劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~ 作:ブンチョウ
黄巾の乱の小競り合いで、関羽と張飛が勝手に無双して手柄を立ててしまった俺。
その結果、朝廷から
現代で言えば、田舎の警察署長兼、地域課長といったところだ。
「……最高。最高すぎるぞ、地方公務員生活!」
俺は役所のデスクで、ぬるいお茶をすすりながら感動に震えていた。
後漢末期の地方自治なんてものは完全に崩壊している。
中央の腐敗した役人たちへの莫大な賄賂が、すべてを回している世界だ。
コネも金もない俺への風当たりは強く、役所の予算は常にカツカツ。
おまけに部下は、戦闘狂のゴリラ二人である。
だが、前世で文字通り身を粉にして働かされた元ブラック企業の社畜──俺からすれば、ここは天国だった。
「給料は安い。予算もない。でもな、ノルマがない! 定時退勤できる! 何より、戦争に行かなくていい!! 挙兵? 天下統一? 知るかそんなもん。俺は絶対に上司に逆らわず、事なかれ主義を貫き、穏便に定年退職の計画を練るんだ……!」
不穏な世界でようやく手に入れた、ささやかな有給ライフ。
なお、張飛が担保に入れた土地と桃園を元手に集めた五百人の義勇兵は、県外れの空き地に作らせた仮設兵舎へ押し込んである。
役所の予算では、とても養えない。
張飛の借金と、俺が勝手に始めた衛生改革で、毎日ひたすら白湯と野菜スープを配る羽目になっている。
だが、乱世の神様は、俺が平穏に有給を消化することを決して許さなかった。
ある日。
中央政府から地方官の勤務態度を監査する役人──
この督郵、教科書に載せたいレベルの、絵に描いたようなクズだった。
挨拶の賄賂が足りないだの、飯のクオリティが低いだの。
現代なら一発で労働基準監督署が動くレベルの、猛烈なパワハラを初手から仕掛けてくる。
「おい、劉備とやら。お前のその顔、何だ? 覇気がなくて気に入らん。だいたい、耳が異常にデカくて不快なんだよ。そんな耳で私の高貴な言葉が聞き取れるのか? あぁ?」
(うわぁ、ルッキズム全開のクソ上司だ……)
俺の背後では、張飛が拳をギリギリと鳴らして床のタイルを足で踏み砕いている。
関羽は青龍刀の柄に手をかけ、今にも督郵の首を微塵切りにしそうな殺気を放っていた。
(ひえっ! ゴリラたちが暴発したら、連座で俺の首が飛ぶ!!!)
前世の社畜センサーが、最大音量で警報を鳴らした。
(あ、この会社──職場、もう無理だ。今すぐ辞めよう)
俺は極限のパニックの中、懐から丁寧に折りたたまれた一枚の紙──っぽい布を取り出した。
前世で何度も書こうとして書けなかった、魂の書類。
退職願──官職の返上届である。
そして、身分証である印の紐──
「督郵様、お言葉ですが、私の能力不足でこれ以上ご期待に応えられません。本日をもちまして、円満に自主退職──お仕事辞め──させていただきます。引き継ぎはそこの赤面と黒面に聞いてください。それでは、失礼します」
「……は?」
督郵は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
当時の感覚では、朝廷から与えられた官職を自分からアッサリ捨てるなど、あり得ない暴挙。
すぐに我に返った督郵は、
「な、なんだこの態度は……!? 私を脅す気か! 反省の色が全く見えん!」
と激怒し、俺を役所の物置──監禁部屋にぶち込んで「反省文」を書かせることにしたのだった。
「あーあ、有給消化もさせてもらえなかったな……」
薄暗い物置の中。
埃まみれの藁の上で俺が愚痴をこぼしていると、カチャリと鍵が開く音がした。
扉の隙間から忍び込んできたのは、一人の絶世の美女。
督郵が中央からわざわざ連れてきた、派手で美しい
彼女は権力者にすがって生きる、おねだり上手の現実主義者。
最初は、
「督郵様を怒らせた、噂の耳のデカい間抜けな田舎役人のツラでも拝んでやろう」
と、小馬鹿にするつもりで覗きに来たのだ。
(げぇっ!! 上司の愛人!? 不倫のハニートラップか!?)
俺の脳内に、現代のコンプライアンス意識と、一発アウトの週刊誌報道の恐怖が駆け巡る。
俺は即座に彼女から二メートル以上の距離──ソーシャルディスタンスを保ち、絶対に目を合わせないように直立不動になった。
しかし、物置の床は冷たい。
彼女の薄着のドレスでは、体が冷えてしまう。
ここで彼女が風邪でも引いたら、また俺のせいにされて減給か死刑だ。
俺は保身のために、自分の上着──官服をサッと脱ぐと、彼女の足元に丁寧に敷いた。
「あ、麗華さん、そこに座ると冷えますから。どうか私に変な気を遣わないで、すぐに督郵様のもとへお戻りください。私は本当に、ただ平和に会社を辞めたいだけですので……!」
「……え?」
麗華は激しい衝撃に打たれ、その場に立ち尽くした。
中央の男たちは、自分を性処理の道具か、着せ替え人形としてしか見ていない。
督郵も同じだった。
数日前、酒に酔った彼は笑いながら言っていた。
──安喜での監査が終われば、お前は上官への土産にしてやる。
中央へ戻れば、次は誰の寝床へ放り込まれるのか。
飽きられれば捨てられる。
逆らえば、殴られる。
それが麗華にとっての人生だった。
なのに、この耳の大きな男は、自分を欲望の対象として扱おうともせず、一切触れずに慎重な距離を置く。
ただの恐怖である。
冷えないようにと上着を差し出す。
ただの保身である。
しかも、中央の役人がしがみつく地位も名誉も、アッサリ捨てる気高さをみせている。
彼女の脳内で、超絶勘違いのゴングが鳴り響いた。
(この人……なんてストイックで、気高くて、紳士的な御仁なの……!)
(毎日ブーブー文句しか言わない醜い豚──督郵とは大違いだわ!)
麗華の目は完全にハートになり、グイッと距離を詰めて俺の手を両手で握りしめた。
「劉備様……あなたのような高潔なお方が、こんな腐った場所で虐げられて終わってはいけません。私が、ここから逃がしてあげますわ!」
「えっ? あ、いや、鍵を開けてくれるだけでいいんですけど……!」
麗華は微笑んだ。
その目は恋に落ちた女の目だった。
同時に、二度と督郵のもとへ戻らないと決めた、生き残るための女の目でもあった。
麗華が手引きしてくれたおかげで、俺は物置から脱出することに成功した。
「よし、今のうちに三人で夜逃げ──円満退職するぞ!」
関羽と張飛を呼びに行こうと、役所の裏庭に回った。
その時だった。
「オラァッ! この豚野郎!! 誰の兄貴に文句垂れてやがんだ!!」
「ひぎぃっ!? 許して、やめてぇ!!」
ベシィィィン!!
鼓膜を突き破るような、凄まじい風切り音。
見ると、俺が監禁されたと聞いて完全に理性を失った張飛が、役所に乱入して督郵を拉致していた。
裏庭の木に文字通りミノムシのように縛り付け、馬の鞭でボコボコに殴り飛ばしている。
督郵の顔は、すでに原型を留めていない。
「ひえええええええええ!? 何してんの張飛!? やめて! 人殺しはダメええええ!!」
俺が泡を吹いて必死に止めに入ると、横で腕を組んでそれを見ていた関羽が、ハッと目を見開いて深く頷いた。
(……なるほど、すべては兄者の御心のままに!)
関羽の脳内で、本日も大陸間弾道ミサイル級の深読みが炸裂する。
(兄者はあえて自らが監禁されることで、督郵の不義理と中央の腐敗を天下に証明した)
(そして張飛の怒りをあえて爆発させることで、大義名分を完全に我が方に引き寄せたのだ)
(ただ役人を討つのではない。民の怒りを代弁する形での挙兵のシナリオ……なんと計算され尽くした神算鬼謀……!)
「違う!!! 俺はただ普通に退職届を受理してほしかっただけええええ!!!」
俺の絶叫も虚しく、背後からトコトコと軽い足音が響く。
麗華が、督郵が溜め込んでいた隠し財産──賄賂の金塊が詰まった超重量級の袋を引きずりながら、笑顔でやってきた。
「劉備様ぁ、お待たせいたしました! 私も連れて行ってください! ついでにこの豚の裏金も全部盗んできましたわ!」
上司を半殺しにした上に、そのお気に入りの女を寝取って、さらに会社の公金を横領して逃亡。
(最悪の凶悪犯罪テロ組織になってんじゃねえか!!!)
円満退職の計画が、一瞬で国家反逆の指名手配犯ルートに変わった。
誰か助けてくれええええ!!!
「ガハハハ! 兄貴、ケジメはつけましたぜ! さあ、ずらかりましょう!」
「全軍、兄者の新たなる覇道のために、いざ未開の地へ!」
役所の外では、仮設兵舎から呼び寄せられた五百人の義勇兵が、すでに武器を手に整列していた。
どうやら張飛が、俺の監禁を聞いた瞬間、
「兄貴を助けるぞ!」
と、全軍を呼び出したらしい。
やめろ。
夜逃げに五百人を連れていくな。
「劉備様、どこまでもお供いたします!」
こうして劉備は、パワハラ上司の愛妾──ガチ恋と、その裏金を抱え、虫の息の督郵を置き去りにして。
五百人のヤクザ軍団ごと、再び地獄の流浪──逃亡生活へとトコトコ駆け出すのだった。