【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地   作:琳音(@rinne_1218)

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20. はじめての宴 ~薔薇の棘~

 ダンスカードのついたリボンを手首に結び、宴の場所に指定された教室のドアをくぐった。その途端、ナーサは息を呑んだ。

 ドアの向こうは大広間の半分ほどはある、広々としたホールだった。頭上を見上げると、シャンデリアがぶら下がった天井も高く、宙に浮いた無数の蝋燭がその少し下を漂っている。

 

 入り口から向かって反対側には、間隔をおいて丸テーブルが設置されている。真っ白なテーブルクロスの上には大皿に盛りつけられた料理や食器が積み重ねられていた。

 立食パーティーのようなものなのか、付近にはグラスや取り皿を持った生徒達が歓談していた。

 

 リンジーとそちらに近づいていくと、鋭い視線が刺さった。ドレスに隠された足が竦んだのが分かったのか、腕を組んだリンジーの脇がキュッと締められた。彼女の熱がじわりと伝わる。

 

「やあ、リン」

 

 背の高い男子が白い歯を見せた。話し込んでいた女生徒に詫びるように片手を上げ、大股に歩み寄ってくる。

 しっかりとした濃い眉に、きらきらと光の踊るオリーブ色の大きな目。それに浅黒い肌といい、生粋のUK出身というわけではなさそうだ。

 

「新しいドレスだね。とてもよく似合っている。君の婚約者が見たら、きっと目が離せなくなるだろうね」

「……ふふ。ありがとう、レイ。

 ナーサ、紹介するね。彼はレイモンド・シャフィク。レイブンクローの六年生の監督生で、私と兄さんの幼なじみ」

「君が、ミス・マルフォイか。お噂はかねがね」

 

 彼は片膝をつき、ナーサの手を取ったと思うと甲に軽く口づけた。前にケイレブにされたのと同じ、洗練された騎士のような仕草──けれど、今は胸の高鳴りはなく、場に沿った儀礼的なものといった印象を受けた。

 

「はじめまして、ミスター・シャフィク。今後ともよろしくお願いします」

 

 ──ねえ。あの、赤いドレス……。

 

 ヒソ、と何処かから囁き声が聴こえた気がした。ナーサは意識して口角を上げ、背筋を伸ばした。身体の締めつけが一段と強くなる。

 

「そのドレスを着ると、リンの妹のようだ。とても似合っているよ、ミス・マルフォイ」

 

 まるで、空気を書き換えるような褒め方だった。まばたきするナーサに、リンジーもクスリと笑いをこぼす。

 

「……ふふ、兄さんが聞いたら卒倒しちゃうかも。私一人でさえ手に負えないのに、もう一人妹がいたら?」

「勿論、ミス・マルフォイは君のようなじゃじゃ馬ではないんだろ」

「私の知る限り、大広間で誰かの胸倉を掴んだりはしてないよ。ね、ナーサ?」

 

 割れんばかりのスコティッシュ英語の怒声を思い出し、一瞬息を呑んだナーサだったが、すぐにくつくつと腹の底が震えだした。

 

「今のところは機会がなくて……その日が来るのを楽しみにしています」

 

 三人は顔を見合わせ、声を立てて笑った。窮屈だった衣装が、少しだけ緩んだ気がした。

 

「レディは、まだ来ていないの?」

 

 リンジーが辺りを見回す。すると、シャフィクが心得たように頷き、二人に両手を差し出した。

 

「ピアノのところだよ。ご案内いたしましょう。お手をどうぞ、レディ達」

 

 シャフィクのエスコートで、向かったダンスホールの片隅のピアノには、乳白色のぼんやりとした影が腰掛けていた。

 近づいていくと、その女性は物憂げに顔をもたげ、おもむろに立ち上がった。すらりと背が高く、腰まで届く長い髪がサラリと揺れた。

 それが誰なのかに気づき、ナーサは歩を緩めた。レイブンクローの寮憑きゴースト、『灰色のレディ』だ。

 

「ご機嫌麗しゅう、レディ」

「……ご機嫌よう、レイモンド」

 

 彫像のように美しいゴーストは話しかけられること自体が不快そうに、ひどくよそよそしかった。どんな生徒にも親しげな『ほとんど首なしニック』とは大違いだ。それに両隣りのナーサとリンジーには目もくれようとしない。

 シャフィクもそんな態度には慣れっこなのか、慇懃に続ける。

 

「こちらの令嬢が、我々のクラスに仲間入りすることになりました。グリフィンドール生なので、レディはご存知ないかもしれませんが」

 

 ナーサはスッと息を吸い、微笑みを作った。

 

「はじめまして、レディ。覚えていらっしゃるか分かりませんが……以前、一度ご挨拶させていただいた、ナーサ・マルフォイと申します。よろしくお願いいたします」

「──あなた」

 

 スカートの裾をつまんでお辞儀し、一歩退いた、その時。

 レディはシャフィクの身体をすり抜け、ナーサの顔を正面から覗きこんできた。両頬に添えられた手はもちろん素通りしたが、ひんやりと冷たい感覚に身震いした。

 危うく悲鳴を上げかけて、踏みとどまる。

 

「あなたからは、死者の臭いを強く感じる……紛れもなく生者だというのに」

「死者の……臭い?」

 

 不吉な響きに当惑してリンジーとシャフィクを見たが、二人とも首を振った。

 レディの口の端が、ピクリと動いた。もう遠い昔のことで、笑い方など忘れてしまったというように。

 

「私達、『留まることを選んだ者達』とは遠く隔たった『その先』の気配を感じるということです。不思議ですね。こんな気配は初めてです。死ぬ間近の人間ともまた少し違う……何故」

 

 レディはまだぶつぶつと口の中で何か言いながら、名残惜しそうにナーサから離れた。そして、そのままふわふわと宙に舞い、シャンデリアを突き抜けて消えてしまった。

 呆気に取られるナーサのすぐ横で、シャフィクは大きく咳払いをした。

 

「クラス・エースの紳士淑女の皆さん、ご機嫌よう。たった今、『灰色のレディ』から祝福を受けた、我らに仲間入りする小さなレディをご紹介しましょう。聖28一族の一つ、高名なマルフォイ家のご令嬢であられる、ミス・ナルシッサ・マルフォイ!」

 

 澄んだ声が通ると、大きな拍手が沸き起こった。儀礼通りにお辞儀を一つすると、シャフィクがにこりと笑った。

 

「お疲れさま。緊張しただろう?」

「あの……さっきのは祝福だったんでしょうか」

 

 初参加者には一風変わった言葉を祝福として捧げるのが慣例なのだろうか。ナーサの質問に、シャフィクは短い顎髭を撫でた。

 

「気難しい人だからね。いつもなら軽く挨拶を交わすだけさ」

「じゃあ、どうして祝福なんて言ったんですか?」

「そう紹介した方が効果的だからね。『灰色のレディ』は元々は高貴な女性らしい。だから、彼女の評価で、多少はクラス内の印象が変わるかと思って。レディはもう行ってしまったし、僕達以外会話を聞いてないなら、多少盛って紹介しても許されるだろ?

 さ、後はダンスを残すのみだ。軽く皆に挨拶して緊張をほぐしておいで、ミス・マルフォイ。リン、任せたよ」

「オーケー。行こう、ナーサ」

 

 リンジーに付き添われ、順番に他の生徒達に声をかけていった。

 同学年の生徒は、ハッフルパフのモニカ・コーンフットだけだった。大きな目を縁取る睫毛が忙しなく揺れていた。まるで餌を前にしたウサギのように。

 それ以外は面識のない生徒の方が多く、顔と名前が刺さっては、すぐに抜けそうになる。

 

 皆が、こちらを鋭い目で見ていた。レグルスとの抱擁が尾を引いているのかと思いきや、挨拶を交わす中でも、ナーサへの態度は一貫して丁寧だった。

 けれど、ナーサの影のように控えたリンジーを見る目には、あからさまな好奇心が光っている。

 

 ──もしかして、別れた?

 ──確か、前に大広間でも……。

 ──マルフォイ嬢とも、揉めてなかったっけ。

 

 聞こえていないはずがないのに、リンジーは少しもたじろがなかった。ナーサの紹介に二、三の話題を提供すると、一歩後ろに下がっていく。まるでこの場のホステスのようだった。

 出席者の半分ほどに声をかけ、一瞬肩の力を抜いた瞬間。

 

「……これは想定以上の仕上がりだ」

 

 低い声が背後から響いた。

 すぐ後ろにいたのはカーヴェル・ロウルだった。金ボタンのついたえんじ色のベストに黒いマントを羽織り、軽く肩を揺らして近づいてくる。

 

「俺のことを覚えていますか、リトル・ミス・マルフォイ?」

 

 小馬鹿にしたように『リトル』にアクセントを置き、ねちっこく言う。

 ナーサは頬が引き攣る痛みを無視して、口の端を上げた。

 

「勿論です。ご機嫌よう、ミスター・ロウル」

「君とは、ずっとゆっくりと話してみたいと思っていた。誰にも邪魔されないところでね。どうだろう。今夜のダンス……俺と踊らないか?」

 

 首筋や胸元に視線を滑らせるロウルに、肌が粟立った。声を震わせないよう、ゆっくりと言った。

 

「あいにくと、先約があります」

 

 ロウルが左手首を指差してきた。

 反射的に手を上げると、金の縁取りがされた縦長の小さなカードが、手首の外側でひらりと揺れた。白く反射する面には、曲順だけが並んでいる。

 

「空いてる。そのダンスカードに名前を書き込まれるまで、先約とは言わないんだよ。それに、君はあいつに侮辱されたんだろう?」

 

 『mistress’s bairn(妾の子)』──リラルドに言われた言葉が脳裏に蘇り、ナーサは思わず口元を覆った。

 反応を引き出せたのが嬉しくてたまらないというように、ロウルの喉が激しく上下する。

 

「俺の家は、スコットランドにあるんだ。だから、『例の言葉』も、しっかりと分かってしまってね……かわいそうに。あの兄弟と、あれだけ仲がよかったのに。ひどい裏切りだ。

 けど、まだ終わっちゃいない。まだ、物語は書き換えできるんだ。君が、選びさえすれば」

 

 ロウルの声は撫でるように甘く、優しい。まるで年の離れた妹に接するかのように。

 けれど、それは以前、別の人から受け取った温度感とはまるで違う。息が上がり、歯が鳴りそうだった。

 

 大きな手が、リボンを巻いた手首に迫る。

 静まり返った空気の中、ナーサの身体は思うよりも先に動き──カツン、とヒールの音が鳴り響く。

 ナーサは顎を上げ、ロウルの目を見据えた。

 

「……選びません。それに、これはあたしとあの人の問題です。あなたには関係ありません」

 

 さや、と衣擦れの音が響いた。リンジーが朗らかな笑みを浮かべてナーサの一歩前に立った。

 

「ご機嫌よう、ロウル。価値のあるものは早めに売れるって分かっているでしょう。あなたは一足遅かったの。諦めたら?」

 

 ロウルは、にんまりと笑みを浮かべ、リンジーに一歩近づいた。ドレスの裾に触れるほど、近い。

 

「おかしいな。君も『先約済』だったはずだ。ミスター・ヤックスリーと婚約したのに、どうしてこの場にいる? 捨てられたなら、いつでも拾ってやるよ」

 

 ざわめきが一瞬高まり、すぐに静まった。皆が知りたくてたまらない、けれど無礼千万な質問に空気が凍ったようだった。

 

「……ふふ」

 

 淀んだ沈黙を破ったのは、軽やかな笑いだった。聞いた途端、小さく肩が跳ねた。

 ナーサからはリンジーの口元しか見えない。そこは確かに弧を描いているはずなのに、ロウルの顔から溶けるように笑みが消えた。

 

「彼には、自分の選んだものが最上かを見極めるように言われたの。そして、それは正しかったみたいね」

 

 リンジーは肩をそびやかした。

 ロウルは食い入るような目でリンジーを見つめ、それからナーサへと視線を移した。

 

「……前に、その薔薇に手を伸ばした奴がいた。奴は手から血がほとばしってもかまわなかったようだが……俺なら一枚一枚、花びらを千切ってやる。そうすれば、きれいなものだけ手に入るだろう?」

 

 舌で唇を潤したロウルに、ナーサは拳を握りしめた。

 

「その人は、自分が傷ついても相手を尊重したんですね。花びらだけなら、すぐに萎れてしまいます……それは、もう薔薇じゃない」

 

 ロウルはまじまじとナーサを見つめた。目隠しを外され、急に世界の色を直視したかのように。片側の唇だけが上がる歪んだ笑みを浮かべながら、彼は両手を上げ、ひらひらと振ってみせた。

 

「賢い君なら理解できると思ったんだけどな。まあ、すぐに分からなくてもいい。少しずつ教えていってやるよ。何が正しいのかを」

 

 そう言い捨てると、優雅な足取りで壁際に向かっていく。

 リンジーはよくやったと言わんばかりに肘を差し出し、ナーサがホッと息を吐いた。

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