【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
ルームメイト達と別れた後の、九と四分の三番線プラットフォーム。壁を背にした古いベンチの横で、ナーサは一人佇んでいた。
出迎える家族の腕に飛び込んでいく生徒達を見送りながら、二の腕を擦った。脳裏にまだ車内での出来事が焼きついている。
ロウルは、まだここにいるのだろうか。自分が一人になった瞬間、また目の前に現れたら──ナーサは懐中時計の蓋を開いたまま、落ち着きなく辺りを見回した。
姿くらましをしたり、プラットフォームを出ていったりして、すでに人影は半減していた。どんどん喧騒が遠のいていくのに、まだ迎えは来ない。
「あら、ナーサ。まだ帰ってなかったの?」
目と目が合った瞬間、ナーサの背筋が僅かに緩んだ。思わず吐息が漏れた。
「……リンジー」
「顔色が悪いね。何かあった?」
薄茶色の目をゆっくりとまたたいたリンジーが、そっとナーサの頬に手を添えた。
「すごい冷えてるじゃない。具合でも悪い? ベンチに座ろ」
肩を抱くようにするリンジーから少し離れたところに、こちらを見つめる人影が並んでいる。ケイレブにミケイラ、それにリラルド──ナーサはリンジーの手を押さえた。
「ケイレブ、迎えに来てるんでしょ。気にせず、行って」
婚約の取り決めで、休暇の半分はヤックスリー邸で過ごすと聞いていた。三人の表情までは見えないが、ケイレブが弟の手を取り、何かを話しているのが分かった。
「これからヤックスリー家に行くんだけど」
きょうだいに向けられたリンジーの視線は、すぐにナーサに戻った。
「やっぱり自分の家とは違うから……できれば、ゆっくり向かいたいところだったの。迎えが来るまで一緒にいるよ。そうさせて」
ベンチに腰掛けたリンジーが、隣を指差して笑いかけた。ナーサは少し迷いながらも、リンジーと並んだ。服越しにも、ベンチの冷たさが染みるようだった。
「それで、どうしたの? 私には言えない、何か?」
「……ロウルが」
名前を出した瞬間、リンジーの目が鋭く構内に走った。それから、優しく肩を抱いた。
「もう、大丈夫。ケイレブ・ヤックスリーの前で、あいつが何かできるわけがない……何をされたの?」
「デッキに、呼び出されて……自分を選べって……」
ナーサはコートの上から、うるさい心臓を押さえつけた。
誰かが叫ぶ声の直後、金属音混じりの靴音が迫ってくる──聞き慣れた、リラルドのブーツの音。リンジーが静かに立ち上がった。
「何かあったのか?」
澄んだ空色の目が、ナーサに注がれた。些細な違和感も見逃すまいとしているかのように。
「……ロウルか?」
僅かに震える問いに、リラルドの目を見ることができず、膝を見つめた。指先が震え出す。
(折角、忠告してくれたのに……あたし、馬鹿だった)
「女性同士の会話に割り込むもんじゃないよ」
リンジーがやんわりと言うと、リラルドが息を呑むのが聞こえた。強い視線は外されなかったが、それ以上の追及はない。胸の痛みが少しだけ弱まった。
規則正しい靴音が響く。ややあって、長い足が視界に入ってきた。そろりと顔を上げると、ケイレブがリンジーと向き合っていた。
「ローズ、ここは君に任せてもいいだろうか」
「もちろん」
リンジーの声には僅かな怯えもない。ケイレブの目には信頼の色が宿っている。
「ミカを先に家に帰す。リラルド、君もだ」
リラルドは鼻にしわを寄せた。
「俺も残る。女二人を置いてけねぇだろ」
「ロー──いや、リンジーなら問題ない。君がいれば、ナーサが余計に怯える」
ケイレブの言葉は決定だった。リラルドは握りしめた拳を震わせた。けれど、ナーサに身体を向けた後で、手の力を緩めて呟いた。
「……分かった。リンジー。こいつのこと、頼む」
「任せて。よく我慢したね、あんた」
リラルドは僅かに眉をひそめると、ナーサに目を向けた。ほとんど口を動かさず、消え入るような声を漏らした。
「……ずっと見てりゃ、よかった。ごめんな」
「えっ──」
「じゃあな」
目をまたたくナーサから視線を逸らすように、リラルドが踵を返した。駆けていく背に呼び止めることはできず、彼も振り返らなかった。
(リラルドのせいじゃないのに……)
「ナーサ、事情は後でリンジーから共有させてもらう。構わないだろうか」
「……はい」
「君の落ち度ではない。ロウルはそういう男だ」
ケイレブは淡々と言いながら、ゆっくりと手袋を手首側に引き上げた。
「ミカとリルを帰したら、すぐに戻る」
「気をつけて」
「……ケイレブ」
視線を向けられると、喉を絞められたように小さく音が鳴った。深い湖のような目をまっすぐに見るのは、あの卒業式の日以来だった。
「あの……ありがとうございます。気遣っていただいて……」
「礼を言うことではない」
ケイレブは僅かに目を伏せ、手袋を整えながら続けた。
「君は、リンジーの友人だ」
そう言うと、背を向ける。リンジーはナーサを見て、小さく笑った。
「……ふふ、素直になれないんだから」
ベンチに座り直したリンジーが言った。
「二人……今、すごくうまくいってるんだね」
「そう見える?」
「……うん。よかったって言ったら……変かもしれないけど。あたし、ケイレブに裏切られた気がしてた……兄みたいに思ってた時間全部作り物だったんだって。でも、違ったんだね。
リンジーも──無理やり決められた婚約でも、それでも……二人に幸せになってほしい」
「そうだね。幸せにならなきゃ……デニスにも申し訳ない」
喪った友人の名を、リンジーは言い添えた。きっと、その名は心に深く刻まれたままだ。ナーサにとっての、ジャニスのように。
二人はしばらくの間、黙っていた。プラットフォームには、もうほとんど人影はない。切れかけた電灯が明かりを揺らした。
「……そういえば、ローズって何?」
「えっ?」
リンジーは一瞬だけ目を泳がせ、照れたように笑った。
「あー……その、私のミドルネーム」
「ミドルネーム?」
「……うん。二人きりの時は、そう呼びたいって」
「二人きりの時……?」
ルシウスが来校した、あの日にも耳にした響きだった。小さく息を呑んだリンジーの頬が、みるみるうちに赤らんでいく。膝を擦りながら、早口で続ける。
「そう、でも……素で言うこと、多くて。リラルドに呆れられてる……自分じゃ、気づいてないみたいなんだけど」
「ふふっ。そうなんだ」
寒さが少しだけ遠のき、ナーサは笑った。音が絶えたプラットフォームに響く声は、もう震えていない。
その時、静かな靴音が響いた。ケイレブが戻ってきたのかと目を向けると、ほっそりとした人影があった。フードつきのスヌードで顔半分と髪が隠れているが、背格好からして女性のようだ。
「ナーサ」
女性はスヌードを取り、頭を軽く揺すった。ふわりと豊かな赤毛が広がり、ナーサは弾かれたように立ち上がった。
「リリー? どうしてここに?」
「レグルスの代わりに迎えにきたの。それに、こんばんは。リンジー……だったわね。ナーサと一緒に残ってくれていたのね、ありがとう」
リンジーは一瞬考え、すぐに社交的な笑みを浮かべて立ち上がった。
「前に、医務室でお会いした……ミセス・ポッターですね。ご無沙汰しております」
「リリーが迎えにきてくれるなんて思いませんでした。仕事は、大丈夫なんですか?」
「レグルスが招待してくれたの。杖なし魔法の指導を続けてほしいって。仕事も一区切りついたし、クリスマスまで滞在させてもらうわ」
ナーサは温かな吐息を漏らした。
「本当ですかっ?」
ナーサは思わずリリーの胸に飛び込んだ。リリーは母よりもずっと年上だったが、赤毛のせいか、何処か似ている。風船がしぼむように、恐怖や不安が小さくなっていくのを感じた。
優しく身体を離すと、リリーは穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ。だから、ホグワーツでのこと、たくさん聞かせてね」
バチンッ、と激しい音が鳴り響いた。きょうだいを送り届けて戻ってきたケイレブが、こちらに向かいかけた足を止めた。リンジーが彼を手招きした。
「私の婚約者のケイレブ・ヤックスリーです。ケイレブ、こちらはミセス・ポッター。ナーサの親しい友人ですって」
「はじめまして、ミスター・ヤックスリー」
リリーの目が微かに細められた。ケイレブはリンジーの隣に立つと、完璧な微笑みを浮かべた。
「お初にお目にかかります、ミセス・ポッター。それでは……迎えが来たようなので、我々は失礼いたします。よいクリスマスを」
ケイレブはリンジーのトランクを持ち上げた。リリーからナーサに視線を移すと、僅かに頷く。彼の手が肩に乗せられると、リンジーは手を振った。
「それじゃ、また休暇明けにね。さようなら、ナーサ。ミセス・ポッター」
バチンッ──空間にさざ波が立ち、二人の姿はもうすでに消えていた。
リリーはナーサのトランクに手をかけた。
「私達も行きましょう。レグルスが首を長くしてるわ」