それは第8の異聞樹「空想樹:ピュクシス」がバリバリと赤黒いノイズの火花を散らし空間のすべてを暗闇に塗り潰そうとしていた時のことだった。
強行突入を完了したシャドウ・ボーダーのハッチが開き、仄暗い広場の中央でかつての相棒同士、して世界の可能性を巡る二つの陣営が完全に視線を交錯させた。
すべての装甲を漆黒の狂気で満たした【フルアーマーマシュ】と、その横で他罰の爪を研ぎ澄ますリリス。
そして、命の炎をこれでもかと薪にくべ、死人のように干からびた目で立つ『人理の怪物』藤丸立香。
マシュが右手から不気味に明滅する『不実を刻む拒絶の黒剣』を静かに引き抜いた、まさにその刹那だった。
広場の中央、空間そのものをクラッキングするようにコントロールデスクに腰掛けた来栖紅音の巨大な立体映像が強制的に割り込んできた。
『待ちなよ、藤丸くん。互いに怪物の真似事をする前に、少しだけ、前世のプレイヤーとして君に聞いておきたいことがあってね』
紅音は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま冷め切った目つきで藤丸を見下ろした。その表情には自分の底無しの醜さを知っている、いつもの自嘲だけがある。
「来栖……。汎人類史を拒絶したお前いまさら何を聞くことがあるんだ」
藤丸の声は低く凍りついていた。マシュへの届かない淡い恋心も紅音への猛烈な嫉妬もすべてを殺意に変えた男の、乾いた声。
『君はこれから、リリスを新しい相棒にして、私のマシュ(標本)を剪定し、汎人類史を取り戻すつもりだろ? ……だけどさ、君が血を流して取り戻そうとしているその世界は本当にマシュが望んだものなのかい?』
紅音は皮肉げに口元を歪め、キーボードを一度
叩いた。モニターにかつてカルデアでロマニたちがマシュに向けていた「優しい嘘(綺麗事)」のログが流れる。
『君たちはマシュに普通の女の子の未来を生きろと急かした。生きて、外の世界の綺麗なものを見ようと、美しい呪いを押し付けた。だけど、細胞が摩耗して20歳まで生きられないデザインベビーの彼女にとって、れは自分の死(絶望)から目を背けさせるだけの一番残酷な拷問だったんだよ。君の言う正義(ひかり)は、ただの独善的な押し付けだ』
「うるさいわよ、このクズ男が」
藤丸の前に一歩出たリリスが黒い狂嵐を全身に纏わせながら、唇の端から牙を覗かせて嗤った。
「綺麗事だろうがなんだろうがアテシたちのマスターは、その想いを全部背負ってここまで命を削ってきたのよ。キリエライトだってそれを信じて盾を掲げていたはずじゃない。それをお前がそのセコいハッキングと泥の檻で洗脳して自分だけのお人形に作り変えたんだろ!」
このリリスは未来のサーヴァント。オルタと化してない本来の王道の藤丸立香のファーストサーヴァントとして自分と敵対したパラディーンと覚醒した大嫌いなマシュ・キリエライトを知っている。今目の前にいるただの人形と化しているマシュ・キリエライトも大嫌いだ。
未来の知識を元に相棒としてこのおかしい世界を一緒に踏破したただの女として目の前にあるおぞましい箱庭を嫌悪する。
ああ、未だに強がってはいるが未練がましい大好きなマスターを想って咆哮する。
「いいえ、未来のバグ」
マシュが冷酷にハイライトの完全に消えた紫の瞳をリリスへと向けた。
「先輩は、私の命なんてどうでもいいと言ってくれました。壊れるからこそ愛おしいと、私の短い死を、あの薄暗いカルデアの死角で、真っ直ぐに抱きしめてくれた。……人類の未来のために私を優等生としてすり潰すあの方たちと、自分のエゴのために私を使い潰してくれる先輩。どちらが私を『一人の女の子』として愛してくれているか、そんなの、最初から分かっていたことです」
マシュは紅音の立体映像を振り返りうっとりとした狂信的な笑顔を向けた。
「先輩。私、先輩の嘘の通りに世界で一番幸せな不健全なお人形になれました。だから……私から先輩を奪おうとするあのマスターの光を今度こそ完膚なきまでに叩き潰して差し上げます」
そのマシュの言葉を聞いた瞬間、藤丸の濁った瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出た。
かつて共に歩んだ、誰よりも守りたかった少女の口から放たれる、自分たちの旅路(正義)への完璧な全否定。
だが、藤丸の表情はピクリとも動かない。泣いているのは彼の「消え去った過去の心」であり、今の彼の肉体はただ目の前の異聞を圧殺するためだけの殺戮機械だった。
「……そうか。マシュ、君が俺たちの世界をそこまで拒絶するというなら」
藤丸の右手から、自身の霊基を薪として燃やす、かつてない規模の召喚魔力が爆発的に膨れ上がっていく。
「俺は、俺の信じる正義(みんなの想い)で、君のその歪な箱庭ごと……すべてを踏みつぶして進む。……来い、アルトリア・アヴァロン、異聞帯の王たちよ! 汎人類史のすべての質量を、ここにッ!!」
こいっキャスターっ!
「ハハ、最高だよ、藤丸くん。……さあ、マシュ。汎人類史のすべての輝きを、私たちの箱庭の肥やしにしてあげなさい」
紅音の冷酷なエンターキーの打鍵音とマシュの狂おしい絶叫。
お互いの「救われたかった絶望」が完璧に噛み合い、二度と引き返せない怪物の領域へと足を踏み入れた二つの陣営の、最悪で最高の【決戦前のやり取り】を経て、第8異聞帯の空のもと決戦の火蓋が落とされた。