マシュ・キリエライトの歪んだ初恋   作:九咲

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第十三話「ベリルの影」

 

 

――その頃外の世界(汎人類史)は文字通りの地獄と化していた。

 

『人理の怪物』と化した藤丸立香との横に這い寄る闇の娘リリスは、シャドウ・ボーダーを駆って真っ白な虚数の海を突き進んでいた。ロシアの凍土、北欧の炎、中国の理想郷。彼らは生き残るという大義名分のために、それぞれの世界に生きる無辜の民を、悲鳴ごと冷酷に踏みつぶし続けている。藤丸は血を流して心を摩耗させ、リリスはその絶望(よる)を甘やかな麻薬で満たしていた。

 

 

 

だが、そんな血生臭い人類絶滅戦争の気配など、この第8異聞帯『神聖拒絶箱庭(ロード・マイルーム)』には、ただの1ミリも届きはしなかった。

 

 

 

「――っ、あ、は、先輩……そこ、は、データの同期が……熱い、です……」

 

 

薄暗いが至高の魔力で満たされたコントロールルームのソファの上。純黒のドレスの裾を乱れさせ来栖紅音の胡坐の間に完全に背中を預けたマシュが掠れた甘やかな吐息を漏らしていた。

 

彼女の白い肌を侵食する黒い変異血管は、神代の真エーテルと完全に調和しどす黒くけれど極上の絹のように艶やかに脈打っている。

 

紅音は死んだ魚のような目で手元の裏端末のキーを叩きながら空いた片手でマシュの藤色の髪を支配の温度を教え込むように少し強めに撫し回していた

 

「我慢しろ、マシュ。藤丸くんたちが第3異聞帯(中国)を滅ぼした余波で虚数空間の出力が少しブレているんだ。……ほら、私のプログラミングを身体に馴染ませろ」

 

「はい……あかね、先輩……っ。嬉しい、です。……あの人たちが世界を救うために必死に血を流している、私はこうして先輩の腕の中でただ甘やかされて壊れたお人形のまま生かされている……」

 

マシュは恍惚の涙を流しながら紅音の白衣の裾を白くなるまできつく握り締めた。

 

その時虚数を巡る暗黒の根――『空想樹:ピュクシス』の外壁から、不快な電子ノイズがパチパチと室内に混ざり込もうとした。

 

【よぉ、来栖くん。マシュをずいぶんと可愛く使い潰してくれてるみたいだね。頭撫で回されて蕩けてるマシュのバイタルデータ、俺にも分けてよ。……それとも、俺が今からその箱庭のドア壊しに行ってあげようか?】

 

ブリテンの妖精國に潜むクリプター、ベリル・ガット。

かつてカルデアの無菌室でマシュを「壊そうとして壊せなかった」未練に塗れた快楽殺人者がねっとりとした殺意を通信越しに響かせてきた。

 

「ベリル・ガットか。……相変わらず他人の庭を荒らすことしか脳のないハイエナだな」

 

 

 

「そんなにマシュを私にとられたのが気に食わないのか?」

 

【はっ…?】

 

触れられたくない地雷にベリルの声音が変わる。ああ、やはり本音か。

 

 

「マシュに選ばれたのが私でマシュに興味をもたれなかったのが君だろう?ベリル?……ただの負け犬じゃないか」

 

紅音は死んだ魚のような目でタバコを咥え冷え切った指先でキーボードを高速で叩いた。魔術も力もない。だが、カルデアのすべての禁忌データを握り、虚数の底に異聞帯を創り上げた紅音のクラッキング技術。空想樹のバックアップ、聖杯のリソースで底上げしたギフトは堅牢なブリテンの防壁をも打ち破る。

 

「マシュ、セキュリティの権限を最大に。……ベリルの裏回線のログを逆探知して妖精國のモルガンの玉座にへ『不審な反逆ログ』として偽装転送しておいた。あいつは今頃、自分の世界の女王様に手痛いお仕置きを喰らっている頃さ」

 

「ふふ、さすがはあかね先輩……。本当に手際の良い、大好きな嘘つきの神様」

 

マシュは嬉しそうにクスクスとドロドロとした歓喜の笑みを漏らし紅音のビジネスシャツの胸元を狂おしい強さで握り締めた。

 

「あの人……あのカルデアの無菌室で私に汚い視線を向けていた害虫。あの方の押し付ける歪んだ愛なんて先輩のくれる冷たい檻の足元にも及びません。私は先輩の嘘の中で、ただ甘やかされて息をしていればいいのですから」

 

「ああ。外の世界でベリルがどれだけ狂気を気取ろうが、藤丸くんがどれだけ血を流しようが、私たちの不実の檻は誰にも侵せない。……さあ、邪魔者が消えたところで、彼らの世界(汎人類史)が破滅していくゲームの続きを始めようか」

 

 

紅音はベリルの回線を完全に遮断するとマシュの細い顎を引き上げ、世界の崩壊を告げる甘やかな泥を再び貪り合うのだった。

 

 

クリプターの悪意すらも二人の退廃的な愛の燃料として消費され、第8の異聞樹『空想樹:ピュクシス』は誰の侵入も許さない絶対の暗闇としてその根をさらに深く虚数へと下ろしていくのだった。

 

 

 

 

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