ザー、ザー
秋の冷たい雨が古ぼけた木造アパートの窓硝子を激しく叩く音が、静寂の四畳半に規則正しく響いていた。
日曜日、午後二時。外の世界はまだ昼間のはずだったが、この部屋は、遮光カーテンによって外界のすべての光を拒絶された、完璧な暗闇に包まれている。
薄暗いリビングの万年床の上。
来栖紅音は、自分の胡坐の間に背中の真ん中まで滑らかに伸びた藤色のロングヘアを崩したマシュを座らせていた、見違えるほど豊満になった彼女の肢体が、紅音の身体の前にしっとりとした重さで沈み込んでいる。
「――ふふ。相変わらず、この世界の『マスター』は、眩しくて滑稽な道化ですね」
マシュは純白のブラウスの胸元を窮屈そうに波打たせながら、くすくすと濁った笑い声をあげた。
彼女の視線の先にあるのは、紅音が手元で起動しているスマートフォンの画面。液晶の淡い光が、ハイライトの完全に消えたマシュの紫色の瞳と、うっとりとした恍惚の顔を妖しく照らし出している。
画面の中で駆動しているのは、ソーシャルゲーム
『Fate/Grand Order』――彼らがかつて壊し、裏切り、あるいは世界の崩壊の底で置き去りにしてきた、あの世界の戦いの記録だった。
「あぁ。新しいストーリーでも、藤丸くんは相変わらず血を流しながら、異聞帯の無辜の民を世界ごと踏み潰して進んでいるよ。何百億もの命を間引いて、自分の心をボロボロに磨耗させてね」
紅音は死んだ魚のような目で画面をタップし、冷え切ったシステム屋の口調でシニカルに笑った。画面の向こうの主人公は、世界を救うという呪いに縛られ、ただの冷酷な殺戮機械へと成り果てていく。
「可哀想に。ドクターが命を懸けて守った未来の先で、あの人はただの怪物になっていく。……私を前線へ連れ出して、普通の女の子の未来なんて残酷な綺麗事を押し付けてきたみんなが、自分たちの選んだ正義の重さに押し潰されていく姿を見るのは、本当に……最高に清々しいです。マスターは何も知らずに、あの画面の中のお人形の私を信じて戦っているのですね。本当の私(ここ)が、世界を救う大義名分なんてどうでもよくて、こうして現実の狭いマイルームの中で、あかね先輩の経済力だけに扶養されて呼吸しているなんて、夢にも思わずに」
マシュは長く伸びた藤色の髪をサラリと揺らし、陶酔の涙を浮かべながら紅音の顔を見上げた。豊満になったその身体が、紅音の胸元にさらに深く縋るように押し付けられる。
「あの人たちがどれだけ血を流して正義を叫ぼうが、知ったことではありません。私をあの画面の中の偽物みたいに、世界のために使い潰したりしないで。私を、壊れた前提の可哀想なお人形として、もっと滅茶苦茶に消費して……っ」
「分かっているよ、マシュ。画面の向こうの藤丸くんには一生理解できないさ。世界を救うという光の呪いの裏側にある、この最高に不健全で、最高に甘やかな、二人きりの不実の檻の温もりなんてね」
紅音はスマホをローテーブルに放り出すと、マシュの細い首筋に手を伸ばし、その柔らかく豊かな藤色の髪を、自身の絶対的な支配を刻み込むように少し強めに撫し回した
。
「――っ、あ、は……あかね、先輩……! 先輩のその冷たい手が、私の一番安全な首輪です……っ」
マシュは恍惚の笑みを浮かべ、紅音の胸へと縋り付き、彼の冷え切った唇に、自身の甘い泥のような唇を激しく、貪るように重ねた。
外の世界では何百万人ものプレイヤーが世界救済の感動を消費しているが、その誰もが置いていかれた暗闇の底で、二人は汎人類史の残骸を最高の肴にしながら、どこまでも深く、甘やかに、二人きりの退廃的な休日に溺れていくのだった。