【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
スリザリン戦の試合当日の朝、朝食の席はいつにも増して騒がしかった。大広間に入ってすぐのところに人だかりができている。
気になって背伸びをしてみると、皆が壁に貼られた何かに見入っているのが分かった。けれど、軽くジャンプしてみても、それが何かまでは分からない。
「ねえ、何かあったの?」
近くにいた女子生徒に訊いてみると、ナーサと目が合った途端、慌てて逸らす。不自然な様子に気づいたのか、左右にいた生徒達も目を向けてきた。一斉にヒソヒソ囁きだす生徒達の反応に、ナーサはまた自分の噂が飛び交っているのを悟った。
(今度は一体、何……?)
「……ごめんなさい、通してっ」
切り分けられたように、人波がパッと左右に割れた。ナーサは築かれた道を息を詰めたまま進んでいった。
壁に貼られていたのは新聞記事だった。気づいた途端、腹を思い切り殴りつけられたような衝撃を感じた。
──三角関……
──マルフォ……え、あいつイケて……
──ブラックのが……いやでも……
──普通に可愛くね……
──釣り合ってる……
無責任な言葉が石つぶてのように投げつけられる。
笑い声や、評価の声。けれど、誰が何を言っているのか。それとも幻聴なのかも分からない。
写真の自分は、ただ一人だけを見つめている。時折口が動く……話している。閉じ込められた世界の中で、大勢の見せ物になっていることにも気づかずに。
ナーサの手は、考える前に貼られた新聞に伸びていた。けれど、紙面が少しもよれない。爪を立てても、壁と紙の隙間に指を差し入れることができない。
(なんでっ……永久粘着呪文? どうしよう、こんな……)
咄嗟にローブを広げ、浮遊呪文をかけると何とか覆い隠すことができた。ホッと吐息が漏れたのも束の間、「照れてる」という言葉が耳を突く。
カツン、と靴の音が鳴った。
「ご婚約おめでとう」
背後から、刺々しい声が落ちた。振り返ると、そこには蒼白なクレイグ・ゼノンが立っていた。
「……分かりやすい冗談にしろ? 冗談じゃ、なかったのかよ」
周りが、シンッと静かになった。
ゼノンの声は怒りではない。軽蔑に満ちていた。
「寮なんか、在学中だけしか関係ないもんな。お前も婚約者も、天上のお方だもんな。リンジーもそうさ。クィディッチなんて、ほんのお遊びなんだろ。
……やってらんねえ。俺は、抜ける。スリザリンのスパイとなんか、試合できるか」
そう言い捨てると、ゼノンは背を向けた。
違う──そう言おうとした。けれど、言葉にならなかった。信じてもらえない。誰にも。
ナーサは自分の内側に張ってあった糸が、ぷつりと切れたように感じた。
遠巻きに見ていた生徒達も、もう面白い反応は得られないと思ったのか、各々のテーブルに散っていく。
その場に立ち尽くしていると、宴で知り合ったクラス・エースの顔見知りが、「おめでとう」と声をかけてきた。嫌みではなく、ただ当然のように。
言い訳すらもさせてもらえない空気感にナーサはうつむき、出入口側に向かいかけたその時──思いがけず、横から肩を叩かれた。ハッと顔を上げると、そこにはルーク・ディゴリーの心配そうな顔があった。
「これから試合だろ? ちゃんと食べなきゃ」
喉に詰め物をされたように言葉が出てこなかったナーサに、ルークは首を振った。
「逃げる必要ないよ。堂々と食事したらいい」
「……食べられないよ、こんな時に。試合だって……チェイサーが一人欠けて、戦える? 他の人も、欠場するって言うかもしれない……」
──おい、ディゴリー。スリザリンの婚約者に何されるか分からないぜ!
飛んできた冷やかしに、ナーサの身体がピクンと跳ねた。
ルークは軽く肩を竦めて、スリザリンのテーブルを見た。
入り口側に近い端の席に、リラルド・ヤックスリーが友人達と固まって座っていた。片足を座面に乗せ、背中を丸めている。床に落とした足が、忙しなく揺れているのが、ここからでも分かった。
次の瞬間、ルークは大きく息を吸い、よく通る声で叫んだ。
「ねえ、ヤックスリー! ナーサ・マルフォイと話してもいい?」
ガタンッ──椅子が床を叩く音が響き渡った。急に静まり返った大広間の中、椅子を蹴るように立ち上がったリラルドに視線が集中する。
「……は?」
急に舞台に引っ張り出され、怒りとも当惑ともつかない顔をしている。
ルークは誰もが思わず笑い返してしまいそうな、屈託のない笑みを浮かべた。
「婚約してるなら、ちょっと話しただけで妬いたりしないだろ。そもそも婚約してないなら、口出しする必要もない。そうだよね?」
思いがけない言葉に、ナーサは目を見開いた。
崩した着こなしや、イヤーカフ、荒っぽく聞こえるスコティッシュ・アクセントのせいで、リラルドは同学年からも敬遠されがちだった。九月生まれで学年最年長組の彼は背も高く、六月生まれのナーサや、それにルークよりもずっと背が高い。
(……怖くないの? こんな風に、声を上げて……リラルドは理由もなく暴力を振るったりしない。でも……そう勘違いする子も多いのに……)
一年生の頃、ルームメイト達からも悪しざまに言われていた。
リラルドはルークから、ナーサへと視線を移した。その目はすぐに伏せられた。
「──好きにしろよ。別に、俺んじゃねぇし」
その瞬間、耳をそばだてていた生徒達が一気にどよめいた。
否定した──張り詰めていた胸が、不意に緩んだ。同時にナーサは握りしめていた大切な何かが、音もなく消え去ったような喪失感を覚えた。
ルークはチラリとナーサを見て、目を細めた。
「さっ、行こう」
ルークはグリフィンドールと背中合わせになるハッフルパフ側の椅子を引いた。立ち尽くすナーサに座るよう促すと、かぼちゃのポタージュをよそうために立ち上がった。その手が小さく震えていることに気づいて、ナーサは目を見開いた。ナーサの視線に気づき、彼の頬が赤らんだ。
「すごい……緊張した……君、いつもあんな視線を浴びてたんだね。それなのに堂々としてて……本当、すごいよ」
「……怖かったの? そんな風には、見えなかったよ」
「足が、ガクガク震えてたよ……噛みそうになっちゃったし」
頬を緩めると、彼はポタージュ入りのカップを回してくれた。
カップから少しだけはみ出した汚れに気づいて、ナーサはナフキンでそっと拭った。見た目よりも、ずっと動揺していたのだ。そう気づいた途端、胸に甘い痛みが広がった。
「ルークって……すごい人だね。あんな風に庇ってくれるなんて……」
「試合直前にあんなことするなんてフェアじゃない。きっとさ、君に全力で戦われたくない人がいるんだよ」
ポタージュのカップを両手で包み込むようにすると、ゆっくりとすすった。いつの間にか身体が冷えていたらしい。温みが指先と身体の奥から染み入るように広がっていく。すると、ほんの少しだけ、周りの様子が気にならなくなった気がした。
「……ありがとう。すごく、嬉しい……」
ルークの綻んだ口元から白い歯が覗いた。
「ようやく笑ったね。君はきっと笑顔の方がいい」
ナーサは頬にそっと手を添えた。それは一年生の頃に傷ついた心を癒やしてくれた言葉と同じで、ナーサを優しく包み込んだ。トクトクと心臓が跳ねる。さっきまでの苦しさが嘘のようだった。
「……ルークって、不思議。太陽みたい」
「太陽っ?」
「うん。皆に温かくて……平等に照らしてくれるから」
「それって、何だか照れるな。僕が太陽なら、今日は晴らすんだけど……一雨来そうだね。風も強そうだ」
天井に映された空模様を見上げるルークにつられて、頭上を仰ぎ見た。雲の流れが速く、灰色味を帯びている。雨が降ればスニッチを見つけるのは難しくなるだろう。それに長引けば、チェイサーの人数が足りないのが響いてくるに違いない。
「でも、君にとってはラッキーかも」
「え?」
「『銀の矢』は追い風を受ければ、時速112kmも出せるんだ。君なら、きっとうまくやれるはずだよ」
ナーサは思わず緩んだ頬を隠そうと、パンを手に取った。
食事を続けていると、ユニフォーム姿のアデリナとリンジー、イアンの三人がやって来た。眠たげに目元を擦っていたアデリナと目が合うと、彼女は血相を変えて飛んできて、怒声に身構えたナーサではなくルークの真ん前に手をついた。
「あんた、なんでナーサをハッフルパフの席に座らせてるのさ。まさか、試合当日にスパイしようっての?」
「いきなりケンカ売るのはやめろ」
有無を言わせず押さえつけたイアンが、無理やり真後ろの席に座らせる。わめくアデリナを宥めながら、ルークに軽く頭を下げる。
「悪いな、ディゴリー」
「ふうん。あなた達、仲よかったの?」
リンジーが取りなすように明るく言う。ナーサはチラリとルークを見た。
「うん──友達、かな……」
名前で呼び合う許可をもらったなら、そうだろうか。友達と思ってくれているだろうか。ほんの少し怖かったけれど、おずおずと口にする。
すると、ルークは大きく目を瞬いた。
「えっ? 『かな』なの? もう僕、友達だと思ってた」
「本当に? よかった……迷惑かなって、思って」
「……ふふ。よかったね、ナーサ!」
リンジーに肩を叩かれて、口元が緩んだ。
アデリナは、じとっとした目でルークを睨みつけた後、口を尖らせた。
「ブラッドリーとレスリー、クレイグはまだ来てないのっ? おっそいなー。あいつら、試合当日だって、ちゃんと分かってんのかな」
「喋るか、食べるか、どっちかにしろよ」
掻き込むように朝食を食べながら周りを見回すアデリナの前にかぼちゃジュースを差し出しながら、イアンがすげなく言う。事態を思い出して、ナーサはスプーンを握りしめた。
「……あの。言わなきゃいけないことがあるの」
「どうした? 深刻な顔して」
イアンに促されて、ナーサは口を開いた。けれど、すぐには言葉が出てこなかった。喉を撫で、ようやく声を絞り出す。
「……日刊予言者新聞に、宴の時の写真……載ったの。ヤックスリーとダンスした時の……それで、ゼノンが試合には出ないって」
「はぁっ? あいつ、そんなことで試合バックレるつもりなの?」
煮え立った湯が噴きこぼれるような勢いで、アデリナは立ち上がった。リンジーが素早く兄に視線を走らせると、イアンは肩を怒らせて大広間を出ていくアデリナを追っていった。
一人残ったリンジーは、ナーサの背中を撫でた。
「一週間前のことだよね。知ってたよ」
「……知ってたの?」
「うん。でも……言わない方がいいと思ってたんだ。日刊予言者新聞の購読者は少ないだろうと思って」
リンジーの声が予想外に柔らかく、ナーサはくしゃりと顔を歪めた。
「……あたし、三度のダンスの意味、知らなかった。婚約したのと同じだって、言われて──あたし、ママのことを教えてもらえるならって」
「そうだったんだね。誰が新聞に掲載させたのか、ケイレブが調べてる。だから、少なくとも、この件はヤックスリー家の仕組んだことじゃないと……私は、そう思ってる」
「……リラルドでも、ない?」
こわごわと口にすると、リンジーはすぐさま頷いた。
「あの子、そんな回りくどいことするタイプじゃないでしょ?」
「僕も、ヤックスリーじゃないと思うよ。ずっと君のことを気にして、そわそわしてたもん。彼も、ずっと助けに行きたそうに見えたけど」
ルークはそう言いながら、背筋を伸ばしてスリザリンのテーブルに視線を走らせた。
きっと、そちらにはリラルドがいる──ナーサは懐中時計のネックレスを握りしめた。コチ、コチと振動が手を伝う。まるで、脈動のように。
もし、目が合ったら、どうしよう。ナーサは目を瞑ってうなだれた。
「そう、思いたい。でも、強引な誘い方で……信じきれなくて──ママのことが知りたくて、焦りすぎてたんだ……もっと、よく考えていれば……」
額に小さな衝撃が走った。顔を上げると、リンジーの人差し指が、間近にあった。アイブラック・シールを貼った目には強い光が宿っている。
「ナーサ、自分を責めすぎちゃ駄目。お母さんのこと、知りたかったんでしょ? それなら……きっと、こうなることが分かっても話を受けたはず。そうでしょ?
晒されたならチャンスだよ。今、皆が見てるんだから。弁解なんて必要ない。勝って、ねじ伏せるの」
「でも、皆、出場してくれるか……」
「それは兄さんとアデリナに任せよう。重要なのはね、ナーサ。あんたがシーカーだってこと。試合を最速で終わらせれば、勝てる。それだけを考えるの」
リンジーはきっぱりとそう言い切った。ナーサは祈るような思いで、ゆっくりと頷いた。
その時、ルークが「あっ」と声を上げた。
「……ナーサ」
ルームメイトのアリッサ、メイジー、グレイスがナーサの前に列を作っていた。ナーサは咄嗟にお腹に手をやり、身を引いた。
「……何か、用?」
ローブで隠した壁を見て、三人に視線を移した。きっと、また何か言われるに違いないと思って小声で囁くと、アリッサは一歩前に進み出た。
「あの……今日の試合、頑張って。私達、応援してる……」
途切れ途切れにそう言う。思いがけないエールに口が利けないままでいるナーサから目を逸らし、三人はパタパタと駆けていった。