【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
夜間覚醒したにも関わらず、目が覚めた時にはすっきりとしていた。朝支度をして食堂に向かうと、香ばしいトーストの匂いに紛れて、レグルスとリリーの話し声が聞こえてきた。
思い出話をしているらしい。シリウス、という名前が何度か飛び交った。
(星の名前。おじさまの親族の方?)
階段を駆け下りていくと、途中で会話が止まった。
「……おはようございます」
おそるおそる声をかけると、二人はいつも通り笑顔を返してくれた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「あら、なんだかいい顔をしてる。何かあったの?」
リリーの言葉に、ナーサは両頬に手を添えた。そこはじんわりと熱を帯びている。
リリーの隣の椅子に腰掛けると、レグルスがポットに手を伸ばした。用意していたカップに紅茶を注がれるのをみていると、リリーはシュガーポットを回してくれた。
思わず緩んだ口元から、微かな息遣いが漏れる。
「ありがとうございます。あの、あたし、少し変なことを言うかもしれません」
テーブルの上で手を重ね合わせ、ナーサはほんの少し身を乗り出した。先を促すような温かな視線に押され、指を擦り合わせながら、ゆっくりと口を開く。
「夢を見たんです。子どもの頃……まだ、両親と一緒に暮らしていた頃の。それで……夜中に目を覚ました時、窓辺に銀色の光が見えて」
「銀色の光?」
リリーが目をまたたき、レグルスに視線を送る。彼の黒々とした睫毛に縁取られた瞳に、深い陰が落ちたことに気づいた。ナーサは小さく喉を鳴らして、先を急いだ。
「──パパかもしれないって、そう思ったんです」
吐息に目を上げると、理解の色を帯びたリリーの眼差しとかち合った。
レグルスの面は静かだった。紅茶に口をつけてから、そっと口にする。
「その、銀色の光はどんな姿をしていた?」
「分かりません。ほんの一瞬で、見えなくなってしまったから……でも、髪のようなものが見えました。あたしと同じ、シルバーブロンドの」
「それは確かに人影だったのかい? 例えば、獣とか……他のものだった可能性は?」
「……分かりません」
レグルスは微かに波打つカップの液面を見つめていた。やがて一言、ぽつりとこぼした。
「君は、ドラコに会いたいんだね」
鋭い刃物のように、その言葉はナーサの内側に痛みもなく食い込んだ。
「……はい」
ひと呼吸遅れて、そう返した途端、洗い物や鍋を煮込む音が大きくなった気がした。
レグルスはすぐには言葉を返さなかった。カップに指先をかけたまま、ほんの僅かに目を細めた。
「君が、そう思うのは自然なことだ。けれど、『そう思いたい』ことと、『そうである』ことは違う」
否定ではなく、確信めいた響きだった。リリーはナーサの手に、自らの手を重ねた。
「私達にもね、大切な人達がいた。ゴーストとしてでも会えれば……そう思ったこともある。けど、死者は戻らない。ううん、あの人達が留まらなかったことに感謝しなくちゃと思ったの」
「……どうして?」
ナーサは指先に力を込めた。そのこわばりを鎮めるように、リリーの温かな手がゆっくりと撫でていく。
「ゴーストはただ、そこに在るだけ。亡くなった人そのものじゃない……ただの、影だから」
「それじゃ、駄目なんですか?」
ナーサは目を伏せた。すんなりと受け容れてもらえると思った小さな希望の芽に、湯を浴びせられた気がした。
リリーは目を瞑り、しばし押し黙った。はらりと垂れ落ちた髪の奥の表情はよく見えない。やがて彼女はポツリと漏らした。
「駄目とは言わない。でもね、一緒に年老いていくこともできない。成長を見ることもできない。歩くはずだった未来に近づけそうで、近づけない……こんな残酷なことって、ある?」
リリーの胸元で揺れるロケットペンダントを捉えて、ナーサは思い出した──リリーは夫だけでなく、赤ん坊だったハリーまで亡くしている。
レグルスがカップを置く。硬質な音が、短く響いた。
「死者は変わらない。たとえ、会いたい相手が兄であっても、言えなかった言葉はそのままだ。関係も……やり直せはしない」
(兄──)
ナーサは目を上げた。先ほどから何度か耳にした名が、胸の奥をかすめた。
けれど、今はそれよりも──懐中時計のチェーンを手繰り寄せ、幾重にも指に巻きつけた。
「……影だとしても、パパに見ていてほしい。見えたのが本当にパパだったなら、それだけでよかった……ただ、そこにいてくれるだけで。そうしたら──パパは、本当にあたしを愛してくれてたんだって……そう思えるから。だから、信じたいんです」
レグルスもリリーも、すぐには言葉を返さなかった。ただナーサを見つめている。
ペタペタと子どものような足音が響き、クリーチャーが厨房から飛んできた。
「大変お待たせしました! お食事をご用意しますっ」
ポンポン音を立てて並べられる料理に、ナーサは少しだけ肩の力を緩めた。湯気が目に染み、軽く目を擦る。
しばらくの間、食器が触れ合う音だけの静かな時間が流れた。クリーチャーの食事はいつも通りにおいしいはずなのに、腹の底に無理やり押し込んでいるような気がしてしまう。まるで、昨年の──マルフォイ家で過ごしたクリスマス休暇の時のようだ。
ナーサはカトラリーを置いて、口を拭いた。
「……ごめんなさい。困らせるつもりじゃなかったんです。変なことを言ってしまいました……」
「ナーサ。レグルスも、私もちっとも変だなんて思っていないわ」
リリーの声は静かだったが、少しも揺れなかった。レグルスが短く息を吐いてから、低く言う。
「君がドラコに会いたいと思う気持ちは、本当によく分かる。私も……亡くした人に会いたいと、何度も願った。けれど、過去に手を伸ばしても戻らない。私達は、そう考えて折り合いをつけてきた。君も……焦らなくていい」
「……はい」
足音を忍ばせて近づいてきたクリーチャーが、コトリとナーサの前に小皿を置いた。艶やかなラズベリーを乗せた、小ぶりのタルト──ナーサは思わず目をまたたかせる。
クリーチャーは何度かナーサを振り返りながら、厨房へと戻っていった。
そっと口に運ぶと、柔らかな甘みの後に押し寄せる酸味が、胸の奥につかえていたものを少しだけ溶かした。
「……おいしい」
「それはよかった。クリーチャーが君に食べさせようと試行錯誤していたものの一つだ」
「……あたし、言ってない」
ベリーが好物だと伝えたことはないはずだ。ナーサは手を止め、食器を洗い始めたクリーチャーの後ろ姿を見た。ほんの二ヶ月しか、一緒にいなかったのに。日々の食の好みまで見ていたのだろうか。
覚えてくれていた──ただそれだけのことが、どうしてこんなにも胸を締めつけるのだろう。
ナーサはもう一口、舌に乗せた。甘酸っぱい味が、静かに喉の奥へ落ちていった。