妙な浮遊感と気怠さを感じていた。
そんな奇妙な感覚。中途半端な夢見心地。
「やぁ。気がついたんだね」
そんな私の意識を覚醒させたのは、あまり聞き覚えのない女性の声でした。
「ぁな……あ……は……?」
上手く声が出ない。
「あー、無理に声を出さなくてもいいよ。とりあえず状況を説明してあげるけど、どうせ今の状態じゃ覚えきれないだろうし、あとで他の人に訊いてね」
その言葉に、頷いた。
……何か大切なことを忘れているような気がしている。
「まずは生還おめでとう。よかったね、まさか
でもまぁ、あんまり無理はしないほうがいいよ。キミの肉体、ぐちゃぐちゃのスープになってたから。正直
あ、鏡見る?」
そう言って、彼女は手鏡を見せてくれた。
そこに映っていたのは、五体満足の私の姿。
斬り落とした筈の手足が、生えていた。
「キミも、キミの仲間もみんな無事だよ。サケサケ言ってる娘がキミたちを連れて帰ってきたんだ。裸でね。
あ、牧場に囚われていた女の人たちも無事だったよ。【ダンジョン】は無くなってたけど、地中に埋まる前に、キミが生存者を全員地上に放り出したんだってさ。
すごいすごいっ♡ えらいね、褒めてあげる♡」
「……はぁぁぁ、何か、適当なことを言ってませんか……?」
「あ、話せるようになったんだ、よかったね」
あぁ、そうだった。そうでした。
私は『ゴブリンの根城』で
それで【ダンジョン】が消滅して、全員が地中に埋まる瞬間、水の剣の力で生存者だけを地上に押し出して……ロカの安否を確認した瞬間、意識が途絶えたのでした。
……よかった。
「よかった、あぁ……よかったぁ……」
「うんうん、よかったよかった。まぁ、解体許可が出てない【ダンジョン】を勝手に解体するのは重罪なんだけどねっ」
「……あー……」
「ふふっ、まぁ冗談だよ。大丈夫大丈夫。そのあたりは学園長が上手いことやっとくってさ。けど気をつけてね? 前科持ちになると、色々と生きる上で面倒くさいことが増えちゃうよ。……今回の黒幕みたいにね」
「……黒幕の……あの男の死体は発見されましたか?」
「んにゃ。発見されてない。肉塊になって地中に埋まり続けてるのかもしれないし、もしかしたら生きてるかもしれないし。
まぁ、生きていたとしても長生きはできないだろうけどね」
「それは……そうだといいですね」
そうあってほしいと思います。
しかし実際に戦った身としては、本当にあれで倒すことができたのでしょうか、そんな疑念で落ち着けません。
ロカの不意打ちが再度成功して、そこから無理矢理私が展開を続けてようやくダメージを与えることができた。そんな相手です。何らかの方法で生き延びていても、不思議ではありません。
「あー……そうじゃなくてねぇー……」
「……?」
「その人が何を想って何を考えてたのかまでは知らないけど、ご愁傷様だよ。よりにもよって、メンヘラを拗らせてる時期の
その言葉を聞いた時、ふと思い出したのはリリー先輩。
しかし今のリリー先輩は、メルセデス先輩の影響でそれなりに安定している状態だと聞いています。
……そういえば、あの人にも謝罪をしなければ。
「まぁ、そのあたりキミは気にしなくていいよ。とりあえずキミの身体は完全に治療したけど、体力の回復には時間がかかるから。ゆっくり休んでね。じゃあね、ばいばいっ」
「……あっ、すみません。あの、貴女が私を治療してくださったのですよね? ありがとうございました、正直、元に戻るとは思っていなかったので……その、本当にありがとうございます」
起きたばかりのせいか、うまく言葉が出てきません。
「あぁ、いいよいいよ、気にしないで。お礼は受けとっておくけど。アルバにお願いされてなかったら、正直に何日もつきっきりで看病なんてしなかっただろうから。アルバにはちゃんとお礼を言っておいたほうがいいかもね」
「……そうですね、本当にありがとうございました。あっ。貴女の名前を訊いてもよろしいでしょうか……?」
「んー? あれぇ、もしかして知らない? あぁ、いやまだ意識がはっきりしてないんだね。だって
「え」
「……『
「え、いやあの……」
目の前にいる人の容姿は端麗の美少女。肩にかかる長さの髪。髪色は白銀。瞳の色も同じ白銀。身体の線は細いが、下半身の肉つきが良い。そして獣人の特徴である、獣耳。
そんな容姿の人物で、リリー先輩風に言うならば猫耳美少女。
その上、学園の生徒では珍しい、衣服を着込んでいるタイプ。
しかし『
「しょうがないなぁ。自己紹介をしてあげる。
「あの……本当にすみません。その……『
「あー……
「え゛」
そんなことがありつつも。
私は、私たちはようやく学園に帰ってくることができたのでした。
……早く、ロカに会いたい。
────────
────
──
夜闇の中に蠢く命がある。
地を這う虫の如き男がいる。
男の名をラビ。
いや、今では
エスメラとアキの猛攻を受けてなお、あの魔剣解放を受けてなお、男は生き延びていた。
百戦錬磨の直感が、最後の最後に選んだ無意識の選択。
それが男を生かした。
地中に埋まりこそしたものの、その程度で身動きをとれなくなる男ではない。
故に、彼は地中より這い出て、今ではこうして夜空に浮かぶ欠けた月を眺めていた。
その五体は満足。エスメラに追い詰められ、酷使した肉体は疾うに回復していた。
最後に受けた魔剣解放の傷も、既に回復魔法にて治療済みである。
少女たちの命懸けは、当然無意味ではなかった。
無価値でもなかった。
元より強弱の格の差があった。アキの猛攻と幸運、エスメラの自己犠牲と覚醒を得てなお、完全勝利を成すには条件も状況も悪かった。
それだけの力がこの男にあった。
それだけの悪運が、この男にあった。
それだけの話である。
「……結局、生き延びたか。まァ、いい。気分も良い。……ギヒッ、あァ、楽しかったなァ……次はいつ遊ぼうか、ウリィ・エスメラ」
そして依然、当然ながら男に改心の二文字はない。
そもそも堕ちることを目的としていた。そのために【ゴブリン】の王に協力をしていたし、そのために恩師を騙し、殺めた。
一度罪を犯してしまえば、もう後戻りはできない。
そのつもりもない。
生き恥を晒してなお、恥知らずの男は我道を目指す。
元よりその才能はあった。
悪の才能。塵芥の才覚。外道の適性。
理性によって抑圧されていたそれを、解放すべく──
──男は、外れた道を歩む。
人は人の道を歩む。
神は神の道を歩む。
ならば外道、外れた道を歩む者がいるとして。
人の道を外れたところにあるのが獣道であるのなら、その道を歩む者は獣と呼ぶべきなのだろうか。
餓鬼畜生の腐れ外道。
男は生き恥を晒して、今日も生きる──
"コツ。コツ。コツ。コツ。"
──足音。男のものではない。
「あァ?」
呆けていた。気が抜けすぎた。
男はそう考えた。
男の周囲には常に結界が張られている。その効果は防御のためではなく索敵のため。男に何かが近づけば、それだけで風は男に、術者に近づく不届き者を告げる。
しかし、それが不発した。
それ故の思考である。
それが間違いだった。
「あのさぁ、少しはわたしの身にもなってくれない?」
「てめェは……」
揺れる髪は白銀。冷め切った瞳は深緑。
誰もが可憐と讃えるであろう容貌。
しかしその実、内側を一度見てしまえば二度とただの少女とは言えなくなるであろう黒を孕む。
即ち。
「アリス・リリー。なンでここにいやがる?」
「しゃべんないでよ、ブサイク。お前口臭いんだよ。何が悲しくてお前みたいな顔面崩壊の生きたグロ絵画を見ないといけないわけ? 気持ち悪いし気色悪い。死んで詫びて、今すぐに」
「てめェが死ねや」
「生ごみ用のごみ袋の擬人化? ちょっと悪趣味すぎない?」
「あァ……相変わらずだな。もういいわ、死ね」
男が魔法を使う。
エスメラやロカ、アキを幾度となく気絶させた風魔法。
呼吸をする相手の意識を強制的に奪う効果を持つ、対人において最低最悪最凶とも言えるもの。
名を『気絶』。男が開発し、そして誰にも公開していない秘匿されたものの一つ。
故にその存在を知る者はなく、初見での対処は不可能。原理を知ったところで防ぐことは困難な、そんな理不尽な魔法を前に──
「あーあ! ほんっと最悪! グロ絵画見て泣いちゃいそう」
──リリーは、平然としていた。
「あァ?」
「そういえば、お前の母親ってさぁ」
「あァ? いや黙れ、てめェ何を言おうと」
「お前の母親ってさ、実は股ぐらじゃなくて、お尻の穴からお前を生んだんじゃない? 本当はお前はヒトじゃなくて、母親がお手洗いで出した排泄物が、偶々ヒトの形に近かったから、それを我が子と勘違いしたんじゃないかな? どう? 自分の排泄物を我が子良い子可愛い子って可愛がるなんてさぁ、お前の母親もキッショイね。そういうところはそっくりかもね」
「──殺す」
「やってみればぁ?」
──二つの天災が、交差する。