02-01
少年との戦いが終わり、仲間の兵士達に半ば連行されるようにして修道兵院に帰った翌日、リッカは兵院内の審判に告訴された。
訴えたのはベティカで、罪状は咎人と結託した殺人の共謀。曰く、リッカは宝物庫襲撃犯である少年と裏で通じていて、兵院内部の情報を与える見返りとしてベティカとグシェルを殺害するように依頼した。そんな内容だった。
無理もないことかもしれない。ベティカにしてみればいきなり隊の仲間が殺され、自分の命も危うかったというのに、その張本人はリッカに手加減をし、あまつさえ去り際にこう言ったのである。
――お前はそいつが嫌いじゃなかったのか?
だからその疑いは妥当だ。ベティカには、友人が殺された怒りのやり場がなかったのだろう。だからベティカのことは恨んでいないし、自分にだって非がないわけじゃない。自分がベティカ達を『嫌なやつ』だなんて言わなければ、グシェルだって死ななくて済んだし、ベティカも危険な目に遭わなかったのかもしれない。リッカはそう思う。
けれど手を後ろに縛られ、兵院内に設けられた審問所に立たされたときには、そんな殊勝な考えなんてどこかに消し飛んでしまっていた。石造りの壁に反響する裁定官の冷たい声と、背中に突き刺さる傍聴人たちの好奇の眼差しは今でも鮮明に思い出せる。何度も神に祈ったし、ただ助かりたい一心だった。
だがそんな恐ろしい院内審判の判決は、拍子抜けするほどあっけないものだった。
全面無罪。即日結審。
それもそのはず。証言に立った者のほとんどが、リッカに有利な証言をしてくれたのだ。例えば友人のプラウは事件の直前に不審な点がなかった旨を証言してくれたし、リッカの隊長であるメレムはリッカが普段から嘘をつかない性格であることを話してくれた。
だが何より決め手となったのはミシュナの証言だ。
ミシュナ。修道兵院において特に優秀な者たちを束ねているミシュナ隊の隊長。その能力から上層の信頼も篤く、加えて彼女自身がグシェルとベティカの上官であり友人でもあるのだ。
そんなミシュナの一言が、それまで張りつめていた空気を一気に弛緩させた。
――そもそも
大変不服だった。おまけに傍聴席からは「確かに」なんて声が聞こえてくる始末。
失敗続きのリッカの名は兵院内でそこそこ有名で、その汚名ゆえに救われるという、素直に喜べない結果で審判は終わった。
「ふわあぁ」
リッカは兵院の廊下を歩きながら、その汚名に違わぬ大きなあくびをした。昨日は審判があったまさにその日。部屋に帰って早めに床に就いたが、いくら目をつぶっても証言台に立つ皆の声が頭を反響して全く眠れなかった。
まあでも、こうして生きて今日を迎えられて良かった。眠い目をこすりながらリッカはそう思う。ミシュナの証言内容には言いたいことがあるが、ろくに話したこともないリッカに有利な証言をしてくれたのは本当にありがたく、まして実際にそれで助けられたのだ。一体どんな文句が言えようか。
リッカはそう気を取り直し、兵院の一角にある古びた扉を叩いた。もう何年前からあるか分からない黒ずんだ扉に、湿ったノックの音が低く響く。
「入れ」
返ってきた言葉を受けてリッカは扉を開く。中に待っていたのはリッカより二回り以上年上の女兵士。審問官と言われる、市内でおこった事件を調査している人だ。
審問官。そう、今から執り行われるのはあの少年に関する聞き取りだ。とは言っても審問は既に無罪で幕を閉じたので、今からおこなわれるこれはリッカへの追及ではなく、目撃者への純粋な聞き取りである。
リッカは置いてあった椅子に腰かけた。隣には先客もいる。
(あれ、この子誰だっけ)
リッカは隣に座った少女を覗き見た。気の弱そうなたれ目はじっと前を見たままで何を考えているのか分からず、肩まで伸びたゆるい巻き毛は連日の役務で少しくたびれている。兵院の同期であることは間違いないが、名前が思い出せなかった。
「では揃ったことだし始めよう。本来なら一人ずつゆっくり話を聞かせてもらいたいのだが、あいにく人も時間も足りてなくてね。ではまずリッカから」
だが審問官は、そんなリッカの考えなど知らずに話を始める。
ここから先は、ただひたすら、聞かれたことに答えるだけだった。
――どこでそいつと会った?
西の露店市から小さい橋へと抜ける
――それはいつ?
おとといの夕刻。
――なぜ話しかけた?
屋根に登っていて、危ないから教えてあげようとした。
「そいつと何か会話はした?」
「はい。えっとその……私の身の上話とか」
「他には?」
質問に少しだけぎくりとするリッカ。だが隠そうにも自分は嘘が下手だ。すぐ顔に出るとプラウに言われる。だから一から十まで話すしかない。
そうしてリッカは審問官に聞かれるがままに、あの屋根での会話を教えた。西に広がる世界のこと。
何が後ろめたいのか自分でも分からない。ただリッカには、それが少年へのある種の裏切りのように感じられた。もしかしたら自分はあのときの少年を、屋根の上で話をした少年を、心のどこかで信じたいのかもしれない。グシェルを殺した冷酷な少年とは別の、物静かでどこか遠い目をした少年のことを。
「
だが審問官はそんなリッカのためらいに気付いていないようで、噛みしめるようにその単語をつぶやいた。そしてそのまま長い髪をかき上げると、急に真剣な顔付きとなってこちらを睨む。
「知らない奴も多いから念のために言っておくが……それ、絶対に他で口にするなよ。異説だ」
「い……」
異説。
すなわち大審会の教義に反する説のことだ。真理と審判を司る大審会にとっての異説とは、まさに打ち滅ぼすべき悪魔と同義であり、それを唱える者には死よりも悲惨な罰が科される。それこそ殺人の共謀なんかよりもずっと悲惨なものが。
「まあ知らない奴が多いということは、それだけ世に正しい教えが広まっているということだ。望ましいことだよ。だからお前が知らなかったとしても仕方ない。今後気を付ければいい」
審問官はそう言って調書のページをめくると、リッカの隣に居る少女の方を向いた。どうやら自分の番は終わったらしい。後はこのまま夕飯のことでも考えながら時が過ぎるのを待つだけだった。
「では次はネリ」
名を呼ばれ、隣に座った少女が「はい」と短く答えた。その声が、気の抜けかけたリッカの注意を少しだけ引いた。
そうだ、ネリ。ようやく思い出した。
ネリは、リッカと同じ年に入隊した同期だった。最初の訓練中に二、三
「はい。確かに商会本館で見ました」
「商会……ね。見た目は?」
「さっきの話と同じです。銀色の髪と緑の目。歳は十五に満たないくらいで、背丈は私よりも一回り小さいです」
そうしてリッカのときと同じように聞き取りが続いていく。
話を総合すると、どうやらネリが少年を目撃したのは商会本館の中らしい。それも事件の直前ではなく、二年ほど前から複数回にわたって見たのだとか。銀の髪、緑の目、小柄な体つき。そのどれもがリッカの見た少年の特徴と一致しているから間違いないだろう。それにしても、
(なんで商会なんかに……?)
商会本館といえばアプトリト広場に面した、あの東方式の豪勢な建物だろう。目撃自体は間違いないものの、あの少年が商いを営んでいるとは思えない。一体何の用事だったんだろう。もしくはただ寄っただけとか? というかアプトリト広場といえば、あの宝物庫の目の前である。となると――
「下調べでもしてたのかな? ……って、あ」
考えていたことが声に出てしまった。審問官に睨まれて慌てて口を閉じるリッカ。恥ずかしさから目を逸らすと、今度は横のネリと視線が合う。随分と久しぶりに交わった視線には、僅かばかりの呆れと軽蔑が混ざっているように見えた。
そうこうしているうちに聞き取りは完了し、二人は自由の身になった。
部屋を出るなり、うーんと大きく伸びをするリッカ。一方のネリは何も言わずさっさとその場を後にし、石造りの外廊下の先に見えなくなってしまった。せっかくだから何か声でも掛ければ良かったかな。そう後悔するも時すでに遅し。
「あ、リッカ」
そんなネリと入れ替わるかのように、別の声が石畳に響く。そこに居たのは、落ち着いた風貌の女兵士。年はリッカより少し上で、新品同様に手入れされた装備が彼女の性格をよく表している。
リッカの隊長であるメレムだった。彼女はこちらを見るや否や、片手を上げてゆっくり歩み寄ってくる。
「昨日は災難だったねえ。一時は本当にどうなることやらと」
「ご、ごめん。心配かけちゃって。証言してくれてありがとう。いつかちゃんと返すから……」
そう言って縮こまるリッカ。ありがたいのは間違いないが、それよりも申し訳なさの方が勝ってしまっていた。メレムはそんなリッカを見て少しだけ首を傾げると、
「ん、そう? じゃあ早速いまから返してもらおうかな?」
そう言って腰にぶら下げていた二本の剣のうちの一本を手に取った。柄の先端には四本足の獣の意匠。彼女がいつも持ち歩いている物だ。
「これさ、この間欠けちゃったから修理に持っていこうと思ってたんだけど、昨日まーたプラウが上の人にやらかしたみたいでさ。このあと謝りに行かないといけなくなって……」
(プラウ、相変わらずだなあ……)
失敗続きの自分が言えたことではないが、プラウが上官と揉め事を起こすのはこれでもう三度目だった。
「もう勘弁してほしいよ。あの子、これさえなければ今頃
そう言ってこめかみに手を当てるメレム。
ここでリッカが所属する部隊について補足をしておこう。メレム隊は、修道兵院きっての問題児が集まる部隊である。リッカは言わずもがなだし、プラウは言葉を選ばない性格のせいで上の人間から露骨に嫌われている。隊長のメレムは人望こそあれど光輝術の扱いが絶望的に下手で、残る二人も似たり寄ったりの状況である。偶然か意図的か、あるいは環境が人を変えてしまうのか。理由は分からないが、ともかくメレム隊の汚名はリッカのそれと同じく、兵院内でよく知られていた。
「はあ……まったく」
落ちこぼれ達の隊長がため息。問題児を束ねる者の気苦労は大きいらしい。だがそれを打ち消すかのようにすぐ声色を戻すと、
「と、いうわけでどうかな。私の代わりに
そう言って手に持った長剣を差し出してくる。
(
メレムの言葉を頭の中で繰り返すリッカ。知らない店だったが、およそ場所は想像がつく。行ってみて、分からなければ辺りの人間に聞けば大丈夫だろう。
「うんわかった! じゃあ私に任せて」
剣を受け取り大きく胸を張るリッカ。仕事の大きさに見合わぬ気概だが、誰かに頼られるなんてあまりに久々だったから仕方がない。どうせこの後は暇だったし、何より助けてもらった恩を返したかった。
そんなリッカを見たメレムは小さく微笑むと、「じゃあ任せたよ」と言って歩き出す。隊長からの依頼を上手くこなし、隊の一員として貢献しよう。メレムから渡された剣を握りしめると、そんな気持ちが湧き上がってくる。だが、
「あ、そうだ」
だがメレムは数歩進んだところで足を止めると、
「一応言っておくけど……絶対に無くさないでね」
振り返り、とても心配そうに念を押した。
オリジナル・自サイト版はこちら。イラスト多めで変更履歴も見れます
https://haguchikarasu.github.io/lirmena/
カクヨム版
https://kakuyomu.jp/works/822139846666600323