輝くもの《リルメナ》   作:羽口カラス

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 ほどなく出来上がった靴を履き、店主に礼を言ってその場を去る。最後に「頑張れよ」と、変な激励までされてしまった。

 そうしてリッカが市場を出る頃には、周囲は夜かと思うくらいの暗さになっていた。とはいえ、まだ日没の鐘は鳴っていない。この辺りは西の城壁が近く、太陽がすぐ見えなくなるためだ。

 ヤバい、もうこんな時間。

 だがその薄暗さがリッカを焦らせた。日没の鐘は修道兵院の門限であり、それを破ると長さに応じた罰金が科される。怒られないために靴を補修しに行ったのに、それが原因で怒られてしまうだなんて本末転倒だった。

 仕方ない。リッカはそう思って大通りを右に逸れる。

 入ったのは薄暗い裏路地。川向こう(デルクナ)と呼ばれる治安の悪い地域を貫く道で、恐喝なども度々発生している通りだが、修道兵院へはこちらが近道だった。

 路地の前でしばし立ち止まる。

 目の前の路地はあまりに暗く、目をこらしてようやく先が見通せるほどで、もちろん普段は通らないようにしている。だが今は急いでいるし、何より剣士が暴漢を恐れるだなんて、もっての(ほか)だった。

 リッカは腰に帯びた剣の柄に手をそえると、足早に歩き出す。ここは二階建ての建物がすぐ両脇にそびえているため日当たりが悪く、空気も大通りのそれよりずっと冷たかった。

 そんな路地裏の、ちょうど四分の三あたりを過ぎた頃。なんだ。案外何もないじゃない。リッカがそう思い始めた頃だった。

 正面の屋根の上で、光が瞬いた気がした。

 周囲を警戒していたリッカは眉をひそめる。何だろう? そう思った直後、プラウの言葉が頭をよぎった。

――何人か殺されて物も取られたのに、その場から逃げられてまだ捕まってない

 背筋にうっすらと冷たいものが走る。

 そうだった。暴漢くらいならまだしも、今は宝物庫の衛兵を殺せるような奴がこのエシュカの街を逃げ回っているのだ。いくら急ぎだからといってこんな場所通るべきではなかったのではないか。ここで命を落として志半ばで死ぬくらいなら、素直に東西大路(ウトハム)まで回って叱られた方がまだマシだったんじゃないか。一度恐れると、今にもそこの物陰から屈強な荒くれ者が飛び出してきそうな、そんな気さえしてしまう。

 だがリッカの心配をよそに、屋根の上で瞬いた二度目の光は、その正体が取るに足らないものであることを教えてくれた。

(なんだ。子供か……)

 屋根の上で子供が座り込んでいる。多分男の子で、年は十をいくらか過ぎたくらい。光が瞬いたのは、彼の艷やかな銀色の髪に夕日が反射しただけのことだった。

 どうやって登ったんだろう?

 それが最初の疑問だった。子供が屋根の上とか高いところに登りたがるのは珍しいことじゃない。リッカだって故郷ではそうだった。農具を足場に屋根に登って降りられなくなってしまい、こっぴどく叱られたのをよく覚えている。だがここには足場になるものは何もなく、しかも登っているのは農村の平屋よりも高い二階建て。

 まあいいか。それより早く帰らないと。

 リッカはそう思った。空にはわずかに光が残っているが、周囲は既にかなり暗い。そしてあともう少し歩けば、修道兵院に着くことができる。日没の鐘にも間に合い、叱られることも罰金を科されて給金を減らすこともない。だが、

――何人か殺されて物も取られた

 歩みを再開しようとしたリッカの脳裏に、プラウの言葉が再びよぎった。早く帰らないといけないのに。また叱られるのに。

「はあ……」

 もういい。既に何度も叱られてきた。それがあと一回増えるくらい何だ。リッカは前を向くと、男の子がいる屋根の下に駆け寄っていった。

「ねえ、そこの君!」

 声を張り上げて男の子に呼びかける。治安の悪い場所で大声を出すなんてあまりやりたくないが致し方ない。

「ねえったら! 危ないよ!」

 だがリッカが何度声を張り上げても、男の子はじっと前を見つめ、こちらを見下ろそうとしない。声が届いてないのか、届いているのに聞こえない振りをしているのか。

「ああ、もうまったく」

 勝手に始めたお節介が上手くいかず勝手に悪態をつくリッカ。かくなる上は――

 リッカは目を瞑り、心を研ぎ澄ました。

 かくなる上は、光輝術(リルマグ)を使う。呼び掛けても応じないのであれば、自分も屋根に登るしかなかった。

 リッカの体の中に、水面がある。水面は雨の日の水たまりと同じで、常に乱れている。その水たまりを思い描き、雨粒に叩かれて揺れ動く水面を鎮めた後、そこに石を落としたり板で水を寄せたりしながら新たな波を描いていく。そうして出来上がる新たな波紋は輝式(アクル)と呼ばれ、自然には起こり得ない数々の変異を引き起こすのだ。

 足のふくらはぎの辺りに光輝(リルム)が溜まっていくのを感じるリッカ。よし、もう十分だろう。あとはこの張り詰めた力を解き放ってやればいい。(アシュ)()(フィス)――

 「あっつ!」

 足の中が一瞬、赤熱した炭のように熱くなる。思わずその場に座り込んで足をさすった。失敗である。

 誰も見ていないとはいえ、恥ずかしかった。断崖を飛び越えようとして足を失ったせっかちな旅人の寓話を思い出す。リッカの場合、生み出した光輝(リルム)が途中で燃え尽きてしまったのが不幸中の幸いだった。すべてが燃えて体内の光輝(リルム)にまで引火していたら、しばらく尿瓶生活になっていた可能性だってある。

「くっそ……」

 だがリッカは諦めない。こうなったら意地だ。もう一度最初から光輝(リルム)を結びなおし、足に力をためる。水面を鎮め、新たな波を起こし、そして、

――跳んだ。

 今度は成功。周囲の建物が急流のように眼下に消えていき、視界が開ける。暗かった路地裏とは対照的に、屋根の上はまだ太陽の光に照らされていた。

 ドン、と屋根に着地。結構な音だった。もう気付いていないとは言わせない。

「ねえ君、聞いてる?」

 少年の横に立つリッカ。だが彼は座り込んだままで、その視線も相変わらず遠くを見つめたままだ。

「こんなところに居たら危ないよ。足を滑らせちゃうかも知れないし、そうじゃなくたって今は危ない人が街をうろついてるんだよ。宝物庫が襲われて人が殺されたんだって」

 少年が顔を動かす。首にぶら下げた小さな鈴がリン、という小さな音を立てたかと思うと、その瞳がこちらを捉えた。翠昴晶(ペラティラ)のように鮮やかな緑の瞳。この辺りでは珍しい色だった。

 外国人だろうか? それなら言葉が分からないのも無理はない。一瞬、リッカがそんなことを考えていると、少年はすぐに興味をなくしたかのように再び視線をもとに戻した。

「はぁ……」

 リッカは今日何度目になるか分からないため息をつくと、少年の横に腰を降ろす。

「困ったね。じゃあお家の人が来るまで、私がここに居てあげる」

 少年と同じように座り、少年と同じように眼下の街を眺める。

 夕日は既に、城壁からわずかに頭を覗かせるだけになってしまっていた。

 赤い太陽、逃げる太陽。そんな夕日を眺めていると、いつも考えることがある。

――あの夕日は、どこへ行くのだろう?

――夕日が沈むその先には、何があるのだろう?

 いつかその答えが知りたい。その答えを知るために、世界の果てに行きたい。そう思って修道兵院に入った。修道兵になれば遠くの赴任地に行けることもあるだろう。そうでなくても、旅には強さが必要だ。兵院で光輝術の修行を積めば強くなれる。剣だって上達する。皆は「剣なんて時代遅れだ」と馬鹿にするけれど、それでも自分は剣を手に世界の果てを目指したい。小さな頃、お伽噺で聞いた勇者のようになりたい。今はまだ、その目標からほど遠い場所に居るけれど。

「私ね、夢があるんだ」

 夕日に照らされて感傷的になってしまったからだろうか。気付けば誰に問われるわけでもなく、語り出していた。

「旅をしながら色んな人を助けて、剣の腕を磨きながらさ。そうやって旅をして最後にはこの世界の果てを見たいなって、そう思ってるんだ」

 少年は何も言わない。微動だにしない。どうせ言葉は通じていないんだ。多少好き勝手言ったって構わない。

「私さ、ラストル村ってところから来たの。小さな村で何もないところ。剣が強くなりたくて、十五の頃に親元を離れて修道兵院に入ってさ。それからずっとエシュカ(ここ)で兵士をやってるけど、でも……」

 リッカが少しうつむく。

「でも、上手くいかないや。剣の腕は全然上達しないし、毎日失敗して笑われたりいじめられたりしてばっか。ベティカ……えっと、同じ村から一緒に入隊した友達も居たんだけど、私よりも先にどんどん強くなっていって、評定の足を引っ張ったこともあって今ではすっかり嫌われちゃった。最近は、もう荷物まとめて田舎に帰ろうかなって思ってる。世界の果てが見れないのは悔しいけど、仕方ないかなって……」

 日没の鐘が鳴った。低くくぐもった音が、黄昏の夜闇に飲まれて消えていく。これでお説教は確定。だが、不思議と焦りや後悔は湧いてこなかった。

「ねえ、君、遠くから来たんでしょ。知ってるなら教えてほしいな。この世界の果てには……太陽の行く先には、何があるの」

 リッカがこぼす。それは独り言に近かった。少年に向けた言葉ではない。少年の、その背後に広がる世界に対する問い。自分が上手く生きられない、その世界に対する問いだった。だが――

「僕も知らない」

 答えたのは、世界ではなく少年だった。驚き、そちらを見るリッカ。

「……知らないが、途中までなら知っている。西へ向かい、ここから見えるエシュカの山々をいくつも越えると、小さな集落の点在する荒野に出る」

 少年は表情を変えずこちらを見ることもしないまま、静かに語りを続ける。

「そこはワールディルの王権が及ばない蛮獣地(バヌルミル)。そしてそれを越えたところにエンリスがある。かつて学術と文化が盛んだった輝く都。ミドラトに滅ぼされ、今はリルムで穢れた廃墟だけが広がっている」

 エンリス。自分でさえ知っている。

 かつてこの地で趨勢を誇った東方帝国の出自であり古都。滅びてなおその文化的な影響は絶大で、大審会の聖史記も、王国の行政文書も、リッカたちが使う軍略の教科書ですらエンリス語が使われている。

「エンリスは小さな都市だが学術に秀でていた。数学、天文学、そして光輝学。彼らは、この大地がリルメナの海(マルブ・リルメナティル)に沈む球体であることに、数百年も前から気付いていた」

輝くもの(リルメナ)……」

 その響きを確かめるように反復するリッカ。初めて聞く言葉なのに、どこか懐かしさのある言葉だった。

輝くもの(リルメナ)は、宇宙にあまねく存在し光輝(リルム)の媒質となる第一原理(ミルナストル)だ。地のように硬いが水のように満ちる。風のように透明だが火のように輝く。そんな存在だと言われている」

 少年はそう言うと少し目を伏せた。わずかな沈黙と赤い夕日が二人を包む。

「そしてエンリスの先は……僕も知らない。そこから西は侵略者ミドラトが支配する広大な砂漠が広がっていて、それを更に超えた先には大海原(マルブ・マクマ)と呼ばれる大洋が広がっていると聞くが、この目で見たわけじゃない」

 大海原(マルブ・マクマ)。自分の目標。その海はどれだけ大きく、どんな音がして、そこに至るまでの旅路には、どんな光景が広がっているのだろう。そんな西の果て、大地の尽きるところに思いを馳せていたリッカは、ふとあることに気付いた。

「……ていうか、君、喋れる?」

 そうだ。感傷的な気分に浸って見逃してしまっていたが、今さっき彼が喋ったのは少し訛ってはいるものの、十分に理解可能なフェルブ語だった。ということは、今まであえてこちらの呼び掛けを無視していたということか。

「あのねえ……!」

 それなら最初から反応してくれとリッカは思った。言葉が通じるならわざわざこんな屋根の上まで来る必要もなければ、門限破りをする羽目になることもなかった。

 は――

 話せるならちゃんと話してよ。その言葉を出しかけたその時だった。

「おい『仲良し』、お前!」

 屋根の下から誰かに呼ばれた。急に現実に引き戻されたリッカが見下ろした先に居たのは少し前に見た顔。

 グシェルだった。よく見ればその後ろにベティカも立っている。怒り心頭といった感じのグシェルとは対照的に、ベティカは相変わらず不機嫌そうな顔をしたまま何も言わない。

「うわ、嫌いな奴らに会っちゃった」

「知り合いか?」

 少年が言葉を返してくる。やっぱり喋れるんじゃないかと言いたくなる衝動をぐっとこらえて、リッカは話を続けた。

「うん、まあそんなとこ。よく私をいじめてくる奴だよ」

 彼女の鬼気迫る様子を見るに、上に言われて嫌々自分を探しに来たんだろう。連帯責任にされる可能性だってあるのだから、怒るのはよく分かる。この後また装備を隠されたり、足を引っかけられて笑われるのかと思うと気持ちが重いが、今回ばかりは自分が悪い。

「ごめん遅くなっちゃった! 今から降りる!」

 だがグシェルの声は、そんな能天気なリッカとは比べ物にならないくらいに上ずっている。

「バカかお前は! そういう話じゃない! そいつは宝物庫を襲った――

 リン、という鈴の音。

 反射的に振り向くと、少年が屋根から飛び降りていた。そのまま大地に引かれるがまま落下し、ほどなく涼しい顔をして着地する。二階分の高さなのに、平然とした動作だった。

――光輝術(リルマグ)

 リッカがそう思った瞬間、グシェルが飛び掛かる。右手に帯びているのは乱熱式(ハズペル)光輝(リルム)を熱に換えて爆発させることで相手を骨ごと破砕する最も単純な、それ故とっさに出せる輝式だった。優秀な兵士が集まるミシュナ隊で長くやっているだけある。もし当たっていれば、リッカが繰り出すそれよりもずっと大きな威力になっていただろう。だがその後に起きたことは、あまり思い出したくない。思い出したくないし、思い出そうにも理解が追い付かない。

 少年が左の手を上げた次の瞬間、グシェルの体が真っ二つになった。

 時間が止まる。動作は見えなかった。ただぐしゃりとグシェルの半身が地面に崩れる音、ぬるりとこぼれる(わた)、そして暗がりにゆっくりと広がっていく黒い血だまりだけが、その場の人間に遅れて事態を認識させる。

「グ、グシェル!!」

 叫んだのはベティカだった。少年はそんなベティカの叫びなど聞こえていないかのように、まるで出会ったそのときから何も変わっていないかのように、静かに裏路地を後にしようとする。

「おいお前!」

 再びベティカ。その手には剪断式(シルペル)の光刃が淡く光っている。戦うつもりだ。

「ベティカだめ!」

 慌てて止めるが、ベティカにも少年にもリッカの声は届かない。早く屋根から降りて二人を止めないと大変なことになるが、降りる階段などあるわけがない。今日はこんなことばかりだった。

 ベティカの制止を受けて少年が足を止める。

 やめてくれ。屋根の上からリッカは願う。そのまま歩き続けてくれ。歩き続けて、夜の闇に消えてくれ。

 だが少年は振り返った。そしてグシェルにやったように、今度は右の手をゆっくりと上げると――

 リッカは反射的に駆け出し、そのまま屋根から飛び降りた。

 落下途中、内なる水面に波紋を描いていく。登るときにやったのと同じように光輝術を使うつもりだ。結ぶのは剛体式(ロスペル)。筋と肉と骨を強靭にして、衝撃から身体を守る輝式である。

 ぶつけ本番だった。いや、厳密に言うとそんなことはない。兵院で一番最初に習う輝式だし、さっき屋根に飛び乗るときだって足を保護するために軽く使った。だがこんな強い光輝(リルム)で、しかも失敗が許されない宙空で手早く輝式を結ぶなんて初めてだった。

――いけ!

 リッカは祈るように輝式を結い上げ、そのまま光輝(リルム)を増幅させる。そして――

 ドンという轟音が路地の夕闇に響き渡った。

「あ、あんた……」

 ベティカの声。ふらつくリッカ。大丈夫。バランスは崩したが今度は成功。眼前には、さっきの少年が立っていた。

 緑の瞳がこちらを見据える。翠昴晶(ペラティラ)のように輝くあの瞳。

 だがそれはもう、屋根で出会った少年ではなかった。ここに居るのは宝物庫を荒らして衛兵とグシェルを殺した、その本人。

 リッカは震える手で腰の鞘から剣を抜き、少年に向けた。抜き身の白刃が、僅かに残った夕日の残滓できらりと光る。恐ろしいがやるしかなかった。

「なるほど」

 少年がそう言うと、その顔が少しだけ笑った気がした。正確に言うと笑ってなどいない。リッカにはそう思えたというだけ。彼の瞳は相変わらず冷たいままだ。だが、

「少し遊んでやる」

 だがその直感は正しかった。少年はグシェルの死体が帯びていた剣を抜き、そのままそれをリッカ達に向けると

「剣で身を立てたいんだろ?」

 今度は本当に笑った。




オリジナル・自サイト版はこちら。イラスト多めで変更履歴も見れます
https://haguchikarasu.github.io/lirmena/
カクヨム版
https://kakuyomu.jp/works/822139846666600323
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