国松。▼のちに兄・徳川家光と対立し、「暴君」と呼ばれて破滅するはずの徳川忠長だった。▼将軍の座など絶対にいらない。▼生き残るためには、兄・竹千代を全力で支え、「敵」ではなく「便利で忠実な弟」になるしかない。▼そう決意した国松が最初に始めたのは、天下の根…


総合評価:2018/評価:7.42/連載:134話/更新日時:2026年07月27日(月) 14:18 小説情報

尾張水神伝 ~SF世界の天使っぽい種族に転生したけどワープ事故で戦国時代の日本に漂着しました~(作者:Lavian)(オリジナル歴史/戦記)

セララ・シュトーレンは転生者だ。天使っぽい種族で魔法も使える。▼だけどワープ事故で戦国時代に漂着。▼困ってる人を助けたら神様と勘違いされてしまった。▼人々を助けていたら有名になり、尾張の殿様に呼ばれて……▼信長の友人として過ごす日々が始まった。


総合評価:2725/評価:8.09/連載:74話/更新日時:2026年07月25日(土) 21:20 小説情報

転生したら異世界の宇宙最強の龍でした!〜0から星と生命を作り出して一大文明の支配者になったので現代日本へ帰還します。自分は日本が一番暮らしやすい。〜(作者:電動ガン)(オリジナル現代/コメディ)

目覚めたら無だった。何も無い。宇宙さえも。自分の身体を見る。銀色の甲殻、長い尻尾これモンスターだ!?よく見ると俺の他にも二頭のモンスターが。ドラゴンだこれ!!▼俺たち三頭の女神龍は宇宙創成の前の世界にいる。俺たちを生み出した主神の指示で世界を作り生命を繁栄させることとなったけど・・・・・・それ何年掛かるの?▼何億年も掛けて生命が宿れる星を何個も作り、失敗し、…


総合評価:2295/評価:7.54/連載:117話/更新日時:2026年07月27日(月) 16:41 小説情報

​『逆襲のシャア』の総帥に憑依した元商社マン、アクシズを落とさず地球圏を支配する 〜静かに暮らしたいだけなのに、アナハイムと狂信者に神輿を担がれて逃げられない件〜(作者:なやむ)(原作:ガンダム)

「お願いだから、もうこれ以上俺(キャスバル)を神輿として担がないでくれ……!」▼目が覚めると、そこは宇宙世紀0090年代▼よりにもよって、グリプス戦役末期、ハマーン・カーンと一騎討ちに臨み、その後消息不明になっていた世紀のカリスマ、シャア・アズナブルーキャスバル・レム・ダイクンに憑依していた▼本物のシャアはすでに成仏してどこにもいない。残されたのは、ただ「早…


総合評価:6547/評価:8.66/連載:8話/更新日時:2026年07月27日(月) 18:00 小説情報


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