劉備に転生した俺、三国志が思ったより治安悪すぎる ~ニートになりたいだけなのに、関羽と張飛が俺を覇王にしようとしてくる~ 作:ブンチョウ
俺たち劉備三兄弟は、エリート同期・
歴史の教科書やゲームでは、「華々しい英雄たちの集い」と美化されるこの連合軍。
だが、現実は違った。
その実態は、数十万人の武装したゴロツキと、数万頭の馬がすし詰めになった芋洗い会場である。
当然、インフラなんて概念はない。
仮設トイレ──ただの溝は完全に溢れ返り、あちこちからアンモニア臭が立ち上る。
風呂に何ヶ月も入っていない男たちの濃厚な体臭と、馬のフンの臭いがブレンドされた凄まじい悪臭が、風下にある俺たちのテントを直撃していた。
現代人の嗅覚を持つ俺は、一歩進むごとに強烈な嘔吐感に襲われる。
「……うぷっ。
俺は鼻に布を巻きながら、固く心に誓った。
その夜。
連合軍の総会という名の、ただのどんちゃん騒ぎの宴会が始まった。
上座では、袁紹や
当然、俺たち弱小の劉備三兄弟は、会場の一番端っこ。
ハエがブンブン飛び交う最悪の席に案内された。
「兄貴! なんだあのスカした袁紹って奴は! 上座の美味そうな肉、俺が奪ってきてやろうか! ついでにあの首も!」
「バカ、やめろ張飛! 窓際族の基本は『目立たず、逆らわず、残飯を食う』だ! 静かにしろ!」
俺は恐怖と周囲の悪臭に耐えかね、前世のブラック企業で脳髄に叩き込まれた悲しき社畜習性──「5S」のアドレナリンを爆発させた。
整理。
整頓。
清掃。
清潔。
しつけ。
現実逃避を兼ねて、身体が勝手に動き出したのだ。
俺は自分の席の周りのゴミをテキパキと拾い集め、懐から持参した度数の高い密造酒を取り出すと、それを即席のアルコール除菌液にしてテーブルを猛烈な勢いで拭き始めた。
さらに、マッハの速度でハエたたきを繰り出し、周囲のハエをパーフェクトに駆除していく。
勢いに乗った俺は、自陣に戻るや否や、兵たちのトイレの溝に炭と灰を大量に撒いて消臭・消毒対策を施し、驚異的なクリーン環境を整えてしまった。
「はぁ、やっぱり戦場のゴミ拾い──環境改善は心が落ち着くな……」
汚い職場を放置できない元社畜の、悲しいサガであった。
裏方でせっせと除菌活動をしていた俺を、物陰からじっと凝視する視線があった。
曹操が連合軍内部の動向、とりわけ諸侯の兵数、兵糧、人間関係を探るために放った、冷徹無比な凄腕の女
彼女は、酒席で相手の虚栄や愚痴を引き出し、秘密を拾い集めるプロフェッショナルだった。
泥酔した諸侯の給仕役に変装し、獲物を値踏みするように俺の背後へ近づいてくる。
(げぇっ!! なんだあの綺麗なお姉さん!? でも、目が完全に死んだ魚のそれで、視線だけが異常に鋭い……! 絶対に曹操軍のヤバい暗殺者だ、関わったら消される!!!)
俺の現代人としての防犯意識──および防犯カメラを探す本能が、最大音量で警報を発した。
彼女が笑顔で酒を注ごうとした瞬間、俺は「ひえっ」と怯えながら、サッと手で杯を遮った。
そして、自分が持っていた一番安全な、一度沸騰させて雑菌を死滅させた
「あ、お姉さん、立ち仕事で大変ですね。この会場、衛生環境が最悪だから、生水や怪しい酒は飲まない方がいいですよ。コレラとか赤痢とか流行りそうですし。ほら、この温かい白湯をどうぞ。冷えは万病の元ですから。あ、私はただのモブですので、どうぞお構いなく!」
そう言って、俺はソーシャルディスタンスを保つため、トコトコと素早く退散した。
残された夜桜の全身に、文字通り電流が走った。
(……な、なんですって……!?)
彼女の脳内で、宇宙規模の勘違いのゴングが鳴り響く。
自分の完璧な変装と、探るような視線を一瞬で見破られた。
酒で相手を緩ませ、言葉を引き出すための接触も、優雅に拒まれた。
それどころか、裏方として潜り込んでいる自分へ労いを向け、命の心配──防疫の助言と白湯まで差し出してくれたのだ。
中央の男たちは、自分を便利な道具か、性的な対象としてしか見てこなかった。
なのに、この耳の大きな男は違う。
(この男……天下の諸侯が欲と虚栄心で泥酔している中、ただ一人、冷徹に戦場の本質──衛生と兵の維持を見抜いている)
(しかも、私の正体に気づいているはずなのに、脅しもせず、正体を暴こうともしない……)
(なんて底知れない。そして、恐ろしいほど優しい男……!)
冷酷だった彼女の胸の奥に、白湯の温かさとは別の、職分を逸脱しかねない執着が静かに灯った。
「劉備様……この夜桜、今この瞬間から、あなたの影となります……」
物陰から聞こえた呟きに、俺はガタガタと震えた。
(影って何!? 怖い!! ストーカー化しないで!! 窓際族に防犯ブザーをくれ!!)
翌朝。
夜桜は曹操の元へ戻り、劉備に関する報告書を提出した。
だが、彼女の判断はすでに、劉備という男への過剰な警戒と執着に染まり始めていた。
「曹操様。平原の県令・劉備という男、極めて危険です。彼は一見モブのように振る舞っていますが、陣営の衛生を整え、兵が腹を壊し、疫病で倒れる芽を潰そうとしております」
「ほう」
「さらに、こちらの接触も完全に見抜かれた可能性が高い。不用意に近づくことは推奨いたしません」
報告書を受け取った曹操は、不敵に目を細めてフッと笑った。
「ほう……あの耳の大きな男。袁紹らの前でわざと無能を演じ、裏で軍の基盤を整えているのか。やはり、ただ者ではないな」
曹操は報告書を机へ置き、指先で軽く叩いた。
「面白い。しばらく余計な手は出すな。徹底的に見ておけ」
夜桜の歪んだ防衛報告のせいで、曹操の劉備に対する危険度評価がストップ高を記録した。
そんなこととは露知らず、俺のテントでは張飛がガハガハと笑いながら、大量の物資を運び込んでいた。
「兄貴! なぜか曹操の陣営から、俺たちの席にだけ『特製の最高級消臭炭』と『霜降り牛肉』が山ほど届いたぜ! 兄貴の徳が曹操に伝わったんだな!」
(なんでだよ!!! 曹操から目を付けられてるじゃねえか!!!)
貢ぎ物じゃない。
これ完全に、「お前を監視しているぞ」っていう無言の牽制だろ!!!
誰か助けてくれええええ!!!
こうして劉備は、最悪の臭気漂う芋洗い会場で、戦う前から曹操軍のトップエージェントに目を付けられた。
その危険な視線を背中に刺したまま、呂布という最強の怪物が待つ戦場へ、涙目で強制的に押し流されていくのだった。