【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
リラルドと目が合ったが、彼は立ち尽くしていた。
ナーサの方から近づいていくと、左手首を彼の眼前で揺らした。曲順だけが記されたカードを見て、リラルドは眉根を寄せた。目を伏せ、小さな吐息を漏らす。
「……俺のこと、最低だって思ってるよな」
ぼそりと漏らした声は消え入るように小さかった。
「……分からない。あの頃は、誰よりも必要だった。けど、傷つけられて……軽蔑もした。でも──嫌じゃない。今は」
リラルドは息を呑み、次に言うべき言葉を失ったようだった。ややあって、ゴクンと喉を鳴らす。
「踊るんでしょ?」
リラルドは無言のまま、ナーサを見つめた。あまりに強いその視線は、燃え盛る暖炉の炎のようだ。きれいだけど、近すぎると怖い。
ナーサは視線を逸らすと、手首のリボンを外した。そのまま、ダンスカードを彼に差し出す。
リラルドは金色の眉を震わせながら、両手で丁重に受け取った。杖を取り出し、カードに滑らせていく。その間も、何度もナーサの目を盗み見た。まるで少しでも目を離したら、消えてしまうと思っているかのように。
三つのサインを書き終えたのを見計らって手を差し出すと、リラルドは慎重にリボンを結んでいく。触れないように細心の注意を払っているようだった。
少しだけきつく結ばれたリボンが素肌を締めつけた。そっと差し出された手に、手を重ねる。手袋越しなのに、思わず引いてしまいそうなほど、熱い。澄んだ空色の目が、驚くほど近いところにあった。
「……本当、ごめん。謝ったって許せねぇと思うけど」
「なら、謝らないで。どうしたって許せないことを謝られたって、こっちも苦しい」
「そう、だよな……」
ピアノの前奏がしめやかに流れ始めた。男女のペアが、ホールに集まり、そこかしこから笑い声が漏れた。
重ねた彼の手が、ピクンと小さく跳ねる。目を見交わすと、どちらからともなく歩を進めた。
会話を楽しみながら開始の合図を待つ周りとは違って、ナーサは身体がどんどん硬くなっていくのを感じた。息をするだけでドレスの締めつけが痛い。借り物の高いヒールのかかとが、ぐいぐいと押しつけてくるようだった。吐息を漏らし、ドレスの内側でそっと足を揺らした。
一歩分の距離を置いて向き合ったリラルドが、微かに動く裾に目を留めた。
「……お前さ、ダンスって得意なの?」
「練習はしてたけど……正直、苦手」
クリスマス休暇に専属の家庭教師をつけられたが、型を覚えただけで優雅な動きとは程遠かった。
リラルドはふっと笑いを漏らした。
「うまくやろうって緊張しすぎてんじゃねぇの。ダンスは転んだって、死にゃしねぇさ。お前、何でもできそうに見えるから、ドジ踏んだって話のネタになるだけだ。気にすんな」
「他人事だと思って」
リラルドはニヤリと笑ってみせた。
「腹立ったら、俺の足を踏んで憂さ晴らししろよ。怒んねぇからさ」
挑発するようにドレスの裾に片足を近づける彼に、ナーサは思わず目を細めた。
「ふふっ。ダンスが終わる頃には立てなくなってるかもよ」
「……はっ。もう、覚悟はしてる」
互いに軽く礼をすると、リラルドの左手が差し出された。その手に右手を重ねると、背に手が回された。素手ではない──けれど、心臓が飛び跳ねた気がした。
一年生の頃の彼は、こんなにも大きかっただろうか。肩幅が広くなったし、目線の高さも離れた気がする。
ワルツが始まった。
リラルドの踏み出す足幅に合わせて、踏み出す。それは細々と指示を出されながらしていた練習よりも、ずっと動きやすかった。
「言うほど、下手じゃないな。ダンス」
身体が近づいた時に、彼が低く囁いた。
「そっちこそ、すごく上手」
「身体動かすのは得意だからな」
息遣いが合う。いや、合わせてくれている。そのことに気づいて、ナーサは彼を見上げた。ステップを踏んだり、身体を反らしたりする動作が力まずにできている。
視界の端に、他のペアの動きが目に入るようになった。
「箒も、上手かったもんね。一年生の、飛行訓練で」
「あー……まだ覚えてたのか」
リラルドは気まずそうに、ふいっと視線を逸らした。まるで嫌な思い出を振り払うかのような仕草に、ナーサは小首を傾げた。
箒を初めて呼び寄せて興奮するナーサに見せつけるように、軽々と空を舞った──あまりにも華麗で、今でも目に焼きついている。
ターンをした途端、身体の距離が一気に近づいた。
「クィディッチ、本当はやりたいの?」
思わず口から漏れた疑問。
家の反対を受けていると、リンジーから聞いていた。ナーサ自身も昨年、クィディッチの勧誘のことを書き綴った手紙を送ると、けんもほろろだった。
リラルドは視線を合わせ、それから微かに笑った。
「そうかもな。でも、いいんだ。見てるのも、楽しい。でも、あんまハラハラするのは正直……見たくねぇな。来週はスリザリンと、だろ」
その瞬間、足を動かすのが一瞬遅れて体勢を崩しかけた。大きな手が間髪入れず背を支え、ナーサは咄嗟に頬を赤くした。
「ありがとう。今の……敵を応援してるみたいに聞こえて、驚いた」
リラルドの目が鋭く壁際に向けられた。
つられてそちらに目をやると、ロウルがまだ見ていた。背中の手にほんの少し力が入った気がした。
「ロウルのヤツを、応援したくねぇんだよ。さっき、あいつ……すげぇ近づいてきたろ。気をつけろよ」
「……うん。リンジーにもそう言われた」
二人はしばし無言で音楽に身を任せた。
ひらりひらりと揺れる色とりどりのドレスの裾が、蝶の羽のように見えた。ちょっとした風で近づいては、離れていく。踊っているのはナーサ達を入れて、五組だけ──リンジーの姿はない。
「……ねえ。ヤックスリー家では、リンジー……ちゃんと大切にされてる?」
「ケイレブが……リンジーをすげぇ気遣ってるのは感じる」
リラルドが一瞬視線を泳がせ、続けた。
「……父上も、すげぇ気に入ってる。だから、ミカは余計面白くねぇんだ」
「そっか。リンジーの力になってあげてね。きっと、あなたの存在に救われてる」
「ああ。分かったよ」
ワルツの音が波のように引き、拍手が湧いた。
上がった呼吸を整えながら周りを見回した。ダンスホールから一旦引き上げるペアに駆け寄る別な男子が見えた。パートナーを入れ替えた女子が、もう一度ダンスホールへと戻ってくる。
アッシュがミケイラ・ヤックスリーの手を取って向かってくるのが見えて、さりげなく目を逸らした。
リラルドは無言のまま、ナーサの顔を見つめていた。手を取ったままだということに気づき、ナーサは軽く手首を回した。その途端、彼は思い出したように手を離す。
「……悪い。ぼうっとしてた」
「踊ったせいか、熱いね。
……ねえ、まだ次の曲は始まらないでしょ。ママのこと、教えてくれる?」
リラルドは眉をひそめた。思い出したくないことを、思い出した──そんな風に見えた。周りを見渡してから、間奏にかき消されそうなほど声を落とした。
「魔法を、突然使えなくなった。そういう病気だって聞いた」
「そんな病気……聞いたことない」
「世間に知られてないだけで、昔からあるらしい。一時的な症状の場合もあれば、一生そのまま魔法を使えなくなることもあるんだって」
ナーサは息を呑んだまま、止まった。肺が役目を忘れたように、息を吐けない。
ふらついた身体は、すぐに支えられた。肩と手首を固定されるように……他のどの部分も触れぬようにしているのか、身体の距離は空いたままだ。
「今、言うべきじゃなかった……一度休もう。ダンスなんか、どうだっていい」
ナーサは震える手を見下ろしながら、首を振った。
「……ううん。約束は、守る」
「もう、いい。無理させたくねぇ……俺が馬鹿だったんだよ」
「──ねえ。ママのこと、あの人が……ルシウスが言ったの?」
リラルドの手がビクンと跳ねる。正直すぎる反応に、乾いた笑いが浮かんだ。
「……やっぱり、そうなんだ。あたしを、マルフォイ家に連れ戻すようにって頼まれたの?」
「……いや。違う。お前の母親の病気のことは、嘘じゃねえ……そんな嘘は、つかねぇから」
「分かってる」
ナーサは懐中時計のネックレスを握りしめ、蓋を見た。今も埋め込まれた宝石は、淡い光を放っている。
──あなたに何かあればママのブレスレットが。ママに何かあればあなたのネックレスの宝石が光を放つ仕掛けになってる。
「……魔法が使えなくても、いい。元気なら、いいの」
リラルドはおそるおそる手を離した。いつでも支えられるようにか、手だけはすぐ側に浮かせたままだ。
「これは、父上から聞いたんだけど……スクイブを取り締まる法案が通るらしいんだ。十分な魔力を示せなければ……施設に、送られるって」
「だって……ママは魔女だよ。ちゃんと魔法を使えてた。スクイブじゃ……」
まるで言い訳のようにそう言う自分に気づいて、ナーサは口をつぐんだ。彼に言っても仕方ないのに。
リラルドは唇を震わせ、やがて思い切ったように言う。
「一度、家に戻ったらどうだ?」
ナーサは二の腕をかき抱いた。むきだしのそこはひんやりと温かみを失っている。
「……簡単に言わないで。あの人と、また顔を合わせるなんて──あたしが、どんな気持ちで家を出たか、分かってる?」
人生の半分を共に暮らした人に裏切られていた。そして、跡継ぎという役割でしか見られなかった。あの日のことを思い出すと、胸が凍りつくような痛みを感じた。
リラルドはしばらく黙り込んだが、かすれた声で続けた。
「でも、行かなきゃ……後悔するかもしれないだろ。一人で行かないでさ……例えば、ブラック卿に付き添ってもらうとか」
「……レグルスおじさまに?」
ナーサはゆっくりと目を瞬いた。狭まっていた視野が、急に広がったようだった。
「マルフォイ卿でも、ブラック卿は軽々しくは扱えないはずだ。お前のことも……気にかけてくれてるんだろ」
「そう、だね……一度、おじさまに相談してみる。ありがとう」
ワルツの音が、また高まってきている。一曲目の時よりもずっと彼との距離が近い気がする。けれど、今は間近に感じる熱が心地いい。
もう一度彼に手を預けると、澄んだ空色の目が静かにナーサを見つめ返してきた。