劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~   作:ブンチョウ

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第4話 督郵、円満退職は無理らしい

 黄巾の乱の小競り合いで、関羽と張飛が勝手に無双して手柄を立ててしまった俺。

 

 その結果、朝廷から安喜県(あんきけん)という超ド田舎の「県尉(けんい)」に任命された。

 

 現代で言えば、田舎の警察署長兼、地域課長といったところだ。

 

「……最高。最高すぎるぞ、地方公務員生活!」

 

 俺は役所のデスクで、ぬるいお茶をすすりながら感動に震えていた。

 

 後漢末期の地方自治なんてものは完全に崩壊している。

 

 中央の腐敗した役人たちへの莫大な賄賂が、すべてを回している世界だ。

 

 コネも金もない俺への風当たりは強く、役所の予算は常にカツカツ。

 

 おまけに部下は、戦闘狂のゴリラ二人である。

 

 だが、前世で文字通り身を粉にして働かされた元ブラック企業の社畜──俺からすれば、ここは天国だった。

 

「給料は安い。予算もない。でもな、ノルマがない! 定時退勤できる! 何より、戦争に行かなくていい!! 挙兵? 天下統一? 知るかそんなもん。俺は絶対に上司に逆らわず、事なかれ主義を貫き、穏便に定年退職の計画を練るんだ……!」

 

 不穏な世界でようやく手に入れた、ささやかな有給ライフ。

 

 なお、張飛が担保に入れた土地と桃園を元手に集めた五百人の義勇兵は、県外れの空き地に作らせた仮設兵舎へ押し込んである。

 

 役所の予算では、とても養えない。

 

 張飛の借金と、俺が勝手に始めた衛生改革で、毎日ひたすら白湯と野菜スープを配る羽目になっている。

 

 だが、乱世の神様は、俺が平穏に有給を消化することを決して許さなかった。

 

 ある日。

 

 中央政府から地方官の勤務態度を監査する役人──督郵(とくゆう)が、大名行列のような傲慢さで視察にやってきた。

 

 この督郵、教科書に載せたいレベルの、絵に描いたようなクズだった。

 

 挨拶の賄賂が足りないだの、飯のクオリティが低いだの。

 

 現代なら一発で労働基準監督署が動くレベルの、猛烈なパワハラを初手から仕掛けてくる。

 

「おい、劉備とやら。お前のその顔、何だ? 覇気がなくて気に入らん。だいたい、耳が異常にデカくて不快なんだよ。そんな耳で私の高貴な言葉が聞き取れるのか? あぁ?」

 

(うわぁ、ルッキズム全開のクソ上司だ……)

 

 俺の背後では、張飛が拳をギリギリと鳴らして床のタイルを足で踏み砕いている。

 

 関羽は青龍刀の柄に手をかけ、今にも督郵の首を微塵切りにしそうな殺気を放っていた。

 

(ひえっ! ゴリラたちが暴発したら、連座で俺の首が飛ぶ!!!)

 

 前世の社畜センサーが、最大音量で警報を鳴らした。

 

(あ、この会社──職場、もう無理だ。今すぐ辞めよう)

 

 俺は極限のパニックの中、懐から丁寧に折りたたまれた一枚の紙──っぽい布を取り出した。

 

 前世で何度も書こうとして書けなかった、魂の書類。

 

 退職願──官職の返上届である。

 

 そして、身分証である印の紐──印綬(いんじゅ)をそっと添え、督郵のデスクに置いた。

 

「督郵様、お言葉ですが、私の能力不足でこれ以上ご期待に応えられません。本日をもちまして、円満に自主退職──お仕事辞め──させていただきます。引き継ぎはそこの赤面と黒面に聞いてください。それでは、失礼します」

 

「……は?」

 

 督郵は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。

 

 当時の感覚では、朝廷から与えられた官職を自分からアッサリ捨てるなど、あり得ない暴挙。

 

 すぐに我に返った督郵は、

 

「な、なんだこの態度は……!? 私を脅す気か! 反省の色が全く見えん!」

 

 と激怒し、俺を役所の物置──監禁部屋にぶち込んで「反省文」を書かせることにしたのだった。

 

「あーあ、有給消化もさせてもらえなかったな……」

 

 薄暗い物置の中。

 

 埃まみれの藁の上で俺が愚痴をこぼしていると、カチャリと鍵が開く音がした。

 

 扉の隙間から忍び込んできたのは、一人の絶世の美女。

 

 督郵が中央からわざわざ連れてきた、派手で美しい愛妾(あいしょう)──お気に入りの女性、麗華だった。

 

 彼女は権力者にすがって生きる、おねだり上手の現実主義者。

 

 最初は、

 

「督郵様を怒らせた、噂の耳のデカい間抜けな田舎役人のツラでも拝んでやろう」

 

 と、小馬鹿にするつもりで覗きに来たのだ。

 

(げぇっ!! 上司の愛人!? 不倫のハニートラップか!?)

 

 俺の脳内に、現代のコンプライアンス意識と、一発アウトの週刊誌報道の恐怖が駆け巡る。

 

 俺は即座に彼女から二メートル以上の距離──ソーシャルディスタンスを保ち、絶対に目を合わせないように直立不動になった。

 

 しかし、物置の床は冷たい。

 

 彼女の薄着のドレスでは、体が冷えてしまう。

 

 ここで彼女が風邪でも引いたら、また俺のせいにされて減給か死刑だ。

 

 俺は保身のために、自分の上着──官服をサッと脱ぐと、彼女の足元に丁寧に敷いた。

 

「あ、麗華さん、そこに座ると冷えますから。どうか私に変な気を遣わないで、すぐに督郵様のもとへお戻りください。私は本当に、ただ平和に会社を辞めたいだけですので……!」

 

「……え?」

 

 麗華は激しい衝撃に打たれ、その場に立ち尽くした。

 

 中央の男たちは、自分を性処理の道具か、着せ替え人形としてしか見ていない。

 

 督郵も同じだった。

 

 数日前、酒に酔った彼は笑いながら言っていた。

 

 ──安喜での監査が終われば、お前は上官への土産にしてやる。

 

 中央へ戻れば、次は誰の寝床へ放り込まれるのか。

 

 飽きられれば捨てられる。

 

 逆らえば、殴られる。

 

 それが麗華にとっての人生だった。

 

 なのに、この耳の大きな男は、自分を欲望の対象として扱おうともせず、一切触れずに慎重な距離を置く。

 

 ただの恐怖である。

 

 冷えないようにと上着を差し出す。

 

 ただの保身である。

 

 しかも、中央の役人がしがみつく地位も名誉も、アッサリ捨てる気高さをみせている。

 

 彼女の脳内で、超絶勘違いのゴングが鳴り響いた。

 

(この人……なんてストイックで、気高くて、紳士的な御仁なの……!)

 

(毎日ブーブー文句しか言わない醜い豚──督郵とは大違いだわ!)

 

 麗華の目は完全にハートになり、グイッと距離を詰めて俺の手を両手で握りしめた。

 

「劉備様……あなたのような高潔なお方が、こんな腐った場所で虐げられて終わってはいけません。私が、ここから逃がしてあげますわ!」

 

「えっ? あ、いや、鍵を開けてくれるだけでいいんですけど……!」

 

 麗華は微笑んだ。

 

 その目は恋に落ちた女の目だった。

 

 同時に、二度と督郵のもとへ戻らないと決めた、生き残るための女の目でもあった。

 

 麗華が手引きしてくれたおかげで、俺は物置から脱出することに成功した。

 

「よし、今のうちに三人で夜逃げ──円満退職するぞ!」

 

 関羽と張飛を呼びに行こうと、役所の裏庭に回った。

 

 その時だった。

 

「オラァッ! この豚野郎!! 誰の兄貴に文句垂れてやがんだ!!」

 

「ひぎぃっ!? 許して、やめてぇ!!」

 

 ベシィィィン!!

 

 鼓膜を突き破るような、凄まじい風切り音。

 

 見ると、俺が監禁されたと聞いて完全に理性を失った張飛が、役所に乱入して督郵を拉致していた。

 

 裏庭の木に文字通りミノムシのように縛り付け、馬の鞭でボコボコに殴り飛ばしている。

 

 督郵の顔は、すでに原型を留めていない。

 

「ひえええええええええ!? 何してんの張飛!? やめて! 人殺しはダメええええ!!」

 

 俺が泡を吹いて必死に止めに入ると、横で腕を組んでそれを見ていた関羽が、ハッと目を見開いて深く頷いた。

 

(……なるほど、すべては兄者の御心のままに!)

 

 関羽の脳内で、本日も大陸間弾道ミサイル級の深読みが炸裂する。

 

(兄者はあえて自らが監禁されることで、督郵の不義理と中央の腐敗を天下に証明した)

 

(そして張飛の怒りをあえて爆発させることで、大義名分を完全に我が方に引き寄せたのだ)

 

(ただ役人を討つのではない。民の怒りを代弁する形での挙兵のシナリオ……なんと計算され尽くした神算鬼謀……!)

 

「違う!!! 俺はただ普通に退職届を受理してほしかっただけええええ!!!」

 

 俺の絶叫も虚しく、背後からトコトコと軽い足音が響く。

 

 麗華が、督郵が溜め込んでいた隠し財産──賄賂の金塊が詰まった超重量級の袋を引きずりながら、笑顔でやってきた。

 

「劉備様ぁ、お待たせいたしました! 私も連れて行ってください! ついでにこの豚の裏金も全部盗んできましたわ!」

 

 上司を半殺しにした上に、そのお気に入りの女を寝取って、さらに会社の公金を横領して逃亡。

 

(最悪の凶悪犯罪テロ組織になってんじゃねえか!!!)

 

 円満退職の計画が、一瞬で国家反逆の指名手配犯ルートに変わった。

 

 誰か助けてくれええええ!!!

 

「ガハハハ! 兄貴、ケジメはつけましたぜ! さあ、ずらかりましょう!」

 

「全軍、兄者の新たなる覇道のために、いざ未開の地へ!」

 

 役所の外では、仮設兵舎から呼び寄せられた五百人の義勇兵が、すでに武器を手に整列していた。

 

 どうやら張飛が、俺の監禁を聞いた瞬間、

 

「兄貴を助けるぞ!」

 

 と、全軍を呼び出したらしい。

 

 やめろ。

 

 夜逃げに五百人を連れていくな。

 

「劉備様、どこまでもお供いたします!」

 

 こうして劉備は、パワハラ上司の愛妾──ガチ恋と、その裏金を抱え、虫の息の督郵を置き去りにして。

 

 五百人のヤクザ軍団ごと、再び地獄の流浪──逃亡生活へとトコトコ駆け出すのだった。

 

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