戦場を殺戮の豪雨が覆う。
戦場の開幕と同時に放たれた一撃以降、アキはすでに千を超える『
平時では不可能なほどの猛攻。それを可能にするのは魚──獣の本能によって鋭利に、そして純化された荒れ狂う殺意。
そして魚──獣の本能で、アキはゴブフレとの戦い方を直感した。風属性の操作系は、他の三属性の操作系と比較して確かに凶悪。こと殺人に限れば他の追随を許さないほどにその応用の幅は広く、人殺しに向いている。
しかし、基本属性の操作系にも欠点はある。操作系は前提として操作対象の状態を視認しなければ行使できない。視認せずに行使すれば『暴走』の危険性が高まる。
故に、アキのとった選択は極めて単純。
周囲一帯を、水没させる。
アキに転象は使えない。しかし『ゴブリンの根城』の内部構造は巨大な穴倉と蟻の巣型の複合。常人を凌駕する魔力量のアキならば、時間こそ限られるが戦場を水で満たすのは不可能ではない。
故に。
(これで風操作はできない!! 風を放出したところでボクの魔力量が勝つ限り、何度でも水没させてやるッ!!)
一分。
それが、アキがこの戦場で
獣の本能と才覚、殺意、不意打ちの成功、そして幸運。アキの持つ全てを叩きつけ、ようやく手にした優位。唯一無二の
(でもこれが最大最後の
だからッ!! ここでッ!! 決着をつけるッッ!!!!)
そして。
(あの男の風結界は普通のとは違う!! 普通は風の壁で攻撃を防ぐだけだけど、あの男への攻撃は全部
本来ならば【ビースト】に魔法は使えない。
しかし、人の理を生きようとした彼女は、その姿を得た瞬間から限定ながらも魔法の行使が可能になった。
そして今、弱肉強食を生きた獣の本能と人間に対する憧憬から生まれた人の理性が、殺意によって束ねられ──
──アキの魔法は、さらなる開花を迎える。
「『
新たな魔法の創造。
戦場を満たし、戦場そのものと化した全ての水を束ね、巨大な水剣に造り変える。
それは小規模かつ限定的な
剣の
その効果は──
「ローちゃんを傷つけた罪をッ!!
贖って死ねッッッ!!!!!!」
──無尽蔵の水圧斬撃。
この一瞬、アキの魔法は上級の域を逸脱した。
故に、この攻撃の規模は災害──街一つを容易く滅ぼす。
常人に抗う術はない。
上位を冠する者とて、この水害に抗える者は一握り。
故に。
「人間の摸倣ができて、魔法を使える【ビースト】ねェ……」
「……はぇ?」
"──暴ッ"
それは、あまりに容易く吹き飛ばされた。
街一つを滅ぼす剣の
しかしそれは、
約五秒。一分にも満たない僅かな時間。
勝利を夢見たアキに、容赦なく現実が突きつけられた。
「なんっ、なん……で……??」
「しかし珍しいってのは才能だよな。ガキの狭めェ穴にイチモツぶち込んで壊すなンざ趣味じゃなかったンだが……てめェ相手なら悪くねェかもな。いや、てめェ相手だと獣×になっちまうのか。やっぱなしだな。……で? てめェがここにいるってことは、ゴブリンキングの奴は死ンだか?」
「なんで生きてるんだよォッ!!」
"──ドゴォッ"
「お゛ぇッ!! ひぃ……ッ!!」
「質問に答えてくれよ。あれが死ンだどうかで、今後の予定を変えねェといけねェンだからよ。なァ?」
「ひぐっ、ひぃ……ひぅ……こ、殺さないでくらしゃい…ッ!!」
「……あァ?」
自身にとっての最強の一撃を受け、なお無傷。
この時点でアキの心は折れていた。
獣の本能は、闘争において類い稀なる戦意と勝利への布石をアキにもたらした。
しかし同時に、獣の本能は悟ってしまった。
不可視の打撃……圧縮された風撃で腹部を殴打され、悶え苦しむ。その衝撃で、アキの
そして剥き出しにされたアキの心は、簡単に
「へ……へへ……しゅ、しゅごいでしゅっ!! さすがでしゅ!!」
「はァ。萎えるなァ、オイ。……あァ、×××……【ビースト】だもンな。弱肉強食の本能に逆らえねェのか」
「あのっ、その、えと、あのっ……!!」
「で? ゴブリンキングは死んだのか?」
「ふぁい!! ボクが殺しました!! ごめんなしゃいっ、ごめんなしゃい、許してくだしゃいっ、ごめ」
びちゃん。
言葉を言い終えるよりも先に、
すでに水獄は解かれていた。アキは空気に対して無防備になっていた。そして、
故に必然の結末である。
突如として始まったアキとゴブフレの戦い。
その決着は、あまりに呆気なかった。
そして。
「安心しろ。殺しはしねェよ、色々と使い道も多そうだしなァ。
それに──本命はてめェだからな」
"──號ッ"
殺戮の地鳴りが、戦場に響き渡る。
「──
──────
────
──
善悪を問わず、全ての聖騎士には加護がある。
それは先天的に神より授けられるものであり、後天的に加護を得た人物は例外中の例外たる『英雄』唯一人。
つまり、おおむねそれらは天賦の才と同質と言える。
聖騎士は神の力の代行者。
その力は種別を問わず絶大。
当然、それは人格形成にも多大な影響を及ぼす。
エスメラの授かった『剣の加護』は、担い手の振るう剣の概念を昇華させ、そして担い手を剣から保護する能力を持つ。
あらゆる剣はエスメラの支配下に置かれ、いかなる剣であっても主人であるエスメラを傷つけることは叶わない。
そして、『剣の加護』は剣の才覚すらも保証する。事実、エスメラの剣技は若くして卓越している。その剣閃は冷厳。振るえば遍く命を絶ち、見る者の心に羨望と、絶望を与える。
仮に形無し、型破りな一閃であろうとも、彼女が振るえば全て絶技と成り得るだけの技術が注ぎ込まれる。
剣技とは、鼓動と同義であり同質。
それがエスメラの常識である。
……しかし、もうひとつだけ。
『剣の加護』は、エスメラの才覚を保証していた。
剣とは、人を殺す道具である。
獲物を狩る獣狩りの狩人の道具が成長・進化した類ではない。解体を目的とする刃物とも異なる。
それらは全て似て非なるもの。
近しくとも別種。
剣と定義され、誕生した全ては。
純然たる殺人の道具として誕生する。
剣を以て誰かを守るとして。
剣を以て大義を成すとして。
剣を以て醜悪を討つとして。
剣とは、人を殺す道具でしかない。
人を傷つけなければ、人を守れない。
煌びやかな言葉で飾ろうとも、その本質は変わらない。
『剣の加護』は──
──エスメラの殺意を保証していた。
本来のエスメラの気質は極めて善良かつ温厚。
しかし誕生の頃より常に『殺人』の概念が頭の中にあった。
他者の幸福を願い、喜び、他者の不幸を嘆き、哀しむことができた筈の彼女は、しかしそれに相反して、『剣の加護』と
『悪』と定義されるものに対しては、特にそれが顕著だった。
しかし成長と共に道徳心と倫理観を築き上げた彼女は、例え悪人であったとしても、殺人を犯してしまえば、それこそ悪であると理解していた。
故に、エスメラは常に自身の気質と、加護由来の衝動の差に極度の違和感と異質感、そして強い精神負荷を感じていた。
それは断食のように。
それは断眠のように。
それは断欲のように。
彼女は欲望を自制して生きてきた。
無味無臭どころではない、禁欲の日々である。
故に。
「──ハァァァ」
生まれて初めてのことだった。
その欲望──渇望を解禁したのは。
『剣の加護』に意識を委ね、その全能を解禁したのは。
準備開始。
最初に無詠唱の『
石造りの部屋から剣を創造する。
その剣を以て、エスメラは自身の動かなくなった両肩と両足を切り落とした。動かないなら意味がない。意味がないなら要らない。
急死しても不自然ではないほどの激痛がエスメラを襲うが、怒りと殺意がそれらを一時的に忘れさせる。
そして石造りの部屋と
エスメラにそれらの知識はなかったが、
以降、この手足は『
首輪を切断する。
そして布きれ一枚すらない素肌全体を石の鎧で覆った。
重厚な甲冑の女騎士。
それが今のエスメラの外見である。
そして最後に、敵を殺すための剣を創造する。
準備完了。時間は数十秒程度。
その時間は、
つまり、彼女がいなければ成立しなかった最大最後の
故に、次の機会は皆無。
この戦いで、決着をつけなければならない。
しかし、ここでひとつだけ。
エスメラにとっても、そして『剣の加護』にとっても想定外が発生していた。
前述の通り、エスメラにとって渇望の解禁、『剣の加護』の全能を解放するのは生まれて初めてのことであり、一度もその衝動に身を委ねたことがなかった。
これがエスメラの初体験である。
故に。
エスメラは、『剣の加護』は──
「──
──暴走していた。