紀元前二千六百年の神代、絶対魔獣戦線バビロニア。
カルデアから派遣された藤丸立香と嵐の女リリスを迎えたのは、砂塵の舞うウルクの荒野と、そして――汎人類史(ここ)の歪みを象徴するような、『最悪の敵の気配』だった。
「――っ、あ、は、先輩……重い、です、魔力が……っ」
ウルクの市街から遠く離れた、古い泥煉瓦の廃神殿。
その薄暗い奥底で、マシュ・キリエライトは床に膝を突き、激しく呼吸を乱していた。彼女の白い肌を侵食する黒い変異血管(令呪紋様)は、神代の異常に濃密な真エーテルを吸い上げて、どす黒く、そして悍ましいほどの熱量を持って脈打っている。
「我慢しろ、マシュ。神代の環境(データ)は君の霊基を無理やり『オルタ化』させているが、これで君の細胞の劣化は完全に止まる。……ほら、私を見ろ」
くすんだ赤髪の男、来栖紅音は、聖槍のハッキング端末を叩きながら、マシュの細い顎を強引に引き上げた。
彼の死んだ魚のような、冷め切った瞳。
マシュはその冷酷な全肯定の目に触れた瞬間、トロンとハイライトの消えた紫の瞳を潤わせ、うっとりとした恍惚の笑みを浮かべて紅音の白衣の裾をギュッと握り締めた。
「はい……あかね、先輩……。身体が、作り変えられていくのが分かります。ドクターたちが私に押し付けた『普通の女の子』の脆い肉体が、先輩の嘘(データ)の通りに、すべて黒く、拒絶の鎧へと染まっていく……」
キャメロットで獅子王と取引を交わし、汎人類史を裏切った二人の目的は、世界を救うことではなかった。
紅音の持つ前世の知識(メタ知識)の通り、キリシュタリアらクリプターによる『地球白紙化』の日は確実に迫っている。それまでに、マシュの霊基を完全に「異聞帯の怪物」へとオルタ化させ、紅音の生存を保障するための『絶対の箱庭(マイルーム)』を完成させること。そのためには、ウルクの王ギルガメッシュが持つとされる、あらゆる財宝の原典――とりわけ「不老不死の霊薬」のデータが、どうしても必要だった。
「先輩のために、私は神代のすべての命を拒絶する『他罰の盾』になります。……だから、最後まで私を騙して、お人形にしてくださいね」
マシュの背後に具現化する大盾は、もはや白銀の輝きを失い、すべてを泥へと還すような漆黒の城門へと変貌しつつあった。
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「――不快なノイズね。死に損ないの『お人形』が、神代の泥のなかでまだ健気に腐っているのかしら」
廃神殿の入口。
濃密な魔霧とともに、黒い狂嵐を纏った少女が、路傍の虫を蔑むような目をして現れた。
奏章IVの未来から、藤丸の逆恨みに呼応して前倒しで召喚された、終末のバーサーカー――リリス。
「リリス。マシュは……来栖先輩は、中にいるんだね」
リリスの横から歩み出てきた藤丸立香の姿は、キャメロットの敗北を経て、完全に『人理の怪物』へと成り果てていた。
マシュへの届かない淡い恋心、紅音への腸が煮えくり返るような猛烈な嫉妬、そして何も救えなかった自分への脱力感。そのすべてを泥の底へ沈めた彼の瞳には、かつての主人公の光など微塵もなく、ただ目の前の異聞(バグ)を圧殺するための冷酷な殺意だけが宿っていた。
「ええ、そうよ、マスター。アテシの嵐が、あの奥から漂う不実なデータの匂いに、嬉々として爪を立てたがっているわ」
リリスは「アテシ」という一人称の通り、奔放で、しかし破滅的な笑みを口元に歪め、背後の藤丸の手を少し強めに握り締めた。
「キリエライト。アテシはあなたみたいに健気にマスターを守ってなんてあげない。だけどね、今のマスターの絶望(よる)に寄り添って、あなたのその歪んだ初恋(箱庭)を世界ごと噛み砕いてあげるのは、アテシの『嵐』だけよ」
「……マスター。そして、未来のバグ(リリス)」
薄暗い神殿の奥から、純黒のドレスを纏ったマシュが、漆黒の大盾を構えてゆっくりと歩み出てきた。
彼女の片目は髪で隠れ、露出した紫の瞳にはハイライトが一切ない。その肌の変異血管は、神代の真エーテルと共鳴して不吉な赤黒い光を放ち、彼女の霊基が完全に『シールダー・オルタ』へと堕ちたことを証明していた。
「あかね先輩の生存の邪魔をする綺麗事(あなたたち)なんて、大嫌いです。……汎人類史の正義の数だけ、その業に焼かれて、消え失せなさい」
「ハハ、最高だよ、マシュ。……さあ、彼らの綺麗な世界(汎人類史)を、私たちの箱庭の肥やしにしてあげなさい」
最下層の端末から冷酷な指示を飛ばす来栖紅音。
神代の絶対魔獣戦線を舞台に、世界を救うためにすべてを捨てた『怪物(藤丸)』と、一人の男の嘘のために世界を裏切った『不実の盾(マシュ)』による、二度目の、そしてより陰惨な『他罰の決戦』の火蓋が、容赦なく切って落とされようとしていた。
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