マシュ・キリエライトの歪んだ初恋   作:九咲

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第二話「真夜中の調律」

 

――深夜、午前三時十二分。

カルデア中央管制室を包んだあの赤黒い爆炎と人理焼却を告げる絶望の警報から、数日が経過していた。

生き残ったのは、素人の新米マスターである藤丸立香と、医療部門トップのロマニ・アーキマン、そして――技術局の片隅で死んだ魚のような目をしている一般オペレーター、来栖紅音。

 

昼間のカルデアは、人類の未来を救うという眩しすぎる大義名分のために駆動している。

けれど、すべての照明が落とされ、冷たい非常灯の青白い光だけが廊下を照らす真夜中、カルデアの機能は完全に死角へと沈む。

 

――トントン。

電子ロックされた紅音の自室のドアが、硬く、衣類を隔てたような小さな音を立てた。

ベッドに寝転びながら液晶端末を叩いていた紅音は、視線を変えずに手元のキーを一つ叩く。

 

「入っていいよ、マシュ」

 

 

スライドドアが音もなく開き、カルデアの支給用パーカーのフードを深く被ったマシュ・キリエライトが、滑り込むようにして室内に入ってきた。

 

彼女の足元は裸足だった。誰にも足音を聞かれず、誰の目にも触れずに、この部屋へ辿り着くための、静かな潜伏。

ドアが閉まり、再び強制手動ロックの赤いランプが点灯する。完全な密室の完成だ。

「……バイタルのチェックの時間だ。こっちへ」

 

 

紅音が淡々と告げると、マシュはフードを外し、慣れた手つきでベッドの端へと腰掛けた。

彼女の藤色の髪は、非常灯の青白い光を浴びて、どこか冷たい硝子細工のように見える。

特異点Fでの戦いを経て、マシュは英霊と融合し、デミ・サーヴァントとしての力を手に入れていた。表向きは人理を修復するための『最強の盾』。だが、紅音の持つ前世のゲーム知識(メタ知識)の通り、彼女の肉体はサーヴァントの強大すぎる魔力に内側から蝕まれ、その細胞は急速に摩耗を始めていた。寿命は、あと数年。第一部の終わりと共に、彼女の命の灯火は確実に消える。

 

 

「腕を出して」

 

 

紅音はベッドの横のパイプ椅子に座り、医療用のセンサーコードをマシュの細い白腕に巻き付けた。

 

 

端末に表示されるのは、劣悪極まりない細胞の劣化数値。本来なら、医療部門のトップであるロマニ・アーキマンが二十四時間体制で監視し、彼女の出撃を制限すべき、壊れかけのデータだった。

だが、紅音はキーボードを叩き、その真っ赤な警告数値を、流れるようなタイピングで『健康なデミ・サーヴァント』の万全な青いグラフへと書き換えていく。

 

 

「……よし。これで、明日の定期検診もドクターの目を欺ける。君の身体はどこも悪くない。明日も、藤丸の後ろについて前線へ行けるよ」

 

 

紅音が死んだ魚のような目で告げると、マシュの口元が、ぞっとするほど艶やかに、そして嬉しそうに綻んだ。

 

 

「ありがとうございます、あかね先輩。……ドクターには、絶対に言えません。私がもうすぐ壊れる本当のデータを見たら、あの人はきっと、悲しそうな顔をして私を戦場(ここ)から遠ざけるでしょうから」

 

 

マシュは紅音の白衣の袖を、細い指先できつく、白くなるまで握り締めた。

ロマニや藤丸は、マシュに「普通の女の子の未来」という優しい夢を見せる。生きて、外の世界へ行って、綺麗なものを見よう、と。だが、寿命という明確な限界を突きつけられているマシュにとって、その綺麗事は自分の「死」から目を背けさせる残酷な拷問でしかなかった。

 

 

「ドクターたちの前では、私は『人類の希望の盾』でいなければなりません。マスターを気遣い、健気に前を向く優等生。……でも、あの方たちの眩しい光の中にいると、私は息ができなくなるんです」

 

マシュのハイライトの消えた紫の瞳が、じっとりと熱を帯びた、底無しの執着の光を宿して紅音を見つめる。

 

 

「私を『壊れかけの可哀想な道具』として、私の短い命を『知っている』のは……このカルデアの中で、あかね先輩……あなただけです。先輩が私に嘘のデータを着せて、私の命を削って世界を救わせようとしてくれる時だけ、私は自分が、ただの『マシュ・キリエライト』として、先輩に消費されている実感が持てるんです」

 

 

「あぁ。君は世界を救う盾なんかじゃない。私の生存のために、私の目の前で壊れていく、俺だけの標本(お人形)だ」

 

 

紅音はわざと冷酷に言い放ち、彼女の握る手の上に、自分の手を重ねた。

自分には世界を救う覚悟も力もない。だからこそ、世界を救うための最強の兵器(マシュ)を、自分の言葉一つで依存させ、コントロールすることに、暗い支配欲を満たしていた。最低のクズと、最悪の道具。

 

「はい……。ですから、明日も戦場でたくさん傷ついて、流した血の数だけ、夜に先輩に私を調律(こわ)していただきます。……あかね先輩、大好きです……」

 

マシュは紅音の胸に顔を埋め、衣服越しに伝わる彼の冷え切った体温を、貪るように肺へと吸い込んだ。

明日になれば、彼女は藤丸立香の健気な相棒として、人理修復のために戦うだろう。

けれど、その戦いで磨耗した心を癒すのは、マスターの光の正義ではなく、午前三時のこの暗い個室で繰り広げられる、二人だけの歪んだ『共犯関係(調律)』だけだった。

 

 

 

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