「――少し、いいかい。来栖(くるす)紅音くん」
第一特異点「オルレアン」へのレイシフトが無事に成功し、中央管制室の慌ただしさがひと段落した頃。コーヒーカップを片手にしたロマニ・アーキマンに、紅音は呼び出された。連れて行かれたのは、主を失った前所長室。防音性の高いその部屋で、ロマニはいつもの締まりのない笑みを完全に消し、ひどく疲れた、そして冷徹な医者の目で紅音を見つめていた。
「単刀直入に言うよ。君、マシュのバイタルデータに、一般スタッフの権限を超えてアクセスしているね」
机の上にホログラムのアクセスログが展開される。そこには「来栖紅音」のIDが、深夜に何度もマシュの医療データ、それも細胞の摩耗率に関する核心的な部分へアクセスした痕跡が、生々しく残っていた
「……規律違反なのは分かっています、ドクター。ですが、私も生き残った数少ないスタッフの一人だ。彼女の体調が心配だったんです」
紅音は前世の知識を総動員し、心拍数を一定に保ちながら「ただの心配性な同僚」を演じた 。だが、ロマニは騙されなかった。彼はため息をつき、コーヒーカップを机に置く
「心配、か。ならどうして、君がアクセスした後に『データの不自然な平準化』が行われているんだい? まるで、彼女の細胞がこれ以上悪化していないように見せかけるための……意図的な改ざんのあとがある。僕の目を盗んで、君とマシュは何をしている?」
ロマニの言葉には、確かな怒りと、それ以上の「恐怖」が混ざっていた 彼はマシュを実の娘のように思っている。だからこそ、彼女の周囲で起きている異変に、誰よりも早く気づいていた。
「マシュの様子がおかしいんだ。藤丸くんと話している時は、確かに健気な、僕の知っているマシュだ。だけど、カルデアに通信を戻す時……彼女の視線は、メインスクリーンの藤丸くんの後ろ、君の座っている席のカメラだけを追っている」
ロマニは紅音に一歩近づき、その細い肩を強く掴んだ
「彼女の心臓の鼓動が跳ね上がるのは、戦闘中じゃない。君が通信で『よくやった、マシュ』と声をかけた瞬間だけだ。来栖くん、君は彼女に何を吹き込んだ? 彼女をどうするつもりだ!」
ロマニの必死の形相を、紅音は冷め切った目で見つめ返した。(お前は何も分かっていない、ロマニ・アーキマン)心の中でそう嘲笑う。お前がその命を捧げて世界を救う未来を、マシュが最後に盾として砕け散る未来を、俺だけが知っている。お前たちの「純粋な自己犠牲」の美しさに、
俺とマシュは最初から置いていかれているのだ。
「ドクター。私は彼女に、ただ『事実』を伝えているだけですよ」
「事実……?」
「彼女がもう長く生きられないこと。そして、あなたがそれを隠して、彼女に『普通の女の子の未来』という残酷な夢を見せ続けていること」紅音の言葉に、ロマニの顔から血の気が引いた 。
「彼女はね、ドクター。あなたの『優しい嘘』に息を詰まらせていたんだ。だから、私を選んだ。自分と一緒に地獄に落ちてくれる、歪んだ共犯者をね」
「君は……!」ロマニが拳を握り締めたその時、室内に緊急アラートが鳴り響いた。第一特異点からの緊急通信。メインスクリーンに映し出されたマシュの姿は、ジャンヌ・ダルクや藤丸の制止を振り切り、異様な執念で魔獣の群れを叩き潰していた
『――あかね、先輩。観ていますか』通信の向こうで、返り血を浴びたマシュが、カメラのレンズを――カルデアの紅音の席を、じっと見つめて微笑んでいた
『私はまだ、戦えます。あなたの嘘の通りに、私は……壊れていません。だから、私だけを、褒めてください……』その歪んだ初恋の告白を、ロマニは絶望の表情で聞き、紅音はただ、満足そうに目を細めていた 。