キヴォトス観測記録 ——或る孤独な始祖帰りの受難—— 作:Eveki.
西日がアビドス高等学校の部室に長く、濃い影を落としていた。
換気の悪い室内は埃っぽく、窓の外からは風が砂を巻き上げる乾いた音が絶え間なく聞こえてくる。
御堂レーヴェンは、静かに右目を開けた。
強引な仮眠から覚めても、全身に鉛が流れているかのような重い疲労感は依然として残っている。しかし、彼は音もなくパイプ椅子から立ち上がった。部室には、デスクライトの明かりの下で書類に目を通す先生が一人残るのみだった。
レーヴェンが制服のポケットから端末を取り出すと、画面には『未読メッセージ:142件』の表示。
差出人は全て同一人物、トリニティ総合学園生徒会『ティーパーティー』ホスト・桐藤ナギサだ。
恐る恐る画面をスクロールする。
一件目の『本日の午後の予定ですが、どちらへ行かれたのですか?』という事務的な文面から始まり、件数を重ねるごとに感情は激化していった。
『シスターフッドのサクラコ様からお話は伺いました。すぐに戻りなさい』
『既読がつきませんが、どういうつもりですか?』
『位置情報を強制的に確認しました。アビドス自治区ですね? 正気ですか?』
百件目を超える頃には、言語によるメッセージは放棄され、『無』『断』『外』『出』という一文字ずつの威圧的なスタンプが、画面を埋め尽くすように連打されていた。
「……問題ありません。ただ、帰還後に私の寿命が縮む未来が、極めて高い確率で確定しただけです」
背後の気配に気づいた先生が顔を上げると、レーヴェンは感情の読めない顔でそう呟いた。
「自業自得です。私の独断での介入が、既にティーパーティーの知るところとなりました。ナギサさんからの通知が……想定を超えています」
その時だった。
――ドクン。
眼帯で厳重に封じられた左目、『緋神眼』が、突如として強烈な熱を放った。
網膜の裏側に、脳の処理速度を無視して強制的に別の映像が焼き付けられる。降り注ぐ冷たい雨、砲撃で崩れ落ちるアビドスの校舎、そして、冷たい鉄の檻の中で光を失いかける左右非対称の瞳。
「っ……、ぁ……」
レーヴェンは無意識に机の角を強く握りしめた。見えたのは、遠くない未来。
駆けつけたアビドスの面々が騒然とする中、彼は震える呼吸を強靭な精神力で抑え込む。
「申し訳ありませんが、私はこれでトリニティへ帰還します。……これ以上の無断欠席は、両校の不要な摩擦に関わりますので」
「御堂レーヴェン。君も、大変だねぇ。同学年として、同じ時代を生きる者同士……少しは肩の力を抜いたらどうだい?」
去り際、ホシノが何かを見透かすような瞳で問いかける。レーヴェンは立ち止まり、静かに視線を返した。
「……小鳥遊さん。自己犠牲は、決して美しいものではありません。……同じ年だからこそ言いますが、一人で抱え込みすぎないでください。あなたが思っている以上に、周囲はあなたを必要としています」
部室に残った先生は、アロナに照会させた『古代記録管理委員会』の機密情報を皆に見せた。
『始祖帰り』、『未来視の魔眼』、『御堂家』。
明かされた真実に、生徒たちは絶句する。
「自分を犠牲にしてまで、誰かの未来を守ろうとする……なんて、不器用なやつなのよ」
「ん。放っておけない。私たちが彼を助ける番」
ホシノはショットガンを肩に担ぎ、窓の外を見つめた。
「そうだねぇ。あんな不器用な同学年を放っておくなんて、アビドスの名折れだよねぇ」
トリニティへ帰還したレーヴェンは、ティーパーティー執務室でナギサの冷徹な追及を受けていた。
ナギサは紅茶に手を触れることさえせず、冷たい眼差しを突き刺している。彼女の苛立ちは、セイアの襲撃という「トリニティ最大の危機」に端を発していた。
「古代記録管理委員会委員長という要職にありながら。護衛の一人もつけず、私への報告も一切なしに。あろうことか、最もきな臭い紛争地帯であるアビドス自治区へ単独で介入されたと。……素晴らしい行動力ですね」
「申し訳ありません、ナギサさん。急を要する事態でした」
「……それと」
レーヴェンは視線を真っ直ぐに向け、静かに告げた。
「シャーレへの所属を受諾しました」
その報告に、ナギサの手が止まる。同席していたミカは呆れつつも、少しだけ安堵の表情を見せた。
「レーヴェンが自分で決めたならいいんじゃない? 先生って人がどんな人か知らないけど……まあ、レーヴェンの言うこと聞いてくれるなら安心かもね」
ミカの悪気のない言葉を聞きながら、レーヴェンは胸に込み上げる吐き気を必死に飲み込んだ。
執務室を出て、石畳の廊下を歩く。
トリニティの夕景の裏側で、彼だけが知る真実が重くのしかかる。
セイアの襲撃。ナギサの疑心暗鬼。そして、その全てを引き起こしたミカの罪。
ミカがアリウスを招き入れた事実も、昏睡状態のセイアの現状も、彼はすべて観測していた。
(……ミカさんがアリウスと繋がっている以上、これを告発すれば内戦は避けられない)
粛清を恐れるナギサ。罪悪感に沈むミカ。そして、今はまだ静かに『時』を待つセイア。
全員を救うための最善の未来。それは、彼一人だけが地獄のような重圧を抱え、全てを偽り続ける道だった。
「……大丈夫です。まだ、間に合う可能性はあります」
誰もいない冷たい廊下で、銀髪の少年は静かに呟く。
同い年のホシノが笑う平和な砂漠とは対照的に、彼は権謀術数渦巻くトリニティの暗部で、一人ぼっちの観測者として歩み続ける。
たとえその先が地獄であっても、彼がその瞳を閉じることはない。
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