【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地   作:◆琳音◆

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一年生編
01. ホグワーツへの旅路


 キングズ・クロス駅に足を踏み入れた瞬間、ナーサは思わず立ち尽くしてしまった。鉄や油、長い年月をかけて構内に染みついた濃い臭いが鼻を刺激する。

 コツコツ、カツカツ──おびただしい靴音に、アナウンスの声、話し声や遠くから響く金属の擦れる音が耳にこびりついて離れない。

 

 それに、何よりも人だ。男性は祖父が着ているようなスーツローブに近い服装の人が多かったが、ラフだったり奇抜な格好の若者も多い。

 小さな板を耳に当てて話したり、耳当てをつけて歩くマグルは周りに注意を払わず、何度もぶつかりかけた。祖父の屋敷の整然とした空気に慣れていたナーサは、あまりの情報量の多さに目眩を覚えた。

 

 どうやら祖父も同じらしい。駅に到着してからというもの、ずっと鼻先に白いハンカチを押し当て、眉間に深々とシワを刻んでいた。長い脚は滑るように速く動き、ローブの裾にマグルの手が掠めようものなら苛立たしげに睨めつける。トランクを押してくれているものの、孫娘が遅れていないか確かめる余裕はなさそうだった。

 ナーサは人波に飲まれてしまいそうな、シルバーブロンドの後ろ髪を追うのに必死だった。

 

(おじいさまはマグルがお嫌いなんだもの……それなのに、あたしのためにここまで来てくださった。それ以上望むのは、ワガママ……でも、ママなら)

 

 きっと母なら、はぐれないように手をつないでくれた。歩調を合わせて、人混みから身を挺して庇ってくれたはず──屋敷を出たことのない母なのに、その光景が脳裏に浮かぶのは不思議だった。

 

 ようやく九と四分の三番線のプラットホームに入ると、マグルの喧騒が少しだけ遠のいて、ようやく一息つけた。

 そこにはすでに紅色の蒸気機関車が停まっていた。もくもくと黒い煙を立ち上らせて佇む姿は圧巻だ。ナーサはふらりとそちらに足を向けかけた。

 

「ナーサ、こちらへ」

 

 祖父が壁を背に手招きしていた。一生分の苦行を果たしたとばかりに、シワになったハンカチを外すと、祖父は深い溜め息を吐いた。

 

「マグル共は毎日あの雑踏の中、仕事に向かうらしい。まったく正気の沙汰ではないな……最低限の魔力を持たぬ代わりに凄まじい胆力だ。そこだけは賞賛に値するが」

「お付き合い頂いてありがとうございます、おじいさま。

 少し失礼して、コンパートメントを探してきてもよろしいですか?」

 

 祖父の屋敷に住んで以来、外に出たのは今日が初めてだった。ナーサの目には全てが宝物のように輝いて見える。早く自分の目で色々と見て回りたくて、ついそわそわしてしまう。

 祖父は片眉を歪めた。

 

「ああ……心配せずとも席は押さえている」

 

 それは言外にここにいろということだ。ナーサはシュンと肩を落とした。乱れた髪を手櫛で整えつつ、せめてもと周りを見回してみる。

 

 黒い艶のある肌の人、美しい布を頭から被った人、細い目の人。異国の人々も同じホグワーツに行くのかと、ナーサは吐息を漏らした。

 そして生徒の大半が家族総出で来ているようだ。父親に荷物を持ってもらい、母親に抱きしめられて、トランクを眺める年の離れた弟や妹が、ワッと泣きだす。騒々しくも、見ていてなんとも心温まる光景にあふれている。

 ナーサは胸がうずくのを感じながら、たくさんの家族達を見守った。

 

「──これはこれは、マルフォイ卿。お目にかかれて光栄です」

 

 その時、すらりと背の高い青年が、柔和な笑みを浮かべて近づいてきた。祖父は一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、すぐに相手を見定めて頬を緩ませる。

 黒い制服のローブには蛇の寮章が縫いつけられている。スリザリン生だ。

 

「ケイレブか、久しいな。何年生になる?」

「七年生になります。N・E・W・Tも迫っていますし、気楽な学生生活も終わりかと思うと、溜め息ばかりが出てしまいますね。ところで……」

 

 ケイレブはちらりとナーサに視線を移し、微笑む。貴公子然の風采や訛りのない話し方に、ナーサは好感を持った。

 

「こちらの小さなレディが、ナルシッサ嬢でしょうか? 噂に違わぬ麗しいお嬢様で」

「ナーサ。ヤックスリー魔法大臣のご長男、ケイレブだ。監督生で世話になることも多かろう。ご挨拶なさい」

「お初にお目にかかります、ミスター・ヤックスリー。ナーサと申します」

「はじめまして、ミス・マルフォイ。弟があなたにお会いできるのを大変楽しみにしておりました」

 

 弟──? ナーサは小首を傾げた。話が読めなかったが、祖父は黙って頷いている。

 

「この場でご紹介できればよかったのですが、少し目を離した隙に何処かに行ってしまいまして」

 

 ケイレブは肩をすくめて苦笑した。祖父は微かに眉をひそめた。

 

「お父上はマクーザと会議の日だったな。君があの二人を連れてきたのか。立派なことだ……私の記憶にあるミケイラとリラルドは礼節を守れる子達であったように思うが」

 

 祖父の声音は柔らかいが、僅かな探りが混じっていた。

 ケイレブは一瞬視線を落としたが、すぐに気まずさの欠片もない微笑みを浮かべた。

 

「兄なら許されると、甘えているのでしょうね。母が長期間体調を崩して伏せっているのが不憫で、つい甘やかしてしまいます」

「……なるほど。兄が責任を担うからこそ、彼らは自由にできる。大臣も頼もしい跡継ぎに恵まれ、さぞ安心だろう」

 

 ナーサには全てが理解できたわけではないが、二人が本音で話しているわけではないのが伝わってきた。

 その後も挨拶や紹介は続いた。誰もが祖父と話したがり、プラットホームの一角に列が築かれた。祖父の顔の広さに誇らしさを感じる一方、愛想笑いを浮かべて挨拶を続けるのは骨が折れるものだった。

 

 段々と発車予定時刻が差し迫ってきた。

 ナーサはふと視線を感じて、汽車の窓を見た。窓枠に肘をつくようにしてナーサをじっと見ている少年がいる。金髪を逆立てて尖った印象だったが、それが逆に幼さも漂わせている。

 

(あの子も、新入生かな──)

 

 親近感が湧いて、自然と笑みがこぼれた。すると、少年は大きく目を見開き、不自然に顔を背けてしまった。

 

*

 

 祖父と別れて一時間ほど経った。ホグワーツ特急が発車してからというもの、ナーサは一人きりだった。純血の家名を名乗る生徒達が学年問わず、入れ替わり立ち替わりやってきたが、挨拶の他に一言二言交わすだけで、誰も長居はしてくれなかった。

 皆、祖父とは一秒でも長く話そうとしていたのに、自分は祖父への縁をつなぐための道具としか見られていない。そう思うと、祖父が厚意で押さえてくれたコンパートメントが窮屈でたまらなかった。

 大人数のコンパートメントに移って、同じ新入生を探してみようか。ナーサは迷っていた。

 その時──

 

「失礼します、ミス・マルフォイ。先ほどお話しした弟をお連れしました。今、少しよろしいですか?」

「どうぞ」

 

 ケイレブ・ヤックスリーの後ろには、先ほど見かけた金髪の少年がいた。無理やり引っ張ってこられたのか、不満顔だ。兄に手で押し出され、転がり込むように中に入ってくる。

 苛立ったように兄を睨みつけながらも、厳しい目で見下されると何も言えないらしい。唇を噛み、ぐっと姿勢を正す。そうすると、彼はナーサよりも随分と背が高いことが分かった。

 よほどシャイなのか、黙り込んだ弟を前に、ケイレブの顔がみるみるうちに険しくなっていく。

 これでは叱られてしまう──そう思ったナーサは、思わず口を開いた。

 

「はじめまして、ナーサ・マルフォイです。先ほど、プラットホームからあなたのことをお見かけしました。お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 すると、ソバカスの散った顔がサッと赤くなった。ケイレブが促すように彼の背中を叩くと、渋々口を開いた。

 

「……リラルド・ヤックスリーです」

 

 ようやくかすれた声でそう名乗ると、一礼した。耳まで真っ赤になっている。ケイレブはようやく元の穏やかな顔に戻った。

 

「住み慣れた家を離れて、ご不安もおありでしょう。同じ新入生同士で少し話されてはいかがですか、ミス・マルフォイ? 少々不器用なところもありますが、私やミケイラ──妹から、ホグワーツについて聞かされております。きっとお役に立てるでしょう。

 私は車内の見回りがあるので、これで失礼します。リラルド、くれぐれも失礼のないように」

 

 扉が閉められると、途端に汽車の走行音が大きくなった気がした。車輪の軋みに、彼の身体が僅かに傾く。視線を僅かに逸らしたまま、むっつりと黙り込んでいるのをちらりと見て、ナーサは向かいの座席を指した。

 

「よかったら、おかけください」

「……いや。いい」

 

 ぼそりとした呟きはスコティッシュ・アクセントだった。聞き慣れないはずなのに、何故か懐かしい。思わず口元が綻んだ。

 その途端、明るい青い目が剣を宿したように鋭く光った。朱に染まったこめかみには、うっすらと血管が浮き、言葉を探すように唇がひくついた。まるで期待を裏切られたかのような、失望がにじんだ表情──瞬く間に怒りが全身を染め上げていく様が見て取れる。

 ナーサは当惑して、微笑みを引っ込めた。

 

「お前の方から挨拶に来るべきだったんだ」

「……え?」

 

 ナーサは一瞬何を言われたのか分からず、ポカンとした。ヤックスリーの声が一層大きくなった。

 

「俺は魔法大臣の息子だ。本来は、お前の方から頭を下げるのが筋なんだ。そんなことも言われなきゃ分かんねえのかよ」

 

 あまりに想定外の言葉に、返す言葉が見つからない。

 彼は怒りをこらえるように鼻から長い息を吐きだすと、ふいっと視線を逸らした。

 

「……まあ、いいさ。所詮、いくら血筋がよくたって、育ちが悪けりゃな」

 

 吐き捨てるように言うと、リラルド・ヤックスリーは背を向けた。扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

 残されたナーサは呆然とローブを握りしめた。沈めた石から広がる波紋のように、じわじわと胸の奥に怒りが広がっていく。

 

 魔法大臣コーバン・ヤックスリーの名前は当然知っている。ヤックスリーの家名だって『純血一族一覧』や『生粋の貴族──魔法界家系図』で読んで、知っている。

 だからといって、何故わざわざ自分から探しに行かねばならないのだろう。育ちが悪いと言われたのも、ひどい侮辱だった。祖父に認められるように必死に努力してきたこと全てが否定された気がした。

 

(育ちが悪い? 初対面で、あんなこと言う人はどうなの?)

 

 心の中で罵っていると、またもや通路から視線を感じた。リラルド・ヤックスリーが戻ってきたのかと身構えたが、高学年と思しき黒髪の少年だった。陰のある端正な顔立ちで、見覚えがある。

 琥珀色の静かな目が、ナーサを捉えた──けれど、それはすぐに何事もなかったかのように逸らされ、彼は静かに歩き去ってしまった。

 これまでに会った祖父の客人一人一人を思い返したが、彼はいなかった。

 

(でも、何処かで会ったことがある……誰?)

 

 汽車はナーサの戸惑いを気にかけることなく、長い旅路を進んでいった。

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