【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地   作:◆琳音◆

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17. 廊下の向こう、カーテンの内

 医務室は静かだった。石壁に弾かれて流れてくる遠いざわめきが、この中にはない。

 骨生え薬を飲んだ後の身体を取り巻く熱に浮かされながら、ナーサは高い天井を見つめては目を瞑った。リリーやアデリナ、リンジーが帰ってから一時間以上は経っただろうか。

 右腕の痛みが耐え難い。痛みで膨れ上がり、二倍にも三倍にもなっているのではないかと思えた。

 

 カーテンを開く音が響き、ナーサはうっすらと目を開けた。白衣に身を包んだアボット先生が温かいタオルで汗を拭ってくれている。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 先生は一瞬手を止め、それから柔らかな笑みを浮かべた。

 

「起きていたんですね、ミス・マルフォイ。具合はどう?」

「少し腕が痛くなってきましたが、大丈夫です」

「それはよかった。つい先程まで友達が来ていましたよ。スリザリンのヤックスリー」

「……リラルドが、ですか」

 

 ナーサはゆっくりと目を瞬いた。ぼうっとしているせいか、その名前を耳にしても、いつものような衝撃は感じない。

 アボット先生は洗面器にタオルを浸すと、絞り直して、今度は首筋を拭いてくれた。

 

「ずっと医務室にへばりついていて。入るように言ったんですけどね。頑なに廊下でいいと言って……とても心配している風でしたが」

「……そうだったんですね」

 

 ナーサは小さく呟いた。 

 もう、話しかけないで。もう、ついてこないで。前に言った言葉を、きっと覚えていたのだろう。

 通りすがる人にジロジロ見られても構わずに、廊下で一人立ち尽くしていたリラルドの姿が、ありありと頭に浮かんだ。

 

 ナーサは目を瞑った。自分の気持ちとは関係なく、目の奥が熱くなり、鼻の奥がツンと痛んだ。

 

「マルフォイ。私はもう少ししたら食事を取りに行きます。何か食べられそうなら、あなたの分の食事も持ってきますが、どうしますか?」

 

 タオルを水に浸す音が響き、続いて先生が立ち上がる気配がした。

 

「……あたしは、結構です。先生。もしよかったら、ゆっくりしてきてください。折角のハロウィーンのパーティーですし」

「そんな……遠慮することないんですよ。校医は生徒の健康を管理する義務が──」

「あたしも……ゆっくりと休めるので、大丈夫です。誰もいない方が、落ち着けます」

 

 アボット先生がしばし立ち尽くす気配がした。けれど、ナーサが目を瞑ったままでいると、やがてカーテンを静かに閉めた。

 ひそめた足音が遠のき、微かに流れてくる音楽に溶けて消えていった。

 

*

 

 ナーサは重たいまぶたを開けた。また少し寝入ってしまっていたらしい。

 今は何時だろう。サイドテーブルに置かれた懐中時計を取ろうと、左手で重たい身体を持ち上げた瞬間、ナーサは息を呑んだ。

 薄いカーテン越しに、背の高い影が映っていた。小柄なアボット先生ではない。

 

「だ、だれ……」

 

 寝起きでかすれた声は、あまりにも小さく震えていた。

 反射的に杖を探したが、サイドテーブルには手が届かない。背筋に冷たいものが走った。

 

「──アッシュ・クラウチだ」

 

 ナーサはバクバクと音を立てる心臓を落ち着かせようと深呼吸し、それからゆっくりと言った。

 

「あたし、立てなくて……入ってきてくれますか?」

 

 躊躇うような間があったが、カーテンの隙間からアッシュが滑り込んできた。音を立てないように細心の注意を払っているらしく、ゆっくりとカーテンを閉める。

 足元側に立ち尽くしたままのアッシュと視線が絡むと、彼は何故か怯えたように目を伏せた。

 

「怪我は、大丈夫……じゃないよな。相当痛むのか?」

「もう治療は、ほとんど済んでいるから……我慢できる程度です。

 あの、助けてくれてありがとう。あなたが応急処置してくれていなかったら、危なかったかもしれないって聞きました」

 

 それには答えず、アッシュはナーサの顔をまじまじと見つめた。それから、重たげに口を開いた。

 

「……側に行っても、構わないか?」

「勿論です」

 

 おずおずと枕元まで近づいてきたアッシュは、中腰になってナーサの顔を覗きこんできた。

 息遣いが感じられるほどの距離──ナーサは、ほんのりと頬が熱を帯びるのを意識した。

 寝起きの顔を間近で見られるのは恥ずかしかった。リリーにも、アデリナとリンジーにもそんな風には思わなかったのに。

 

「傷は、残らなかったんだな……よかった」

 

 ポツリとこぼした言葉には明らかに安堵の響きがあった。

 骨折だけではなく、全身傷だらけだったとアデリナが言っていたのを思い出した。当然、応急処置をしてくれたアッシュは間近でそれを見たはずだ。きっと余程の状態だったのだろう。

 

「骨の治療は、もう済んだのか?」

「明日くらいには骨が生えるって、アボット先生が仰ってました。

 ……あの、アッシュ。あたしを助けたことで、スリザリンの人達から何か言われてませんか? すっかりご迷惑をかけてしまって……」

 

 目を見張ったアッシュだったが、すぐに続ける。

 

「癒術の心得のある者が、重傷者を助けるのは当然だ。それで何か言われたって、どうだっていい。それに、君は……友達だから」

 

 最後の言葉は、ほとんど消え入りそうだった。

 胸がトクンと音を立て、身体を取り巻く痛みが軽くなった気がした。

 

「──友達。すごく、嬉しいです……ありがとう、アッシュ」

 

 そう言うと、アッシュはぎこちなく微笑んだ。まるで、遠い昔に封印した笑顔の作り方を思い出すかのように。

 

「よかったら、掛けてください」

 

 すぐに足元に視線を落とすアッシュに椅子を勧めた。

 寮の違うアッシュと話をする機会は、ほとんどない。もっと彼と話してみたかった。

 

 アッシュは視線を僅かに逸らし、遠慮がちに椅子に掛けた。けれど、すぐに立ち上がる。

 

「あまり長居はしない。君には休息が必要だから……少し、失礼。背もたれがあった方が、きっと楽だろう」

 

 そう言い、枕をクッションのように立てかけてくれた。

 その瞬間、彼からふわりと漂ったのは図書館の香りだった。乾いた紙や、木のような──主張しない、ただそこにある匂い。

 ナーサは寄りかかり、アッシュに微笑んだ。

 

「ありがとう。とても楽になりました。

 ……まだ、ハロウィーンのパーティー中ですか? どのくらい眠っていたのか、分からなくて」

「ああ、アボット先生も大広間に来ていた。入院中の生徒がいるのに珍しいと思って……それで様子を見に来たんだ」

「一人の方が、ゆっくり休めると──あっ、あの、そういう意味じゃなくて」

 

 ナーサが頬を赤らめると、アッシュは目を見開き、それからフッと笑いを漏らした。先程までのぎこちなさは何処にもない。

 

「分かってる。アボット先生も、きっと楽しんでいると思う。君は……優しいな」

「優しいのは、あなたの方だよ」

 

 敬語を落としたナーサに、アッシュは頷いた。

 

「そんな風に話してくれた方が嬉しい」

 

 ナーサは感嘆の吐息を漏らし、頬を染めた。一歩また近づけた気がして、胸が高鳴った。

 

「……うん。アッシュは、癒術が得意なの? 今日だけじゃなく……去年の組分けの儀でも、気絶させられたグレイスを助けてたでしょ」

「ああ。癒者を目指しているから」

「癒者? アッシュにぴったりだね」

 

 目を細めると、アッシュの目が僅かに陰った。

 けれど、ナーサは気づかなかった。

 

「あたしは、まだ自分がなりたいものが分からないの……三年生から選択授業が始まるでしょ? まだ何を取ればいいかも考え中で」

「そうか。けど、まだ二年生なんだ。一年間ゆっくりと考えるといい。決められなくても、全ての授業を選択すれば、道が狭まることはない」

 

 淡々と言うアッシュに、ナーサは目をぱちくりさせた。以前、誰かから聞いた逸話が頭に蘇る。

 

「アッシュは、十二ふくろうを取れる生徒だって聞いたことがあったけど……もしかして選択授業を全部取ってるの? 癒者になるには全部の授業が必要なの?」

「いや。ただ、父が望んでいる」

 

 アッシュの返しは短かった。けれど、その言葉には諦念が滲んでいるようで、ナーサは思わず彼の顔に見入った。

 アッシュは溜め息と共に続けた。

 

「……クラウチ家の伝統なんだ。祖父も、父も十二ふくろうを取っている。ありとあらゆる言語を操り、卒業後は魔法省へ」

「そうなんだ……」

 

 コクンと喉を鳴らして囁くと、アッシュは僅かに身を乗り出した。

 

「同情はいらない。僕は、学ぶことが好きなんだ。これは……きっと君も分かるだろう?」

 

 その問いかけの意味に気づき、ナーサは頷いた。本能的に危険と分かっていても調べずにはいられなかった『黒塗りの歴史書』を知ろうとしたのは、知への貪欲な執着だった。

 アッシュも、きっと同じなのだ。

 

「そろそろ戻るよ」

 

 アッシュはそう言い、立ち上がった。椅子の軋みが、名残惜しいと言っているようだった。

 

「うん。ありがとう、来てくれて。またこんな風に話せたら嬉しい」

「ああ。また、いつか」

 

 琥珀色の瞳は何処か獣めいて、いつも感情が見えにくいと思っていた。けれど、今──燭台の灯りを映した双眸は温かく、何処までも優しかった。

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