昔、プラウが修道兵院に入ったばかりの頃。年上の兵士二人が一匹の
だが、既に息絶えて動かなくなった
だから、プラウはそいつらを止めようとした。止めようとしたが、十五かそこらの新入りがそんな事を言っても誰も聞きやしない。肩を小突かれ、あっという間に喧嘩になってそのまま二人を殴り飛ばしてしまった。
今にして思うと理性的じゃない。
そしてそのつけは、そのまま自らへと返ってくることになる。
気付けばプラウは、兵院内で一人ぼっちになっていた。すれ違えば後ろからひそひそと話す声が聞こえ、飯を食えば隣の席が空く。
そんな生活を季節が一巡するほどに続け、プラウが一人で居ることに心地よさを感じ始めていた頃。訓練課程を終えて有名な落ちこぼれ隊に入れられることが決まった頃。長く続いた雨が止み、空に残る灰色の雲から一筋の光が差していた日のことである。
待機時間、廊下でいつものように一人で立って干し肉をかじっていると、横から声を掛けてくる奴がいた。プラウの悪評を知ってか知らずか、そいつは肩をすくめながらこちらを見上げ、おっかなびっくりな態度で話しかけてくる。
「こ、こんにちは。今日から同じ隊だね……」
そいつのことは知っていた。いつも失敗ばかりして笑われていた奴。教練中に足の遅い仲間を庇ってグシェル達に目を付けられていた奴。しかも肝心の庇った相手は数日で兵院から逃げたという笑い話まである。
「よかったら、と、友達になろうよ」
このときも、教練の途中で仲間を庇ったときも、あいつは何も考えていなかったのだろう。話しかけたかったから話した。庇いたいから庇った。ただそれだけ。
あいつは……そういう奴なのだ。
「待て」
あのときを思わせるような灰空を、両脇にそびえる建物の屋根が細く切り取る。
「一体何があった」
プラウはそんな路地の入口から動かずに問いかけた。視線の先のベティカが、その言葉を受けて腰袋に伸ばしていた手を止める。
「なんだ。プラウか」
ベティカの気配からは隠しきれない殺意と
だがその事を確信しながらも、プラウは再度ベティカに問いかける。
「何があった」
「怪しげな物品を所持していて見せるように言ったら抵抗された。だから取り押さえた。それだけよ」
だが問われたベティカは、そんな暴力の痕跡とは真逆の、それが当たり前であるかのような涼しい顔付き。
「城門以外の場所で所持品を改めることは、市法で禁じられてるでしょ」
今度はプラウが返す。教練中に口を酸っぱくして言われたこと。かつて結ばれた商会と兵院の間の取り決めだった。だが一方のベティカも譲らない。
「はぁ……? それが適用されるのは市民だけでしょ。こいつは修道兵だから私がやってんのは警邏じゃなくて風紀の取り締まり」
「だったら尚更、警邏中のあんたにそんな権限はない。それにリッカはいま非番だ。普通の市民と何も変わらない」
淡々と事実を告げるプラウ。一方のベティカは面倒くさそうに頭を掻いて溜息をつく。
「なるほどね……。あんたいつもこいつと一緒だからね。つまり――」
「解放してやれ。
「つまり、二人揃って『仲良し』ってことかよ」
ベティカがプラウを睨む。その視線には明確な敵意が込められていた。一方のプラウはそんなベティカの敵意にも声色を変えない。
「解放するの? それともしないの?」
「……力ずくでやってみろよ」
ベティカはそう告げると、空色の剪断式を結んだ。まるで氷を投げ入れられた水のように、急速に場が冷たくなっていく。
しばらくの沈黙。
先に動いたのはプラウだった。地面を蹴って駆け出すと、一目散に前へと向かう。一方のベティカはその場での迎撃ではなく、自らも駆け出して衝突することを選択した。ベティカが突風のように眼前に迫り、光刃を薙ぐ。
そう来ることは分かっていた。
だからプラウは駆ける勢いのまま足から滑ってそれを躱し、そのままベティカの背後に出た。
予想だにしない行動に、相手の動きが止まる。だがプラウはそんなベティカに一撃を加えることなく、小さな光弾を一つ投げる。その光弾はすぐにベティカの障壁式に阻まれるも、牽制という目的を果たすことはできた。
ベティカの動きが止まったのを確認し、プラウは後ろを振り返る。
「プ、プラウ……」
仰向けに転がっていたリッカがこちらを見上げていた。小さからぬ傷を負ったのだろう。自分の様子に気付き上半身を起こすも、すぐに咳き込んでしまう。
「大丈夫。そこでじっとしてて」
その様子にベティカは舌打ち。彼女にとってはプラウのこの行動がつまらない友情の演出にでも見えたのだろう。だが、これにはちゃんとした意味がある。今の位置でなければ駄目なのだ。なぜならベティカの後ろにリッカが居ると、彼女を巻き込んでしまう。
プラウは
右手を振ると、無数の光の粒がベティカに向かって雨粒のように降り注いだ。その攻撃を予期していなかったベティカは、反射的に右へ大きく跳んだ。だがプラウはベティカを逃がそうとしない。着地地点に向かって更に光弾の雨を撒く。
避けきれない。そう判断したのか、ベティカはすぐさま障壁式を結んだ。光の粒が次々と防壁に当たって煌めき、少し遅れて雨音のような轟音があたりに残響する。
「……投射式か」
ベティカがこぼす。その言葉は正しく、プラウが使ったのは投射式と呼ばれる一般的な輝式。剪断式が近接攻撃に用いられるのに対して、こちらは離れた場所から
「小賢しい技使いやがって」
だがベティカは涼しい顔で吐き捨てると、運動式を結い上げていき、
――跳んだ。
プラウはそれを狙って、鳥を撃ち落とすように再度光の粒を撒き散らす。対するベティカも障壁式を結び、いくつもの光弾を難なく弾いていく。先ほどと同じ結果……かと思われた。
新たな手札を切ったのはプラウだった。
プラウの右手に、輝く光の柱が握られる。それは一見して剪断式の光刃のようだが、
そしてプラウは光槍を大きく振りかぶると、それをベティカに向かって目一杯に投げた。
先ほどまでの雨粒型の光弾とは異なり、こちらは大きく鋭い一投。輝く槍が光芒のような尾を引いて伸び、ベティカの障壁式と接触する。光槍の穂先が防壁に接触し、運動量と
だがその瞬間、ベティカはまるで空気を踏みしめたかのように、空中で軌道を変えた。光槍が外套を掠め、背後の壁に大穴を開ける。
光槍が炸裂する轟音の中、ベティカは手をついて着地をすると、わずかに顔を歪めてプラウを睨んだ。まるで憎悪を向けるに足る敵であると認めたかのように。
一方のプラウは相手の身のこなしに感心していた。空中で軌道を変えたのは空力式だろうか。教科書の片隅に書いてあった記憶があるが、実際に使っている奴を見るのは初めてだ。試したわけではないが、それが難度の高い技であることはプラウにだって分かる。
(……流石に強いな)
気付かれぬよう右手を強く握る。
知識、判断力、
小細工をしたところで勝ち目は薄い。だから……プラウは戦法を変えない。
自分は投射式が得意だ。他のすべてが及ばなくとも、投射式だけは相手より上手く扱える自信がある。だからこの方法が、自分の取れる唯一の勝ち筋なのだ。
プラウが右手を振って光の粒をばら撒くと、ベティカは障壁式でそれを防ぐ。その障壁式を貫くべく再度右手で光槍を放つと、ベティカはそれを回避すべく軌道を変える。
そう、この一瞬。この瞬間だけは、ベティカの障壁式が消えるのだ。複雑な輝式を複数同時に結ぶ事はいかにベティカと言えど難しいのだろう。プラウはその隙を逃さず光の粒をばら撒き、ベティカはまた障壁式を出して防ぐ。
さながら、飛ぶ鳥とそれを射ようとする狩人の攻防だった。だがこの膠着状態は決して安定ではない。時間の経過とともに、プラウはゆっくりとベティカに間合いを詰められていく。そして二人の距離がある閾値を下回ったそのとき、
ベティカが二回、空を蹴った。
二連続の軌道変更。リズムを崩されたプラウの散弾は、自身の右手とともに虚しく宙を切る。不規則な騙し軌道で空振りを誘ったベティカは、
破裂音がひとつ。
プラウの首は飛ばず、かわりにベティカが宙を舞った。重力に引かれるままに落ち、頭から地面に激突するかというところで受け身。その勢いのままに体を起こしてプラウを睨む。
対するプラウはゆっくりと左手を下ろした。
そう、左手である。プラウはベティカに接近を許したときのために、左手の投射式をずっと温存していた。飛ばせる光弾も少なく、利き手でないぶん威力も精度も劣るが、相手を戦闘不能にするには十分――いや、十分な
ベティカの腕に血が滴り、白い肌に鮮やかな曲線が引かれる。咄嗟に障壁式を出して胴を守ったためか、傷は浅そうだった。
(あのタイミングで防いだか……)
そして一方のプラウも無事ではない。ベティカが狙った左の首筋にじわりと血が滲んでおり、あと少し遅ければ血の噴水ができていたことだろう。そして左手の種が割れた以上、同じ手は二度と通用しない。
「……退け」
だからプラウは短く告げる。
「あんたも
このまま続ければ本当に血の雨が降る。戻れないところまで行ってしまう。だから、退け。退いて手打ちにしろ。プラウは強く念じる。
一方のベティカ。息を荒くしながらも目に灯った仄暗い炎は消えていない。その眼差しのままわずかに思案をしたかと思うと、舌打ちを一つして眉を寄せる。そして、
「命拾いしたな」
ベティカはそう吐き捨てると、そのまま踵を返して歩き出した。プラウは、その背中が曇り空の下へと消えるのを、ただひたすら眺めていることしかできない。
「あ、ありがとう」
背後から声。振り返ると、リッカが少しばつが悪そうな表情をして地面に尻もちをついている。助けてもらったことを申し訳なく思っているのだろう。
「いいよ、別に。ちょっと触るよ」
だからプラウは跪き、その気持ちを伝えるようにリッカの具合を見てやる。凹んでしまった胴鎧が痛々しいが、幸い大きな怪我はなさそうだ。
「ホント災難だったね。立てる?」
手を差し出し、そのまま力を込めて引き上げてやる。リッカは立ち上がる瞬間に少しだけ顔を歪めたが、その苦悶もすぐに不安そうな表情に飲まれて消えていく。
(それにしてもベティカのやつ……)
あいつがリッカを嫌っているのは知っていたが、こんな風に滅茶苦茶な暴行をはたらくとは思っていなかった。院内審判での無理筋な訴えもそうだが、最近のベティカはどうもおかしい。自分の見ていない場所でリッカと何かあったのか、あるいは変な妄想にでも取り憑かれたか。
――怪しげな物品を所持していて
不意にベティカの言葉が脳裏をよぎり、視線がリッカの腰袋へと向かう。
そういえばここ数日のリッカは確かに様子が変だったかもしれない。話しかけてもどこか上の空だったし、いつもは一緒に食べる夕飯も一人で隠れるようにして食べていた。
「どうしたの?」
「……いや」
プラウは自身の考えを打ち消すかのように頭を振る。
こいつにも、人並みに言いたくないことがあるんだろう。ちょっとした失敗の隠蔽か、異性にまつわるものか。はたまたとんでもない問題の火種か……。一体何を隠しているのかは分からない。分からないが、いずれにせよ――
「ほら、行こうよ。
プラウはそう告げると、リッカの手を引いて歩き出す。
――落ち着いたら、何があったか聞いてみても良いかもしれない。
路地を曲がり
オリジナル・自サイト版。イラスト多めで変更履歴も見れます
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カクヨム版
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