翌日、日も高くなってくる昼頃、僕は時間通りに『霧鴉探偵事務所』に来ていた。
ホテルから引き取ったトランクを床に置いてソファに座ると書類が差し出される。
「はい、雇用契約書。一応確認よろしくね」
「えーっと、業務内容が調査補助に雑務全般、報酬が案件ごとと」
「い、一応住居と毎日3食が現物支給だよ…?」
目を逸らしてコーヒーを飲む彼女に苦笑する。
「…案件の危険度とかって…」
「…異能関係はほとんど、かな」
分かりきってはいるが一応聞いておく。
「それはどっちで…」
「…あるほう」
「ですよねー」
表通りを走る馬車の音が事務所に虚しく響く。
息を呑んで羽ペンを手に取る。
「改めて聞いておきます」
「何?」
「僕の異能について分かりますか?」
「それはもちろん!約束するよ!」
それが聞ければ悩む必要はない。インクをつけてペンを走らせた。
インクの染みた紙にジェーンさんが満足げに頷く。
「契約成立だね。じゃあ外行く準備をして!」
「何かあるんですか?」
「前々から相談が来ててね。ジャンくん、初仕事だよ!」
〜〜〜〜〜〜
「すいませーん、『霧鴉探偵事務所』でーす」
「ジェーンちゃん!待ってたよー!」
霧鴉通りの一角にあるパン屋『ソルトンベーカリー』の扉を開けて声をかけたジェーンさんに赤毛の少女が飛びついた。
「この人は?」
「彼はつい昨日雇った新人助手のジャンくん。ジャンくん、彼女はリリー、ここの看板娘だよ」
「もう…看板娘だなんて…」
「よろしくお願いします…?」
「よろしくお願いします!」
ジェーンさんに抱きついていた少女はジェーンさんから離れてエプロンを整えた。
「パン泥棒だっけ?」
「そう。いつも朝になくなっちゃう人気のパンがあるんだけど…」
ヴェスカリア産の小麦を使った硬い外皮ともちもちした食感が特徴の手のひらサイズのパンらしい。
「それが開店前に一個減ってるの」
「開店前?なるほど…それは
ジェーンさんは懐から虫メガネを取り出してこちらをみた。
「さて、探偵の仕事を始めよっか」
〜〜〜〜〜〜
「そうは言っても…盗まれてからだいぶ時間も経ってるのに痕跡が残ってるんですか?」
「その程度で全部の痕跡が消えることはないよ。盗まれたパンのコーナーはここだよね?」
「そう。入口のすぐ近くだから開店のときに気づいてもいいのに…」
床は客の足跡で汚れていて泥棒の痕跡など調べようがない。
「犯人の動きを考えればすぐに見つかるよ」
「動きって…どこから入ったのかもわからないじゃないですか」
「じゃあどこから逃げたのかな?」
ジェーンさんの疑問にリリーさんと並んで考える。
「入口…じゃリリーさんや朝一のお客さんに見られちゃいますよね。裏口は…」
「開店の時間帯はお父さんが追加のパンを焼いてるよ。どんなに集中してても知らない人が裏口を通れば気づくんじゃないかな。あとは…窓!そこだったら…」
「人が通れるほど大きくないですね…」
「そっか。じゃあどこから…」
考えてもわからない。
「テレポーテーションとか透明化の異能とか?それなら説明がつくよ?」
「それもありえるけど今回はもっと単純な異能。ここを見て」
指さされた窓際をみると何かの足跡のような泥がついていた。
「げ、ネズミの足跡だ!毒餌を仕掛けないと…」
「それだけじゃない。小鳥の足跡も残ってる」
「犯人はネズミと小鳥ってことですか?」
「ネズミや小鳥が持ち去るには大きすぎるからそれは考えづらい。やっぱり何かしらの目的のある人的犯行だよ」
キョロキョロと周囲を見回した彼女の指示に従ってしゃがむ。
「ちょっと肩借りるね…よいしょ。立って」
「はい」
「ああ、やっぱり」
肩車で梁の上を見たジェーンさんは納得の声をあげる。
「こっちにもネズミの足跡が残ってる。ここから飛び降りてパンを盗んで窓から逃げる、みたいな感じじゃないかな」
「よりにもよってネズミを操るなんて…大掃除しないとかなぁ…」
「小動物の支配とか変身がそれっぽいかな。実際どうだかは見ないとわからないけど」
肩から降りて考察を呟くジェーンさんはリリーさんに質問する。
「開店って何時だっけ?」
「朝の…5時ぐらいかな?」
「う…明日4時半ぐらいに裏口から入れてもらえる?捕まえる…とは言い切れないけど捕まえることには近づくよ」
「わかった!裏口で待ってるね!」
〜〜〜〜〜〜
昼食がわりにもらった焼きたてのパンが入った袋を抱えて帰る道中、ジェーンさんがため息をついた。
「朝かぁ…」
「何か?」
普段しないような深いため息に首を傾げると落ち込んだ表情で教えてくれた。
「私、すっごい夜型で…朝起きるの苦手なんだよね…」
「ああ、集合が昼だったのはそういう…」
時間通りの集合にも関わらず長時間待たされたのに納得してしまった。
「正直異能と関わりのないただの泥棒の依頼なら断りたかったんだけどね…」
「はは…異能探偵としてのプライドですか?」
「それもあるよ?だけど…」
彼女は何かを思案するような表情をしてから微笑んだ。
「私、この街とリリーちゃんのこと好きだから。頑張んないと」
「そうですか」
格好いいことを言いながらもため息の止まらない姿に苦笑し、気になったことを尋ねる。
「まだお昼過ぎぐらいですけど帰るんですか?」
「確かに今日は早めに寝ないとだけど…これは別件。鳥やらネズミやらを捕えるのに私たちは専門外だからね。専門家を借りようと思って」
「借りる、ですか?」
まるで専門家本人を借りるような口調に首を傾げた。
〜〜〜〜〜〜
乗合馬車も使ってしばらく移動すれば大きな船のある港に着いた。
「ヴァレンフォードの倉庫はここら辺だから…」
「もうちょっと説明してくれませんか?」
「いやぁ、命の危機がないうちに遊びた─そっちは危ないよ」
裏路地を覗こうとして首根っこを掴まれる。
「危ないって何が──」
「いた。こっちだよ!」
ジェーンさんを追いかけた先には大きな貨物船と二人組の少女がいた。
「パティ!ごめーん、ちょっと時間ある?」
「────」
パティと呼ばれた灰色の髪の少女は聞き取れない何かを言いながら手を忙しなく動かしている。
「ああ違う違う、そっちも欲しいけど急かしにきたわけじゃない。ちょっと手を貸して欲しくて」
「───」
「彼?彼はウチの新人助手のジャン・ボイルくん。私たちと同じ契約者だよ」
「えっと、彼女は…」
恐る恐る声をかけるとようやく紹介してくれた。
「彼女は『ブラウンラット』のパトリシア。私の協力者の一人」
「『
「ブラックマイアのギャング。その手の組織にしては優しい方だよ」
「──」
「それで、何の用ですか」
眼鏡をかけた神経質そうな女性が眉間に皺を寄せて聞いてきた。
「
「そんなわけないじゃん。頼み事だよ」
指示された通りにパンの袋を差し出す。
「『ソルトンベーカリー』のパン泥棒の正体がネズミっぽくて、聞いてる?」
「…───」
「それならよかった。ネズミ捕りの専門家を借りたくて」
少し考え込んだパトリシアさんは指笛を吹くと、10秒もかからないうちに大きな鷹がやってきた。
「─────、──」
高く鳴いて飛び立つ鷹を見送ってパトリシアさんはOKサインを出した。
「ありがとう。貰い物だけどそのパンは前払いってことで」
「─────」
「わかった。吉報を待ってて」
軽く手を振って離れていくジェーンさんを追いかける。もう声が聞こえないぐらい離れた距離を確認して、質問した。
「あの、パトリシアさんって…」
「ご明察、声─というより言葉かな?─が代償の契約者。動物と会話ができる異能を持ってるよ」
その代償の結果があの聞き取れない何かだということだろう。
「じゃああの手の動きは…」
「手話。契約者の代償で声とか耳は定番だからね、使えると便利だよ」
「嫌な定番…」
しかし使えるモノが多いのはいいことだろう。
「今度教えるよ。で、ブラックマイアとブラウンラットの話をしよっか」
「確かに気になりましたけど…」
チラリと周囲を見ればまばらではあるが人通りがある。
「そんな隠す内容じゃないよ。ブラックマイアはグレイフォードの郊外からさっきキミが覗こうとした裏路地まで、街中に存在するスラム…というか裏社会の溜まり場かな」
「裏社会の溜まり場…警察とかは動かないんですか?」
「動こうとしたこともあったとは聞くよ?結果は…」
現状が答え、ということだろう。
覗こうとして止められた裏路地も今見ると禍々しい何かを感じる気がする。
「でもってブラウンラットはここら辺のブラックマイアを縄張りにする新興ギャング、かな。まあ裏での仕事は減らしてるらしいけど」
「ギャング…大丈夫なんですか?」
「さっき言った通り優しい方だよ。ここら辺の孤児とか移民を受け入れて仕事を斡旋してたりとかね?一昨日の事件が無かったらキミも仲間だったかも」
「孤児に移民…」
純粋な慈善活動、という気はしないが想像していたギャングと比べればはるかに善良だ。
「ギャング、なんて一括りにするのは気が引けますね…」
「まあそこは彼らのこれから次第、ってことで」
そこでジェーンさんが軽く手を叩く。
「?」
「これで目的達成!さっさと帰って早く寝よう!」
「そうですね、忘れてました」
明日の朝は早い。探偵助手としての初仕事に気合を入れた。