【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
宴が催されるその日は、夕食もそこそこに寮に戻る生徒が多かった。それに皆、何処かそわそわと浮き足立っている。
不思議そうな顔をしているのは、何も知らない新入生が数人ばかりだ。そんな彼らも遠からず、年に数度の催しを知るのだろう。
かつての自分がそうだったように──。
「クラス・エースの宴って、何人くらい参加するの? あたし、ダンスをすることくらいしか、よく分かっていなくて」
ナーサは落ち着きなくリンジー達四年生の部屋を見回した。
香を焚きしめたように、そこかしこから漂う匂い。壁に立て掛けられた姿見。机の奥に陳列された可愛らしい小瓶……数年後に求められる姿を目の当たりにして、胃がギュッと締めつけられるように痛んだ。
「今は二十人弱ってところかな。女子は、私達を入れて六人しかいないの。監督は、レイブンクローの寮憑きゴーストの『灰色のレディ』ね」
石のような硬い顔を思い出し、ナーサは吐息を漏らした。前に挨拶を交わした時を思い出すと、胸が冷える。
「まずは『灰色のレディ』から紹介を受けて、それから個別に参加者全員に挨拶するの。名乗りと一言二言交わすだけで大丈夫。
下地は、ほんの少しでいいよ。このくらいかな。頬と、おでこ、鼻、顎に乗せて……そう。指の腹で薄く伸ばして、最後に軽く叩くようになじませて」
「……こんな感じ?」
一つ一つ教わりながら、ナーサはこわごわと肌を整えていった。子どもの頃からの憧れとは程遠い。今は自分を別な誰かに置き換えていく作業に思えてしまう。
ナーサの頬に薄くおしろいを乗せていたリンジーの手が不意に止まった。一段声が低くなる。
「厄介なのは、カーヴェル・ロウル」
「……ロウル」
ナーサは思わず手を握りしめた。
──『宴』にはまだ参加されないと聞き、大変残念に思っていました。いずれ……参加されるときには、お相手願いたいものです。
からかうような声が、耳をくすぐった気がした。首筋が急に冷たく感じる。
スリザリンのテーブルで挨拶した時──名乗る以外、何もできなかったあの時、守ってくれたのはケイレブだった。
(でも、もうあの人には頼れない……自分で、何とかしなきゃ)
「あいつは、あなたを狙ってる。マルフォイの血筋を……ううん、それ以上にケイレブがあなたを気にかけているから──何をしてくるか分からない。できるだけ、私の側を離れないで」
ナーサは小さく息を呑み、おそるおそる口にした。
「気にかけてるって……でも、あたし……卒業の時に、ケイレブとお別れしたよ」
チークに手を伸ばしたリンジーが、身体ごとナーサに向き直った。誇らしさと痛みの混じった目を、スッと細めた。
「あの人ね、一度守ると決めたら相手にどう思われようとやめないの。分かるでしょ? 私ね、婚約したから制度上は『宴』に出なくていいの。でも……頼まれたんだ。あなたの味方になってほしいって」
「……そんな」
ぐるぐると思考が渦巻いた。
不安ばかりだった一年生の序盤、初めて寄り添ってくれたのが彼だった。家族ではない。けれど、兄がいたら、きっとこんな風だと思っていた人。
自ら手放したものが、今なお砂塵のように周囲を舞っているのだと知り、ナーサは唾を呑み下した。喉の塊が抜けるまで少し時間がかかった。
「じゃあ、あたし、リンジーに迷惑かけ……」
「心配しないで。彼は命令したんじゃない。私が、決めたの」
リンジーはきっぱりと言い切り、ナーサの頬に朱を乗せていく。
ナーサはいつの間にか震えていた指先に目を落とし、コクリと頷いた。
「よし。メイクが終わったら着替えるよ」
空気を入れ替えるように、リンジーが明るく言った。
それに応えるよう、口の端を動かした。けれど、鏡を見なくても分かるくらい、ぎこちない笑みになってしまった。
改めてトルソーに着せられたドレスを見る。
薔薇を思わせる真紅のドレス。正装の用意がないと話すと、リンジーは「もう着ないから」と保管室に置いていたものを貸してくれた。けれど、明るい室内で改めて見ると、あまりにも華やかで気後れしてしまう。自分では絶対に選ばない色合い。
「あの、リンジー……貸してもらえるのは、本当に助かるの。でも、あたし……このドレスは似合わないと思う」
最後の言葉は、水をかけられた砂糖菓子のように崩れて溶けた。
「大丈夫だよ。きっと似合う。着心地もいいから、騙されたと思って試してみて。
……それね、私が初めての宴の時に着たドレスなの」
リンジーは着ていた服をするりと脱いだ。
燭台の明かりの下でうっすらと浮き上がる鎖骨や、ふっくらとした胸元へと続く身体のラインが目に入った途端、ナーサは弾かれたように目を背けた。
クィディッチの練習の時はいつも着替えてから出かけていたし、寮のシャワールームは個室だ。同性とはいえ、自分以外のこんなあけすけな姿を見たのは初めてで、知らず頬が赤らんでしまう。
「衣装選びにお店に行って、そのドレスに一目惚れしたの。
母さんは『そんな派手なドレスは社交の場に相応しくない』って猛反対したんだけど、兄さんが味方してくれた。うちはそんなに裕福じゃないし、そうそうドレスなんて買えないから……せめて最初のドレスくらいは、私の好きなものを選ばせてやったらってね」
夢見るようなリンジーの目に僅かに陰が落ちた。手慣れた様子でパニエを身につけ、その上からドレスに身体を通す。まるで魔法での着替えのような鮮やかさだ。
ナーサはその姿に目を凝らした。
「……ケイレブにされたこと、ずっと許せないって思ってた。けど、初めて選ばれた瞬間の記憶……今でも濁っていないの」
リンジーは軽く唇を噛みながら、杖を頭に向けた。蛇のようにうねり、持ち上がった髪がどんどん華やかに結われていく。
仕上げのようにマントを身に着けると、何処か女王のような風格が出た。
「今日、あの子と踊るって聞いたよ。多分……そうしなきゃならない事情があるんだよね。それでも……ほんの少しだけでも、きれいな想い出ができたらいいって思ってるよ」
「……うん、ありがとう」
思い切って真紅のドレスを手に取り、見様見真似で身体を通し、無言のまま引き上げる。けれど、胸元は浮いてしまい、肋骨はきつく押さえつけられる。
リンジーの青緑色のドレスは、彼女の身体の一部のように締めつけもせず、ただ美しさだけを引き出しているのに、この赤いドレスは似合わない。いや、合っていない。
着心地もいいから、騙されたと思って試してみて──そう、リンジーは言った。今着ているドレスと同じように、初めての宴の日にはこの真紅のドレスも彼女の身体にぴったりだったのだろう。
マルフォイ家では定期的に仕立て屋が屋敷を訪れ、季節ごとの服をまとめて作っていった。寸法が身体に従うのは当たり前のことだった。
不意に杖選びの時のことが頭に浮かんだ。自ら飛び出した黒檀の杖以外はナーサを拒んだように、このドレスの主は最初から自分ではなかった。着た瞬間にそれが分かった。
うちはそんなに裕福じゃない──先ほどのリンジーの言葉が小さな棘のように胸に刺さった。痛くはない。けれど、どうしても気にかかる。
リンジーがさりげなく裾を整えてくれ、杖を一振りした。頭皮を軽く引かれるような感触に鏡を見ると、ポニーテールが解かれ、三つ編みやねじりを加えられながら、結い上げられていくところだった。
「終わったよ。鏡、見てみて」
リンジーに言われ、おそるおそる姿見の前に立った。
そこにいるのは別人ではなく、少しだけこわばった顔をした自分自身だった。ただ、いつもよりもほんの少し肌が輝き、はっきりとした顔立ちの自分だ。
「うん。とってもきれいだよ、ナーサ」
リンジーはそう言い、懐かしむような目でナーサを見た。まるで、もう戻れない遠い日々を思いやるかのように。