ジリリリリリリ
「っ!?」
頭の方から聞こえた異音に跳ね起きるとそこは見知らぬ部屋だった。
「え、っと。事務所…」
そうだ、昨晩から事務所の一室を借りたのだった。
枕元の目覚まし時計を止めて立ち上がり、軽く身を伸ばして寝巻きから動きやすいシャツとズボンに着替える。
「おはようござい──あ」
音を立てないように応接間の扉を開けるとソファに座ったジェーンさんが船を漕いでいた。
「ジェーンさーん…?」
「ん…ふぁあ、おはよぅ、ジャンくん」
ブランケットが膝からずれ落ちるのも気にせず立ち上がった彼女はそのまま洗面台のある方へ向かう。
「昨日はここで寝たんですか?」
「ベッドで、寝たら、おきれない…」
ふわふわとした口調と足取りも水道から流れる冷水を浴びれば幾分マシになった。
「準備はいい?リリーちゃんのところに行こう!」
「はい!」
薄い霧でぼやけた街は昨日歩いた道と同じはずなのに全く別物に見えた。
「あ!ジェーンちゃん!」
「お待たせ、リリーちゃん」
早朝だというのに元気な看板娘は笑顔を浮かべてジェーンさんに抱きつく。
「お願いね!」
「任せて。だけど普段とは別の動きしてたらバレちゃうからここからはいつも通り。できる?」
「もちろん!」
「ジャン君は中から見えない位置で窓のそばにいて。いつでも追いかけられるように」
「わかりました」
僕が追い込んで昨日パトリシアさんが呼んでいた
息を潜めて窓の下に座り込んだ。
〜〜〜〜〜〜
眠気に耐えながら待っていると店の前に人が集まり始めた。窓の脇で軽く屈伸し、いつでも走り出せるように身構えておく。
「ジャン君!」
「!」
わずかに空いた窓の隙間から1匹のネズミが転がり落ちた。
そのまま着地地点に手を伸ばしたが、ネズミはどこからか羽の束を取り出し、鳥に変身した。
「っ、待て!」
飛ばれたら追いかけられない。諦めかけたその瞬間、甲高い鳴き声と共に鷹が飛び込んできた。
鋭い爪の掠めた小鳥は慌ててネズミに変身し、表通りに走ろうとする。
「行かせない…!」
低い姿勢で表通りへの道に立ち塞がるとネズミは反転して裏路地へ駆け出した。
「待て!」
裏路地とは言っても大通りに近いここはゴミが散らばってるわけでもない小綺麗な状態だった。
ネズミが入れるような隙間に行こうとしたところを先回りして追跡を続ける。
追いかけて数分──否、まだ十秒も経っていない。この裏路地をよく知るであろうネズミとの距離は縮められず、このままでは逃げられてしまうであろうことが察せられた。
このままでは下水道から逃げられてしまう。
「くっ…!」
焦りの声を漏らしたその時、曲がり角の先で待ち構えた鹿撃ち帽の少女が見えた。
「ジェーンさん!」
「作戦通り。よく追い込んでくれたね、ありがとう」
たかが少女と侮ったのか、ネズミが進路を変えることはなかった。
ネズミがジェーンさんの横を通り過ぎようとした時、ネズミがふらついたかと思えば膨らんで汚い外套の男に変わった。
「「!?」」
「捕まえた」
急な変化に対応できず転がる男をジェーンさんはどこからか取り出した縄で縛りつけた。
「放せ!【モースキン】、【モースキン】!」
「ふむ、毛皮を纏うことで動物に変身する異能、とかかな」
「あの、これは一体…」
口汚くジェーンさんを罵っていた男の口は猿轡を噛まされて言葉にならない音を出している。
「いきなりネズミが人間に変わって…?」
「説明してなかったね、これが私の契約精霊【グレイ=ニル】の異能だよ」
気絶させた男を引き摺って歩き出したジェーンさんはそのまま説明を始めた。
「『異能力者を人間に戻す』異能、私の周囲十数cmに入った異能力者は異能を使えなくなる上に代償を取り戻すの」
「じゃあそいつは…」
「変身系の契約者にはめっぽう効くよ。いきなり変化する身体についていけるのなんてほとんどいないし、急に戻った代償で混乱しちゃうからね」
自慢げに笑ったジェーンさんはふと考え込むような顔をした。
「ジャンくん、走る練習をしたことは?」
「ない…ですね。でも力とか身体能力は故郷の村で一番でした」
「関係あるのかどうか…あ、リリーちゃん!」
「ジェーンちゃん!大丈夫だった!?」
ぐるぐると確認してくるリリーさんをとめて持っていた縄を持ち上げた。
「犯人確保、警察を呼んでもらっていい?」
「さすが『異能探偵』!おとうさーん!」
バタバタと慌ただしくかけていくリリーさんに顔を見合わせて苦笑した。
〜〜〜〜〜〜
担当調査員:ジェーン・ドゥ
協力者:ジャン・ボイル
外部協力者:パトリシア
調査開始日:冠暦1926年10月07日
解決日:冠歴1926年10月08日
発生地点:東3番通り『ソルトン・ベーカリー』
依頼人:リリー・ソルトン(店舗従業員)
事件概要
東3番通りの老舗パン屋『ソルトン・ベーカリー』にて開店前に商品が継続的に盗難される事件が発生。
店舗側の施錠は徹底されており、犯行可能時間も極めて短時間であったことから、通常犯罪ではなく異能案件である可能性が高いと判断。依頼人リリー・ソルトンより相談を受け調査を開始した。
調査内容
現場調査により梁、窓枠に小型動物の移動痕を確認。
しかし、盗難被害にあった商品のサイズと重量から、一般的な小動物による犯行は不可能と判断、そのため「小動物へ変身可能な異能力者」による犯行であると推測した。
対象は小鳥など飛行可能な小型動物への変身も可能であると考えられ、通常の包囲では捕獲困難と判断。
以上を踏まえ、ブラウンラット所属のパトリシアへ協力を要請した。
同人は使役する鷹を周辺上空へ展開し、広域監視および逃走経路封鎖を担当した。
冠歴1926年10月08日4時58分、犯人を発見、追跡を開始。
犯人は変身状態で逃走を図ったが、鷹による低空威嚇で路地裏方面へ誘導される。そこをジャンが追跡し包囲。
最終的にジェーン・ドゥの異能を使用し、対象の変身状態を強制解除。成人男性の姿へ戻った直後に拘束した。
犯人情報
氏名:不明(黙秘状態。代償による発話障害の可能性あり)
異能:小動物の毛皮を纏うことで対象に変身する異能と思われる。
所持品より複数のネズミの皮及び小鳥の羽束を確認。
警察の取り調べにより、犯行目的は食料および金銭目的であったことが判明している。
所感
被害を受けていたのは、主にヴェスカリア産小麦を使用したパンだった。犯人の顔立ちや身体的特徴から、ヴェスカリア系の人種が高い。故郷の味を求めた結果だったのかもしれない。
無論、犯行が許される理由にはならないが、飢えや郷愁が異能犯罪の引き金になることは、今後も十分考慮すべきだろう。
ブラウンラットへの借りは増えてしまったが、リリー・ソルトンの笑顔に比べれば安いものだ。
報告者署名:ジェーン・ドゥ
〜〜〜〜〜〜
犯人を警察に引き渡した後、その日は事務所に帰って眠りいってしまった。
ただ起床時間が早かっただけで睡眠時間自体は大して変わらないというのにすっかり疲れ切っていた。
「まあ、見知らぬ土地だっていう緊張もあったんじゃない?」
「なるほど…」
たしかにそのストレスは大きいだろう。
先に起きていたジェーンさんに渡された報告書を読み、違和感もなかったのでそのまま返す。
「大丈夫、じゃないでしょうか。そういう報告書を書いたことも読んだこともないのでわかりませんけど」
「そう?そのうち簡単な案件は任せることになるし書けるといいな」
「練習しておきます…」
報告書はそのままバインダーに挟まれて本棚にしまわれた。
「そこの本棚の中身は全部報告書なんですか?」
「ここの段はそうだよ。ほとんどは師匠…先代のものだけど」
渡された分厚いファイルを開けば小さなもの探しから殺人事件の調査まで様々な事件とその解決までの過程が描かれていた。
「すごい人なんですね」
「そう、一昨年に私に跡を継がせてどこかに冒険に行っちゃったけど…今も元気だと思うよ」
ジェーンさんは柔らかい笑顔を浮かべてファイルたちの背表紙を撫でた。
「そうだ、昨日ジャン君が寝てる時にソルトンさんが来てね、『好きなパンを言えばいつでも焼きたてをご馳走してやる』って」
「本当ですか?」
「ほんとほんと。『時間帯と品によるが大体は対応できる…はず』とも言ってたけど」
「正直な方ですね…」
何でもと言われると色々考えてしまう。
「前回は事件のことだけで商品も見てないでしょ?一度見に行ってみようよ!」
「ぜひ行かせてください!」
立ち上がって上着を取りに部屋へ向かった。
一体どんなパンがあるのだろうとまだ見ぬ味に心を躍らせた。