輝くもの《リルメナ》   作:羽口カラス

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第3話 翠昴晶(ペラティラ)さがし -後編-
03-01


 その日は生憎の曇り空だった。

 手を伸ばせば届きそうなほどに低い雲が日の光を遮り、普段よりも冷たい風が季節の移ろいを実感させる。あと少しで正午だというのに、街並みはどこかどんよりと薄暗い。

 だがそんな落ち込んだ天気とは裏腹に、リッカは意気揚々だった。その理由は主に二つ。

 まず、トルトから課せられた追試がもうすぐ終わる。

 ここ数日間はずっとおっかなびっくりで、人とすれ違うたびに声を掛けられるのではないかと心配していた。夜は腰袋を抱いて寝たし、五日に一度の水浴びも体調不良を理由に断った。

 だが、そんな生活とももう少しでおさらばだ。今日プラウとの用事を終えたら、その足でトルトに紙片を返しに行く予定である。

 そしてそのプラウとの用事が、リッカの上機嫌のもう一つの理由だった。少し前に当番を交代してもらったお礼として、甘枝(パニエル)の包み焼きを奢ると約束したのである。もちろん金を出すのはこちらだが、前から気になっていた料理を食べられるのだ。気分が乗らないはずがなかった。

甘枝(パニエル)かあ。どんな味なんだろう)

 灰色の空を見上げて心を踊らせるリッカ。甘枝(パニエル)とは、糖分を多く含んだ木の枝を乾燥させたものである。ほのかな甘みと独特の香ばしい風味を持っており、嗜好品として道行く人が口に咥えているのをたまに見かける。元々は西から来た作物らしいが、それをエシュカ名物である包み焼きに使うのは珍しい。生地に入っているのか、それとも肉に刺しているのか。想像すると止まらなかった。

 そんな風にご機嫌なまま歩みを進めると、目的の店へはすぐに到着してしまう。エシュカ北西の、人通りがさほど多くない中流層の多く住む区域。小ぶりだが、よく手入れされた木造りの家屋が立ち並ぶ通りにぽつんと、小さな看板の掲げられた店があった。

 遠くから様子を窺ってみる。あまり客足は多くないようだが、漂ってくる甘枝(パニエル)の香りがリッカの鼻腔をくすぐり、思わず腹が鳴った。

 プラウはまだだろうか。そう思って空を見上げても太陽はまだ南中しておらず、正午の鐘も聞こえてこない。一方のプラウは午前中に当番があり、それが終わってから来ることになっている。合流までにはまだ少し時間があるだろう。

 つまり、まだしばらくはお預けということだ。

 リッカは少しの間店の前を行ったり来たりした。その間、一人の男が店を訪れて包み焼きを買っていく。どうやら包み焼きはよくある生地によくある肉を挟んだだけのものらしい。肉に甘枝(パニエル)が突き刺さっているとか、そんな奇抜なものではなさそうである。でもこの甘枝(パニエル)の香ばしい匂いは一体なんだろう。先に買っても食べてしまっても怒られないだろうか。そうしてリッカは篝火の周りを飛ぶ羽虫のように、ふらふらと店へと誘引されていき……

(……ダメだって!)

 すんでのところで思い留まった。今日はプラウと一緒に食べると約束したのだ。これ以上ここに居たら不義理を犯してしまいそうになる。そう思ったリッカは店から少し離れた場所へ行くことにした。

 向かったのは、店のすぐ裏手に位置する細い路地。ここなら匂いに惑わされることもないだろう。リッカは適当な建物の壁に背中を預けて空を見上げる。

 店の前も人通りがまばらだったが、ここはそれよりも更に狭く人が少ない。細い路地の両脇から迫り出るように建てられた半石半木の住居と、その屋根によって細く切り取られた曇り空。

(あ、そういえばあの紙切れ)

 包み焼きに気を取られて忘れていたが、いま自分はあまりに危険な代物を持ち歩いている。もちろん、肝心の紙切れはずっと腰袋に入ったままだ。落としてしまわないよう荷物の出し入れは最小限にしていたし、人目が無くなるたびに紐を解いて中身を確認した。だからあの紙切れは、今もリッカの腰袋の奥底にある。あるはず……だが……。

 絶対に大丈夫なはずなのに、そこへ意識を向けると急に不安になってしまう。念のためもう一度見ておこう。そう思ったリッカは何度も首を振って周囲に人がいないことを確認すると、腰袋の紐を解いて中を覗き込んだ。

 中身は耀銀貨一枚と暗銅貨が数枚。包帯、干し肉、そしてそれらの下の一番奥に……あった。トルトから渡された紙切れだ。

 その所在を確認すると、わずかに強張った全身から力が抜けていく。自分のことだから知らぬ間に落としていないか心配だったが、取り越し苦労だったようだ。だがそんな風に一安心したリッカは、次の瞬間ふたたび緊張に見舞われることとなる。

 表通りの方から、こつこつと石畳を踏みしめる音。

 やばい、人が来た。そう思ったリッカは慌てて袋をベルトに結ぼうとする。だがこの距離では間に合いそうにない。

 焦るな、落ち着け。自らにそう言い聞かせる。袋の中身を確認する事なんて誰にだってあるのだから、そもそも間に合わせる必要なんてない。ただ自然な動作で、当たり前のように紐を結べばいい。

 足音の主がこちらに近付いてくる。リッカはそちらに視線を向けず、ゆっくりとした動作で紐を結び上げた。そして、あたかも今気づいたかのような素振りでその顔を上げて足音の方に視線をやり、

 今度こそ心臓が跳ねた。それどころか、声すら出てしまいそうになる。

 足音の主は、ベティカだった。

 頭の中が道具箱をひっくり返したみたいになる。何でベティカがここに。装備を見る限り見回りの当番か? 向こうも少し意外そうな顔をしているし、偶然通りかかっただけかも知れない。いや、それよりも今は自然に振る舞わなければ。目を逸らすべきか、それとも目線はそのままにすべきか。こういうとき自分はいつもどうしていただろう。

 一方のベティカは、戸惑っているこちらを尻目に、冷たい表情で目の前を通り過ぎようとする。いつも通りの無視。その場にリッカが存在しないかのような扱い。だが今回ばかりはリッカもそれを望んでいたし、息を止めて彼女の背中が見えなくなるその瞬間を待つことしかできなかった。

 そしてベティカが目の前を通り過ぎたその直後、リッカが止めた息をようやく吐き出そうとした次の瞬間――

 鐘の音が響いた。

 回数は一回。正午を知らせる鐘である。低い鐘の音は、建物を回り込みながら律塔が見えない路地にまで響き、やがてその残響が減衰して消え去ろうとするまさにその時、

 

「お前、最近怪しいな」

 

 ベティカが立ち止まった。振り返ってこちらを睨み、無感情に問いかける。鋭い視線がリッカに突き刺さった。

「…………何のこと?」

 本当の危機の最中にあるとき、人はどこか冷たくなる。頭の中は大混乱で視界がどんどん狭まっていくというのに、血の気は上がるどころか逆に引いていくのだ。

「とぼけるな」

 だがベティカは、そんなリッカに対して一言断じると、そのままこちらへと歩いてくる。革のブーツが石畳を打つ音が響き、道端の白鴉(ルハル)が曇天へ向かって羽ばたいた。

「何を隠している」

「し、してないって。考えすぎだよ」

 思わず目を泳がせてしまう。

 落ち着け。こういう時にはどう返せばいい? 何度も自分に問う。だがその問いは頭の表層を滑るばかりで答えは一向に出てこず、そればかりか『こんなに近くで話したのはいつぶりだろう』だなんてずれた懐かしさすら湧いてくる始末。リッカは言い訳を考えることに精一杯で、自分の体の動きにまで気がまわらない。

 そしてそれが運の尽きだった。右手が、いつの間にか腰に提げた袋を掴んでいた。

 自身の急所を無意識に守ろうとしたのか、それとも頭の中の問いへの答えを探してそこに辿り着いたのかは分からない。いずれにせよ、ベティカがその仕草を見逃すはずもなく、即座に低い声色がリッカに投げかけられる。

「その袋、見せてみろ」

 『星も落ちた』という古い慣用句はこういうときに使うのだろうか。もはやここから状況を好転させる道などありはしない。リッカにできることと言えば、ただ腰袋を強くたぐり寄せて身をよじり、抵抗の意志を示すことくらいだった。

「へえ……あくまで拒否するんだ」

 ベティカが表情を歪める。目線の高さはリッカと同じくらいなのに、圧倒的な高みから見下しているような目付き。その視線を崩さぬまま、ベティカは静かに光輝(リルム)を解き放っていくと、

「じゃあ、力づくで見せてもらうまでだ」

 突如、その右手に空色の剪断式が結ばれた。

「ちょ、ちょっと本気!?」

 叫ぶリッカ。本気も何もベティカの目はどう見ても冗談を言っていなかった。

 恐らく、リッカが相当にまずい代物を持っていることに向こうは気付いている。だからここでリッカに怪我を負わせても、最悪殺してしまってもいい。証拠さえ掴めれば、正当化なんて後でいくらでもできる。そう思っているのだ。

「くそっ!」

 リッカは身体強化の輝式を結び、後ろに飛び退いてベティカと距離を取った。そのまま腰に提げた剣を抜いて、切先をベティカに向ける。話し合いなんて最早できない。戦うしかなかった。

「……私に勝てると思ってんのか」

 問いかけるベティカ。リッカだって勝てるなんて思っていない。だが袋に仕舞ったあの紙切れは、何としても守らねばならなかった。

 トッ、という音。

 ベティカがこちらに飛び掛かってくる。初太刀は横薙ぎ。リッカは屈んで(かわ)したものの、ベティカはその空振りの慣性そのままに一回転し、今度は斜めに切り下ろしてくる。切り返しの隙を突こうとしたリッカは目論見が外れた。反射的に体を逸らして再度避けると、そのまま倒れそうになりながら後転をして地面を転がり、距離を取る。

 だがベティカは相手を待とうとしない。

 地面に膝を突くリッカを仕留めようと飛び掛かって一閃。今度は横に転がりそれを避ける。また一閃。次は反対に避けて膝を突く。三撃目。リッカは肩を当ててそれを阻止し、今度こそ距離を取った。

(大丈夫。何とかついていけてる……)

 ゆっくりと剣を構え直してそう思う。

 リッカはこのとき、反射式を極端に大きく結んで反応速度を高めていた。なぜならベティカは、あまりに速い。何よりもまず彼女の速度に合わせられなければ、その鋭利な空色の刃であっという間に首を切られてしまうだろう。だから他の輝式――肉体を強靭にする剛体式や、筋力を増強する運動式、そういったものを多少犠牲にしてでも、ベティカに追いつけるくらいに大きな反射式を結ばなければならなかった。

 だがベティカは、そんなリッカの浅知恵など無意味だと言わんばかりに鼻を鳴らすと、結んでいた剪断式を(ほど)いて消す。そして自由になった右手をゆっくり胸の前にやると、同時に左半身を前にして重心を低くした。体術の構えだ。

 リッカは訝しむ。致命の光刃を捨てて、わざわざ空の手で戦おうとする意図は一体何だ。ベティカは何を企んでいる。だが直後、リッカは自身の身体で、その意味を理解することになる。

 ベティカが地を蹴った。

 ――速い!!

 そう思ったときには既にベティカは眼前。右の拳が飛んでくる。リッカは反射的に左の腕を上げて顔面を守るが、運動式で強化された一撃は金槌のように重く、振り抜いた拳に体幹を持っていかれてバランスを崩してしまう。

 そしてベティカはその隙を見逃さない。そのまま左手でリッカの首元を掴むと、力に物を言わせて壁に向かって押しつけた。背中に衝撃が走り、一瞬息が止まる。

 右手に剣を携えたままのリッカ。反射的に自由な左手を使って首を何とかしようとするが、その瞬間、胴を守るものが無くなった。ベティカは空いたリッカの腹に向かって右の拳を力一杯、

 ぶち込んだ。

 剛体式を結んだ拳は革の胴鎧をいとも簡単にへこませ、リッカの内臓を掻き回す。腹の中で痛覚が暴れ回り、足に力が入らなくなる。リッカは膝を突いて咳き込み、その場にうずくまることしかできない。

 勝負はあっけなかった。

 無理もない。もともと二人の間には、光輝(リルム)の総量に圧倒的な差があるのだ。いくら反射式を大きく結んで相手の速度に追いついても、そのぶん防御が疎かになるだけ。

 そしてベティカはそこを突いた。

 ほぼ生身と変わらない相手に対しては、鉄さえ破断できる剪断式など明らかに過剰な殺傷力である。ならばその光刃を捨て、浮いた分の光輝(リルム)を身体強化に回せばいい。そうすれば速さと打撃の両面で相手を上回ることができる。光輝(リルム)の量だけではない。戦い方においても、ベティカはリッカより何枚も上手(うわて)だった。

「ザコのくせに、つまらない小細工してんじゃねえよ。分かったらさっさとその袋を渡せ」

 頭上からベティカの声。

 リッカは息をすることに必死で、その侮蔑に満ちた目に視線を合わせることができない。そしてベティカは、そんなリッカの呼吸が落ち着くのを待つことはしなかった。

「がっ――!!」

 腹部に二度目の衝撃。横から蹴り上げられ、地面を転がり仰向けになってしまう。体勢が変わり、腰に提げていた袋が露出した。

 その様子を見て満足したのだろうか。ベティカはふんと鼻を鳴らしてゆっくり前へかがみ、そのままリッカの腰袋に手を掛ける。

「待て」

 背後から声。ベティカの手が止まった。

 振り返った場所に立っていたのは、一人の修道兵。すらりと細い手足と、綺麗に切りそろえられた髪。リッカが待ち合わせをしていた、その相手。

「一体何があった」

 そこに居たのはプラウだった。




オリジナル・自サイト版。イラスト多めで変更履歴も見れます
https://haguchikarasu.github.io/lirmena/
カクヨム版
https://kakuyomu.jp/works/822139846666600323
なろう版
https://ncode.syosetu.com/n8003mj/
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