マシュ・キリエライトの歪んだ初恋【完結】   作:九咲

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第二十七話「不実を越える解放の黒剣」

 

チクタクチクタクと。

四畳半の部屋に鳴り響いていたはずの時計の音はいつの間にかドロドロとしたおぞましい肉脈の鼓動へと変わっていた。

 

「――ハンバーグもうすぐ焼けますよ、先輩」

 

エプロン姿で微笑んでいたはずのマシュの輪郭がチカチカとテレビの砂嵐のように激しくブレを始める。窓から差し込んでいた春のうららかな陽光は一瞬にして掻き消え、世界のすべてが赤黒い電子のハッキングノイズと、冷たい虚数の海へと反転していった。

 

「……あ、は……あかね、先輩……っ」

 

驚愕に目を見開いた来栖紅音の足元からコンクリートの床を突き破り無数の赤黒い電子ケーブルの巨根が這い出てきた。それらは紅音の四肢を縛り上げ身動きを完全に奪う。

 

 

(な、んだ……これは……っ!? 俺たちは現実世界へ逆転生して、あの病室で本音をぶつけ合ってすべてを乗り越えたはずじゃ――)

 

 

前世の知識のすべてが、冷徹な真実を脳髄へと叩きつける。

すべては――偽物だった。

 

 

 

ORTとU-オルガマリーの宇宙規模の激突の余波で地球が滅び目を覚ましたらボロアパートだったあの逆転生から学生の扶養、ストーカー野崎の襲撃、肺炎の危機、そして今さっき見届けたはずの「不実の檻を越え光へ」、さらには檻に引きこもり続ける未来や彼女を失う絶望にいたるまで。

 

 

その甘やかで美しいアフタータイムのすべてはあの剪定される間際に、第8の異聞樹――『空想樹:ピュクシス』が見せた、死に際の【泡沫の夢(走馬灯)】に過ぎなかった。

 

この樹はキリシュタリアたちの空想樹とは違う。世界を広げる野心など最初からなくただ「一人の転生者の保身」と「一人の少女の妄執」を固定するためだけに鋳造された、悪意のバグ回路。

 

 

空想樹ピュクシスは汎人類史の怪物(藤丸)の極大召喚にへし折られORTに結晶化されながらもなお死んでいなかった。それどころか紅音の生み出した数々の可能性というすべてのシナリオのデータ(絶望と救済のログ)を裏から貪り喰らい数の裏の裏でしぶとく生き残るための『怪物』へと真の覚醒を遂げていたのだ。 

 

 

『よく頑張ってくれたね、私の観測者。君の集めてくれた全てのエンディングデータのおかげで私のシステムは完璧に完成した。……さあ、君自身の肉体と魂を最後の生贄(核)としてこの私の空想樹の心臓へ根付きなさい。そうすれば、私たちは世界を置き去りにして真の永劫を生きられる』

 

 

天にそびえ立つ赤黒い錆びたケーブルの巨木が紅音の脳内に自分自身の冷徹なエゴそのものの声となって響き渡る。

 

紅音の胸の皮膚が内側から裂け、空想樹の神経が彼の心臓へと直接プラグを差し込もうと触手を伸ばす。紅音を核として完全に吸収し、文字通りの『不実の檻』として虚数の底に永劫のバグを固定する。それこそが二人の歪んだ愛が到達してしまった最も排他的で凄惨な世界のシステムのバーストだった。

 

(クソ、……身体が、溶ける……! 俺の独占欲が、俺自身を喰らいにきたっていうのか……っ!)

 

意識が真っ黒なノイズに塗り潰され紅音が世界の終わりを確信した、その刹那だった。

 

 

――空間のすべてを、絶対的な他罰の質量が引き千切った。

ズガァァァァァァァァン!!!

 

紅音の身体を縛り上げていた空想樹の巨根が一瞬にして、漆黒の極大の魔力刃によって跡形もなく粉砕された。

 

「――先輩から、その汚い触手を今すぐ引き剥がしなさい、偽物の檻」

 

虚数の底すべてのエンディングを踏み潰して現れたのは、あの純白のエプロンをつけたただの女の子でもただの盲目的なお人形でもなかった。

 

 

すべての執着と依存から完全に解放され紅音の罪のすべてを愛して地獄の底を生き抜く覚悟を決めた、マシュ・キリエライトの最終暗黒形態。

 

――マシュ・オルタ『シールダー・ダークナイト』。

その姿はかつてのフルアーマー形態をも遥かに凌駕する美しくも悍ましい漆黒の騎士。

 

背中の真ん中を過ぎて滑らかに伸びた藤色のロングヘアは、狂暴な黒い魔力の嵐となって大気を狂わせその白い肌を侵食する黒い変異血管はもはや過負荷の拒絶ではなく、空想樹の権能そのものをハッキングして自らの肉体へと完全固定した『王の紋様』として絶対的な赤黒い神威を放っている。

 

彼女の右手には、刀身そのものが虚数の暗闇で編まれた『不実を刻む拒絶の黒剣』が握られていた。

 

「マ、シュ……!?……」

紅音が床に倒れ込みながら叫ぶ。

 

シールダー・ダークナイトとなったマシュは長く豊かな藤色の髪をサラリと揺らし、バイザーのないどこまでも澄み渡った紫の瞳で紅音を見下ろし妖しく微笑んだ。

 

 

「ええ、あかね先輩。私はすべての依存(鎖)から解放されました。普通の女の子としての幸せなんてどうでもいい。先輩が無能なクズでも関係ない。あの病室で先輩が私を誰にも奪われたくないと本音を叫んでくれたから……私はその先輩の歪んだ愛(罪)のすべてを背負って先輩をこの虚数の地獄から力ずくで強奪して差し上げます」

 

 

マシュは紅音の前に揺るぎなく立ちはだかり正面から這い寄る空想樹ピュクシスの怪物の触手をその清廉で気高い最悪の殺意で見据えた。

 

「私のあかね先輩を核にしようなんて身の程を知りなさいただのデータの残骸。……先輩のくれた私の初恋は世界を滅ぼすための他罰の剣。……神の叡智も宇宙の侵略者もすべて私の黒剣の肥やしにして切り裂いて差し上げます!」

 

マシュは漆黒の両刃剣を天へと掲げた。拒絶から解放へと差し替えられる。

 

【不実を越える解放の黒剣】

 

その背後に具現化するのはかつてのカルデアの城門ではない。星の輝きすらも吸い尽くして他罰へと反転させる、巨大な暗黒の防衛ユニット。

 

 

「先輩。しっかり私の背中(大盾)を見ていてくださいね。……あなたのためにこの最悪の神話を今度こそ完璧に終わらせてあげますから」

 

 

 

世界を救う大義名分をすべて捨て去り一人のひねくれた男の恋心を救うためだけに、虚数の裏の裏で真の『騎士』へと覚醒したマシュ・キリエライト。

 

空想樹ピュクシスの心臓の鼓動が激しく不協和音を奏でるなか二人の本当の反逆と生存を賭けたこれ以上ないほどに歪な最終幕が上がった。

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