【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
窓辺の光を見た翌日の午前中、ナーサはレグルスに呼ばれて書斎を訪れた。昨日の話を蒸し返されるのではないか。そう思うと、ほんの少し身体が硬くなる。
レグルスは机の上の書類を脇に寄せると、一枚の羊皮紙を手に取った。カーテン越しに差し込む陽光が、金の粉をまぶしたような繊維を輝かせていた。
「実は、夏から少しずつ家の整理を始めてね。そこで、長いこと処理されないままになっていた資産が見つかった」
話が見えず、ナーサは目をまたたいた。手招きに応じて、レグルスの隣に並ぶと、羊皮紙に視線を落とす。格式張った印に、見覚えのある名前。
──ナルシッサ・ブラック。
血の繋がらない祖母の名が目に飛び込んできた瞬間、ナーサは小さく息を呑み込んだ。
「この証書はナルシッサの個人的な資産。マルフォイ家のものではなく、ブラック家の人間として持っていたものだ」
レグルスは羊皮紙を震えるナーサに手渡すと、厳かに告げた。
「本来なら、ナルシッサの死後にドラコが引き継ぐはずだったが、彼はそれを受け取る前に姿を消した。だから、今現在、その権利は君に移っている」
ナーサはすぐには答えられなかった。羊皮紙を机に戻すと、首を振った。
「……あたし、受け取れません」
「そう思う理由を、聞いてもいいかい?」
「だって……あたしは、パパの本当の娘じゃない。おばあさまが望まなかった子です」
粘つく喉から声を絞り出した途端、ナーサは懐中時計をきつく握りしめた。金属が手の内側に喰い込み、痛みが広がる。
「この家に置いてもらって……おばあさまの服をお借りするだけでも図々しいのに……きっと、受け取ったら嬉しくなります。パパの娘だって証明を……でも、そんなの、許されないでしょう……? おばあさまがパパのために遺した資産なのに。奪うなんて、許されない……」
机に置いた羊皮紙が滲んで見えた。
レグルスの視線が流れ、ポニーテールの根元で止まった。髪に結んだ七変化リボンを見たのだと気づき、ナーサはうつむいた。きっと今、リボンは目まぐるしく色を変えているに違いない。
「ナーサ」
静かに立ち上がったレグルスが、そっと肩に手を乗せた。
「君はナルシッサやドラコに受け取ってもいいんだと言ってほしいんだね。だが、彼らの亡くなった今、その言葉は与えられない。私が受け取るべきだと言っても、君は納得しないだろう」
落ちてくる声は何処までも穏やかだった。目の奥がじわりと熱くなり、ナーサは顔を上げられなかった。
「……仰る通りです」
軽く鼻をすすると、急いでハンカチを押し当てた。
「あたしが、おばあさまの立場だったら……きっと、ママのことも、あたしのことも、認めない……」
レグルスは思い出したように笑いを漏らした。
「ナルシッサは愚痴をこぼすことも多かったが、声を荒らげていたのはルシウスに対してだった」
「……そんなはず」
打ち消す言葉は弱かった。ナーサは祖母がどんな人だったのかを知らない。立場と状況しか知らなかった。
「……でも、あたしには? ママにはそうでも、あたしの血は……ルシウスの娘なんだから」
まばたきした瞬間、涙のしずくが撥ねた。駄目だと思ったのに次々と涙がこぼれ落ち、ナーサは腕で目元を覆い隠した。じわりと熱さが広がり、急速に冷えていく。
レグルスの沈黙がありがたかった。もし、今、優しく慰められたら、収拾がつかなくなりそうだった。
涙の潮が引き、ナーサはそろりと腕を離した。
スッと何かが擦れる音が響き、レグルスが引き出しから何かを取り出しているのに気がついた。
「……本当は、もっと後で見せるつもりだったが」
封筒だ。魔法省の封蝋。切り口から書類を引っ張り出すと、机の上に広げた。
「今の君には、言葉よりもこちらの方がいいだろう」
ナーサは視線を落とした。そこに書かれた文字を見た途端、固く閉ざした厚い氷にヒビが入ったように感じた。
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登録名 ナルシッサ・アークトゥルサ・マルフォイ
生誕日 1996年6月8日
父 ドラコ・マルフォイ
母 ジネヴラ・マルフォイ
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「……パパの、娘……」
ナーサはハンカチで口元まで覆い隠した。
きっとリボンを見れば一目瞭然だ。それでも今にも綻びそうな唇だけは、見られたくなかった。
「それじゃ、あたし……本当に……」
声が震えてしまう。
「書類上は、パパの娘……」
「ああ。けど、それ以上に……君は六年間、ドラコの娘として生きた。君にしてみれば、短すぎる時間だったかもしれない。だが、親子として積み重ねた時間が消えるわけではない」
ナーサはじっと出生証明書を見つめた。これで父と祖母自身に許されたわけではない。けれど、自分の出生を知って以来、行き場を失って彷徨っていた心が、静かに岸に近づいたような気がした。
濡れた手元をハンカチで拭い、指先を出生証明書に伸ばす。けれど、父の名の上で手が止まった。
「……あたし、本当に──受け取っても、いいんでしょうか……」
「決めるのは君だ。だが、ドラコは自分の手で育てた子どもに資産が渡ることを惜しむような男ではなかった。私は、そう思っている」
ナーサは出生証明書と祖母の証書とを見比べた。ふっと息を吐き、顔を上げた。
「……あたし、受け取ります。おばあさまは分からない……でも、パパは……あたしの覚えてるパパなら、きっと許してくれるんじゃないかって……そう、思えました」
レグルスは静かに頷いた。
「つらかったろう。よく決断した」
「……ありがとうございます。あたしみたいな者を……ここに置いてくださってるだけで充分すぎるくらいなのに、そんな風に考えてくださって」
レグルスは眉根を寄せ、背を屈めてナーサと目線を合わせた。垂れ落ちた横髪を払い、顔を覗き込む。
「あたしみたいな者、などと言わないでほしい。私にとって、かけがえのない子だ」
その言葉は日向のように温かく、ナーサの心を柔らかく包み込んだ。目元をもう一度拭うと、ナーサはレグルスのまっすぐな眼差しを見つめ返した。