【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
その時、後方のドアが開けられ、背の高い魔法使いが二人入ってきた。
視界に銀が差した──次の瞬間、ガンッと机が鳴った。呼吸を一つ、二つする間に脛が急速に熱を帯びてくる。
時計のように刻む、規則正しい靴音。前方まできたルシウス・マルフォイが、顎を上げた。
「挨拶もなしとはどういう了見だ。私はそんな風にお前を育てた覚えはないが」
ナーサは何度も生唾を呑みこんだ。
数ヶ月ぶりに見るルシウスは、ブラック邸で決別した時と同じ、冷ややかな目をしていた。ナーサのすぐ前まで来ると、はたと足を止める。
「……どうして、あなたが」
「校長に所用があった。お前にも伝えることがあったので足を運んだのだ。
ああ……面倒をかけたな、セブルス」
ナーサは弾かれたようにスネイプ先生を見た。
「知って……いらっしゃったんですか?」
呆然と呟くナーサの声が届かなかったのか、先生はルシウスと、連れ立ったもう一人の魔法使いに軽く会釈をする。
「積もる話もおありでしょうし、我輩はここで失礼します。どうぞ、ごゆっくり」
そう言い、研究室に下がっていく。自分を守ると、レグルスと約束していたはずなのに──ナーサはその後ろ姿を見ているうちに、息が苦しくなってきた。
「目上の者に相対する時は、自分の方から挨拶をするのが礼儀だ。たった三ヶ月でそんなことも忘れたのか」
空気が鋭利な刃に変わったように肌がピリピリと痛む。呼吸の仕方を忘れたように何も言えないでいると、リラルドが前に進み出てきた。
「マルフォイ卿、お久しゅうございます。父上まで、急にいらっしゃるなんて……どのようなご用件でしょうか」
完璧な標準英語からは緊張が滲んでいる。
父上──ナーサはもう一人の魔法使いを見上げた。ケイレブとリラルドの父親である魔法大臣。
兄弟と同系統のブロンドだが、色はややくすんでいる。広めの額と眉間には深々としたシワが刻まれており、角ばった顎や一文字に結ばれた薄い唇、ごつい鼻が高圧的な印象だ。背が高くがっしりとした体躯は、息子達と似ている。ただ、微笑んだ口元には甘さがない。見ているだけで指先が震えてきた。
「ナーサ。父のコーバンだ」
ケイレブに促されて、ナーサは喉を押さえた。こわばった顔に薄く微笑みを乗せると、ローブの裾を軽く持ち上げる。
「……はじめまして、大臣閣下。ナーサ、と申します」
ファミリーネームを名乗らずに言うと、コーバン・ヤックスリーはルシウスからナーサに視線を移した。全てを暴けるような、油断のない目。そして、不意に頬を緩めた。僅かに和らいだその顔は、ケイレブとよく似ていた。
「はじめまして、ミス・マルフォイ。噂はかねがね聞いている。実に聡明で、機転の利く令嬢だと誰もが君を褒めそやす」
「……身に余るお言葉です」
「その君が、愚息を選んだと──」
ナーサの頬が怒りに震えた。リラルドに強引な誘いをさせた張本人なのに平然としている。
「……選んだつもりは、ありませんでした。軽はずみな行為で誤解を招いたことは、大変申し訳なく思っております」
早口になりかけるのを必死の思いでこらえた。取り乱せば、隙を見せることになる。この魔法大臣も、そしてルシウスも、それをむざむざ見過ごすほど、お人好しではない。
「軽はずみ?」
空気を震わすような低音で、コーバン・ヤックスリーは笑った。
「子どもではないのだ。その行為に人がどんな目を向けるか、気づかぬわけがあるまい。選んだつもりはなくとも、もう選んでいる。世間はそう見ている」
こめかみから一筋の汗が伝った。どんな反論をしてもいなされる気がして、言葉が浮かばない。
ルシウスのステッキが床を突く音に身体が跳ねた。
「誰の仕業かは知らんが、新聞に出たのはいい機会だ。一刻も早く婚約を発表し、我が家に住居を戻せ。でなければ、ふしだらな娘として世間に顔向けができなくなる」
「……戻りません。世間に、どう思われても……構いません」
洗い物で濡れたせいか、身体が悲鳴を上げていた。自分を抱きしめるようにしながら呟くと、ルシウスの口角が僅かに上がった。
「お前がそうでも、レグルスはどうか。お前がいるばかりに悪評が立っているとは?
年の離れた娘に甘い言葉を吐き、自らの屋敷に招き入れた。お前とブラック卿に『禁じられた恋物語』を重ねる者が、どれだけ多かったことか」
ホグワーツ特急に乗車する前に、別れの抱擁を交わしたあの一瞬。切り取られた物語を、誰もが信じた。
ぐらりと身体が傾きかけて、ナーサは思わず机に手をついた。
「……あたしも、レグルスおじさまも潔白です」
「大事なことは『どう見られるか』ではないか? お前を招き入れたことは、彼が誇らしく思えることか。考えれば、答えは自ずと分かろうものだ」
「それは、おじさまにしか分からないことです……」
黄昏時の空のような瞳。低く、包み込むような声を思い出す。
レグルスは何も言わない。自分が傷ついても、背負ったものを下ろさない。そんな人だと、ナーサは理解している。
思わず目を閉じた。限界に近かった。深呼吸し、何とか乱れる息を整える。これ以上この場にいたら、きっと涙がこぼれてしまう。
「……俺も、受け入れられません」
リラルドの言葉に沈黙が落ちた。廊下の向こうの足音が聞こえるほどの静けさ。
ナーサは目を瞬き、リラルドの見開いた目を見た。彼は自分が口にした言葉を信じられないように見えた。手は小刻みに震え、首筋は赤く染まっている。
ルシウスは片眉を吊り上げ、ケイレブはゆっくりとまばたきをして父親に視線を移した。そして、コーバン・ヤックスリーは、精巧な人形だと思っていたものが、今さら人間だと気づいたように目を眇めた。
「──今、何と?」
息子に向かって笑いかける顔に温かみはない。好奇の目だった。
剣先を喉元に突きつけられたように、リラルドはすぐに言葉を発せられなかった。けれど、呼吸を荒らげながらも、先を続けた。
「あれは……最低なやり方で、選ばせただけでした。婚約なんて……無理です」
「黙れ、リラルド。子どもが口を挟む話ではない」
リラルドは痛みに耐えるように、軽くうつむいた。けれど、黙らなかった。
「……それ以上は、俺──いえ、私にお話しください。子どもではないから、この話を持ち出された……そうですね、父上?」
喉を潰されたように、かすれた息遣いを漏らしながらも最後まで言い切った。伸ばした背筋。背丈は高くても、まだ折れそうな身体を精一杯に張って──。
ナーサはその瞬間、一年生の頃を思い出した。マグル育ちの幼少期を思い出した時も、両親の過去について知りかけた時も……今にも壊れそうだった時に庇ってくれたのは、リラルドだった。
(──怖くないはずない。リラルドのお父さまも『あの人』と似てる……子どもの意見なんか、聞かない。なのに、立ってくれるの……あたしのために?)
ナーサはキュッと両手を握りしめた。ただ守らせるわけにはいかない。
「……家同士が決めても、婚約には本人達の合意が必須ですよね。あたしは、今は、誰が相手であっても……選ぶつもりはありません。
あたしの書類は、以前クラウチ魔法法執行部長が直々に確認してくださいました。とても念入りに……だから、今後も……もし何かあれば、きっとすぐ気づかれると思います」
誰も、何も言わなかった。
ナーサは落ち着きなく視線を揺らし、やがてリラルドに辿り着いた。婚約という結びつきは断った。なのに、吸い寄せられるように、そこから目を逸らすことができない。
「今日はここまでのようですね、父上。マルフォイ卿」
ケイレブは父親にそう言うと、ナーサとリラルドに視線を移した。その目元が僅かに緩んだ。昨年兄と慕っていた彼の面影を、その瞬間、確かに認めた。
「……ふふ。マクドゥガル嬢といい、我が家と縁深い女性陣はなかなか味わい深い」
コーバンは拒絶されたとは思えない晴れやかな顔でナーサを見つめた。
「即決してもらおうとは思っていない。だが、ミス・マルフォイ。君はそう遠くない未来、必ずや自分の方から請い願うだろう。我がヤックスリー家は、これと狙った獲物を仕留め損なうことはないのだ」
ナーサは無言のまま、コーバンとケイレブに良家の子女に求められる品のある礼を返した。
そして、ルシウスの温度のない目をじっと見つめた。愛していた。けれど、同じだけ騙されていたという思いが消えない『祖父』を。
礼はしなかった。礼を取るのは、結びつきを守るためだ。もう、この人との間に守るべき絆はない──そう言い聞かせ、背を向ける。
リラルドに目を向け、ナーサは足を止めた。軽く顎を上げ、教室のドアを見てから歩みを進める。微かな金属音の混じる靴音が追ってくるのを、全身で感じながら。