【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地   作:◆琳音◆

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04. 夜更けの来訪者

 廊下に一歩踏みだすと、微かに床板の軋む音が響いた。レグルスは薄暗い廊下の先を油断なく睨みつけ、周囲を見回した。薄暗い廊下だが、ひと目で分かるような乱れはない。

 

「ルーモス・マキシマ」

 

 廊下の奥の奥まで光で満たした。けれど、怪しい陰はない。整然と並べられていた額が僅かに傾いているくらいだ。

 ドンッ──また振動が走り、天井から舞い落ちる埃が見えた。レグルスは目を瞑り、音の出処に耳を澄ます──階下だ。

 

「クリーチャー」

「レグルス様、申し訳ありません。すぐに呼びだしに応じることができず。来訪者が……」

「ルシウス・マルフォイだな?」

「はい。ジネヴラお嬢さまがこちらにいるのを確信しているようで、先ほどから保護呪文を破ろうと……聖28一族とはいえ、このブラック家に対して、なんと無礼な……!」

 

 クリーチャーの尖った耳から飛びだした白髪が、大きく逆立っている。名だたる純血の頂点に立つブラック家──そう信じこんでいるクリーチャーにとっては、誰であろうと屋敷に断りなく押し入るのは許しがたい行為なのだ。

 

 怒りをあらわにするクリーチャーとは反対に、レグルスは徐々に落ち着きを取り戻していった。

 グリモールドプレイス12番地は、この屋敷を知らぬ者には存在しない魔法がかけられている。ナルシッサと婚姻していたルシウスのように、その秘密を知っている者には意味がない。だが、先代当主の父は、十重二十重に屋敷に守護魔法を施していた。鉄壁の護りが破られることはありえない。

 

 暗い玄関ホールまで来ると、ビロードの垂れ布の向こうから呻きが漏れ聞こえた。肖像画の母の嘆きだ。

 レグルスは足音を忍ばせて奥のドアに近づいた。予想通り、ドアは固く閉ざされたままだ。破られる兆しもない。

 

「あの冷静沈着と謳われたルシウス・マルフォイが、こんな醜態をさらすとは」

「いかがいたしましょう、レグルス様?」

「放っておきたいところだが、あの男は魔法省に顔が利く……厄介だな。それに夜通し、この騒音を聞くのも耐えられない。

 クリーチャー、二人を書斎から移して存在を隠し通すんだ。例え私の身に何かあっても、二人を最優先で護れ」

 

 クリーチャーは大きく目を見開くと、恭しく一礼して姿を消した。しかし、それを見届けることなく、レグルスは光る杖先をドアノブに当てた。布を裂くような嫌な音を立てて、静寂が戻った。

 

 杖腕とは逆の手で、慎重にドアに手をかけた。鈍い音を立てながら小さな隙間が広がると、素早く手が差しこまれる。黒い革手袋、黒いローブの袖、冷たく光るシルバーブロンド、そして凍りつくように白いルシウス・マルフォイの顔があらわになった。

 

「お久しぶりですね、マルフォイ卿。こんな夜分遅くに何用ですか。あのお方から、何か伝令でも?」

「君は昔からとぼけるのがお得意だったな、レグルス・ブラック……杖を下ろせ。兄に似て、不遜な奴だ」

 

 思いのほか、落ち着いた声音だ。レグルスは明かりを灯した杖先を僅かに下に向けたが、杖を握る力は緩めなかった。

 

「こんな夜更けに連絡もなく訪問する者はいない。マルフォイ卿の姿を借りた何者かを疑うのが普通でしょうね」

「フンッ……私が来ることなど、とうに分かっていただろうに。ここにジネヴラがいるのは分かっている……すぐに連れてこい。さもなくば、残りの人生も惨めにこの家に閉じこもったまま生活することになる」

「何を仰っているのか分かりませんが」

 

 レグルスはわざとらしく眉をひそめたが、喉の奥が粘つくのを感じた。

 ルシウスが敷居を跨いで、屋敷の中に一歩足を踏み入れた──構えるよりも先にレグルスの杖先を押さえ、脅すようにささやいた。

 

「あの馬鹿な息子が頼るとすれば、君以外にない。ずっとこの屋敷を張っていたのだ。言い逃れはできんぞ」

「……あなたが押し入り強盗のような真似をするとはね。ドアを開けたからといって、招き入れたわけではない。その手を離せ」

「──ッ」

 

 杖先から小さな火花を散らすと、ルシウスは素早く後退った。ステッキから杖を引き抜き、レグルスの杖と交差したのは同時だった。

 二人は向き合ったまま、しばし無言で睨み合っていた。沈黙を破ったのはルシウスだった。目をぎらつかせながら、口の端を歪める。

 

「立派な口を叩くではないか。あのお方に印を刻まれて、ブルブルと震えていたお前が。シリウスを出し抜いて、自信でもついたか?

 これが最後通告だ……ジネヴラをここに連れてこい。それとも廊下に飾られた偉大なる親戚の面前で、無様な姿をさらすか?」

「……できるものなら。あのお方から授かった権利を害する勇気が、あなたにあるかな」

 

 ルシウスは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。レグルスは内心の焦りを出さぬよう、うっすらと笑みを浮かべた。

 だが、不意にルシウスは杖を下ろした──不審に思う間もなく、廊下の軋みが耳に入った。ルシウスの視線の先にいたのは、クリーチャーに隠されているはずのジニーだった。

 

「何故……」

「お久しぶりです」

 

 レグルスに目顔で詫びると、ジニーはルシウスに向かって令嬢らしいお辞儀をした。ボロを纏っているにも関わらず、優雅なその仕草──マルフォイ家で身につけた幼少時からの品位は、貧しい暮らしでも少しも損なわれなかったようだ。ただ、その顔には表情がなかった。恐怖すらも何処かに置き去りになっている。

 彼女とは対照的にルシウスは、悲願を成就した達成感、自分を捨てた女への怒り、そして込み上げる喜びと愛おしさの入り混じった目で、ジニーただ一人を見つめていた。

 

「久しぶり、か……他に何か言うべき言葉はないのか、ジネヴラ。年をとって可愛げがなくなった。昔は素直に謝ったものだが」

 

 レグルスは咄嗟に腕を伸ばした。ルシウスをそれ以上彼女に近づけさせないために。けれど、やんわりと払いのけて、ジニーは自らルシウスの元へ歩を進めた。

 

「自分の気持ちに偽りなく物を言うことが素直というなら、私は昔よりもずっと素直になりました。私が謝る相手はママと、ドラコ……あなたに謝る必要なんてない」

 

 淡々と語るジニーに機嫌を損じた様子もなく、ルシウスは両手を広げた。腕の中に閉じ込めた彼女は、今なお自分の所有物だと言わんばかりに豊かな赤毛を梳いていった。

 

「あの馬鹿息子にロクでもないことばかり吹き込まれたようだな。

 そうだ、あれはどうした。私を恐れて、お前一人をここにやったのか?」

「……ドラコは亡くなりました」

 

 レグルスからジニーの顔は見えない。ただ、その声が消え入るように震えているのは伝わってきた。

 しかし、ルシウスは落ち着き払ったものだった。

 

「それは結構。実の息子を手にかけるのは、あまり気持ちのいいものではないだろうからな。

 それで、ジネヴラ……こうして私の前に姿を見せたということは、帰ってくる意思があるということだな?」

「……ええ。あなたがまだ私に価値を認めてくださるなら」

 

 ルシウスはねっとりとした手つきでジニーの首筋を撫で、顔を寄せた。

 レグルスは思わず二人に引き離し呪文を浴びせていた。急に支えを失ってよろめくジニーの手首を掴んで、肩を揺すぶった。

 

「……ふざけるな。何故、そんな選択を……ナルシッサとドラコに詫びていたのは嘘だったのか? 何故同じ過ちを繰り返そうとするんだ」

 

 正したい過去なら、レグルスにもあった。あの瞬間に立ち戻り、違う選択をできたら──だからこそ、ジニーの決断が理解できない。

 その時、静かな諦めに満ちた目から、細い涙が伝った。

 

「おじさま、赦してください……もう、こうするしか……どうか、頼みます……」

 

 もう一度説得を試みる暇もなく、急にジニーの身体は真後ろに飛んだ──呼び寄せ呪文だ。家の外に引きずり出されただけでなく、荷のようにルシウスの肩に担ぎあげられている。だが、彼女は声もあげず、ただ哀しみに満ちた目でブラック家の窓の明かりを見上げた。おそらくは、その何処かにいる娘の姿を探して……。

 ルシウスが杖を掲げた。今にも姿くらましをしようとする二人の背に向かって、レグルスは声を張りあげた。

 

「あの子は──ナーサはどうなる! ドラコを亡くし、母親までいなくなったら? 親は子どもから離れるべきじゃない……!」

 

 雷に打たれたようにジニーの身体が大きく跳ね上がった。そして目を見開いたまま、おそるおそる視線を落とす。

 ルシウスはハラリと垂れ落ちてきた髪をかき上げ、眉間のシワを寄せた。

 

「あの子……ああ、お前が連れていたという子どものことか。うっかりしていた」

「……いや。やめて、嫌!」

 

 その途端、母親の本能に突き動かされたかのように、ジニーは握り締めた拳をルシウスの背に打ちつけ、両足を振り回して暴れだした。あの細い身体の何処にそんな力があったのか。不意を突かれ、よろめいたルシウスから逃れたジニーは、レグルスに向かって駆けだし、手を伸ばす。

 

「あァッ──!」

 

 だが、手と手が触れ合う、あと僅かな距離で、ジニーの上半身が仰け反った。ルシウスの手が、ジニーの髪を鷲掴みにして、引き戻したのだ。

 レグルスは舌打ちし、素早く引き離し呪文を放った。だが、ルシウスは苛立たしげに反対呪文を唱え、ぶつかり合う魔法が火花となって地面に飛び散った。その余波に足元をさらわれながらも、レグルスは杖を構え直した。

 しかし、次の瞬間、ルシウスの肘がジニーの首に深く食い込んだ。喉を圧迫されたジニーの顔は苦痛に歪み、荒く喘いだ。

 レグルスは歯噛みした。このまま攻撃を仕掛ければ、ジニーを巻き添えにしてしまう。

 

「……見下げ果てた男だ。愛する女性を盾にするなど、恥を知れ」

「ふっ……まるで、グリフィンドールのようなことを言う。敵の特性を知り、弱点を突くのを恥じる必要などない」

 

 ルシウスは冷淡に言い放つ。ジニーは弱々しくルシウスの腕に爪を立てながら、なんとか腕を引き剥がそうとしている。

 

「お願い……娘を、放っておいて……何もしないで……まだ、あの子は何もできない。小さな子どもなの……」

 

 憐れみを呼び覚ます懇願も、ルシウスの心を動かすことはできなかった。

 

「今は子どもでも、いずれ牙を剥く。禍の種は早めに摘むに限る」

 

 例え、ドラコの子どもであっても血縁の赦しはない。ルシウスの言葉には孫娘の命を奪う逡巡などなかった。その瞬間、ジニーの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「あの子は──ナーサは、あの時の子なのに……あなたの娘なのに、殺そうとするのッ?」

 

 ルシウスの顔が奇妙に歪んだ。冷たい氷の彫像のようだった顔が、初めて揺らいだ。

 

「何を……馬鹿げたことを。ドラコが……あいつが、実の娘でもない子どもを?」

「疑うなら、真実薬を飲ませたっていい……殺さないで。あの子は……あの子だけが私の救いなの……」

 

 切迫した言葉に、張り詰めた空気が破れた。ルシウスの心の揺らぎを、レグルスは見逃さなかった。敵意がないことを示すために杖を収め、空にした両手を上げながら近づいていく。

 

「提案がある。マルフォイ卿……あなたとジニー、そして、私……三人の望みを結び合わせるために」

「……提案だと?」

 

 ルシウスは疑るような目を向けた。レグルスは頷いた。

 

「あなたはジニーを側に置きたい。ジニー、君は娘の身の安全を願う。そして、私はナーサが母親と暮らすことを望む。だが、信用できない相手との口約束を信じられるか?」

「……破れぬ誓いを。そう言っているのか?」

「そう。それこそが互いの望みを縛る唯一の術だ」

 

 ルシウスの眉間に生じたシワが一段と険しくなった。

 

「裏切れば、死。そのような契約を、この私に課そうというのか?」

「あなただけじゃない。ジニーもだ。

 そして、あなたは愛する彼女が、再び姿を消すのを恐れる必要がなくなる」

 

 ルシウスはステッキの中に杖を収めた。杖飾りの銀の蛇を撫でながら、しばしの間考えに耽る。重苦しい沈黙が落ちた。

 やがて、ルシウスは低く笑った。

 

「……いいだろう。して、その内容は?」

「一つ、ジニーはあなたの側を離れない。

 一つ、マルフォイ家の家督はナーサに譲る。

 一つ、二人の間の子は、ナーサただ一人とする」

 

 祈るようにレグルスを見つめるジニーに、ルシウスは不服そうな視線を投げかけた。

 

「ふん……ジネヴラと私の間の取り決めに、お前などが口出しするとは……だが、確かに悪くはない」

「いいえ、おじさま……もう一つ、最も大事な誓いが残っています」

 

 息をひそめて、ジニーが一言つぶやいた。ジニーの目には暖炉の残り火のように静かな決意が宿っていた。

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