持っている中で一番キレイな服を着て自室を出ると、ジェーンさんがクローゼットを睨んでいた。
「ジャン君、これ貸すから着て」
「綺麗なコート…いいんです?」
「師匠のだから気にしないで。丈は合わないけど少しは見逃してくれるはず…」
ジェーンさんは昨日からピリついていた。
「一応貴族の方に会うわけでもないんだからそんなに…」
「貴族街だよ?いつ会って不敬みたいな難癖つけられるかわかったもんじゃないんだから少しでも紛れ込まないと…」
一体何があったのか、聞きたいが聞いても碌なことにならない気がする。
濃紺のワンピースに小さな宝石の光るネックレスを付けたジェーンさんが気合を入れたように拳を握った。
「行くよ…!」
「え、その格好で乗合馬車に乗るんですか?」
「…だいじょぶだいじょぶ!周りなんて気にしてたら探偵業なんてやってらんないよ!」
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「すんごく注目されましたね…」
「…どうすればよかったんだろう…」
目的の貴族街の近くの裏路地で息をつく。
道中のあまりの注目度にジェーンさんは顔を赤くしている。
「…行くか。相手はわかってるよね」
「ヴァレンフォード家の
ヴァレンフォード家、三代前に貴族として認められた新興貴族であり、元は『ヴァレンフォード商会』という貿易商として名を馳せた大商人の一族だったらしい。財政難だった当時のアルビリオンに資金を提供したことで爵位を授かったが、様々な困難を越えて現在は過去ほどの財力もなく、よくいる商人貴族の一つらしい。
今回尋ねるのはその
ブラウンラットの本部で貴族本人ではないことを聞いた時の深い安堵の息には思わず驚いてしまった。
「…えっと、ヴォルフさんにもらった紹介状に懐中時計…ありますね。準備できました」
「行くよ…!」
意を決して貴族街に入ると、思っていたほど普段の街との違いはなかった。
比較的豪華な馬車が走っているし、道歩く人たちの服や顔も綺麗だったがそこにいるのは普通の人、という感じだった。
「へー…」
「ジャン君、あまりキョロキョロしないで…目をつけられるよ」
「誰に?」
ジェーンさんは僕を盾にして恐る恐る歩いていく。
「入り口から4つ目、右側…ここか?」
「…情報通りなら」
震える手で真鍮製のノッカーを叩くと、程なくして燕尾服を着た執事が出てきた。
「霧鴉探偵事務所の者です。こちら、ヴァレンフォード家…で間違いないでしょうか?」
後ろに隠れてしまったジェーンさんに代わって口を開いたが、情けないぐらい声が震えてしまった。封筒を渡すと軽い確認の後、頷かれた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらに」
よくわからない絵画の飾られた廊下を歩き、これまたよくわからない置き物の置かれた応接室に案内された。
「どうぞ、お掛け下さいませ」
「ど、どうも…」
恐る恐るソファに腰を下ろした瞬間、身体が深く沈み込む。
「うわ、このソファすご…」
「ちょっと、ジャン君」
隣のソファに座ったジェーンさんに肘で突かれた。
「え、ダメなんですか?」
「感想を口に出さないの」
口を塞いで扉が開くのを待つ。
「お待たせして申し訳ありません。ヴァレンフォード家家令のモーリスでございます」
「霧鴉探偵事務所のジェーン・ドゥ、です…」
「お、同じく霧鴉探偵事務所のジャン・ボイルです!」
白髪の老執事が入ってきたのを見て慌てて立ち上がる。
「お座りのままで構いませんよ。ヴォルフ君からの手紙は受け取っています。懐中時計を見つけて頂いた、と…」
「はい、こちら…です」
ハンカチに包んだまま差し出す。
ハンカチを受け取った彼は、確認して中身を撫で、胸に抱いた。
「確かに、私のものでございます。鎖だけが見つかったと聞いた時は、もうダメかと…」
「…その、」
貴族街にきてからほとんど口を開けていなかったジェーンさんが声を上げた。
「なんでそれを大切にしているのか、聞いてもいいですか?」
「構いませんよ。むしろ自慢したいぐらいです」
彼は懐かしいものを見る目で懐中時計を撫で、口を開いた。
「あれは、今から40年ほど前…当主がアルドリック様…先代だった頃の話です」
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あの頃、ヴァレンフォード家…いえ、グレイフォードは流行病によって荒れていました。
アルドリック様も先代当主が急死してしまい、当主としての自覚がないままに当主となりました。
当時、ヴァレンフォード家は貴族の末席に名を連ねたばかりであり、正直アルドリック様も商人としての才があるわけでもありませんでした。
目減りしていく資産、辞めていく同僚。あと少し時間があれば私も辞めていたかもしれません。
そんな時に運命の日はやってきたのです。
祖父の形見である懐中時計を壊してしまい落ち込んでいた私をアルドリック様が呼び出したかと思えば小さな包みを渡してくださいました。
私は忘れていましたがその日は誕生日、しかも懐中時計を贈ってくださったのです。
それで私は、生涯この方に仕えようと誓ったのです。
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「それから壊れても修理を続けましたが、部品の一つが生産終了となったのをきっかけに修理を諦め、ただのお守りとして持ち歩いていたのです」
「いい主人ですね。でも、その…」
「なんというか…」
「『その程度?』といったお気持ちでしょうか」
ジェーンさんと目を合わせ、素直に頷いた。
「そうですね。誕生日の贈り物として渡すものとして相応しかったとは言えないかもしれませんが…」
そう言って、彼は微笑んだ。
「あの時、私は見られていた、と言うことがどうしようもなく嬉しかったのです」
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担当調査員:ジェーン・ドゥ
ジャン・ボイル
調査開始日:冠暦1926年10月10日
解決日:冠歴1926年10月13日
依頼人:ノーラ・グレイン(店舗従業員)
依頼概要
東5番通りにある『カフェ・ブリックレーン』裏口付近にて発見された壊れた懐中時計について、持ち主を探して欲しいとの依頼を受け、調査を開始した。
調査内容
発見された懐中時計は細かな傷こそ見受けられたものの、全体的によく手入れされており、長期間大切に扱われていたことが推測された。
時計本体は約40年前に量産されていた安価な型であった。しかし内部機構のパーツには交換跡が見られ、修理を重ねて使われていたことが分かった。特に一部歯車は約10年前に生産終了となっている型であり、現状では修理を断念せざるを得なかったものと思われる。費用面だけで見れば新品を購入した方が安価であり、それでも使い続けていた点から持ち主にとって思い入れの強い品であった可能性が高い。
また、発見場所のすぐ近くにカラスの巣を確認。内部から港湾区域で使用されるタールの染み込んだロープの切れ端を発見した。これにより懐中時計は港周辺からカラスによって運ばれてきたものと推測した。
港で聞き込み調査を行っていた際、情報を求めてブラウンラットを訪ね、心当たりがあったのかヴァレンフォード家の紹介状を受け取った。
その後、ヴァレンフォード家家令のモーリス氏を発見、本人確認の結果、懐中時計の持ち主であることが判明した。
事情聴取によれば、ブラウンラットの定期視察中にスリ被害に遭い、その際に盗難されたとのこと。なお、スリ犯については既にブラウンラット側で対応済みであるという。
その後壊れた安物だったため捨てられ、その後カラスに拾われて発見場所まで運ばれたものと思われる。
懐中時計は先代ヴァレンフォード家当主より直接送られた品であり、壊れた現在でもお守り代わりとして携帯していたとのことだった。
所感
依頼達成の報告時、ノーラ・グレイン氏より高価な茶葉を頂いた。
まだ自分では上手く淹れられる自信がないため、もう少し練習を積んでから飲もうと思う。
報告者署名:ジャン・ボイル
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懐中時計の秒針を睨み、ぴったりのタイミングでポットから紅茶を注ぐ。
「うん、いいんじゃない?初めてとは思えないぐらい」
「何度も修正しちゃいましたけど…」
報告書には修正液のシミが多く残っている。
報告書を置いてカップを持ち上げたジェーンさんは一口飲んで目を丸くした。
「美味しい」
「…前の茶葉と同じなんですけどね…」
少し蒸らし時間を意識しただけでここまで変わるとは思わなかった。
「新しい懐中時計、どう?」
「安いやつですけどあるのとないのじゃ全然違いますね。モーリスさんほど、とまで言わなくても大切にしようと思います」
依頼の報酬と貯蓄で買った懐中時計は安物ではあるものの、キチンと手入れすれば数年は使えるらしい。
ふと、日が翳ったのを見て窓を見ると霧が出てきていた。
「…また、霧が濃くなってきたね」
「はい?」
「ジェーンちゃん、ジャン君、ノーラちゃんからケーキをいただいたの。一緒に食べない?」
「本当ですか!ぜひ頂きます!」
階下からのハドリーさんの声に応えて立ち上がる。
「ジェーンさん?」
「…うん、なんでもないよ。一緒に貰った紅茶も淹れる?」
「そっちはもっと練習を積んでからで…」
甘いクリームの味を想像して、舌なめずりをして階段を下った。