【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
レグルスから贈られた箒に初めて乗った時、ナーサはその一体感に驚いた。
拳に吸い付く滑らかな柄。手から魔力を伝わせるだけで自分の手足のように動く。クッション魔法のかかった座り心地は安定しており、力を入れなくても芯がぶれない。追い風に乗れば、信じられない速さで進んでいく。
中庭での練習中、軽く流しただけでチームメイトはどよめいた。
「すっごいなー。何、その箒! ニンバス?」
地面に降りるなり、真っ先にアデリナが近づいてきた。
「あたしもよく知らないんだけど、『銀の矢』っていうみたい」
ナーサがはにかみ笑いを浮かべて、箒の穂を撫でた。陽光に晒されて温かく、そして柔らかな感触。道具というよりも、対等なパートナーのように思えてしまう。
アデリナは口の中でその名を繰り返し、素っ頓狂な声を上げた。
「──マジでっ? それ、競技用の箒だよ! 昔、大人気だったって、じいちゃんが言ってた! へえぇ、その箒が!」
「おじさまが、贈ってくれたの……昔、愛用してたんだって」
骨董品呼ばわりされた箒が認められて、ナーサは胸がじんわりと温かくなるのを感じた。レグルスの気遣いが正確に受け止められた──そんな気がした。
横髪をかき上げるナーサの肩越しに、リンジーも身を乗り出して覗き込んできた。
「いいなあ。私も、そんな気前のいいおじさまがほしいっ。このクリーンスイープなんて、もう十年選手だよ」
「何言ってんだか……君だって、気前のいい婚約者がいるじゃないか」
宙から舞い降りた三年生のチェイサー、クレイグ・ゼノンが、リンジーとナーサを順に見た。視線が交わると、ほんの一瞬唇を噛んだ彼だったが、すぐに皮肉げな笑いを捻り出した。
「まったく、ここはいつからスリザリンのチームになったんだ? 死喰い人の婚約者が、二人も! 裏取引でもしてるんじゃないか? 次はスリザリン戦だけど、大丈夫なんだろうな」
「はあっ? あんた、何を──」
アデリナの口に人差し指を当てたリンジーが、すたすたとゼノンに近づいていった。
思わず身を竦める彼に、リンジーはネズミを見つけた猫のように目をきらきらと輝かせていた。
「……ふふ、なるほど。知らないうちにケイレブも出世してたんだ。早速おめでとうって手紙を書かなくっちゃ」
「お、おい。やめろよ……ちょっとした冗談だろ」
ナーサは小首を傾げた。
「レグルスおじさまったら、いつの間に婚約届を出したのかな。次の誕生日まで待っててって言ったのに」
ヒッと息を呑んで、みるみる青ざめるゼノンに、ナーサは控えめに笑った。
「冗談だよ……次は、こんな風にもっと分かりやすくしてね」
思わぬ反撃に、ゼノンは顔を伏せて押し黙った。
いつも一言余計な彼だったが、今日はやけに突っかかってきた。ナーサはリンジーが差し出した手にハイタッチしながらも、そばかすだらけの顔を横目で見た。
*
翌朝の朝食には、少し寝坊をして遅れてしまった。大広間はすでに人のざわめきと食器の音で満ちている。
遠目から空いた席を探そうと、少し歩みを緩めたその時、黒い影が迫ってきていた。それが誰なのかに気づいた時には、すでにカーヴェル・ロウルが眼前に立っていた。
「おはよう、ミス・マルフォイ」
「……おはようございます、ミスター・ロウル」
軽い挨拶だけ交わして背を向けた瞬間、思いがけず肩に手を乗せられていた。
「何か、御用でしょうか」
振り返りざま、肩を揺らしたが、熱を帯びた手は動かない。ナーサは素早く周りを見回した。人で賑わった大広間だ。まだ、誰もこちらに気づいていない。
「離してください。痛いです」
ロウルは言われて気づいたというように手を外すと、もう片方の手に握りしめていた物を差し出した。
「見てみなよ。危惧していた通りだった」
ナーサは何がなんだか分からず、それを広げた。
日刊予言者新聞の朝刊──目に飛び込んできたのは、ダンスを踊るリラルドとナーサの姿だった。
少しぎこちなく、導かれるようにして踊る自分。リラルドに向けた視線は、思っていた以上に信頼を宿していた。
『ヤックスリー家とマルフォイ家の若き恋人達』『三度のダンス、婚約間近か』──大見出しが文字としては目に入ってくるのに、理解が追いつかない。
震える指先で何度か紙面を指差し、なぞる。
それがストンと頭に落ちた瞬間、急に汗が吹き出てきた。心臓がバクバクと打ちつける。
ナーサは懐中時計のネックレスを握りしめた。金属のネジが、拳に食い込む痛みが、かろうじて意識を繋ぎ止めてくれるようだった。
ロウルは微かに笑って、声を落とした。
「なあ、分かったろ……嘘じゃないって。
マクドゥガル嬢は、ケイレブ・ヤックスリーと別れた後も『ミスター・ヤックスリーの恋人』扱いを受けてたんだ。それでも、まだ交際していたっていうのは事実だったから、救いはあったかな。
でも、君は? 自分を傷つけたリラルド・ヤックスリーとの未来を受け入れるのか?」
ナーサは口元を押さえ、よろめいた。
大広間中が自分を見ているようで、思わず周りを見回した。ざわめきが急に高まった気がした。
(これは、本物じゃないかもしれない。でも、この人にあたしを騙す理由はある? ケイレブと仲が悪くたって、それが騙す理由にはならない。
本物だとしたら──どうして? 記者なんて、いなかった。誰かが、リークした? それで誰が、得を……?)
ロウルは眉根を寄せ、僅かに目を伏せた。
「悪かった。君をいじめたいわけじゃない。ただ、俺は君の味方だってことを知っていてほしい」
気の毒で仕方ない──そんな顔をしている。けれど、それが本心からなのかは分からない。
その時、騒がしい金属音が近づいてきた。聞き慣れた、ブーツの金具の音。
「おい、何やってる?」
抜き身の剣のように杖を構えたリラルド・ヤックスリーが駆けつけてきた。
ロウルが重たげにまぶたを上げる。
「彼女を慰めていただけさ。誰かさんにひどく傷つけられてたからな」
「てめぇ、いい加減にしろよ……」
リラルドのこめかみにひくりと青筋が走った。
けれど、ロウルは制服の襟を正し、落ち着き払った笑みを浮かべた。
「決闘なら、寮で受けてやるよ……愛しのミス・マルフォイの前で恥をかきたくないだろうからな」
「はっ。そりゃ、こっちのセリフだ。五学年下のガキに、しかも二度も負かされたら……スリザリンでの居場所はねぇだろうな」
リラルドはそう言いながらも、ナーサの前に立った。まるで、ロウルから隠すかのように。
けれど、それが守る仕草なのか、所有なのか、支配なのか……ナーサには分からなかった。吐き気と、息苦しさに喉を大きく鳴らした。
「……あなたが、やったの?」
「はっ? 何を……?」
リラルドは眉をひそめた。
無言で新聞を差し出すと、リラルドが大きく息を呑む音が響いた。
「──んだよ、これ……。知らねぇ、こんな……」
広げられた紙面が音を立てて波打つのを、ナーサは静かに見つめていた。
(……違う、ような気がする。それとも、そう思いたいだけ……?)
顔を見れば、分かるだろうか。目を見れば、もしかしたら──そう思ったのに、足が凍りついていた。
知りたい。けれど、知るのが、怖い。
ロウルが含み笑いを漏らした。
「お前じゃないなら、策略家の兄貴の仕業か? あいつには前科があるからな」
ナーサは両目を覆った。頭が割れるように痛く、空腹感も何処かに行ってしまった。
「……あたし、寮に戻る」
「マルフォイ、本当に俺じゃ……」
崖から落ちるのを腕一本で支えているような、切羽詰まった声。
けれど、ナーサは目線を落とし、首を振った。
「もう、分からない……一体、何がしたいの? 三度のダンスに誘ったのも、そういうことだったの……?」
「それは……」
「あたしは、選ばされるつもりはないから」
ナーサは肩を落としたまま、ゆっくりと大広間を後にした。