キヴォトス観測記録 ——或る孤独な始祖帰りの受難——   作:Eveki.

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対策委員会編 第1話:砂漠の観測者

ステンドグラス越しに降り注ぐ柔らかな光。張り詰めた冷たい空気。

トリニティ総合学園、礼拝堂。静寂に包まれた後方席で、御堂レーヴェンは静かに目を閉じていた。

パイプオルガンの重厚な響きと、聖歌隊の透き通るような歌声が堂内に満ちる。

絶え間なく脳髄を這い回る未来のノイズが凪いでいく、彼にとって唯一とも言える安らぎのひととき。しかし、その静けさは長くは続かなかった。

 

不意に、左目が焼け付くような熱を持った。

眼帯の下――封じられた深紅の瞳『緋神眼』が、網膜へ強制的に凄惨な映像を焼き付けていく。

 

――吹き荒れる熱砂。

――飛び交う無数の銃弾。

――ヘルメットを被った暴徒の群れ。

――多勢に無勢。弾を撃ち尽くし、砂に膝をつく獣耳の少女たち。

 

「……っ」

微かな呼気とともに、レーヴェンは無意識に左目へ手を当てた。

呼吸が浅くなり、冷たい汗が背筋を伝い落ちる。

それは無数に存在する分岐未来の一つ。アビドス高等学校、対策委員会。彼女たちが抱える天文学的な借金と、迫り来る悪意。そして、その果てに待つ崩壊の予兆。

 

「御堂様?」

鈴の音のような声に振り返ると、シスターフッドの長である歌住サクラコが立っていた。彼女の憂いを帯びた視線が、レーヴェンの青白い顔と、左目を覆う手へと注がれる。

 

「顔色が優れませんね。また、ご無理をなさっているのでは……」

「いえ。問題ありません」

即答だった。

サクラコは小さく息を吐く。彼の口にする『問題ない』は、シスターフッド内において最も信用されていない言葉の筆頭だ。

 

「少し、出向くべき場所ができました」

「どちらへ?」

「アビドスへ。……このまま放置すれば、致命的な崩壊を招く可能性があります」

レーヴェンは立ち上がる。

ふらりと足元が揺れたが、誰にも悟られないよう瞬時に歩幅を調整した。睡眠時間は過去三日で五時間にも満たない。食事も栄養剤のみ。だが、立ち止まる理由など彼にはなかった。

 

「その選択は推奨いたしません。せめて休息を……」

「お気遣い感謝します、サクラコさん。ですが、見過ごせません」

 

誰かが泣く未来を観測した。

ならば、我が身を削ってでもその結末を書き換える。それが御堂レーヴェンという少年の、あまりにも不器用で愚直な生き方だった。

 

肌を刺すような熱風が頬を叩く。

キヴォトス南西に位置する広大な砂漠地帯。かつては豊かな自治区として栄えたアビドスは、今やその大半が砂に呑まれていた。

乾いた砂を踏みしめ、レーヴェンは歩を進める。黒を基調としたトリニティの制服は、この灼熱の環境においてひどく不釣り合いだった。

 

銃声が轟く。

視線の先、舞い上がる砂埃の向こう側。カタカタヘルメット団と呼ばれる不良グループの装甲車が、廃墟の陰に陣取る少女たちを包囲していた。

 

「くっ……弾が底を尽きそう! このままじゃ押し切られる!」

黒髪のツインテール、黒見セリカの切羽詰まった声が響く。

「ん。私がヘイトを稼ぐ。その隙にセリカは後退して」

銀髪の少女、砂狼シロコがアサルトライフルを構え直す。

 

絶望的な戦況。観測した未来の通りだ。

レーヴェンは静かに、自身の背に負った狙撃銃を引き抜いた。御堂家に伝わる旧式のライフル。装飾は一切ない、ただ正確に標的を撃ち抜くためだけに存在する機構。

 

呼吸を止める。

右目の蒼灰色が、冷徹に距離と風向を演算する。

 

――引き金を引く。

 

乾いた破裂音。

シロコへ向けて撃ち下ろされようとしていたヘルメット団の機関銃が、激しい火花を散らして弾け飛んだ。

 

「なっ!? どこから撃ってきやがった!」

突如の狙撃に混乱する暴徒たち。

間髪入れず、次弾、三弾。的確に敵の武装のみを破壊していく。致命傷は避ける。無力化に徹した、神業のような精密射撃。

 

「……増援?」

シロコが目を丸くして、弾道の飛んできた方向へ視線を向ける。

晴れゆく砂煙を抜け、レーヴェンは彼女たちの前に姿を現した。銀の髪が熱風に揺れる。痛々しい眼帯。戦場にあってなお静謐な佇まい。

 

「トリニティの……生徒?」

セリカが警戒と困惑の入り混じった声を上げる。

 

「初めまして。トリニティ総合学園、古代記録管理委員会の委員長を務めております、御堂レーヴェンと申します」

銃火の中で、深く、静かに一礼。

「この先、あなた方が極めて危険な状況に陥る可能性がありました。僭越ながら、加勢させていただきます」

「可能性? なによそれ、占いでもやってるわけ?」

「似たようなものです。……伏せて」

 

レーヴェンの声は低く、しかし絶対的な響きを帯びていた。

セリカが反射的に身を屈めた瞬間、彼女の頭上が先ほどまであった空間を、榴弾が通り抜けていく。後方の廃墟が轟音と共に崩れ落ちた。

 

「っ……!」

「指示を。私が射線を作ります」

レーヴェンの視線が、シロコたちの後方――タブレット端末を持ち、通信を繋いでいる一人の大人へ向けられた。連邦捜査部シャーレの『先生』。

未来の観測において、常にイレギュラーな輝きを放つ存在。彼がここにいる。ならば、最悪の結末は確実に回避できる。

 

『――君は、トリニティの』

通信機越しに響く先生の声。

「お気を付けください、先生。敵装甲車、三時の方向より増援が二機。約四十秒後に到達します」

『分かった。シロコ、セリカ、御堂くんの射線に合わせて前線を押し上げるよ!』

「ん。了解」

 

レーヴェンは再び銃を構える。

熱射病の初期症状。割れるような頭痛。極度の寝不足による目眩。

それらすべてを、彼は意識の奥底へねじ伏せた。他人の痛みには酷く敏感なくせに、自身の痛みは存在すらしないかのように振る舞う。

 

眼帯の下で、赤い瞳が静かに熱を放つ。

暴走する運命の歯車に、一本の楔を打ち込むために。

 

銃声が止む。

砂漠に再び静寂が戻った。逃げ去る装甲車の砂煙を見送り、レーヴェンは銃を下ろす。

 

「助かったわ。あんた、なかなかやるじゃない」

セリカが安堵の息をつきながら近寄ってくる。

「いえ。私はただ、後方支援を行ったまでです。あなた方の連携が優れていた結果に過ぎません」

礼を尽くして頭を下げる。

その瞬間、視界がぐらりと大きく揺れた。

 

「っ……」

「え? ちょっと、あんた顔色凄く悪いけど!?」

「大丈夫です。少し、立ち眩みがしただけですので」

即座に姿勢を正す。だが、その痛々しい強がりを見抜く大人が一人。

砂を踏む足音。先生が近づいてくる。

 

「御堂くん。君、最後に寝たのはいつ?」

「……三日前の夜に、三時間ほど」

「それ、寝てないって言うんだよ」

「知識としては理解しています」

真顔で返すレーヴェンに、シロコが横からすっとスポーツドリンクを差し出す。

 

「ん。水分補給、推奨。トリニティからアビドスまで、一人で来たなら尚更」

「ありがとうございます、砂狼さん。ですが、私よりも最前線にいた皆さんが先――」

「飲みなさいよ! あんた今にも倒れそうじゃない!」

セリカの怒声に近い、心からの叫び。

 

レーヴェンは少しだけ目を逸らす。人から心配されること、特に無償の好意や気遣いを受け取ることが、ひどく苦手だった。

 

「……頂きます」

観念したようにスポーツドリンクを一口含む。熱を持った身体に、冷たい液体がじんわりと染み渡っていく。

 

「未来は決まっていません。ですが、最悪の結末を回避する手段は、常に存在します。本日は、その一つを証明できたかと」

 

未来を読む者でありながら、決して未来を諦めない。

砂漠の熱風の中、銀髪の観測者は穏やかに、けれど確かな意志を持ってそう告げた。




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