マシュ・キリエライトの歪んだ初恋   作:九咲

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閑話「観測者の独白」

 

ウー、ウー、と。遠ざかっていく救急車のサイレンの残響を、アパートの冷え切った四畳半の畳の上で聞きながら、来栖紅音は自分の拳をじっと見つめていた。

 

かつての俺ならマシュを自分の保身のための道具だと言い張りひねくれたクズの仮面を被り続けてこの状況すら他罰の燃料にしていただろう。だが彼女の命が消えかけたあの温度を知ってしまった今紅音は自分自身の胸の奥にある、最も格好悪くて最も純粋な【本当の気持ち】を認めざるを得なくなっていた。

 

 

なぜ俺はあそこまで執拗にマシュ・キリエライトという少女に固執したのか。

 

なぜ前世のしがないシステムエンジニアのオタクだった頃から俺は画面の向こうの彼女をこれほどまでに「熱狂的に推して」いたのか。

 

その理由は彼女が世界を救う健気なメインヒロインだったからではない。むしろその真逆だった。

 

 

 

前世の来栖紅音は何一つ成し遂げられないまま死んだただの有象無象の凡人(モブ)だった。どれほど足掻いても世界の中心には立てず誰の「特別」にもなれない。そんな虚無感に塗れながらスマートフォンの画面を開いた時、そこにいたのがマシュだった。

 

彼女はカルデアという無菌室で実験動物として生み出され自分の意思に関係なく短い寿命を決めつけられ世界の死角でただ静かに死を待っていた究極の「持たざる者」だった。

 

『世界は、こんなに美しいのですね』

 

ゲームの画面の向こうでどれほど残酷な運命を背負わされても、ただ無垢に世界を愛そうとしていた彼女の姿。

それを見た時前世の紅音は猛烈な救いを感じたと同時に、胸を締め付けられるような恋心を抱いたのだ。

 

(ああ、こいつは……俺と同じだ。世界の片隅に置き去りにされて、誰にも本当の意味で見つけてもらえない寂しいお人形なんだ)

 

それが俺がマシュを推していた理由のすべてだった。

 

俺はみんなの想いを背負って眩しく輝く藤丸立香(主人公)には絶対に感情移入できなかった。けれど傷だらけになりながら、自分の死(絶望)を誰にも言えずにただ盾を掲げ続けていたマシュの「孤独」だけは、前世の俺の、誰にも見つけてもらえなかった半生の寂しさと、痛いくらいに完璧にシンクロしてしまったのだ。

 

――だが、そんなマシュへの強烈な同調すらも実際のところは、俺の身勝手で独善的な「個人的な主観」にすぎなかった。

 

画面の向こうの本物のマシュ・キリエライトがどれほど孤独であろうとも彼女は決して世界を呪ってはいなかった。彼女の魂の根底にあるのは世界を救う大盾の英霊にふわさしい、どこまでも清廉で気高い「人理への愛」だった。彼女は暗闇を愛していたのではなく、光を掴むために必死に耐えていた。

 

 

それを、前世の俺は自分の都合の良いように歪めて解釈した。

 

「マシュも俺と同じように、世界を恨み、暗闇のなかで置いていかれた可哀想なお人形なんだ」と、自分の惨めな劣等感を慰めるための盾として彼女のキャラクター性を勝手に私物化し、主観の泥で塗り潰して消費していた。彼女の本当の気高さから目を背け、自分と同レベルの「可哀想な怪物」であってほしいと強く、強く呪いのように願っていた――それこそ、俺の歪んだ恋心の最も悍ましい正体だった。

 

転生してカルデアの予備機材室で彼女に出会った時、俺は「お前の短い命なんて、ただの残酷な話だ」と毒を吐いた。あれは、綺麗事を言えない俺のひねくれた性根のせいでもあるが、何より「マシュを、藤丸立香の眩しい光(世界救済)に連れて行かれたくない」という、最高に醜くて最高に必死な、俺の独占欲(エゴ)だった。

 

 

ロマニたちの言う「普通の女の子の未来」という光のなかにマシュが行ってしまったら、彼女はもう、俺と同じ「孤独なお人形」ではなくなってしまう。俺の届かない綺麗な世界へ行って誰かの特別になって俺のことを忘れてしまうのが死ぬほど怖かった。

 

 

だから俺は彼女の絶望を丸ごと抱きしめて俺の暗い泥の檻に閉じ込めた。

 

 

「壊れるからこそ愛おしい」なんて冷酷な言葉で彼女の心をバグらせて俺なしでは一分だって呼吸ができないように仕立て上げた。そうして「無能な自分」を彼女の唯一の神様(飼い主)にすることで俺はマシュをそしてマシュを通して自分自身の寂しさを、狂気的な手段で救おうとしていたのだ。

 

素直になれなかった臆病で無能な男の極限までひねくれ歪みきったマシュへの恋心の理由。

それは「世界で一番不完全なお前を世界で一番無能な俺だけのものにしたい」という、あまりにも不器用で、あまりにも一途な、ただ一つの純愛(執着)に他ならなかった。

 

「……お人形のままでいいなんて二度と言うな、マシュ。……俺はお前に幻滅されてもいい。大嫌いだと罵られても構わない。でもな、お前が俺と同じ寂しい暗闇のなかで呼吸の仕方も忘れて、惨めに腐っていくのを見るのは……それ以上の地獄なんだよ」

 

紅音はガタガタと震える自分の手を強く握り締め誰もいない四畳半の天井を見上げて、狂おしそうに呟いた。

俺がお前を「現実の世界(社会)」へ引きずり戻して、生かしてやる。

お前がどれだけ綺麗な世界を歩んで、俺の届かない場所へ行ってしまっても俺はお前2度とこの暗闇に閉じ込めたりしな、い。お前にはあの画面の向こうの偽物なんかじゃなくこの現実の社会で一人の普通の女の子として、最高に幸せになってほしい。

アパートの外から聞こえる冷たい冬の雨の音を、今の紅音は、静かにけれど揺るぎない決意を込めて聞き届けていた。

不器用な男の素直になれなかった本音。

 

 

 

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