ブラウンラット本部に行けばゲイルさんは呆れの表情を浮かべていたものの何かを言う前について来てくれた。
「作戦はあるのか?ただ人手が増えただけじゃ二の舞だぞ」
「それはもちろん。前回、奴を捕まえられなかった原因の一つに霧のせいで姿を捉えられなかったって言うのがある」
「推定『霧を操る』異能ですからね…」
あの時ジェーンさんを庇えたのもなんとなく霧が揺らいだ気がした、というはっきりしないものだ。
「狙い目は霧で隠せるのは視界だけってこと。そのためにこれを用意した」
テーブルの上に精巧な細工の彫り込まれたガラス瓶が置かれた。
「これは?」
「十年前に流行ったっていう香水。経年劣化もあってすごく臭い」
中身は薄く黄色くなっており、底には何かが沈んでいる。
「これをぶつけるのと…あとは音の鳴る罠を設置する」
「罠?」
「居場所がわからないのに、ですか?」
ゲイルさんと並んで首を傾げる。
「調査の結果、夜間外出禁止令が出てから、外出した人は全員襲われてることがわかった」
「…当たり前じゃないか?」
「…いや、場所が良くて運良く助かった、みたいな人がいるかもしれません」
あくまでも
「よっぽどの強運とかでもない限り獲物を察知する能力があるはずです」
「なるほど…それならば探すまでもなく誘き寄せられる」
「場所さえ察知できればあとはなんとでもできる」
自信に満ちた瞳を輝かせ、ジェーンさんは机を叩いた。
「直感だけど
ジェーンさんの指示に従い、作戦のために動き出した。
〜〜〜〜〜〜
港通り、人通りのない路地にブラウンラットの力も借りて陣地を作り上げた。
各地に鈴のついた細いロープが仕掛けられており、触れると音が鳴って気づくことができる。
割れやすい薄いガラス瓶も配られ、いつでも投げられるようになっている。
「──────」
「ありがと、任せて」
「霧が薄くなって5分経ったら迎えに来い」
「わかったよ、ボス」
陣地の設営を終えて帰るブラウンラットのメンバーに手を振り、買ってきたパンを緊張で受け入れない腹に押し込む。
「今日霧が出なかったら明日もう一度仕掛けないとね」
「再設置にたいして手間はかからん。いくらでも時間をかけられるぞ」
またできる、なんて軽口を叩いてはいるものの、なんとなくこれで最後になるだろうという確信があった。
日が暮れ始め、人々が慌てて帰っていくのを見送っていると霧が濃くなってきた。
「来た」
「事前の打ち合わせ通りに、いいな?」
「はい!」
ジェーンさんが腰のホルスターに手を伸ばし、ゲイルさんが分厚い手袋を片方だけ外した。
あっという間に霧は深くなり、すぐ後ろにいる人影もぼやけて見えるほどになった。
チリン、
「っ!」
瓶を投げつける。思わず鼻をつまみたくなるような異臭が広がるが、今はこれが頼りだ。
霧のわずかな揺らぎと異臭の元の移動が一致した。
「当たりました!」
「ナイス!警戒は緩めないで!」
目の前の霧が揺らいだ。急接近した異臭に後ずされば、目の前に大柄な剣が映った。
「ッ、うおぉぉ!」
鉄パイプを剣の持ち手があるであろう場所に叩きつける。
奴に反応はなかったがまた異臭が離れたのを感じた。
「そこなら…!離れて!」
背後の霧から発砲音が響き、壁に立てかけられていた木材が倒れる音がした。
あらかじめ仕掛けておいた罠の一つ、ゲイルさんの『触れたものを凍らせる』異能で重い物を巻き込んで凍らせて捕まえる作戦が作動した。
「ゲイル!」
「【
重い足音、ものが急激に凍りつく音。ようやく奴から呻き声が漏れた気がした。
「…ダメだ!一度離れる!」
氷の破砕音が響き、異臭が動き出す。
ブンブンと鋭い刃が空気を斬る音だけが聞こえた。
「次、落とし穴ね」
「わかりました」
背後から聞こえたジェーンさんの声に応え、そろそろと近づく。
剣の間合いの一歩手前、奴がこっちを見た。
反転して重く、乱暴な足音から一歩でも離れるために走りだした。
この路地はたいして広くない。数mの時点で足元のピンクのチョークが目に入った。
跳ぶ。
薄い石畳が割れる音と共に異臭は地の底に…
「駄目!離れて!」
落ちていない、剣で体を支えてるらしい。穴が小さかったのか、事前に気づかれていたのか…
「霧だ」
「霧?」
ゲイルさんの声が隣の霧から聞こえた。
「奴は霧を『目』の代わりにしている。目を覆ってるのに見えるのはそういう訳だ」
充満する霧の有無でものの場所を察している、ということだろうか。それならば獲物の場所も落とし穴も容易く察知できるのも説明できる。
「代償は『目』だな。視力か存在かはわからねえが」
「踏み倒してるじゃないですか…」
「高位の契約者は大体そうだよ」
軽い足音、ジェーンさんだ。
「次は私の異能で動きを止める。二人で剣をお願い」
「わかりました!」
「りょーかい」
ジェーンさんから少し遅れて走り出した。
〜〜〜〜〜〜
霧が一気に薄くなった。
急にクリアになった視界に包帯姿の怪人の首にしがみついたジェーンさんの姿が映る。
「今の奴は急に目が見えるようになって混乱してる!手を狙え!」
「はい!」
狙いは長剣を握った右手。鉄パイプを強く握りしめる。
急に戻った視界に奴は混乱している──はずだった。
的確な太刀筋で鉄パイプが弾かれた。
「「「ッ!?」」」
そのまま返す刀で薄く胸を切られた。
ジェーンさんも振り落とされて尻餅をつく。
「─殺せ、【
ゲイルさんがは想定外の動きをする
ゲイルさんが素手で触れた地点から霜が広がっていく。
その霜は身体の芯まで凍らせていき、最終的に氷像となってしまった。
「…悪い、殺した」
「…ううん、ありがとう」
あのままでは次に斬られたのはジェーンさんだった。
僕のような再生力のないジェーンさんには致命的だっただろう。
「…?」
「…何もできなかった…」
血が止まり、傷跡ひとつない胸を撫でる。
「すぐに溶けたり砕けたりはないよね?」
「ああ…その、はずだ。一度帰って日が昇ってから警察を呼ぶか」
「そうだね、終わったと思うと眠気が…」
ジェーンさんが氷像に背を向けて歩き出す。
『気を緩めないように。骸が死ぬことはないのだから』
「あ…」
ふと、昼間にすれ違った女性の言葉を思い出して氷像を見た時だった。
「なんかおかし…?」ピシ
ポトリ、と何かを呟いていたゲイルさんの右腕が落ちた。
全員の思考が止まる。
長剣を振り抜いた氷像がジェーンさんを見た。
みんな別の場所を見ていた。僕が動けたのは本当に偶然で、幸運だった。
動き出した氷像とジェーンさんの間に立つ。
ゲイルさんの腕から血が吹き出すのと同時、
【ハ──スイ─】
「ジェ、ンさ、ん…!」
「…!縛り付けて、【グレイ=ニル】!」
僕はその声を最後にいつぞやのように意識を失った。