【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地   作:◆琳音◆

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03. 駆け落ちの顛末

 書斎に戻ると、レグルスは少女を起こさぬようソファに丁重に下ろした。しかし、革張りのソファの冷たさに驚いたのか、ぱっちりと目を開き、身体を起こした。

 

「……ママ。このひと、だれ?」

 

 短い言葉にもスコティッシュ・アクセントが感じられる。けれど、それは決して粗雑な印象ではない。むしろ少女に愛嬌を添えているようだ。

 ジニーは娘の背中をそっと押した。

 

「ナーサ、ご挨拶なさい。この方はレグルスおじさま。おばあさまの従弟で、パパがとてもお世話になった人なの」

「はじめまして、レグルスおじさま。ナーサです」

 

 たどたどしく名乗ったナーサは、スカートの裾をつまんでお辞儀した。そして「これでよかった?」と言わんばかりに母に笑いかける。その、いかにも子どもらしい、あどけない姿にレグルスの頬も自然と緩んだ。

 

「やあ、ナーサ。私はレグルス──レグルス・アークトゥルス・ブラックだ」

 

 レグルスがしゃがんで目線を合わせると、ナーサは目をきらきらと輝かせた。

 

「アークトゥルス? あたしのなまえと、おんなじ?」

「おじさま、この子はナルシッサ・アークトゥルサ。ママとおじさまから名前を頂きました。

 ナルシッサは、自分を大切に、信念を持って生きられるように。アークトゥルサは、アークトゥルスを女の子の名に変えて──旅人を導く星のように、私たちの行く先を照らしてくれるようにと」

 

 ジニーは目を伏せ、何処か申し訳なさそうに語る。自分を憎んでいたはずの養母の名前を娘に名づけたことが心苦しいのだろうか。

 しかし、レグルスは自らの名を継がれたことの方に感じ入っていた。夜空の星のように、いつしか誰にも気づかれずに消えてなくなると思っていた──そんな自分の名を継ぐ小さな星が、すでにこの世に生まれでていたのだ。

 

「そうか。ナルシッサ・アークトゥルサ……とてもいい名だね。私も光栄だよ、ナーサ──そう呼んでもいいかな?」

「うんっ」

「ナーサ、返事は『はい』ね」

「うん……じゃなかった。はい、ママ」

 

 大真面目に頷くナーサに、レグルスはたまらず笑い声を漏らした。身内の死を知った悲しみの最中でも、こんな風に思えるのが意外だった。

 

「色々と聞きたいことがあるが、もう食事はとったかい? クリーチャーには夕方頃にここに着いていたと聞いた。こんな時間だが、もしお腹が減っているなら軽いものを作らせよう」

「ごはん、たべる。おなかペコペコなの」

 

 ナーサが即答すると、ジニーの頬が微かに染まった。レグルスは何も気づかぬふりをして、ナーサに笑いかけた。

 

「私も仕事で夕食を食べるのをすっかり忘れていたんだ。君たちが付き合ってくれるなら嬉しいよ。誰かと食事するなんて久しぶりだからね。

 クリーチャー、聞こえているね? 食事の支度を頼む」

 

 客人への警戒心が解けないのか、クリーチャーは姿を見せなかった。けれど、ウェルシュ・ラビットにポタージュ、サラダ……次々と湯気の立った料理が小さなテーブルいっぱいに並べられていく。

 

「うわぁ。ママ、みたっ? えほんでよんだ、まほうみたい」

「ええ、本当。すごかったね」

 

 興奮のあまりピョンピョン飛び跳ねる娘を椅子に座らせると、ジニーは小声で詫びるように言った。

 

「ナーサは魔法のこと、知らないんです……未成年者が魔法を使ったら魔法省に知られてしまうし、マグルにも不自然に思われるから……」

「まさか、家を出てからずっと?」

 

 ジニーは微かに頷いた。

 マグルに存在を悟られぬよう、彼らの面前で魔法を使うことは固く禁じられていた。だが、一昔前の法は闇の帝王の台頭で形骸化し、今は誰しも気軽に杖を振る時代だ。ドラコとジニーの不自由さは、いかばかりだっただろうか。

 

 食事は和やかに進んだ。ナーサは空腹ながら、大人達を真似てナフキンを使おうとしたり、カップやスプーンが音を立てないよう慎重に食べていた。ぎこちないながらも努力の成果はしっかりと伝わり、微笑ましかった。

 食卓には大人のために琥珀色の酒も置かれていたが、ナーサの手前、二人とも手を伸ばすことはなかった。

 

 そうして腹が満たされると眠たくなったのか、しきりにナーサは目をこすり始めた。クリーチャーに食べ終えた食器を片付けさせると、たちまちテーブルに突っ伏してしまう。

 娘にショールをかけるジニーの眼差しには愛情が満ちていた。貧しくとも、三人は幸せだったのだろう。そう確信させる温かみだった。

 

「大分疲れていたんだね。話すのは明日にして、今日は休もうか。部屋を用意させるよ」

「おじさまさえよければ、今、お話しさせてもらえますか?」

 

 名残惜しそうに娘の額の後れ毛を撫でると、ジニーはじっとレグルスを見つめた。思い詰めた目をしている。

 

「飲みながら話そうか」

 

 レグルスはグラスを手に取り、琥珀色の酒を注いだ。ほのかに甘いナッツの香りが鼻をくすぐる。

 軽くグラスを合わせると、ジニーは目線を落とし、躊躇うかのように琥珀色の液体を波打たせる。そして、両手で支えるようにそっと口元に当てた。

 

 ジニーは静かに語り始めた。

 家を出る時に持ちだした路銀は、すぐに底をついたという。まだ未成年の二人が生きていくのにマグル界は過酷だった。安定した仕事もなければ、いつ見つかるかと怯えながらの暮らしは安寧とは程遠かった。

 

「それでも幸せだったんです。彼が隣にいて、この子を胸に抱いていれば。

 ドラコはいつも私とナーサを守ってくれました。『お前の産む子なら、僕は愛してみせる』──その言葉を、ずっと……」

 

 ジニーは何処か夢見るような目でささやいた後、声を落とした。

 

「……二週間前、雨の日にドラコは倒れました。すぐ病院に連れて行けば助かったかもしれないのに。あの人に居場所が知られるかもしれない……お金もない……そう思ったら、何もできなくて。

 医者は突然死だと言ったけれど、私が殺したも同然……何不自由ない暮らしを捨てさせて、魔法族のプライドを捨てさせて……私さえ、いなければ」

 

 その懺悔の言葉を前に、レグルスは静かにグラスを傾けた。口内の辛味が一層増したように感じた。

 君のせいではないと言ってやるのは簡単だ。しかし、安易な慰めの言葉を口にしたところで救われないことは分かりきっている。

 

「もっと早くに私が捜しだすことができていればよかった。力及ばず、すまない……」

 

 ジニーはゆっくりと首を振った。残りを一気に傾けると、静かにグラスを置いた。その目に酔いの色はなく、決意が満ちていた。

 

「……おじさまに、お願いがあってきました」

「もちろんだ。できる限りの力を貸そう。あの男の目の届かない何処か静かなところで、君がナーサと二人で暮らせるように」

「いいえ、匿っていただきたいのは、この子だけ……私はルシウスのところに戻ります」

 

 レグルスは危うくグラスを取り落としそうになった。

 

「ルシウスのところに──?」

「ロンドンまでの道のりでも、ルシウスの追っ手に遭いました。一歩間違えば、ナーサを死ぬよりも恐ろしい目に……」

 

 ジニーは目を見開き、震える腕で自身を抱きしめた。ずっと側にいたい。でも、離れなければ──唇を噛み締めながら、娘を見る目には相反する想いを宿していた。

 

「あれから六年も経つのに、あの人は変わらず、私を……もうドラコはいない。私一人でナーサを護り切ることは、できないんです……」

「ここにいればいい。君はドラコの妻で、ブラック家の一員。ならば、私には当主として君を護る責任がある。

 それに、ルシウスは恥をかかされたと君を怨んでいるかもしれない。戻れば殺されるだけかもしれないんだ」

「私の命なんか……これ以上、大切な人を巻き込みたくないの……ママや、ドラコだけじゃなく、おじさまや、それにナーサまで失ったら、私は……」

「だからと言って」

 

 その反論を最後まで言うことは叶わなかった。廊下の向こうから激しい物音が鳴り響いたからだ。まるで、獰猛なトロールが建物をこん棒で叩いているかのような振動だ。ナーサの身体がビクッと跳ね上がり、気だるそうに目を開けた。

 

「……いまの、なーに?」

 

 ナーサの問いに、二人は答えなかった。いや、答えられなかったといった方が正しい。

 

「クリーチャー?」

 

 屋敷しもべは滅多に粗相をしない。例え不始末をしでかしたところで、魔法を操れるのだから音を消すくらい造作もないことだ。なのに、これは一体何事だ?

 咄嗟に腰を浮かせたレグルスに、ジニーはハッと息を呑んだ。その目は恐怖に彩られている。

 

「おじさま……ルシウスじゃないでしょうか」

「まさか──」

 

 続きの言葉を呑み込んだまま、レグルスは杖を握りしめて部屋を出た。焦燥が荒波のように胸を叩き、心臓を高鳴らせた。

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