その日、東区はいつもより騒がしかった。
ごく細い下水道の一つから流れる水が赤く染まっていた、という情報は瞬く間に広がり、不安を広げていた。
「エドマンドさん」
「ジェーンか。そいつは…」
「私の助手、ジャン・ボイルくん」
「ジャン・ボイルです。探偵助手をやらせてもらっています」
現場を封鎖していたトレンチコートに中折れ帽の警察の男に挨拶をすると、ジェーンさんの知り合いらしくそのまま案内してくれた。
「お前が例の…俺はエドマンド・ハロウ。東区管轄の警部だ」
「師匠の助手をやってた頃から面倒を見てくれててね。顔は厳しいけど優しい人だよ」
「やかましい」
現場の下水道は既に綺麗…ではないが普通の流れを取り戻していた。
「今朝、近隣住民から異臭と赤い水が流れていた、と言うことで通報があってな。現在下水道の奥を調査中だ」
「まあ、『
「ここ一週間動きが無かったかと思えばいきなり下水道か…動きが読めんな」
難しそうな顔で話し合っている内容に知らない単語があった。
「『ミスト・リッパー』ってなんですか?」
「知らんのか?」
「…ああ、彼は『
「ちょうどその時だったか。運が良かったな」
労うように肩を叩かれ、なんとなく彼の優しさを感じた。
「大体…半月前からかな、グレイフォードを荒らしてる神出鬼没の通り魔でね。霧の濃い夜に現れて道ゆく人を鋭く大きな刃物で切りつけて殺してる」
「…それってあの夜の…」
「そう、あの日に解決できれば良かったんだけどね…」
てっきりあの事件はジェーンさんが解決したものだと思っていた。確かに解決できなかった事件を嬉々として話す探偵はいないだろう。
「ジェーンから容姿の情報は得られたがそこから進行することはなくてな…手詰まりになっていたところにこの事件だ」
「警部!奥で複数の複数の分割された死体を発見しました!頭部の数から10人以上の被害が確認されています!」
ガソリンランプを持った警官達の報告に目を見開く。
10人以上、両手で数えられないような人が殺されている。現実味のしない報告だった。
「まだ奥に犯人がいる可能性がある!慎重に運び出せ!」
「はい!」
エドマンドさんも驚いたようだが冷静に指示を出した。
「来てもらって悪いが、まだ『異能探偵』の仕事はない。得られた情報は後ほど共有するから今は帰るといい」
「そう、だね…」
暗い顔をしていたジェーンさんは頬を軽く叩き、意識を切り替える動きをした。
「私も色々調べて近いうちに解決できるようにするね」
「…無理はするなよ」
「もちろん」
事務所へと歩いていくジェーンさんを追いかけると、後ろから声をかけられた。
「ジャン、ジェーンを頼む」
「…はい!」
〜〜〜〜〜〜
並んで無言で帰路を歩く。
霧鴉通りに入り、事務所が見えると、見知らぬ男が近くの塀に寄りかかっていた。
分厚い手袋をした労働者のような、紳士のような男だった。
「ジェーンさん、」
「ん…あ、」
肩を叩いて知らせると、ジェーンさんは彼を見て目を輝かせた。
「ゲイル!情報は!?」
「初手でそれか…まずは入れてくれ」
紙袋を持った男は、苦笑して扉を指差した。
「彼はゲイル・ハーゲン。ブラウンラットのリーダーだよ」
「お前がジャンか。パットとヴォルフから話は聞いている。適度な付き合いを頼むよ」
「よろしくお願いします…」
ギャングのリーダーとは思えない優しそうな目をした青年だった。
「茶はいい。向こうで買ってきた資ry─はあ」
ソファに腰掛けて差し出された紙袋をジェーンさんがふんだくる様に奪った。
「ありがと、話は聞いてる?」
「昨晩
夜間外出禁止令…元々夜に出歩くつもりもなかったせいで完全に忘れていた。
「だからだったんだ…」
「ん?とりあえず経緯を説明しとくか。ジェーンはそのまま読んでろ」
足を組んでこちらを見た。
「知っての通り、ジェーンは異能探偵として異能関連の事件には敏感でな。『
「なんでギャングのリーダーに?」
「ハハっ、全くもってその通りだ。ただまあ裏の情報源はジェーンよりあるからな。色々辿った結果、ヴェスカリアの方にそれっぽい契約者がいる、と情報を得られた」
ヴェスカリア、アルビリオン王国の南東にある国だ。ピッツァやパスタで有名だったか。
「諸事情で直接行って得られた成果がそれだ。手に入るまでマフィアを潰したりうまいパスタ屋を見つけたりと色々あったがまあ、有意義な旅だったな」
「マフィアを潰したのと美味しいパスタ屋が同列なんですか…?」
常人とはズレた何かを感じ、少し距離をとる。
「で、得られた情報だが…正直意味はないだろうな」
「…そうだね、それらしい弱点もなし。というかそもそも本人かも分からないし」
投げ出された資料を拾い、読んでみる。
「フォグ・ネビア…
「偽名だろうな」
『サン・ヴェルトーラの死神』『霧刃』の異名で知られる契約者だったらしい。様々な暗殺によって名を上げていたが3年前に消息不明…
「この人が犯人なんでしょうか」
「一致する部分は多い。まず容姿、『目元を布で覆った180cmほどの男』だったらしいが…」
「私が見た
「『霧を操る』異能を使っていたらしいが、これも犯行時に異様に濃い霧の正体として説明がつく」
「じゃあ…」
「だが動機が薄い」
ゲイルさんは背もたれに身を傾け、ため息をつく。
「複数のマフィアを一晩で壊滅させるような暗殺者がただの
「自己アピールとかの可能性もあるけど、その場合名前が知られてない今の状態じゃ意味がない」
「「はあ…」」
揃ってため息をついて固まってしまった。
「と、ここまで話したが情報は正直必要ない」
「え?わざわざヴェスカリアまで行ったんじゃ…」
「頼んだ時は必要だと思ったんだけどね…
「居場所もわからない現状じゃな」
「「はあ…」」
口を開いたかと思えばまたため息をついて固まった。
「…その、下水道とかじゃないでしょうか。昨晩の被害も、神出鬼没なのもそれで説明がつきます」
「うん、そう言う考察もあるっちゃある。警察もその線で調べてるし」
「が、それにはグレイフォードの下水道が厄介でな…」
三度目、またため息が揃った。
「長い歴史の中で下水道を広げてきたせいでまともな地図がない」
「しかもそこを拠点にしてる武装反社組織が複数いる。おかげで調査が進まない進まない…
頭を抑えた彼は不意に立ち上がった。
「また後日連絡する。いつでも戦えるように準備しておけ」
「わかった。ゲイルも?」
「旦那様の店の従業員も巻き込まれているからな。人ごとじゃない」
「何人出せる?」
「相性が悪い、俺だけだな」
「そっか…情報ありがとう、またね」
「ああ、これ土産のチーズだ。ハドリーさんに渡してくれ」
包みを置いて部屋を出る彼を見送った。
ジェーンさんは少し考え込んで机の棚を漁る。
「ごめん、ちょっと用事で出ていく。留守番よろしく」
「わかり、ましたけど…なんの用j」
聞く間も無く事務所を飛び出して行った。
「…焦ってるな…」
彼女は一週間程度の付き合いでもわかるほどに焦っている。
「僕に、できること…」
助手として、彼女の、探偵の役に立ちたいと思っても何をすればいいのかわからない。
一人の事務所に柱時計の音が虚しく響いた。