両手で剣を持ち少年と対峙するリッカ。隣には
だが二人が向かい合った相手は剣を持った手をだらしなく下に降ろしており、何らの構えも取ろうとしない。剣術の素人なのが丸わかりなのに、リッカにはどう飛び込もうとその刃に切り裂かれる自分の姿しか想像できなかった。
「――ッ! なめてんじゃないわよ!」
最初に飛び込んだのはベティカ。それに呼応するように、攻めあぐねていたリッカも飛び掛かる。リッカの手には白刃、ベティカの手には空色の剪断式。色も原理も異なる二つの刃が少年に向かうが、彼は涼しい顔でそれを受け流す。白刃は右の手に持った剣で、
手が痺れるのを感じるリッカ。相手は細身で、背丈だって自分より少し小さいくらいなのに、岩を叩いたときのような反発が返ってくる。
片やベティカは、そんな相手に対しても攻撃の手を緩めない。そのまま流れるように蹴りを入れ、後ろに退いて避けた少年に再び切り掛かる。
追撃。二度目の障壁式に阻まれた。
さらに一撃。少年は涼しい顔でベティカの攻撃をいとも簡単に防いでいく。
その少年が剣のない方の手を振った。まずい、あの輝式だ。グシェルを殺した、あの。
まき散らされる
だが、再び開けたその目に飛び込んできたのは、
光刃が障壁式に押し付けられ、ベティカは歯を食いしばった。あれほどの剪断式を防ぐのは並大抵のことではない。それまで出していた自身の光刃は既に消してしまっているし、すべての
リッカが切り掛かると、少年の注意がそれた。そのわずかな隙を狙ってベティカは後ろに飛び退く。リッカは彼女が立っていた空間を十二分に使って、右へ左へと剣を振った。
一閃、また一閃。
だが少年は
――斜めに来る!
リッカの攻撃の合間、重心がずれたその一瞬を狙って少年が剣を払う。
少年と二人の間の距離が開いた。
「ベティカ、大丈夫?」
隣の少女に問うものの答えは返ってこない。初めてかもしれない命の取り合い――そんな危機の
「今から私が切り掛かるから、ベティカはその隙に逃げて。逃げて、あとできれば……他の人を呼んできて」
膝が震え声が詰まる。本音を言うと自分が逃げ出したい。でも、強がりでも言わないと本当にそうしてしまいそうだった。
は? ふざけるなよ。一方のベティカは、言葉に出さず表情がそう返してくる。格下の自分にそんなことを言われたのだから当然の反応だが、今は普通の戦いじゃない。
「この子は私のことをおちょくってるだけ。ベティカまで戦って死ぬことはない」
そう。彼からすればこれは遊びだ。自分が立ちはだかったために始まった遊び。加えて自分達はこの少年にまったく手が出ず、彼が飽きてしまえば、私達二人なんていとも簡単に殺されてしまうほどの実力差があるのだ。
「思いあがってんじゃねえぞ……」
だがベティカはそんなリッカの強がりを聞き入れようとはしない。こちらに視線をよこさず、ぎり、と奥歯をひとつ鳴らすと、
「私は、お前と一緒に戦ってるつもりなんてない!」
そう叫び、跳んだ。
ただ跳んだだけではない。路地の建物を蹴り、右へ左へと
一方の少年。ゆっくりと周囲を見渡す。彼がこうして敵の姿を追おうとするのは、今日初めてのことかもしれなかった。
ベティカはそんな少年の頭上に跳び出ると、右手に空色の光刃を結び一気に切り掛かる。
少年の瞳が光を帯び、首元の鈴がリンと小さく鳴る。
次の瞬間ベティカが結んでいた輝式のすべてが、突如として解かれた。行き場を失った
切り捨てた。
「ベティカ!」
鈍い音が響き、ベティカがこちらへと飛ばされてくる。何が起こったのかも分からず慌てて駆け寄るリッカ。ベティカは切られた腹を押さえてうずくまっているが、血は出ていない。どうやら咄嗟に
少年だった。彼は何も言わず、ただ自分達の弱さを憐れむかのようにこちらを見下ろしている。全身を影で黒く塗りつぶされたその姿は、まるで世界をくり抜いてそこに立っているようで、聖史記に登場する
その姿が、リッカの中で押さえつけていた恐怖を呼び起こす。
失敗した。そう思った。
目の前の少年がこんな存在だったと知っていれば、自分は決して声を掛けなかった。屋根にも上らなかっただろう。自分のやることはいつも裏目に出るとリッカは思う。
意識に上った恐怖が、震えとなってリッカを支配する。そして恐怖は後悔を生み、後悔は新たな恐怖を呼ぶ。
そう、失敗。備品を壊してしまったのも、鍋をひっくり返してしまったのも、道に迷って演習を無断欠席してしまったのも全部そう。裏目なのは今回に始まったことじゃない。行軍中に足の遅い人を介抱してたら『仲良し』なんてあだ名を付けられた。友達がいないからってベティカに付いて回ってたら足を引っ張ってしまって嫌われた。そもそも修道兵院に来たのだって間違いだった。剣術も世界の果ても忘れて、ラストル村で畑を耕しておけばよかったのだ。けれど、
――世界の果て。
――そしてエンリスの先は
後悔の
震える手で剣を取る。立ち上がって前を向き少年を睨んだ。
自分がなぜそうしたのか、リッカにも分からない。ただ剣の道を諦めたくなかったのかもしれないし、世界について教えてくれた少年のことをまだ信じたいのかもしれない。分からないが、それでもリッカは剣を取った。
「……なぜそいつを庇う」
だが、そんなリッカに対して投げかけられた言葉は、まったく予期しないものだった。
「お前はそいつが嫌いじゃなかったのか?」
リッカは背後に倒れている少女に視線をやる。確かに自分はこうしてベティカを庇っている。自分を嫌うベティカを。グシェル達と一緒になって自分をいじめていたベティカを。
嫌いかと言われればそうかもしれない。好きだなんて言えないことは確かだ。ベティカがそうであるように、自分だって彼女と極力話さないようにしている。でも、
「でも、死んでほしいだなんて思っていない」
正直な気持ちだった。何も考えていないと言われれば否定できない。ただ、知っている人が死ぬと心が痛むという、それだけの浅薄な理由だった。
だがリッカの言葉を受けた少年はほんの少しだけ逡巡すると、
「……名は?」
そう短く問うた。その双眸がまっすぐにリッカを見据える。だからリッカも目を逸らさない。
「リッカ。
「なるほど」
答えに満足したのだろうか。少年が手に持っていた剣を手放し、カランという長い残響が闇の中に広がった。
「ま、待ってよ!」
その残響が鳴り止むのを待たず背を向けた少年。リッカが呼び止めたが、彼は振り返ることも足を止めることもせずにただ、
「筋は悪くない。剣はそのまま続けろ」
そう言い残して、夜の闇に解けていくのだった。
風に流された雲が星を隠し、路地の闇がより一層暗くなる。少年が姿を消しても、リッカは剣を手にしたまま立ち尽くしていることしかできない。
(そういえば名前、聞き忘れちゃったな……)
そんなことを思いながら見上げた夜空。
雲の隙間には、ひときわ明るい群れ星が輝いていた。
オリジナル・自サイト版はこちら。イラスト多めで変更履歴も見れます
https://haguchikarasu.github.io/lirmena/
カクヨム版
https://kakuyomu.jp/works/822139846666600323