マシュ・キリエライトの歪んだ初恋   作:九咲

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第十八話「水槽の底の走馬灯、滅びの泡沫の夢の跡」

 

――ガ、ギ、ギギギギギギギギギギギギギ!!

 

 

第8異聞帯『神聖拒絶箱庭』の広場で、フルアーマーマシュの極大他罰照射が藤丸立香の大量召喚した神々を因果ごと圧殺した、まさにその刹那だった。

虚数の底、絶縁されているはずの箱庭の「空間」そのものが、物理的な法則を完全に無視して、内側からバリバリと緑色に【結晶化】し始めた。

 

 

「……なんだ、これは」

 

 

最下層のコントロールデスクで来栖紅音はタバコを落とした。彼の死んだ魚のような目に、初めて本物の戦慄が走る。

 

前世の知識がある彼にとっても、人理が途絶え、世界の崩壊が始まったこのタイミングでの『これ』の覚醒は、完全に想定外だった。

 

 

南米の第7異聞帯――藤丸立香たちが辿り着く前にその星の終焉の具現は自ら目覚め、第7の空想樹ごと世界を貪り尽くして剪定させていたのだ。汎人類史という世界の防壁(安全弁)が二人の手によってへし折られたことで、星系最悪の侵略生物――究極の一(アルティミット・ワン)、蜘蛛の化身・ORT(オルト)が、今度は虚数の底に眠るこの箱庭へと、ただの生命(魔力資源)を貪るために這い寄ってきた。

 

 

「ギ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ――」

 

 

ORTが放射する宇宙の絶対的な暴力『侵略固有結界・水晶渓谷』の波動が、第8異聞帯の全領域を侵食していく。世界を救う大義名分も、二人の歪んだ初恋というエゴも関係ない。ただそこに存在するだけで世界を上書きする緑色の結晶の嵐。本来の藤丸達が相対する異聞帯のORTではなく本来のORT。それは存在するだけで世界を滅ぼす。異聞帯というスケールダウン、出力低下。だからこそ本来の藤丸たちはこの究極生物を打倒出来たのだ。

 

 

さらに、その暗黒の空を引き裂いて、もう一つの絶望が、本来の出力(神威)を取り戻して地上へと降臨した。 

 

 

「――愚かな人類、そして宇宙の害虫どもめ! この地球は、私の、地球(ロストベルト)だッ!!」

 

 

異星の神――U-オルガマリー。

 

 

7つの異聞帯を巡る人類絶滅戦争の勝者が誰であれ、世界を自らの理で満たすために、彼女は完璧な神としての出力を以てこの死星へと降り立った。

 

 

目覚めた星の怪物・ORT。そして、世界を我が物顔で統治せんとする異星の神・U-オルガマリー。

 

 

汎人類史を失い、冷たい水晶の墓標と化した白紙の地球の中心で、星系最強の二つの『絶望』が正面から激突した。

 

ドガァァァァァァァァン!!!

 

空間そのものが物理的に噛み砕かれ、因果の糸が分子レベルで引き千切られるような、次元の異なる破壊の波動。

マシュのフルアーマー形態の痛覚逆流システムなど、あれは『地球上のルール』でしかない。宇宙の絶対的な暴威の前には他罰の概念すら通用せず、二人の研究室も、マシュの不実の黒剣も、藤丸の残した泥の恋心も、その激突の余波だけで、ただの軽い紙屑のように、根こそぎ粉砕されて真っ白な無へと吹き飛んでいった。

 

地球が、滅びる。

 

 

型月世界のすべての可能性が、二つの怪物の喧嘩の余波によって、跡形もなく宇宙の塵へと還っていく――。

 

「――あ、は。あかね先輩。……また、私を見つけてくれたのですね」

 

 

 

 

 

アラームのうるさい電子音が響く、見慣れた、けれど決定的に違う四畳半のワンルーム。

来栖紅音――いや、ただの冴えない大学生であり、『FGO』のプレイヤーに戻った俺は自分のベッドの上で飛び起きた。

ORTとU-オルガマリーの激突に巻き込まれ、世界ごと粉砕されて消滅したはずの記憶。

だが俺の手にはあの白紙の地球でマシュの髪を撫でていた時の、冷たい感触が確かに残っていた。

 

 

「夢、か……? いや、違う」

 

俺は慌てて自分の手を見た。くすんだ赤髪ではなく、ただの黒髪。魔術回路もない、一般のカルデアスタッフでもない、ただのしがない現代のオタク。前世のいや、汎人類史(第0異聞帯)の向こう側にある「現実の世界」に、俺は強制的に逆転生させられていた。

 

 

画面を点けっぱなしのスマートフォンにはFGOのゲーム画面。

 

 

そこには藤丸立香が世界を救うあの綺麗事で満ちたメインストーリーがいつも通り表示されている。

 

 

「ハハ……本当に、何一つ残らなかったな」

 

俺はベッドに背中を預け、自嘲気味に笑った。

 

世界を裏切りドクターを騙しマシュを強奪してまで築いた第8異聞帯は星の怪物の前に一瞬で噛み砕かれただの火の粉となって消えた。俺の打算も、プライドも、すべてはただの泡となって消えたのだ。

 

――トントン。

 

その時、ボロアパートの薄い木製のドアが、硬く、小さな音を立てた。

 

心臓が跳ね上がる。深夜の3時。こんな時間に、俺の部屋を訪ねてくる人間などいるはずがない。

 

俺は吸い寄せられるように立ち上がり、ドアの鍵を開けて、スライドさせた。

 

「……あかね、先輩」

 

そこに立っていたのは、見間違えるはずのない、藤色の髪の少女だった。

 

戦場を血で染めたフルアーマーの重装甲でもない。この世界の、どこにでもある白いブラウスと紺のスカート。肌を侵食していた赤黒い変異血管は綺麗に消え去り、そこにあるのは、どこからどう見ても、普通の健康な人間の女の子の身体だった。

マシュ・キリエライト。

彼女もまた、ORTの破壊の余波によってこの「現実の世界」へ、ただの人間として逆転生していた。

 

「マシュ……お前、どうしてここに」

 

俺が愕然として声を漏らすとマシュはふわりとあの予備機材室で出会った時と同じ、底の知れない濁った瞳で微笑んだ

 

 

「はい。この世界の私は、もうすぐ死ぬデザインベビーではありません。心臓も、細胞も、何十年だって生きられる、とても健康な『普通の女の子』です。ドクターやマスターが望んだ通りの……欠陥のない、綺麗な身体」

 

マシュは一歩、アパートの狭い玄関へと踏み込み、ドアを背中で静かに閉めた。パタン、と鍵が閉まる音が響く。

 

「でも、あかね先輩。……私には、普通の女の子の幸せなんて、やっぱり1ミリも分かりません」

 

彼女は俺の胸へと、躊躇なく飛び込んできた。

抱きしめる力は、英霊の怪力ではない、ただの非力な少女のものだ。けれど、その指先は、俺の冴えない安物のシャツの裾を、あのカルデアの死角にいた頃と全く同じ強さで、白くなるまできつく、きつく握り締めていた。

 

「この世界のあかね先輩は、世界を救う知識も持っていない、ただの冴えない一般人ですね。魔術も使えない、戦う力もない、ただの無能な大好きな嘘つき」

 

マシュは俺の胸に顔を埋めうっとりと目を細めながら、恍惚の涙を流した。

 

 

「でも、関係ありません。世界がどれだけ変わろうと、私の身体がどれだけ健康になろうと……私の初めての感情(初恋)を壊して自分だけの『お人形』にしてくれたのは、あなただけですから。……ねえ、あかね先輩。また、この狭い箱庭で、私を飼ってください」

 

俺は、ふっと口元を歪めて笑った。

 

(ああ、本当に最悪で、最高だな、お前は)

 

ORTの降臨によって型月世界は完全に滅び、俺にはもう未来の知識(チート)は何の役にも立たない。ただの凡人として、これからこの退屈な世界で生きていかなくてはならない。

 

 

だけど、マシュは俺を彼女だけの「神様」の座から引きずり下ろさなかった。どれほど自分が無能になろうとも、どれほど世界が平和になろうとも、マシュの初恋はあの薄暗いカルデアの嘘の中でとっくに永久に固定(バグ)されていたのだ。

 

「いいよ、マシュ。ここには世界を救う光の主人公も、生きろと急かすドクターもいない。ただの狭くて薄暗い、二人だけの箱庭だ」

 

俺は彼女の柔らかい藤色の髪を、少し強めに、支配を思い出すように撫でた。

「ここで、一生、私の人形として暮らすといい」

 

「はい……! はい、あかね先輩……あかね、先輩……!」

 

マシュは俺の首にしがみつき、激しく、貪るように唇を重ねてきた。

 

 

汎人類史も異聞帯もORTもすべてを置き去りにしたその向こう側。

 

世界を裏切った最低の凡人と、その嘘に一生飼われることを選んだ最悪の少女の、どこまでも歪で、これ以上ないほどに幸福な、新しい『四畳半の日常』が、静かに幕を開けるのだった。

 

 

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