『―――今日のニュースです。本日未明、フランス・リヨンにあるボイスロイド製造工場にて、反
カーテンの隙間から差し込む朝日が、やけに眩しい。鬱陶しさに目を細めながら、俺はテレビの音を片耳に、コーヒーを淹れる。
ズズ、ズズズ……。
誰もいない部屋に、コーヒーをすする音が、間抜けに響いた。
『―――アラビア半島北部に建国された、ロイドのみで構成される国家「01《ゼロ・ワン》」が、国連への加盟を認められました。これを受け、日本政府は―――』
テロに、ロイドの国家。この街の外では、ずいぶんと物騒なことになっているらしい。
ここ―――ロイドだけが暮らす街ここ「音羽市」で、ロイドに囲まれて暮らしている俺からすれば、どこか遠い世界の出来事みたいに聞こえる。……けれど、本当はそうじゃないんだろう。
人間とロイドの間の、目に見えない亀裂は、日本でも、少しずつだが広がっている。
……まあ。
今の俺には、それより大事なことがある。
俺は、テレビを消して、机の上に置いた、ふたつの小さなプレゼントボックスに手を伸ばした。
桃色と、水色。
今日、4月25日は―――琴葉姉妹の、誕生日だ。
茜には、小さなエビフライのアクセサリー。
葵には、チョコミントアイスをかたどったアクセサリー。
何を贈ればいいのか皆目見当もつかなかった俺は、わざわざゆかりさんに頼み込んで、二人の好みをこっそり聞き出したのだ。これでも、俺史上初の、女子への誕生日プレゼントである。
(……いやぁ。これは、モテちゃうかもなぁ)
桃色の箱を眺めながら、にやける口元を、抑えきれない。
二人が、目を丸くして喜ぶ顔が、ありありと浮かぶ。茜は「ほんまにくれるん!?」と大騒ぎして、葵は照れ隠しに、ふいと顔を背けたりするんだろうか。……うん。我ながら、なかなかいいチョイスだ。
「さーて。プレゼント持って、学校に向かうとするか」
ふたつの箱を、鞄に丁寧にしまう。
上機嫌のまま、俺は玄関のドアを開けた。
途端、朝の陽光が全身を包んで、体がぽかぽかと温まっていく。気持ちのいい朝だ。今日は、なんだかいいことが起きそうな―――
「おはよう篠原ーっ!!今日は一緒に学校行こうや!!もちろん、拒否なんてするわけないよなぁ?うちと一緒に登校できる奴なんて、そうそうおらんのやで?ほら、さっさと行こ!」
―――目の前に。
琴葉茜が、立っていた。
「……は?」
思考が、一瞬、混濁する。
朝の挨拶の元気さとは裏腹に、俺の背筋を、すうっと冷たいものが撫でていった。
(……おかしい。家の場所は、誰にも教えてないはずだ)
(学校でも、住所の話なんて、一度もした覚えがない)
(なのに、どうして茜が、俺のアパートの前に……?)
「ほれ♡もうちょい、近くに寄りや」
ぐい、と。
茜が、俺の腕に、自分の腕を絡めようとしてくる。
……その目に。いつもの、悪戯っぽい光が―――ハイライトが、なかった。ただ、とろりとした暗い色だけが、まっすぐに俺を捉えている。
「あ、茜。こ、こんな朝から……どうしたんだ?」
動揺を悟られないよう、平静を装う。失敗した気がする。
すると茜は、きょとんと俺を見上げて、それから、ぱっと表情を緩めた。
「え?……あ、もしかして、照れてるん?もぉ〜、そんな照れるようなことちゃうやろ〜」
よく見れば、茜の頬も、ほんのり赤い。
(……なんだ。こいつ、こんな強気なことを言っておいて、自分も自分で、ちゃんと照れてるんじゃないか。)
それに気づいた瞬間、張りつめていた緊張が、ほんの少しだけ、緩んだ気がした。さっきの目の件も……たぶん、朝日の加減か何かだろう。うん。きっと、そうだ。
「それにしても、さ。―――篠原、今日が、何の日か、わかる?」
「え……えっ?」
不意打ちの質問に、思わず固まる。
今日が、何の日か。今日が―――
「今日が、何の日か、わかる?」
茜が、もう一度、にこやかに、繰り返した。笑っている。ちゃんと、笑っているのに、その問いには、有無を言わせない、奇妙な圧があった。
「あ、ああ〜!うん、うん。もちろん、もちろん!」
冷や汗を流しながら、少しオーバー気味に、相槌を打つ。
(……危なかった。)
あまりに衝撃的な登場のせいで、肝心の用件が、頭の端から、すっかり吹き飛びかけていた。あやうく、世界で一番やってはいけないミスを犯すところだった。
「はい……これ」
俺は、鞄から、桃色のプレゼントボックスを取り出し、茜の手のひらに、そっと乗せた。
茜は、無言になった。
三秒ほど、じっと、その箱を見つめて―――そして、ぼん、と音が出そうな勢いで、顔が、一気に真っ赤に染まった。
「あ、あぁ〜……」
両手を、ぱたぱたと、宙で泳がせている。その仕草が、いつもの強気な彼女とは結びつかないくらい、子どもっぽくて、可愛らしい。
「ほ、ほんまに……うちに、これ、くれるん?もぉ〜、篠原の割に、なかなかやるやんか!―――うち、好きになってまうわ」
「あ、あはは……いや、全然、そんな……」
照れ隠しの軽口に、俺も、しどろもどろに笑い返す。
茜は、宝物でも扱うみたいに、丁寧に、丁寧に、リボンを解いた。
箱の中の、小さなエビフライのアクセサリーを見つけると、その瞳が、きらきらと輝く。絡めていた腕をようやく離して、彼女は、いそいそと、それを自分の鞄に取りつけた。
「ほんっまに、ありがとな!これ―――一生、大事にするわ!」
「あ、う、うん」
一生、か。その言葉が耳に残る
「……ちなみに、さ」
ふと。茜が、上目遣いに、俺を見た。
「葵のは……あるんか?」
「え、うん―――」
その、瞬間だった。
ピクッ。
茜の、左目が。
ほんの一瞬、痙攣するみたいに、動いた。
(……え?ど、どうしたんだ、急に……)
「さっすが篠原やな!抜かりないわ。―――てか、どこで、うちらの誕生日、知ったんや?もしかして、わざわざ、調べて―――」
「ゆ、ゆかりさんに、聞いた……」
ピクピク
茜の、左目が。また、揺れたッッ!!。
(ま、また……!)
俺は、ようやく、ひとつの仮説にたどり着く。
誕生日を「調べた」と言いかけたとき。そして、「ゆかりに聞いた」と答えたとき。茜の目が、反応した。
つまり―――茜が引っかかっているのは、プレゼントの中身じゃない。
俺と、ゆかりさんが、二人で、こっそり連絡を取り合っていた。その紛れもない事実の、ほうだ。
「……篠原。それ、ゆかりはんと、二人で、相談してくれたん?」
「あ、ああ。お前らの好み、俺、全然わからなかったから……」
「ふぅん。……そっか。ゆかりはんと、なぁ」
笑顔のまま。
声のトーンだけが、ほんの半音、下がった気がした。
ぞくり、と、得体の知れない何かが、首筋を撫でる。けれど、それが何なのか、俺には、まるで掴めない。
「―――まあ、ええわ!」
次の瞬間には、茜は、いつもの、底抜けに明るい笑顔に戻っていた。
「プレゼント、ほんまに嬉しい!うち、今日は一日、ご機嫌や!ほら、葵が待っとるかもしれんし、早よ学校行こ!」
「あ、ああ……」
ぐいぐいと腕を引かれて、俺は、登校の途につく。
隣で、鼻歌交じりに、上機嫌で歩く茜。鞄で揺れる、小さなエビフライのアクセサリー。と胸。
それを見ていると、なんだか、こっちまで嬉しくなってくる。
……そう。
俺は、結局、最後まで、気づかなかった。
茜の頭の中で、たった今、ひとつの項目が、静かに書き換えられたことに。
『―――篠原の周辺。要注意人物に、結月ゆかりを追加。接触頻度、要監視』
(……葵、喜んでくれるといいな)
朝の光の中。
何も知らない俺は、もう一人ぶんのプレゼントが入った鞄を、ぽんと叩いて、暢気に、そんなことを思っていた。
―――
―――
―――
教室に着くころには、茜の機嫌は、すっかり最高潮に達していた。
「ほら篠原、見てや見てや。このエビフライ、めっちゃ可愛いやろ。一生もんや、一生」
「はいはい……」
腕を絡めたまま、鞄のアクセサリーを、会う人会う人に見せびらかしている。俺としては、そんなに喜んでもらえると、贈ったかいがあるというものだ。が、同時に、若干の居心地の悪さもある。
なにせ、人間が、小柄なロイドに腕を引かれて入室してきたのだ。教室中の視線が、否応なく、こちらに集まっていた。
そして、その視線の中に。
ひときわ、静かなものが、ひとつ混じっていた。
「……お姉ちゃん。朝から、ずいぶんはしゃいでるなあ」
窓際の席。
頬杖をついて、こちらを眺めていたのは、青い髪の少女―――琴葉葵だ。
茜とそっくりな顔立ち。だが、纏う空気は正反対で、声のトーンも、表情も、どこまでも落ち着いている。その口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「―――あ、葵。おはよう」
「おはよう、篠原くん。……うちの姉が、迷惑かけてへんか」
「め、迷惑とは何や葵。うちと篠原は、今、ええ感じやったんやで」
「はいはい。よかったなあ」
姉のはしゃぎっぷりを、葵は、軽く受け流す。その、慣れた手つきを横目に、俺は、鞄に手を伸ばした。
(……そうだ。本題は、こっちだ。)
「葵。これ、その……誕生日、おめでとう」
俺は、水色のプレゼントボックスを取り出して、葵の机の上に、そっと置いた。
一瞬。
教室の喧騒が、葵の周りだけ、すうっと、遠のいた気がした。
葵は、机の上の箱を、じっと見つめた。
それから、ゆっくりと、俺の顔を見上げる。その表情は、相変わらず穏やかで、けれど、ほんのわずかに、瞳が大きく見開かれていた。
「……うちにも、くれるん」
「あ、ああ。茜だけってわけには、いかないだろ。
「……ふうん」
葵は、丁寧な手つきで、リボンを解いた。
箱を開けて、中の―――チョコミントアイスをかたどった、小さなアクセサリーを見つけると。
その、瞬間。葵の動きが、止まった。
「……これ」
「あ~、その。葵、チョコミント、好きだって聞いたから。間違ってた……か?」
「…………」
葵は、答えなかった。
ただ、その小さなアクセサリーを、指先で、そっと、つまみ上げる。光に透かすように、まじまじと、見つめている。
長い、沈黙だった。
俺は、急に不安になってきた。もしかして、好みじゃなかったか。あるいは、子どもっぽいと思われたか。冷や汗が、じわりと滲む。
「……あの、葵。やっぱり、変だったか?」
「……ううん」
葵が、顔を上げた。
笑っていた。さっきと、同じ、穏やかな笑みで。
だが、その笑みの奥が―――ほんの少しだけ、いつもと、違っていた。温度が、というか。色が、というか。うまく言葉にできない、何かが。
「すごく、嬉しい。ありがとう、篠原くん。……大事に、する」
静かな、それでいて、はっきりとした声で、葵はそう言った。
そして、つまんだアクセサリーを、自分の鞄ではなく胸ポケットに、そっとしまった。心臓の、すぐ近くだ。
「……ちなみに、なんやけど」
葵は、箱を畳みながら、ふと、何気ない調子で、口を開いた。
「篠原くん。うちの好み、誰に聞いたん」
「え。あ、ゆかりさんに……」
「……ゆかりさんに」
葵の声は、まるで変わらなかった。責めるでもなく、咎めるでもなく。ただ、静かに、俺の言葉を、復唱しただけ。
なのに、なぜだろう。背筋に、ぴり、と、小さな緊張が走った。
「そっか。……ゆかりさん、うちらのこと、よう知ってるもんなあ」
「お、おう。だから、すごく助かったよ」
「うん。……ほんま、よう知ってるわ。誰の、好みも」
葵は、そう言ってにこり、と笑った。笑ったまま、何かを頭の中で整理しているような。そんな、横顔だった。
(……茜といい、葵といい。なんで二人とも、ゆかりさんの名前を出すと、ちょっと反応が変わるんだ?)
俺は、首をかしげた。
仲が、悪いんだろうか。いや、そんなふうには見えないが。普段、五人は、いつも仲良くやっているように見える。
(……まあ、女子の人間関係は、複雑なんだろう。)
きっと、そういうものだ。俺は、そう結論づけて、深く考えるのを、やめた。
と、そのときだった。
「篠原さ~ん。おはようございます」
弾むような声とともに、長身のあかりが、ぱたぱたと駆け寄ってきた。その後ろには、結月ゆかりの姿もある。
「あ、おはよう、あかり、ゆかりさん」
「ふふ。茜さん、葵さん、お誕生日おめでとうございます」
ゆかりが、穏やかに、双子へ微笑みかける。
「……ありがとう、ゆかりさん」
葵が、そつなく、笑顔で返す。
その一瞬。葵とゆかり。二人の視線が、空中で、ぱちりと、交わった気がした。にこやかな、笑顔と笑顔。なのに、その間に、目に見えない火花が、ぱちぱちと、散っているような。
「あ、そうだ。茜ちゃん、葵ちゃん。これ、わたしからも」
あかりが、ふたつの小さな包みを差し出した。
「わあ、あかり、ありがとな。……お!美味しそうなお菓子やん」
「えへへ。手作りのクッキーです。たくさん食べてくださいね」
どうやら、誕生日を祝っているのは、俺だけではなかったらしい。聞けば、きりたんも、ぶっきらぼうに「……これ。落とさないでください」と小さな包みを葵に渡していたし、ずんだもんは「ぼくからは、特製のアルミホイル細工なのだ」と謎の物体を進呈して、めたんに「いらないだろそれは」と即座に没収されていた。
ぎゃあぎゃあと、いつもの賑やかさが、教室に戻ってくる。双子を囲んで、みんなが口々に祝いの言葉をかける。その輪の真ん中で、茜は得意げに笑い、葵は、穏やかに、ありがとうを繰り返していた。
……いい光景だな、と思う。
この街に来た日、俺はこの教室で、何十対もの目に、ただ怯えていた。それが今は、こうして、誕生日を一緒に祝う側に、混ざっている。
「篠原くん」
ふと、隣で、葵が、小さく俺を呼んだ。
喧騒に紛れる、俺にだけ聞こえる声で。
「ありがとうな。今日のこと、うち、ちゃんと、覚えとくから」
「お、おう。喜んでもらえて、よかったよ」
「うん。……篠原くんが、うちと、お姉ちゃんと、ゆかりさんと。誰と、どう関わってるか。―――ぜんぶ、ちゃんと、覚えとく」
葵は、胸ポケットを、服の上から、そっと押さえた。そこにしまった、チョコミントのアクセサリーを、確かめるみたいに。
その横顔は、どこまでも穏やかで、優しくて。
だから俺は、最後まで、気づかなかった。
その静かな笑みの奥で、葵の演算が、たった今、ひとつの結論を、そっと書き加えていたことに。
『―――結月ゆかり。要観察対象。優先度を、引き上げる』