灰色の雲が空を覆い、吐く息も凍る十一月の終わり頃。白い雪がふるいにかけた粉砂糖のように空から舞い降りてきた。
城全体が底冷えするように冷え込むその日、ナーサは新しいコートを羽織ってみた。祖父の趣味で選ばれた純白のコート──ベルベットの滑らかな手触りに、銀糸の刺繍は一目で高級なものと分かる。華奢な身体にフィットし、さらりと着ただけでも絵になる。裾はドレスのように僅かに広がり、光沢が雪明かりのようにきらめいた。
祖父の屋敷では姿見を覗き、冬を心待ちにしていたが、今は誇らしくも恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。「プリンセス」やら「舞踏会に行くみたい」など、憧れとも呆れともつかない感想が飛び交う中、勇気を出してナーサは寮を飛び出した。
(──だって、マフラーだけじゃ、乗り切れないもの)
すれ違う生徒は皆、呆気に取られたようにナーサを見つめ、ヒソヒソ声で何かを囁く。鋭い視線があちこちから向けられている気がして、頬が燃えるように熱かった。ナーサは小走りになりながら、図書室へ駆け込んだ。
重厚な扉を開けると、幸いなことにあまり人がいなかった。早鐘を打つ心臓を落ち着けながら、ナーサは目当ての本を探した。
もうすぐクリスマス。今まではもらってばかりだったプレゼントだが、今年は母と祖父に何かを贈りたいと思ったのだ。とはいえ、お小遣いがあるわけでもなく、プレゼントを買える当てはない。
手作りギフトが掲載された本を何冊か探し出すと、ナーサは学習室へと移動した。
(何か、手作りできる、素敵なもの──)
ページを繰りながらも、ナーサは祖父の冷ややかな視線を思い浮かべた。これまで客人から贈られた菓子箱やワインを前に、「処分しておけ」と短く言い捨てる姿を何度も見てきた。考えるだけで、きつく手綱を引かれた気がする。祖父の短く吐き出すような鼻息がすぐ側で聴こえた気がして、胸がうるさく騒ぎ立てる。
(おじいさまは、きっと一流の物しか認めてくださらない。あんな風に捨てられてしまったら──)
ナーサは目を瞑り、憂いを帯びた母の微笑みを思いだした。母ならきっとどんな物でも喜んでくれるはずだ。祈るような気持ちでページをめくった。
すぐ側で椅子を引く音が響いた。ナーサは顔を上げず、さらに先へと読み進める。花を使ったギフトの文字が目に飛び込んできて、指先を使って文字を追った。
(香水……手作りなんて、できるんだ)
濃厚な百合の香りが漂う母を思いだし、ナーサは唇を引き結んだ。
(ママは、もっと飾らない匂いの方が似合うのに。抱きしめてくれる時に、ホッとする匂い……素朴だけど、親しめる──昔はもっと)
そう思った瞬間、まぶたの裏に、こぼれるような笑顔の母が浮かんだ。今の着飾った姿とは違う、少女めいた母。幸福に輝くそんな顔を、確かに見たことがある気がした。
重たげにページをくる音が響き、ナーサは斜め向かいの席を見た。短い金髪を逆立てた特徴的な髪──リラルド・ヤックスリーだ。
反射的に立ち上がりかけたナーサに、ヤックスリーはボソリと呟いた。
「感じ悪ィな。人のツラ見て逃げるなんてよ」
ナーサは腰を下ろし、気まずさに顔を赤らめた。
「別に、逃げてないけど」
「ふん……兄貴には自分から寄ってくくせによ」
ヤックスリーは頬杖をついたまま、開いた本に見入っていた。挿絵からして、呪文学の理論に関する書籍らしい。ナーサは両腕で見ていたページを覆い隠した。狭い学習室に二人でいるのが、気まずい。
明るい青い目が、剣先のように鋭く光った。
「何、ジロジロ見てんだよ?」
「……一人で出歩くなんて、珍しいって思っただけ。いつも誰かと一緒だと思ってた」
喧嘩腰な言い方にムッとして返した。ヤックスリーはサッと立ち上がり、両手を机について身を乗り出した。
「ハッ……そっちはいつもボッチだな。お前、寮で嫌われてんのか? ま、合わねぇよな。マルフォイの娘がグリフィンドールとか、笑わせる」
彼の視線がスッとなぞるようにナーサの服装に向かった。全身が燃えるように熱く、今すぐコートを脱ぎ捨てたい衝動に駆られる。ヤックスリーは短く鼻で笑った。
「今日は何処のパーティーにご出席だよ。きらびやかな衣装を庶民に見せつけてぇのか。それとも、ただの目立ちたがりか?」
ナーサは唇を噛んで、本に目を落とした。けれど、何処まで読んだか、分からなくなっていた。震える指先で行を追っても、全く頭に入ってこない。
ナーサは思いきって本を閉じた。その微かな音に反応したのか、ヤックスリーは顔を上げた。まるで失敗を隠そうとする子どもみたいな顔──思わず、まじまじと見つめてしまうと、彼は弾かれたようにそっぽを向く。まるで触られることに警戒するハリネズミみたいだ。授業中に教授相手にも無礼な態度を取るヤックスリーの意外な顔に、ナーサは少しだけ興味が湧いた。
「……前から聞きたかったんだけど、どうして初めて会った時あんなに怒ったの?」
──所詮、いくら血筋がよくたって、育ちが悪けりゃな。
その初対面時の暴言は一言一句違わず覚えている。ヤックスリーは腕を組み、ふんぞり返った。
「今さらかよ」
「あそこまで怒られるようなこと、した覚えがないもの」
「──馬鹿にしただろ」
「……え?」
言われた言葉が分からず、きょとんとしていると、ヤックスリーの顔が真っ赤になった。両手で机を叩きつけ、唸るように言った。
「スコティッシュ・アクセント! 俺が話した後、笑ったじゃねえか」
「笑ってなんか……」
「それに、お前一度だって挨拶来なかったよな? ホグワーツ特急だけじゃねえ。その後だって、機会は何度もあったはずなのに、無視し続けやがって! マルフォイ卿から聞かされてたんだろ、俺のこと! 普通はお前の方から……馬鹿にしてんだろ、クソが!」
早口で一気にまくし立てるヤックスリーに、ナーサは両手を掲げた。
「ま、待って……おじいさまが? あたし、ヤックスリー魔法大臣のご家族の話なんか、何も知らない……」
「……は?」
眉間に寄った深いシワはそのままに、彼は荒い息を吐いた。二度、三度と繰り返すうちに少しずつ顔の赤みが薄れてくる。
ナーサは迷いながらも口を開いた。
「それに、笑った? アクセントを馬鹿にして……? あたしはただ、懐かしいなと思っただけなのに……」
「懐かしい? マルフォイなのにスコティッシュ・アクセントが、か?」
ヤックスリーは疑るような目を向けてきた。けれど、大分口調は落ち着いてきている。
マルフォイ屋敷は何世紀も前からイングランドにあると知られている。きっと不信感を煽ると思ったが、ナーサは正直に答えることにした。
「そう……何でだろう。聞いたことがないはずなのに、とても懐かしかったの」
祖父の屋敷では使用人も含め、誰もが訛りのない言葉を話す。ナーサが会ったことのある祖父の親しい友人達も、比較的標準に近い言葉を話していたはずだ。けれど、ナーサにはあの一瞬、スコティッシュ・アクセントが昔失くした大切な宝物のように感じられた。
ヤックスリーの眉間のシワが消え、ストンと椅子にかけた。気まずそうな顔をしている。重苦しい空気がなくなって、ナーサは軽く笑いかけた。
「挨拶に行かなかったのは、ごめんなさい……そうしなきゃいけないことを知らなかったの。おじいさまも、きっと何か理由があって教えてくれなかったんだと思う。あたしに、何か至らないことがあって」
「いや……挨拶のことは、もういい。兄貴からも、形式にこだわりすぎるなって言われたし」
もごもごと言うヤックスリーに、ナーサは安心した。いつ噛みつくか分からない狂犬のような人だと思っていたが、突っかかっていたのにも理由はあったのだ。
「よかった。もう怒ってない?」
「ああ、まあ……俺も、勘違いして怒鳴ったのは……その、悪かった」
「ねえ、あなたはスコットランドに住んでたの? ケイ──あなたのお兄さまは訛りがないけど」
ヤックスリーの目に一瞬、また小さな炎が灯った。指先で机をトントン叩く仕草が苛立っているように見える。
「ガキの頃は兄貴も話してたけどな。父上より、母上の方が一緒にいる時間長かったし……俺は母上の話し方が好きなんだ。歌ってるみたいで、すげぇきれいでさ。
俺も公共の場では、ちゃんと話すように心がけてる。でも、学校ではどう話そうと構わねえだろ」
素直な声音に、ナーサは目を瞬いた。リラルド・ヤックスリーが、いつもみたいに嫌な奴には感じられない。
ナーサが机に両腕を乗せると、彼は僅かに身を引いた。
「よかったら、少し教えてほしいな……駄目?」
ヤックスリーは目を見開いた。それからニヤッと笑うと、本を閉じてナーサの方に身体を向ける。
「いいぜ。じゃあ、ちょっとだけ教えてやるよ。『オゥライッ?』」
ナーサの心臓が小さく跳ねた。知っている響きだ。でも、勘違いかもしれない──ドキドキしながら訊き返した。
「今、なんて……?」
「ただの挨拶だよ。『元気か?』って意味。ほら、言ってみろ」
鼓動が大きく、早くなった。間違いない。意味もちゃんと分かっていた。懐かしいと思ったのは、きっと間違いじゃない。
ヤックスリーの目が、小川のせせらぎのように輝いている。ナーサは小さな疑問を包み隠して、口を開いた。
「……お、オゥライト?」
「違ぇよ、最後の『ト』は言わねぇんだって。喉で止めろ、こうだ」
ヤックスリーは顎を少し引いて、短く喉で息を切る。
「……オゥライッ?」
「それだ!」
「本当っ? できた?」
ヤックスリーの顔が一瞬硬くなり、腕で鼻から下を覆った。その仕草は怒っているというより、顔に浮かんだ何かを隠そうとしているように見える。ナーサは一瞬また何かしてしまったのかとドキリとしたが、彼は小さく咳払いをして落ち着いた声で続けた。
「おう、悪くねぇよ。次は『アイ』──『はい』って意味な」
「アイ」
「そう、それ。完璧だぜ、『ウィーラシィ』」
「ウィー・ラッシー!」
真剣に復唱した途端、ヤックスリーが吹き出した。今にも司書が飛び込んできそうな大笑いに、ナーサは慌てて彼に駆け寄り口をふさいだ。
「な、何がおかしいのっ?」
全身を震わせながらヤックスリーがナーサの手を外し、声を絞りだした。
「お前、それっ! ちっちゃい嬢ちゃんって意味な……! ガキをからかう時に言うんだぜ。お前、ぴったりだろ?」
頬に火をつけられたように熱い。思わず握りこぶしを振り上げて、声を張った。
「ガキって、すごく失礼!」
「あー、腹痛ぇ……ったく、んな得意げに言うんじゃねえよ……似合ってるけどな」
目の端を拭ったヤックスリーの笑顔があまりにも優しくて、口で言うほど腹は立たなかった。
「面白ぇじゃねえか、マルフォイ。次に会ったら、ちゃんと覚えてるかテストしてやるからな。しっかり復習しとけよ」
「アイ!」
そう言うと、ヤックスリーは目を細めた。その柔らかい表情はケイレブとよく似ていて、やはり二人は兄弟なのだと気づかされる。
そのまま学習室を出ていくのかと思いきや、彼は机を回ってナーサのすぐ隣の席に座り直した。衣類が触れる距離感に、彼のいる側の半身が熱く感じる。
ヤックスリーはナーサが見ていた本を手に取り、パラパラと眺めだした。
「宿題ってわけじゃねぇよな、これ」
「うん。クリスマスプレゼントを考えてたの、お母さまに……何か作ってみようかなって。香水とか、いいかなって」
すんなりと答えてしまったのは、ついさっきヤックスリーが母親について語ったからかもしれない。ヤックスリーは思い切り顔をしかめた。
「素人の作る香水を? そんなん、喜ぶか?」
「そんな言い方……お母さまなら、きっとつけてくださるもの」
最後は少し小声になってしまう。ヤックスリーは眉根を寄せて、顎を上げた。
「ふぅん。ま、それならいいんじゃねぇの。意外に自由なんだな、お前の家……母上なら、きっと使わない。いや、使えねぇな……」
ネックレスを握りしめてうつむくナーサを見て、ヤックスリーは意味深に呟いた。