その日、常春の街と呼ばれる領都では数十年ぶりとなる"雪"が降った。空気で肌が張り裂けそうになる寒さで、指先の感覚が少しだけ鈍い痛みを感じていたのを覚えている。
私はおじいさまに連れられ、そんな寒い天気、白く染まった街の中を歩いていた。
銀世界にたくさんの人が並んでいた。
悲しそうにする人がいた。
怒りを隠さない人がいた。
楽しそうに笑ってる人がいた。
涙を流す人がいた。
感情を忘れてしまったみたいに無表情の人がいた。
色んな人がいた。みんなばらばらだけど、共通していることが一つだけ。
みんな、道の真ん中だけ開けていた。
だけど雰囲気は……お葬式のような。
そんな不思議な日だった。
私はおじいさまと一緒に、その列に加わった。
今は引退しちゃったけど、おじいさまは騎士団の元団長で、みんなおじいさまに話しかけていた。
でもおじいさまは少しも嬉しそうにせず、むすっとした表情のままで、そのうちみんな、話しかけるのをやめていた。
肌寒く、薄暗い雪の日。
白く染まった、がやがやと人々が少しだけ騒がしいそんな日。
セピアに色づくそんな世界。
思い出だから? 違う、みんな忘れてしまいたいのだ。
そんな忘却と夢の境のようで不思議な──
白く、白く染まった雪の日に──
少しだけ騒がしくて、でもなぜか物寂しさと静かを感じていた──
──そんな日だった。
"──ジャラジャラ"
空気が変わった。
それは鎖を引きずる音。重苦しくも甲高く、鋼鉄が地面と擦れて響く嫌な音。
やけにそればかりが目立つ不思議な音で、気づけばみんな、その音のほうに目を向けていた。
「見ろ。我が孫娘よ」
「あれが此の世で最も重く、
そして赦されざる罪を犯した者だ」
「最も恐ろしく、最も悍ましい咎人だ」
「人の世にあってはならない厄災そのものだ」
「あれをもしただの罪人と呼ぶならば
すべての罪人が犯した罪は児戯と化す」
「ゆえにあれこそが、あれのみが大罪人」
「我が孫娘よ、お前だけは忘れるな」
「あの狂人にして凶刃そのもの」
「人の形にあって人の
「血に飢えた
「血に濡れた刃」
「獣の
「天涯孤独、単孤無頼の独り善がり」
「誰より何より血と泥にまみれ──」
「──堕ちた英雄の面構えを」
おじいさまはそう言っていた。
でも、おじいさまには悪いけど、当時はそんな言葉は一つも聞いていなかった。耳が聴いていなかったわけじゃない。
ただ私の脳が、全身が知覚していたのは、一人の男。
その男には表情がなかった。
目はある。口も鼻もある。むしろ顔には何一つの欠陥も欠点もなく脳が狂いそうになるほど整っていた。
黄金の瞳。夜の漆黒のような髪。先住民の象徴である褐色の肌。
闇の精霊、夜の化身。
あるいは彼そのものが──神。
そう言われても納得しかできない。
むしろそうでなくては理解できない。
だって、その男は……
しかしだから、だからこそだろう。
私の脳が彼への理解を拒んでいる。
だからこそ、私は彼には表情がないと認識していた。
ただ目を離せない。
美しい。呼吸を忘れるほどに。
目が、脳が焼きつくほどに。
私だけではない。彼を認識したすべての人々が、人ではなくなってしまったかのように、物静かな置物になった。
いや、違う。
話す人はいる。
懇願であれ嘆願であれ怨嗟であれ憎悪であれ罵声であれ罵倒であれ絶叫であれ嘲笑であれ歓喜であれ。
声をあげる人はいる。
ただ認識できない。
私が知覚するのは、その男だけ。
彼の周囲だけ空気が違う。
ただ美しいだけでは説明できない風格と雰囲気、気配、気品、とにかくそういった容貌だけではない何かが、超越していた。
静かな夜のようで──
だけど凄絶な"熱"を──
──太陽を心臓に宿しているような人。
平民と言われても信じられない。
王族と言われても、まだ足りない。
だからきっと、あの人は神様で──
──そんな神様が、鎖に繋がれている。
「我が孫娘よ、お前だけは忘れてくれるな」
「我等の罪と彼等の罪」
「我等はこれから世界を救うために──」
「──自ら、救世主を売り渡すのだ」
そしてこの後すぐに知ることになる。
お葬式と感じていた私の感覚はさほど間違いではなかった。
彼はこれから処刑される。
犯した罪は『
銀貨三〇枚で売られて死んだ私の神様。
これが私の、幼心に刻まれた
私が私になる前の話。
「我が孫娘よ、お前だけは忘れてくれるな」
「お前だけは……
覚えていてくれ……忘れないでくれ……」
「あの男の名は──」
すべては過ぎ去った遠い過去。
変わることのない、今は昔の御伽噺である。
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────
──
"最低最悪と称された祝祭であっても、神々に捧げる供物であることに変わりない。それが血と糞尿を掻き混ぜた穢色で彩られてしまったがゆえであっても。やり直しなどできないのだから"
"しかし神罰を畏怖するならば剣をとれ"
"仕切り直しを望むならば流血をもって臨め"
"これより晴れ舞台をもって神々を信ずる者どもの神楽を舞う。"
"では始めよう。聖戦士──否、聖騎士の矜恃をもって"
"死と流血の花を咲かせよう"
"赤き少女よ"
"涙で頬を腫らす君にどうか多くの幸あらんことを"
"ゆえに"
"──轟ッ"
"問答など無用。
初撃にあって
回避も防御も困難な黒赤の雷霆をまとうその一閃は、音を置き去りにする程度には早く、鋭い。
不殺の祝祭にあって死肉を生成しかねないその所作は、偏に対峙する者の実力を確信している……信頼ありきの一種の愚行。
戦場にあって慈悲も慈愛もない。
行動原理は常に変わらず、いつだって機械のように
それがマリア・メルセデス・エディ・ハグワールという少女の不変にして不動の強さである。
対峙するのは赤。才覚において同等。類い稀という言葉さえ罵倒と成り得る彼女の異名は『最優』にして『万能』。
対の天才と呼ばれる少女が魔法魔術、戦術、戦略的の個にして軍たる絶倫の破壊力を持つ、生粋の天災であるのに対して、赤き少女は生まれながらの才覚とそれを絶え間なく磨き続ける開花した千年に一度の逸材。
赤き少女は悔いていた。
自分の命は惜しくない。惜しいのは巻き込まれるであろう他者の命だ。矮小な愚行によって窮地に貶められた同胞たちを救う手段は確かに目の前にあった筈。
しかし赤き少女は、その機を自ら投げ捨てた。
……しかし、仕方がなかった。
百合の少女の言葉は間違っていなかった。
むしろ赤き少女に望んだ願いは狂人染みている百合の少女にしては物珍しい普遍的で穏やかな願いだった。
しかし駄目だ。駄目なのだ。赤き少女はすべてが憎い。すべての先住民を憎むと誓っている。それを違えることはできない。
そしてその憎しみは、眼前の黒き少女にこそ燃え滾る。
全身に血を通して激情が宿り、流れ、そして爆発する。
黒赤の雷霆纏う破壊の初撃。
回避も防御も無理難題の一撃必殺。そんな絶技に対して赤き少女が出す答えは一つ。同程度の技で迎え撃つ。
黒き少女の初撃は所作で理解していた。
ゆえに放つ、
瞬間、黒赤の雷撃を相打つのは真紅の炎撃。
魔炎を纏う剣閃は、雷撃と同様に音を置き去りにする迅速にして容易く山河を焼き尽くす絶技。
つまり起きるのは相殺ではなく──
"──"
──音が消え去るほどの爆発だった。
そして赤き少女は、獣の如き咆吼を轟かせる。
「お前は──『
赫焉の炎はただ燃えゆ。
望むのはその灼熱をもってすべてを焼き尽くすこと。
かつてただ善良なだけだった少女はすでに息絶え、ここに在るのは復讐と嫌悪を薪とし焚べる者。
絶望を抱き、息絶えるのを待つばかりだっただけのか弱き少女などもう居ない。もう要らない。
万能たる才覚、その全知全能をただ焚べる。
燃え残ったものの中から再び見つけられた火種を探し、再び燃やし灰とする。そして創造する──純黒の殺意。
それがグラナ・ジャーマ・ロホ・カルミンの変えようのない生き様にして強さだった。
凡夫の試合開始の合図など無意味。
此度の戦争、その開戦の号砲は赤き咆吼をもって真となる。
凡庸たる戦士では理解し得ない超越者同士の闘争。
千だの万だのではまるで桁の足りない個にして災害そのもの同士が全身全霊をかけて臨む決闘の火蓋が今こそ、切られた。