気づけば、
石造りの部屋。窓はないが入り口から差し込む光と照明魔具の光でそれなりの明るさがある。
夢のような浮遊感と酩酊感。
ぐるぐる。
ぐる。ぐるぐるぐるぐる。
る?
いや──
「よォ、気がついたか。よかったよかった、あの術もヤり過ぎると頭ン中がパッパラパァになっちまうからな」
──男がいた。
つまり、あの光景はすべて現実だったということで。
激情が全身に巡る。
ゆえに再び衝動に身を任せようとするが……。
「だからよォ、余計なことすンなって。あのガキ殺すぜ?」
「チッ。……
口枷はない。足枷もない。
あるのは首輪だけ。
それも鎖に繋がれていない。
衣服の類もないが……。
少し前の状態を比較すると随分と自由になっていた。
しかし肩を動かすことはできなかった。
そもそも肩の先の感覚すらなかった。
「肩の腱も切った。傷痕ねェし痛みもねェだろ? すげェだろ。まァ、膝立ちになるか芋虫みてェに這いずることはできっけどよォ……やめとけやめとけ。てめェ、あのガキを見捨てられねェンだろ?」
「……はぁぁぁ。私のような未熟者を
「あァ。中身がガキでも身体が出来上がってンならイける、ついでに面もイイならなお良し、簡単に靡かない女なら満足だ。
……ギヒッ、その上なァ……上位
本当、オリータセンセーがイイ女を連れてきてくれて助かるぜ」
「……オリータセンセー?」
「なンだ、フルネームを知らねェのかよ。エミリオ・ソル・ラフル・オリータ。てめェら、あの変態学者に言われて来たンだろ? あァ、てめェらを裏切ったとかじゃねェぜ、単にセンセーは相変わらずバカだなァって話だ」
「……エミリオさんの知人だったのですか」
「察しが悪ィなァ……俺ァ学院出身なンだよ。こンな面だけどな。オリータセンセーは俺の恩師ってやつだ。俺より雑魚だけどな。討伐隊で合流しようっつって、マジで信じてンだよ。バカが、今更仲良しできる訳がねェに決まってンだろォが」
「……はぁぁぁ。理解できません。エミリオさんに恨みでもあったのですか? ……いえそもそも、ごみ女の後輩?」
「おうおう、可哀想になるくらいてめェもバカだねェ。バカな女はあンまり好きじゃねェンだけどなァ。ま、ガキだからしょうがねェか。そうだなァ、恩八割、憐れみ一割、残る一割が恨みってとこだな。でもまァ、人を殺すのに一割ってのは十分過ぎンだろ。センセーはどうしようもねェバカでよォ……ったく、思い出すだけでムカつく思い出で胸がいっぱいだぜ、こちとら。少なくとも三〇〇〇文字前後じゃ語り切れねェ程度にはよ。
……あァ、で、ごみ女な。てめェの先輩にいンだろ、ごみごみうるせェごみ女がよ」
「……リリー先輩ですか。旧知ですか? 失礼ですが、今のリリー先輩が貴男のような人間と繋がりがあるとは思えないので」
「そりゃ俺に失礼ってことか? それともごみ女に失礼ってことか? まァ、どっちでもイイけどよォ……旧知ではねェな。あのごみ女が俺を認知してるとは思わねェわ。唯我独尊にもほどがあンだろ? あのごみ女も。しかしなァ……結構ヒントくれてやってンだからよォ……いいかげン俺が誰なのか、察してほしいンだがねェ……俺ァ、オリータセンセーと違って教鞭とってる訳じゃねェンだわ。
あァ……出血大サービスだ。もし一発で当てられたらてめェのお気に入りに回復魔法かけてやンよ」
眉唾な話にもほどがある。
回復系は放出魔法の中で、最も理解と修得が難しいと言われるものの一つ。繊細な魔力操作と全属性を中級以上使えることが最低条件の高難度のもの。
……いや、しかし。
この男ならば可能かもしれない。
あれは、普段
……真偽はさておき、ロカを人質に取られている以上、これ以上この男の意に反することをすればロカの身が危ない、か。
しかし、思い当たる節がまるでない。
エミリオさんの交流なんて知る筈もない。
逆に、リリー先輩を恨む人間から考える場合は、該当しそうな人間が多すぎる。あの人、普段から人に恨まれることばかりしてるから。
学園の関係者ならばいざ知らず、学院の関係者ともなれば一層、私に心当たりがある筈がない。
著名人、あるいは指名手配者?
……クソが、何で私がこんな見知らぬ他人のことなんか考えなくちゃいけないのか。一刻でも早くロカを探さなくてはいけないのに。ロカだけではない、アキはいったいどうなった?
…クソが。誰だお前は、誰なんだ。
考えろ、今までの会話にヒントがある?
何処に?
学院関係者。最上級の風属性魔法の使い手。
エミリオさんの生徒? リリー先輩を知っている。
いえ、リリー先輩はこの際置いておく。
あの人周りの情報は今は
……風。上位
……。…………。
知るか、クソが。
「マジで
そうだな、もう俺のことは【ゴブリン】と
「……はぁぁぁ。なんとも大胆な名前ですね。それで結局貴男は何がしたいんですか?」
「何がしたいって、そりゃナニだよ。……伝わンねェか。いや、そもそもそンな刹那的な話しじゃねェか。目的ってやつ? そうだなァ……」
この男、間違いなく品性は下劣にして外道。
しかしただのチンピラにしては妙に理性を感じる。
物言いも、知性を感じなくはない。
学院出身というのも嘘ではないのだろう。
……あれほどの実力。ただ力任せで今の境地に至ったとは思えない。才能、時間、環境、努力、どれか一つでも欠けていては辿り着けない一つの境地だろう。
それが何故、ここまで腐っている?
そんな疑問を抱いていると、男──自称、ゴブフレは静かに語り始めた。
「チンケな言い方をすりゃ『復讐』あたりか? ……違ェな、俺ァ……全部めちゃくちゃにしたいンだよ」
「……典型的な悪ですね。道端に捨てられたゴミの数よりありふれたものだと思います」
「ギヒッ、言うねェ。……性悪説って知ってンか?」
「……人間の
「ハッ、それぐらいは知ってたか。性善説はその逆な訳だが、まァどっちも言ってることは同じだ。善人も悪人も本質は同じだっつゥ話だわな。人間は人間以外にはなれねェ。俺もそンな感じよ。
自分語りになって恥ずかしいンだが、俺ァ学院にいた頃は天才なンて言われてたンだけどよ。まァ……そン時の俺の評価は優等生だった訳だ。あァ、品行方正だったって訳じゃねェぜ? 最低限、弁えてたって話だ。俺も俺で唯我独尊だった訳だが、それでも犯罪とかはしたことがなかった訳だ。が、そン時の俺と今の俺、本質的に何かが変わった訳じゃねェ。当時から俺ァ荒っぽかったし、女を嬲りながら
で、だ。そンな学院時代の俺と今の俺でいったい何が違うか、
「……立場、ですか」
「お、正ッ解。これは俺の持論なんだが、人間の
「……失ったのですか、何もかも」
「おォ、大正ィ解。花丸満点くれてやンよ。俺ァもう人間である理由がなくなった。人の道を歩いたところで他人に石を投げられるくらいなら、外れた道で、好きなように生きる。
「……はぁぁぁ。要するに貴男は、貴男から立場を奪った者たちへの復讐……ではなく。当てつけで、こんな非道なことを?」
「ぎィはははッ!! そうだな、当てつけだな! 復讐なンて言葉なンかよりはよっぽど的確だわ。俺の語彙力の低さが泣けンぜ。イイ言葉だわ、あンがとよォ。
あァ、勿論──泣きわめく女をボコボコにして
冒険者、人間
人間が社会を築く上で
だから
ギヒッ、で、だ。
俺の目的は当てつけだけに留まらねェ。
人として生きることをやめた。【ゴブリン】と同等にまで堕ちる。
これでいいか? 感想を聞かせてくれ」
妙に感じていた理性。
物言いのところどころに感じる知性。
もしかしたら彼は
話を聞いて、そう感じた私は確かにいる。
理性、知性、法律、犯罪、性善説、性悪説。
教鞭は執らないと言っていたものの、語り口は相手に話を聞かせる類のもので、長いが一方的なものではなかった。
彼の言いたいことが
おそらくこの男は、コミュニケーション能力に致命的な欠陥があるわけではない。
しかしその上で人間との会話を本質的な意味で拒否している。人として生きることをやめたとは言ったが、それはそういう意味でも言っていたのだろう。
それらを踏まえた上で。
感想を。
感想?
"ふふふっ、ははっ"
嘲笑が聞こえる。可憐だが耳障りな声。
いない筈の人物の声。
実際にいない。間違いなく幻聴の類。
"どうするどうする? なんて言うの?"
黙ってください。
……どうせならロカの声ならよかったのに。
楽しい記憶よりも悲しい記憶のほうが色濃い。
希望は一瞬、絶望は一生と言わんばかり。
はぁぁぁ。脳内で思わず溜息のイメージ。
感想? 感じたこと? 想ったこと?
「──どうでもいい」