キャメロットが、堕ちた。
汎人類史を救うための聖なる旅路は、第六の特異点にして、かつてない最悪の『裏切り』によって完膚なきまでにへし折られた。
「あ、はは、……あははは」
薄暗い自室で、藤丸立香は、両手で顔を覆って狂ったように笑っていた。彼の瞳はどす黒く濁り、表情は死人のように動かない。
網膜に焼き付いて離れないのは、あの白亜の石畳の上での光景だ。
血を流して倒れる自分を一瞥もせず、独房から強引にレイシフトしてきたくすんだ赤髪の男――来栖紅音の胸へと、蕩けるような恍惚の笑顔で飛び込んでいったマシュの姿。
『先輩のいない汎人類史なんて、私にとっては滅びて当然の灰でしかありません』
初めての恋だった。いつかこの戦いが終わったら、普通の女の子としての未来を、一緒に歩みたかった。
だが、俺が彼女にかけていた「頑張ろう」という光の言葉は、ただの残酷な拷問でしかなく、彼女が本当に欲しかったのは、紅音の差し出した「壊れていい」という暗い泥の檻だったのだ。
マシュへの届かない淡い恋心。
自分を「神様」と呼ぶ少女を独占している来栖紅音への、腸が煮えくり返るような猛烈な嫉妬。
そして、最初から最後まで彼女の心を一ミリも救えず、ただの『光の暴力』で彼女の首を絞めていただけだった自分への、底無しの脱力感。
綺麗で物分かりの良い「主人公」の仮面を剥ぎ取れば、藤丸の内側は、醜い劣等感と恨み節だけでドロドロに焼けただれていた。
「――ねぇ、いつまでそうやって無様に泣いているわけ? 見苦しいわよ、マスター」
背後の暗闇から、鈴の鳴るような、しかし酷く冷ややかで狂暴な声が響いた。
マシュが去り、空席となった藤丸の「隣」を埋めるために召喚された、最悪のバグ。
本来の人理のシステムが機能不全に陥ったカルデアで、藤丸の『世界への、マシュへの、狂気的な逆恨み』に完全に呼応して這い出てきたサーヴァント。
遥か先の未来――人理定礎をより深く穿つはずの『奏章IV:トリニティ・メタトロニアス』において、人理の敵、絶対的な終焉を告げる闇の娘として藤丸たちの前に立ち塞がるはずの、終末のバーサーカー。
――嵐の女、リリス。
「いいじゃない、キリエライトなんて」
リリスは黒い狂嵐をその身に纏い、藤丸の椅子の背もたれにそっと、妖しく、細い腕を回した。
「あの娘は、あの冴えない男の嘘の中で、一生都合よく使い潰される標本(お人形)になることを選んだ敗北者よ。アテシはキリエライトみたいに健気にあなたを守ってなんてあげない。……だけどね、マスター。世界を救うという呪いに縛られ、心を摩耗させ、ただの殺戮機械になった今のあなたには、アテシのこの『嵐』が最高に心地いい麻薬でしょう?」
「……リリス」
藤丸が濁った目を向ける。その手のひらに、リリスは冷たい、しかし絶対の共犯を誓う細い手を重ねた。
「立て、マスター。アテシたちを独房の裏から嘲笑っているあいつらに、最高に凄惨な仕返しをしてあげなきゃ気が済まないわ。……次の特異点、神代のバビロニアへ行くんでしょう? あの泥まみれの初恋(箱庭)ごと、この世界を、汎人類史を、すべてアテシの嵐で噛み砕くために」
「ああ……。そうだな、リリス」
藤丸の口元が、冷酷に、歪に吊り上がった。
マシュを救うという生ぬるい感傷は、すべてこの泥の底へ棄てた。
これからの旅路は、人類を救うためだけのものではない。自分を裏切った二人の狂気を、その箱庭ごと完膚なきまでに圧殺するための、怪物の進撃だ。
「ロマニ(ドクター)、次のレイシフトの準備を。第七特異点――絶対魔獣戦線バビロニアへ向かう」
死んだ魚のような目で、しかし底無しの殺意を宿して藤丸がスピーカーへ告げる。
マシュ・キリエライトを失った『人理の怪物』と、未来の地獄から前倒しで降臨した『闇の娘リリス』。最悪で狂暴なコンビによる、復讐と再起の幕が、神代の荒野に向けて今、容赦なく開かれようとしていた。