【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
正午を知らせる音楽が鳴り響くと、皆が示しあわせたようにポケットをまさぐりだす。ナーサも帰省のために使うようレグルスから送られた財布を握りしめた。
「車内販売です。何かいかが?」
初老の魔女がドアを開けた途端、甘い匂いがふわりと広がる。皆、先を争うように魔女に群がった。
「ケント、何にする? 私、アイシングクッキーが食べたいっ。見てこれ、可愛くない?」
「僕はカエルチョコかな。あと、一枚……ゲラート・グリンデルバルドが出たらコンプリートなんだよ。君も買ってみない?」
「やだー。カエルチョコって食べられないじゃないっ」
「味は普通なんだよ!」
ケントとグレイスが弾んだ声で商品を手に取る中、マフィン一つだけを握りしめたメイジーが、どっさりお菓子の載ったカートをじっと見つめていた。
アリッサに続いてカートを覗き込むと、見慣れない鮮やかな色合いのお菓子の山だった。ナーサはその中から手のひらサイズの箱入りのお菓子を手に取った。
「かぼちゃジュース一つと、この……大鍋ケーキ? 十個いただけますか?」
「ええっ、そんなに食べられる? 君、見かけによらず大食らいなんだなあ」
面食らって言うケントに、ナーサは肩を竦めた。
「おじさまがお好きだって言ってたから。お土産に買っていこうかと思って」
販売魔女は小さな箱入りのケーキをいそいそと白い袋に詰めて渡してくれた。お金を数えて渡すと、魔女はお釣りと一緒に何かを握らせてウィンクした。どうやら小さく畳まれた羊皮紙のようだ。ナーサは一旦ポケットにしまい込み、袋の中から魔女の大鍋ケーキを取り出してメイジーに渡した。
「これ。ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントに」
「え、ええっ……? いいの」
呆然とするメイジーにケーキを押しつけると、ナーサは他の皆にも一つずつ手渡した。
「最近ね、すごくホグワーツが楽しいの。きっと皆のお陰だから」
「ナーサぁ……」
皆が口々にお礼を言う中、メイジーは言葉が出てこなくなったようだ。目を潤ませる彼女に微笑むと、ナーサは「いけない」と囁いた。
「まだ、おじさまに頼まれたものがあったの、忘れてた! ちょっと行ってくるね」
ナーサはコンパートメントを飛び出すと、ゆったりと後方車両へと向かう車内販売魔女の後ろ姿を追った。小走りになりながら渡されたメモを開いてみると、走り書きされた文面が飛び込んでくる。
『君に直接伝えたいことがある。五両目のデッキで待つ』
車内販売魔女が、ちょうど次の車両に入ろうかというところで追いついた。
「すみませんっ。さっきのメモを渡してきたのはどんな人でしたか?」
「上級生の男性ですよ、お嬢さん。黒髪の、背の高い方でした」
愛想よく答えると、軽くおじぎをして行ってしまった。
(黒髪の上級生って、アッシュ?)
──ロウルのこと……マジで気をつけろよ。
先ほどリラルドに言われた言葉が脳裏をよぎり、ナーサはもう一度メモに視線を落とした。
(……ロウル、じゃないよね)
懐中時計のネックレスを握りしめ、後ろを振り返る。
(皆についてきてもらう? でも、アッシュなら……二人だけで話したいかも)
ナーサは思いきって前方車両に進んでいった。
昼食時でどの座席も賑わっていた。仕切りのない大人数の車両が一番騒がしかった。ドアを開けた途端、クリームたっぷりのパイが顔面めがけてやってきた。慌ててしゃがむと、壁にぶち当たる前にブーメランのように元きた方へと戻っていく。
「見たかよ、皆! さっすが我らがシーカー!」
拍手喝采しているのはグリフィンドールの上級生達だ。どうやらブラッジャーのように誰かれ構わず向かっていく魔法をかけ、パイ投げゲームに興じているらしい。
「次の試合も期待してるぜ、ナーサちゃん」
クリームとジャムのフェイスペインティングを楽しむ彼らに呆れながら先を急ごうとしたが、ふと離れた席に掛けた男子に目がいった。全身で聞き耳を立てているような、丸い背中。
(──ゼノン)
見てはいけないものを見てしまった気がして、すぐに視線を逸らした。
あのスリザリン戦──ゼノンが放棄した試合以来、彼はすっかり孤立してしまっていた。こんなに大勢グリフィンドール生がいるのに、誰も声をかけない。
足を向けかけたが、すぐに首を振った。
(でも、あたしに怒ってたんだから……あたしが話しかけても、きっと嫌だよね)
少し前の自分自身と重なって胸が痛い。ナーサは小走りになった。
五両目のデッキが見えてきたが、まだ誰の姿もない。前方のデッキに向かおうと、車両間の扉に手をかけた。
その時、すぐ後ろのコンパートメントの扉が開いた。そこから現れた縮れた黒髪の上級生を認めて、ナーサの足は凍りついた。
「やあ、ミス・マルフォイ。来てくれて嬉しいよ」
大股で悠々と近づいてきたロウルが退路を絶った。
咄嗟に逃げようと身体が動いたが、走行中の狭いデッキに逃げ場はない。乗降口のドアに張りついた途端、壁の冷たさに背筋が悲鳴を上げる。
さらに一歩距離を詰めてきたロウルの影が落ちる。両手をナーサの顔の両端に突いて、逃げ場を完全に塞いだ。
「ミスター・ロウル……何か、ご用でしたか?」
懐中時計のネックレスを握りしめながら、ナーサは早口にならないように意識した。
「どうも誤解されてるみたいだから、直接話したかったんだ。そう怯えないでくれ。悲しくなるな」
言葉とは裏腹に、ロウルの口元は歪んだ弧を描いていた。
「……誤解? 何を、ですか?」
「俺が、君をつぶそうとしてるとか──とんでもない。俺は君を気に入っているんだ。マルフォイ家の唯一の後継者で、頭もいいし、度胸もある。何より──とても可愛い」
賛辞の言葉さえも侮辱の響きがあった。ナーサは反射的にローブのポケットに手を入れた。ロウルは覗き込むように顔を近づけてきた。剃ったひげの跡までが、はっきりと見える。
「試合の時、箒から落ちかけただろ。危なかったよな。あの時助けてやったら、俺を好きになってくれたかな?」
「……なりません」
ロウルのスチールブルーの目が細められた。ナーサは右手に杖を握りしめ、ロウルを見上げた。
「あなたは──あたしを好きなわけじゃない。あたしの『立場』が好きなだけでしょう。だから、好きにはならない……絶対に」
「ふぅん。それはヤックスリーだってそうじゃないか? ケイレブも、リラルドも、君がマルフォイ家の娘だからこそ近づいた。三度のダンス、新聞の一面を飾られて、よく平気でいられるな? それとも、まさかリラルドに惚れてるとか……正気か? あんな暴言吐かれたのに」
ロウルのはだけたシャツの胸元が、押し殺した笑いで震える。ナーサは懐中時計のチェーンを指に絡みつけた。
「あたしが誰を好きかなんて、関係ないでしょう。戻ります。そこを退いてください」
「警戒しすぎだ。俺は味方って言っただろ」
ロウルは通路に目をやって、薄く笑った。
「そろそろ誰かが来るかな。こうして君と話していたら──どっちの噂が広まると思う?」
不意にロウルの手が頭に伸びた。軽く引かれる感覚に、ナーサは杖を引き抜き、脇腹に突きつける。けれど、解かれたリボンは、すでにロウルの手の内にあった。
「返してっ!」
ロウルは手を高く上げ、見せつけるように赤いリボンを揺らす。
「随分と可愛いものをつけてるじゃないか。ヤックスリーの趣味か? はは……どうしたんだ、杖なんか抜いて。監督生の俺に魔法を使って、減点されたいのか」
「こんなことをする味方が、いる?」
身体の内側から湧き上がる熱に、声が震えた。揺れるリボンの色が赤黒く変わっていく。
「話が終わったら返してやるよ。さて、『ヤックスリーの婚約者』って噂が既成事実になってきてるが、気分はどうだ?」
「……本人達の意思がなければ、婚約できない」
「どうかな。意思を縛る方法なんて、いくらでもある」
ロウルの言い方は天気の話でもするように軽く、知らず喉が鳴った。
「俺は、かわいそうな君を救いたいだけだ。俺の親父は『アビスの剣』のトップだ。魔法大臣とも渡り合える。強引な取り決めも覆してやれる──俺を選びさえすれば」
まとわりつくような視線に、ざわりと背筋に悪寒が走った。ナーサは杖腕に力を込めた。
「お断りします。勝手に人の物に触れる人を、信用するつもりはありません。リボンを返して」
くくっと笑いながら、ロウルはリボンを握りしめた。
「つれないな。少しは考えろよ。ショックで返す気がなくなってきた……可愛くお願いされたら、心が動くかもしれないけどな」
ナーサは唇を引き結び、脇腹に当てていた杖を心臓に向けると、ロウルは楽しげに目を細めた。
「よく狙えよ。その震えた指先で、的を外さないようにな」
ナーサの杖先が僅かに光った、その時。
「そこで何をしている」
静かな声が落ちると、肩越しに振り返ったロウルの笑いが引っ込んだ。彼の陰になっていた見慣れた顔に、ナーサのこわばっていた身体が僅かに緩んだ。
「クラウチか」
「君か。巡回も放りだして、何を──」
ロウルの身体越しにナーサと目が合うと、言葉が途切れた。アッシュの視線が握りしめたナーサの杖へと素早く滑る。
「ミス・マルフォイに、何をしていた?」
アッシュの声が一段低い。手にはすでに杖が握られていた。ロウルは前のめりになった姿勢を正し、ナーサから僅かに離れた。
「話をしていただけさ」
「それは彼女の物じゃないのか?」
「少し借りただけだ」
ロウルがナーサの眼前で無造作にリボンを落とす。床に触れる前に拾い上げると、ナーサは唇を噛みながら布地を払っていった。見えない汚れが染み込んだようで、目の奥が熱くなる。
にたりと笑うと、ロウルが背を向けた。
「焦るなよ、ミス・リトル・マルフォイ。逃げ場なんて最初からないんだから」
くつくつと笑いながら、戻っていく。アッシュはそれを鋭い目で見届けてから、ナーサに目を移した。
「何をされた?」
「呼び出されて、リボンを取られたの。ヤックスリーとの婚約が嫌なら……自分を、選べって」
「そうか……リボン、貸してもらえるか?」
ナーサは視線を落とした。緊張が緩んだ途端、視界が滲んだ。
(……折角、ルークが贈ってくれたのに)
薄まってきた色が少し青みを帯びて、薄紫色に変化した。無言でリボンを手渡すと、アッシュは杖先を向けた。
「テルジオ」
握りしめられてできたしわが伸び、アッシュは丹念にリボンの表裏を確認し、畳んでナーサに返した。
「気休めだけど、洗浄した」
「……ありがとう」
両手の中のリボンとアッシュを交互に見つめる。ロウルの手が触れたものを、もう一度身に着けるのは気が引けた。
「そのリボン、大切なものだったんだろう。僕がもっと早く来ていればよかった……すまない」
「あなたのせいじゃない。十分助けてもらったよ」
ナーサは少し躊躇いつつ、もう一度リボンを結んでアッシュを見た。彼はほんの少しだけ目元を緩めた。
「……きれいだ」
ナーサは思わず頬を押さえた。アッシュは小さく咳払いをし、そっと続けた。
「ロウルに触れられたからって、君は何も変わらない」
「ありがとう。すごく、怖かった……」
言葉にした途端、指先が冷えていくのを感じた。すると、アッシュがゆっくりと頷く。
「それなのに逃げずに戦った。君は本当に勇敢だ」
震えはすぐにやまなかった。けれど、アッシュが隣にいると、後ろを気にせずにすんだ。